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暴君に愛された魔女  作者: 月内結芽斗
第2章

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18. 伯爵の来襲

「ヴァレンティナ公爵!」


 呼び出そうかと思っていたところで、まさか向こうからやってくるとは思わず、ベルトランは瞠目した。

 いくら伯爵といえども、格上の貴族が扉を閉めて密会している場に無理に入ろうとすることがあるだろうか。扉の前には従者がいたというのに、彼の規制も聞かずに入ってくるとは。以前から奴は礼儀がないと思っていたが、それは間違っていなかった。図々しいにも程がある。


 ベルトランは鼻で笑いそうになった。


 オスカルの従者といえど、貴族相手に手を出すことはできないのだろう。強引に開かれた扉と伯爵の隙間に入り込み、懸命に腕を伸ばして通らないようにしているが、伯爵の体に触れることはしない。このままでは従者の彼がかわいそうだ。

 従者の肩越しに伯爵と目が合ったベルトランはため息をこぼした。


「……オスカル」

 オスカルは再度確認するようにベルトランの方を見ると、従者に向かって指示を出した。

「通してやって構わないよ」


 主人の声に従者は腕を下ろし、扉の前から退いた。少し崩れた服を正し、何事もなかったように咳払いをすると、伯爵は一歩前に出た。


「ヴァレンティナ公爵、クエンカ侯爵」


 伯爵は急にやってきたことを詫びることもなく、ベルトランとオスカルに簡単な挨拶をした。名前を呼ぶことが挨拶にあたるのなら、彼は間違いなく挨拶をしていた。

 貴族教育をある程度受け切ったペルリタには、伯爵の態度が傲慢だということがわかる。自分の父親に嫌気がさしながらも、しかし歪んだ唇に野心が滲み出ているその姿を見て、背中に寒気を感じた。


 ベルトランはもともと社交界では死んだ表情筋で過ごしているから、ただ瞬きをしただけで挨拶を返したようなものだった。伯爵もそれを知っていて、ベルトランが反応を示してくれたことに満足する。

 けれど、ベルトランは内心、伯爵が自分の娘にいっさい目を向けず、すでに公爵の妻になった女性への態度を取らないことに怒りを覚えていた。


 自分からやってきたくせに何も語り出さない伯爵は、ちらちらとテーブルに置かれた侯爵家秘蔵の酒瓶に目を向けていた。自分も飲みたいのだ。

 それに気づいたオスカルは、テーブル横に逆さにして置いていたグラスを手に取り、金色に輝く酒を注いでやった。

 嬉しそうに笑った伯爵は、酒を口に含むと饒舌にその味を褒め始めた。グラス一杯が平民の月給よりも高い酒を、伯爵は媚びるようにして何杯も飲んだ。オスカルは微笑こそ崩さないが、いい加減にしろと思う。


「……伯爵はいったいここに何の用できたのですか?」


 度数の高い酒だ。四杯目を貰おうと酒瓶に手を伸ばした伯爵の足が少しふらついたのを見て、オスカルは本題に入ろうと尋ねた。

 まさか酒を飲みにここに入ってきたわけではあるまい。さっさと目的を果たして出ていってほしいとオスカルは思った。


 すでに千鳥足の伯爵に、ベルトランの方では、先ほどまであった好戦的な熱がどこかに行き、すっかり興ざめしてしまっていた。彼がここに来た目的を聞くことも億劫だ。


 伯爵が入ってきてから感じている全身の不快感を紛らわすために、ベルトランは伯爵が繰り返し飲んでいるものとは違う酒瓶からグラスに酒を注いだ。そのまま、ソファに深く寄りかかり、足を組むと腕を背もたれに預けた。

 が、ペルリタが眉を上げて驚いた顔をするので、姿勢を正して座り直した。普段彼女といるときは、嫌な印象を与えたくなくて言動一つひとつに気を使っているベルトランだから、こんなふうに不遜な態度をとったことがなかった。

 横柄な人を嫌うだろうペルリタに、自分の嫌な部分は見せたくない。

 咳払いをして自分の態度を紛らわすベルトランに、伯爵は話を促されていると感じたのだろう。やっと口を開いた。


「公爵に会いに来たのですよ」

「そうでしょうね。でもそれはいったいどうして?」


 四杯目も残り少なくなってきて、伯爵は自分のグラスに目を向けた。これ以上飲ませれば、さすがに伯爵が潰れて話してくれないと気づいたオスカルは、彼の手の届くところにあった酒瓶を従者に渡した。それを伯爵は目で追う。


「そろそろ量が少なくなってきたから新しいものと交換させましょう」


 適当な嘘をついて、オスカルは伯爵を椅子に座らせた。そこは、ベルトランとペルリタが座る部屋の中央からは離れた壁沿いの一人がけの椅子で、ベルトランとは少し話をしにくい。しかし、伯爵はあまりそれを気にしないで、オスカルがいう新しい酒という言葉に機嫌をよくした。


