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暴君に愛された魔女  作者: 月内結芽斗
第2章

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22/25

18. 伯爵の来襲

「答えてください!」


 どうしようかと考えた後、ベルトランは口を開いた。今後の夫婦生活のためには正直に答えた方がいいと思ったのだ。


「……二百万サール」

 これにはオスカルでさえも言葉を失った。

 貴族の結婚で支払われる結納金は五万から十万サール程度で、国家間で行われる政略結婚でも、二百万なんて滅多に動かない額だ。この金額を決めたのがベルトランなのか伯爵なのかはもはや問題ではない。ただ結納金がまったくペルリタのために使われていないことを考えると「身代金」の方がまだ言葉として正確だとペルリタは思った。


 衝撃に固まってしまったペルリタの口から出るのは意味をなさない音ばかりで、彼女はずっと正気を取り戻せないでいた。

 いたたまれなくなってオスカルが代わりに口を開いた。


「おまえ本当にそんな額を払ったのか?」

 ベルトランは気まずそうに妻から顔を背けて小さく頷いた。正直に打ち明けたことが正しかったのか、ベルトランもわからなくなった。

「いったいそんな大金何に使ったんですか!」

 やっと言葉を発したと思ったら、ペルリタの声は甲高く部屋に響いた。

「さっさと言ってください! いったい何に使ったんです?」

 体に染み付いた恐怖心を忘れ、ペルリタはズカズカと伯爵に近づいた。


 伯爵はまさか娘がこんなふうに大声を上げて、怒鳴ってくるとは思っていなかったのか、一瞬呆気にとられていたが、すぐにその額に血管が浮き出し、同じように声を荒げた。

「父親に向かってその態度はなんだ! 金は意義のあることに使った!」

 これはまずいと、ベルトランもオスカルも立ち上がった。


「意義のあることってなんです? 伯爵領の孤児院に寄付したんですか? スラムへの物資提供ですか? それとも、姉さんたちのドレスと宝石、伯爵の博打に使い込んだんですか?」

「おまっ!」


 図星を突かれ、伯爵も怒りを抑えられなくなった。娘の方に近づき、手を振り上げる。そばにいたオスカルは伯爵を止めようとしたが、その手は伯爵の袖を掠めてしまった。

 大きく振りかぶられた腕には、平手打ちをするために力が込められていた。

 軽快な音が部屋に響いた。しかし、自分が何をしでかしたのか気がついた伯爵の顔色は悪かった。後悔してももう遅い。

 ペルリタを庇うように立ったベルトランの顎はすでに赤くなり始めていた。


 オスカルは後ろから伯爵の小さな背中を眺めて思った。

 伯爵の墓碑にはなんて書かれるだろうか。この無礼者の死は確定だ。せめてベルトランが提供する死に方で一番ましな方法で死ねたら良いのだが。

 伯爵は可哀想だが、オスカルはこの状況がなんだかおもしろくなってしまって、慌てて口元を隠した。


「ベルトラン!」

 ペルリタは声を上げ、ベルトランの打たれた頬にそっと手を触れた。ペルリタの声を聞いて、呆然としていた伯爵がやっとの思いで口を開いた。

「申し訳ない、公爵! あなたに手を上げる気など……!」


 しかし、彼はこれ以上言葉を続けることができなかった。視線を交えているのは、どんな獣よりも恐ろしい男。ベルトランからは人間とは思えない殺気が立ち込めていた。美しい顔は、美しいゆえに余計に恐ろしかった。

 今夜の伯爵は少し、いやかなり行き過ぎた。勝手に夜会に入り込み、時間を奪い、金をせがんだと思えば、挙句の果てに公爵の妻に手をあげようとした。自分の娘だろうが関係がない。ペルリタは今、公爵家の人間なのだ。伯爵は驕り高ぶって、そのことを忘れていた。


 井の中の蛙大海を知らず。大海にて大蛇に出会う。

 そんな感じか。……いや、違うか。

 オスカルは今ではすっかり観客の気分になって心の中でつぶやいた。

 雉も鳴かずば打たれまい、かな。いや、天に唾する、といったところか。


「伯爵、僕の妻に手を上げようとした罪は重いぞ」

 ベルトランはひどく冷たい声で言った。

「今この場で決闘を申し込もうか」

 彼は手袋を片方脱いだ。それを見た伯爵は青ざめ、床に着くほど頭を下げる。

「この無礼、どうかお許しください! なんでも言うことを聞きますので!」

 ベルトランは剣を握ってからこれまで誰にも負けたことがなかった。伯爵ももちろんそのことを知っている。天地がひっくり返ろうと、戦って死ぬのは伯爵なのだ。


「なんでも?」

「ええ!」

「結納のときに我々が交わした約束をお前は忘れてしまっているのに、僕の言うことをなんでも聞けるような知能を持っているのか?」

 伯爵は頭を下げたまま黙ってしまった。ベルトランはそれがつまらなかった。

「まあいい。決闘の申し込みはいつでもできる」

 ベルトランの言葉に顔を上げて、伯爵の目に少しばかり希望が戻った。それにベルトランも気づいたのだろう。汚らわしものを見るように目を細め、伯爵がこれ以上何か言う前に口を開いた。

「なぜまだここにいる?」


 伯爵がそそくさと去って行く後ろ姿を見送ってから、ベルトランとオスカルは再びソファに腰掛けた。ペルリタは酒瓶のそばにおいてあった氷をハンカチで包んで、ベルトランに渡した。魔法で治すことは容易いが、オスカルがいる手前、それはできなかった。


「大丈夫?」

「申し訳ない」

 瞳を閉じながらベルトランは呟いた。彼の謝罪にはすべてが込められているようだった。ペルリタとオスカルはじっと目の前の黒髪の男を見つめた。


「……こんなことになって侯爵も申し訳ないです」

「構わない。夫人が無事で良かったよ」

 新しいグラスに酒を注いで、オスカルはグラスを掲げる仕草をした。

「ありがとうございます。……ベルトランも庇ってくれてありがとう」

「夫として当然の――」

「でも結納金二百万って頭おかしいんじゃないの?」


 ベルトランを遮って冷えた声で言ったペルリタに、オスカルはむせて口に含んだばかりの酒を吐き出しそうになった。どうやらお淑やかで美しいばかりの女性ではないようだ。「怪物」に頭がおかしいと宣うなんて。

「……後悔はしてないよ」

 ベルトランはアイスブルーの瞳を覗かせて媚びるように妻を見つめた。







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