1
住田薫は、ロンドン発成田行の飛行機に乗る数時間前、トロントのペーパーカンパニーによる依頼会社の株式買い増しが発覚、ペーパーカンパニーの黒幕を暴く為に急遽トロントに飛ぶ事にした。
墜落
機内は、静かだった。
エンジンの低い振動と、
時折グラスが触れ合うような微かな音だけが、
規則正しく流れている。
薫は、
窓側の席でシートベルトを軽く締め直した。
長時間のフライト。
体は疲れているはずなのに、
頭だけがまだ働いている。
さっきまで見ていた資料の断片が、
思考の奥でゆっくりと回っていた。
——資金の流れ。
——買収のタイミング。
——誰が裏切るか。
目を閉じても、
世界は止まらない。
ふと、違和感を覚えた。
静かすぎる。
隣の席の乗客が、
窓の外を見て小さく息を呑んでいる。
薫も視線を向ける。
そこには、
空を覆うように揺れる光があった。
オーロラ。
だが、それはどこか異様だった。
美しいはずの光が、
まるで“波打つノイズ”のように揺れている。
色が、わずかに乱れている。
緑の中に、
不自然な紫と、
一瞬だけ走る白い閃光。
——おかしい。
その瞬間、
機体がわずかに震えた。
軽い揺れ。
だが、
それは通常の乱気流とは違う。
音が遅れてやってくる。
低く、くぐもった振動。
「……?」
誰かが小さく声を漏らす。
機内アナウンスが入る。
「ただいま、気流の乱れにより——」
そこで、音が切れた。
完全な沈黙。
薫は顔を上げる。
天井のライトが、
一瞬だけ暗くなる。
そして、戻る。
また暗くなる。
——断続的な明滅。
機内の空気が変わる。
乗客たちの間に、
言葉にならない不安が広がる。
そのとき、
窓の外の光が“落ちた”。
オーロラが、
上からではなく、横に流れた。
いや——違う。
機体が傾いている。
大きな揺れ。
誰かの叫び声。
荷物が上から落ちる音。
薫の視界が一瞬、白くなる。
呼吸が浅くなる。
頭の中で、
何かが急速に計算を始める。
——高度。
——姿勢。
——復旧可能性。
だが、すぐに理解する。
これは、制御不能だ。
機内の照明が、
今度は完全に落ちる。
暗闇。
一瞬だけ、
すべての音が消える。
無音。
その静寂の中で、
薫は妙に冷静だった。
——終わるのか。
恐怖ではない。
確認に近い感覚。
そのとき、
窓の外に“白い筋”が走る。
まるで、
空そのものが裂けたような光。
次の瞬間、
機体が急激に落ちる。
重力が消える。
身体がシートから浮く。
悲鳴。
衝突音。
金属が歪む音。
空気が裂ける音。
すべてが一度に押し寄せる。
薫の視界が揺れる。
だが、その奥で、
ひとつのイメージが浮かぶ。
白いスーツの男。
ホワイトナイト。
彼が、静かに手を差し出している。
「——」
声は聞こえない。
だが、意味だけが届く。
その瞬間、
衝撃。
世界が砕ける。
光が消える。
音が消える。
思考が、ゆっくりと沈んでいく。
——深い水の底へ。