 ペルリタは、ベルトランが伯爵に対して殺意を感じているわけではないことに驚いていた。彼が来てから眉間の皺は消えないが、それでも皇女と会ったときの様子とは明らかに違う余裕がベルトランにはあった。

 ペルリタはそれが少し残念だった。彼が殺意を抱かないということは、伯爵の魂がそこまで汚れていないということになる。自分がこれまで受けてきたことを考えると納得がいかないと、ベルトランを気遣う反面、ペルリタは思ってしまった。


 内心悔しく思っていたペルリタに伯爵は初めて目を向けた。赤い髪が顔を隠すように頬に流しているその横顔に、彼女がまだ自分に挨拶をしていないことに気づいたのだ。


「ペルリタ、父親に挨拶しないか」


 距離のある場所から一人、自分に向かって声を上げる伯爵にペルリタの肩が強張った。貴族の噂に疎いベルトランでも、伯爵家がペルリタを蔑ろにしていたことを知っている。伯爵家で与えられたすべてのことがペルリタの体に染み付いていることに、ベルトランの眉がピクリと動いた。

 テーブルに置かれたグラスの中で、酒が静かに揺れた。


「その態度はなんだ?」

「はい?」

「僕の妻に対してその態度はなんだと言っている」


 ペルリタからの挨拶は叶わず、ベルトランから睨まれた伯爵は間抜けな声を漏らした。それから彼特有の、それでいて酒に負けた人間がたまに浮かべる嫌な笑みを浮かべて「私の娘ですので」という。


「今は私の妻だ。そうだろう?」


 ベルトランは、呪いとは関係のない殺気を自分の中に感じた。

 いっそのこと伯爵の魂が殺してくれと懇願してきていたら。そしたらベルトランはどんな手を使ってでも伯爵の魂を「救済」しただろう。


 突然、オスカルが立ち上がり、小さく首を横に振った。それはベルトランが無意識のうちに殺気を放ってしまったとき、オスカルがそれを教えるときの合図だった。

 どうやら自分でも気づかないうちにかなり苛ついていたようだ。


 意識してベルトランは息を吐き出し、伯爵をじっと見つめた。氷のような瞳に捉えられ、伯爵にはたったの一つしか選択肢が残っていなかった。


「……公爵夫人への挨拶が遅れてしまい……申し訳ありません」


 伯爵も口ではそう言ったが、椅子から立ち上がることもなければ、ペルリタに視線を向けることもない。その目は床の絨毯を睨みつけていた。

 しかし、ペルリタは伯爵の意外な態度に眉を上げた。表面上とはいえ、彼がこうして自分に詫びるなど数ヶ月前の自分が知ったら、信じられなくてむしろ笑い転げていただろう。


「……それで伯爵は何用でここに来たんだ?」

 オスカルの再三の質問に、伯爵は残りの酒を惜しむように揺らしながら答えることを渋った。

「よろしければクエンカ侯爵には――」

「それはできない」

 オスカルが即答で首を横に振った。


 さっきも殺意を抱いたベルトランだ。いつまた伯爵に怒りを覚えるかもわからない。物理的に彼を止められる人間が、一人はいた方がいい。それはベルトランのためでもあるが、伯爵のためでもあった。「配慮」されていることに伯爵は感謝してほしいとオスカルは思った。


「だが身内の込み入った話をしたいと思っている……」

「もともと公爵と話をしていたのは私です。割って入ってきて聞かれたくないから部屋から出て行ってくれなんて言われましてもね」


 オスカルは人と接するとき丁寧な口調で笑みを絶やすことをしない。常に相手を立てる振る舞いをして、その実、誰よりも自分が糸を引いていることを悟らせないようにする。だからこそ、自分が指示されることが嫌いだった。オスカルは片方の口角を上げて、伯爵を馬鹿にするように見つめた。気持ちが顔に出ていた。


「ああ、そういえばさっき伯爵が飲んだ酒は、私が招いた客に用意したものなのだけれど……一杯いくらだったかな」

 自分でグラスを渡したくせに、とベルトランは思う。しかし思考が回りきっていない伯爵は、ポケットからハンカチを出して額を拭った。

「次の機会を待つか、俺もいる場で、今ここで話をするかどちらかにして欲しいね」


 なんとか保っていた丁寧な口調もなくなり、オスカルは脅すように指を折った。

「四杯は飲んだかな? 請求書書きに行こうかな」

「……今ここで話をさせてもらいます」

 伯爵の口から漏れたのは苦虫を噛みつぶしたような声だった。オスカルはそんな彼の元に近づいて肩をポンポンと叩いた。

「よかった。蚊帳の外は楽しくないからね」


 にっこりと微笑むオスカルにペルリタは唾を飲んだ。彼に会う前にベルトランに聞いていた話と目の前の侯爵はあまりに違う。目の前の彼は優しいふりをして近づいてきた詐欺師のようだ。心なしか伯爵に同情すら覚えてしまう。


「……ねえ、クエンカ侯爵は善人であってるの?」

 ペルリタは隣に座るベルトランにそう問わずにはいられなかった。





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