6. 他称「犬」と決断
「冗談はやめて!」
「冗談なんてつくものか! むしろ二つ目の理由が重要で、僕は心から君を愛しているから、無理矢理にでも結婚したんだ。もちろん呪いは解いてくれたら嬉しい。でも、魔女の力が欲しいからって相手が誰でもいいわけじゃない! 君だったから結婚したんだ。魔女がもし他の人だったら結婚なんてせず脅して思い通りにしたさ!」
ベルトランは真剣で、まるで嘘をついているようには見えなかった。それどころかそのアイスブルーの瞳は艶やかで、本当に自分が好きなのだとペルリタは勘違いしそうになる。
「君にとって僕は昨日会ったばかりの男だ」
「そっそうね?」
「そんな男の口から、愛してるなんて言われても信じられないことくらいわかっている。けれど、僕はずっと君が好きなんだ。僕を信用していない今の君に、そのわけを言ってもきっと響かない。いつか、いつか僕が君を愛している理由を言わせてくれ。それまではただ、離れないで」
だんだんと勢いを無くし頼りなくなる声に、ペルリタは眉を上げた。この人が本当に帝国で恐れられる暴君なのだろうか。
「そんな目で見ないでくれ!」
情けないままのベルトランに、ペルリタは何度も視線を手元に向けた。その視線を追ったベルトランは、その時になって初めて気づいたとばかりに、ずっと握り込んでいた手を離した。
「すまない、早急すぎた」
「……そうね」
「僕は本当に君のことが好きだから結婚したんだからね? いなくならないで」
「……はいはい」
犬のように上目遣いでいう男を前に、ペルリタは男気のあった母親を思い出した。
今までの人生で好みの男性のことを考えたことはない。いつか売り飛ばされるか、逃げ出すかどちらかしかないと思ってきたから考えるだけ無意味だった。けれど、ここで初めて自分の好みのタイプを知った。
母さんのように男気のある人だ。
目の前の公爵は何度も戦地を生き抜いてきたのだから、それはもちろん強いのだろう。けれど、さっぱりした頼もしい男らしさというものを感じない。むしろゴラで懐いていた犬に似ている。一度餌をあげたらすごく懐いた犬に。そう思うとベルトランが怖いでも、かっこいいでもなく、可愛いと思えてくるペルリタだった。
本当にベルトランがペルリタのことが好きで。大切にしたいと思っているのなら、これ以上の結婚相手はいないだろう。東の大国にいけなかったとしても、地位も財力もある公爵家なら、帝国で、魔女のペルリタを守る盾になるし、安心かもしれない。
他称「犬」の公爵と、その公爵にすでに流されているペルリタ自身に、彼女は面白くて笑ってしまう。
公爵邸にくることを、魔女だと告発されることを、あんなに恐れていたのに、それが嘘のようだ。
声を出して笑い出したペルリタをベルトランは見逃さなかった。彼女の笑顔に顔を輝かせ、抱きつく。突然のことで驚いた彼女の笑い声は、飲み込まれた息と共に、腹に戻った。
ベルトランは元とはいえ軍人だ。今も鍛えているのか、腕と胸には筋肉がしっかりとついている。異性と抱きあったことのないペルリタはどうすればいいかわからなくなった。
「……ベルトラン?」
「すまない。君が笑ったから、それが嬉しくて」
ベルトランはそれからしばらく離れなかった。
これは確かに彼は自分のことが好きなのだとペルリタも理解した。向けられる愛情が嘘だったら今すぐ爵位を捨てて、俳優になるべきだ。
どんな形であれ愛に飢えていたペルリタは暖かい気持ちになった。
涙が頬を落ちるのを感じ、ペルリタは自分が啜り泣いていることに気づいた。ベルトランもそれに気付き、体を離す。驚いた表情を浮かべながらも、彼はそのざらついた指で涙を拭った。
その優しさに、ペルリタは思わず口走った。
「裏切ったりしないわよね?」
言ってしまってから後悔することがある。これもそれだ。ペルリタは失礼だったと思った。
「僕がどれほどこんな風に君に触れたかったか、どれくらい待ち焦がれていたか、君にはわからないだろうね。――僕が君を裏切ることは決してない」
ベルトランがペルリタのまぶたに口づけを落とす。本当の恋人のそれのようだった。
「それなら私もあなたの側にいる。……少なくとも呪いが解けるまでは」
「……ああ」
流れるように計画も思考も変わっていく、情緒不安定の私に、この男はいつか疲れないだろうか。愛想を尽かさないだろうか。ペルリタはそんなことを考えた。
ベルトランの優しい手に撫でられ、ペルリタはだんだんと眠くなる。
「眠いのかい?」
ベルトランはそっとペルリタを横たえると、屈んで彼女と視線を合わせる。
「しばらく眠るといい」
まぶたに彼の硬い手のひらが重なる。
温かいな、と思ったのを最後にペルリタは眠ってしまった。
難しいのはわかっているけれど、公爵邸から逃げる方法は考えつく。でも私は、さっき彼の表情を見て彼を信じることにして、自分でここの妻になろうと、役目を果たそうと決めた。多少勢いに流されたところがあるのは否めない。だから、私の決断を支える理性的な理由が欲しい。もし殺された時、公爵の勢いに負けたからだとか、騙されたとかを理由にしたくない。私は私の判断のせいで死ぬ。そう言いたいのだ。
ペルリタはベッドの天蓋を見つめながらそんなことを考えていた。
相手は皇帝の次に権力のある公爵で、彼はペルリタに呪いを解いてほしい。ペルリタは自分が安全に生きるための盾が欲しい。安全の保証があるのなら、場所も知らない東の大国まで行く必要はない。むしろ母さんは、ペルリタが帝国に留まることを望んでいたのだ。
母さんが理由もなく、そんなことを望むとは思えない。私がこの国に留まるのには何か大切な理由があるとペルリタは思った。
決意を固めよう。母さんは一度決めたなら貫けと言っていた。
けれど、ペルリタには気にかかることがあった。それは、彼の呪いを解ける確証なんて自分にはないということだ。
今のペルリタは彼の呪いがどんなものか知らされていない。それにほとんど記憶と独学頼りのペルリタに呪いを解けるだけの能力があるとも限らない。
呪いを解く力がないかもしれないとベルトランに言わない自分は卑怯だろう。
天蓋を見つめていたペルリタは、布団に潜りため息をついた。
あったかい。




