8. 呪い
ベルトランは呪いを解きたいが、しかし火急のこととは思っていないらしいとペルリタは思った。
昨日の夕食のとき、わざわざ使用人を下がらせたからてっきり呪いの話でもするのだろうと身構えた彼女だったが、結局ベルトランはそのことに触れなかった。だからデザートを出してくれた使用人が引っ込んだ後に、ペルリタは自分から話題に上げたのだ。
呪いの詳細を知りたがったペルリタにベルトランはあからさまに困った顔をして、話をすることをためらっていた。
「なぜ教えてくれないの?」
尋ねるペルリタに彼は恥ずかしそうにする。
「僕の呪いを知って君に幻滅されたくないんだ」
別に憧れてたとかでもないのに「幻滅」という言葉を使うのは違う気がするけど、と思ったペルリタだったが黙って先が続くのを待った。ベルトランはしばらく言葉を探すように目を彷徨わせた。
「その、本当の僕を知って、信頼してもらってから、呪いのことを知って欲しいんだ」
それではいつ呪いを解くことができるかわからないとペルリタは思った。別に急いでいるわけではないのならこちらも焦る必要がなくて楽だが、早く知っておくに越したことはないと思う。
そういえばベルトランが呪われていると聞いても驚きもしなかったなとペルリタは改めて気がついた。子どものとき近所に住んでいた魔法師たちもよく呪いの類を研究したり、生業にしていたから、そこまで呪いに対して新鮮味がないのかもしれないとペルリタは少し淡白に考えてしまう。
結局ベルトランはペルリタに呪いの詳細を教えてくれず、ペルリタはヤキモキしていた。
ベルトランの好意に応えることは今のところできないが、魔女ということを告発せずに快適な生活を提供してくれるというのなら、早くその恩を返したいと思っている。だからペルリタは知りたいのだ。
信頼されてから知ってもらいたいって、信頼の基準ってどこなの?
そう思ったペルリタはもう執事長に聞くことにしたのだ。執事長のトマスとはお互いなんでも知る仲だとベルトランが言っていた。彼に聞くのが早いだろう。
温室のなかでペルリタとトマスは二人、見つめあった。
「そのことでしたら旦那様に直接お伺いしたらいいかと」
「昨日聞いたけど教えてくれなかったの」
「……なるほど」
表情を一定に保って完璧に仕事をこなす人という印象があったトマスだったが、この時トマスの見せた表情にペルリタのその印象は崩れた。
悔しそうに口を歪ませ、目には少しの悔恨を浮かべた顔だった。
「……トマスはベルトランとどれくらい親しいの? なんでも話す仲だと聞いたけど」
「もともと公爵家の騎士だったのですが、色々あって今は執事として働かせてもらっています。ポストを用意してくれたのが旦那様なのです。屋敷で一番親しい自信はありますよ」
前に見せた表情を隠して微笑んで見せるトマスにペルリタも微笑んだ。
「二人とも信頼し合ってるんでしょうね」
昨夜ベルトランに言われた曖昧な「信頼」という言葉をペルリタも使ってみた。そして考える。
「うん。なんか本人ではなく執事に呪いのこと聞こうとしてるわけだし、フェアじゃない気がしてきたから私も言うわ。はあ、……私、魔女なの」
トマスは驚いて目を見開いていたが、それでも逃げたり叫んだりすることはなかった。固まってしまったトマスが、次にどんな行動をするのか見守りながらペルリタは紅茶を啜って待った。
「……あの坊ちゃまが結婚するといったとき、私はその女性がどんな人間でもいいと思いました。あのパーティの日、屋敷に戻ってきた坊ちゃまが、見つけたと言ってそれは嬉しそうに笑っていて、だから私はあなたが何者でも坊ちゃまが幸せならいいのです」
トマスが自分のことを密告するとはペルリタも思っていなかった。だから自分から魔女だということを教えたのだ。ただ、こうもベルトランの好意を別の人から聞かされると、居心地の悪さを感じてしまう。
「だからもちろん告発はしません」
トマスが付け足して、ペルリタは小さく頷いた。
「ベルトランはね、結婚した理由は二つあると言ったの。そのうちの一つが呪いを解いてほしいから。でも、その呪いのこと教えてくれなかったのよ。私が役に立てるかわからないけど、呪いが解けたらいいと思わない?」
見たところトマスは、ベルトランのことを本当に大切にしている。だからこそ、呪いが解けるかもしれないと知れば教えてくれるのではないかとペルリタは思った。案の定、トマスは唾を一つ飲み込むと、口を開いた。
「奥様は社交界で流れている噂を知っていますか?」
頷くペルリタにトマスは「そうですか」と小さく呟く。
「すべて事実です」
……事実か。
「けれど、弁明をさせてください。これは坊ちゃまと、幼少時代からお側で見守り、不躾ながら坊ちゃまを孫のように思っているこの老いぼれのために」
老いぼれと言うが、目の前の執事は姿勢も良く、目には活力がみなぎり、決して老けていない。せいぜい五十くらいだ。ペルリタはトマスの年齢を聞きたくなったが、黙って先を促した。
「……坊ちゃまは、人を殺すときそれは悲しそうな目をされます。坊ちゃまは呪われていて、突然たがが外れたように、人を殺めたいという衝動に駆られるのです。そうなったら最後、止められる者はいない。
これまで多くの命が坊ちゃまによって失われたのは事実です。しかし、坊ちゃまは、確かに衝動に抗おうとしている。不正を働いた官僚たちを殺したときも、領地の情報を売っていた執事を殺したときも、本当は誰も殺したくないというように、涙を流しておられた」
「つまりベルトランにかけられた呪いというのは……」
頭の中でトマスの語ったことを整理する。彼は人を大量に殺めて暴君と呼ばれるようになったけれど、決して殺したくてそうしているわけではない。それに、殺されるのは決まって罪を犯した人で?
「罪人を処罰する呪い」
トマスは静かな声で言った。それは異様なほど低くしゃがれた声だった。彼はため息をついて話を続ける。
「私はそのように捉えています。魂を浄化し、救っているのだと考えれば、決して恐ろしいものではない。私は坊ちゃまから、呪いのことを聞いたとき、そのように思いました。神の代行として、醜い魂を裁き、救っているのだと、私は今でもそう思っております。けれど、坊ちゃまは、自分は、人間の領分を超えた恐ろしいことをしていると言って、長年苦しんでこられました」
トマスは疲れたように笑った。
「坊ちゃまが初めて人を殺した十三歳のときです。坊ちゃまには人の魂が見えます。罪を犯しても、罪悪感の一欠片も感じない人間はいますが、魂はしっかりとその罪を刻みます。罪の意識があるのなら、その分だけ魂は傷つかず、罪の意識がないのなら、その分だけ魂が汚れるのです。刻印が深ければ深いほど、多ければ多いほど、醜い汚れであるほど、魂は浄化を求めるのだと、坊ちゃまが以前私に教えてくれました。そして、そんな傷ついた魂を前にするとき、殺傷の誘惑に襲われるそうです。魂を救うには、その持ち主が死ぬことが必要だから」
ペルリタは唖然として何も言えなかった。
そんな呪いにかかった少年は、長い間ずっとどんなふうに自我を保っていたのだろうか。相手が罪人だとしても、殺人は殺人だ。魂が救いを求めていたとしても、それをするのは神の仕事だ。一人の人間が背負うにはあまりにも残酷な呪い。
「坊ちゃまは次第に、人と関わることを嫌うようになりました。貴族には嫌というほど殺したくなる人間がいる。気づいたら剣を握ってしまうのだと坊ちゃまは何度も泣きながらおっしゃいました。十五歳になるまで、部屋に籠もり、人の魂を見ないようにしてこられた。けれど、若い少年には、それすらも酷なのです。部屋から出られないことで、精神は崩壊していました。
それを心配した亡き公爵が息子を戦場に行かせたのが十五の時です。戦場で坊ちゃまは何千もの人間を殺した。戦争という場でなら、自分が人を殺しても少しは言い訳ができるような気がしてくる、と坊ちゃまはよくお手紙でおっしゃっておりました。戦場では、魂の汚れた仲間を殺さないようにするのに一番苦労するとも。戦場でなら自分自身の罪も少しは軽くなるような気がすると。けれど……」
トマスはここで口を注ぐんだ。その目に薄い涙の幕が張っているのを見て、ペルリタは申し訳ない気分になる。けれど、聞かなければならなかったことだった。
でも聞かなければよかった。知らなければよかった。神の領域を犯す呪いを私が解けるなんて思えないから。
トマスが立ち上がった。胸ポケットから出したハンカチをペルリタに差し出す。それでどうすればいいのかわからず、ペルリタがただ薄青色のハンカチを見つめていれば、トマスは小さく微笑んで、彼女の頬をそれで押さえた。
どうやら泣いていたみたいだとペルリタも気づいた。
「お茶のおかわりは要りますか?」




