16. 夜会(下)
美しい妻が隣を歩く。ずっと求めていた人。ペルリタがこんなに近くにいること。僕の妻でいてくれること。パートナーとして一緒に夜会に参加してくれること。それは奇跡だった。
こんなふうに誰かに現を抜かしている自分にベルトラン自身、笑ってしまう。先ほど貴族たちに抱いたものとは違う心地よい笑いだった。
悔しさや頬の紅潮を隠すことのない貴族たちを横目に、ベルトランは美しい想い人をエスコートして、会場を進んでいった。感情を見せることは命取りであると知っているのに、どうして彼らはあんなにも心を顔に出す?
ベルトランは貴族たちを嘲笑いながら、「凍った」自分の顔にもまた深く笑みを浮かべる。ペルリタにだけ向けられた感情は、決して嘘でも、愚かでもない幸せを運んでくれる。
それに比べてペルリタは緊張で吐きそうだった。今まで参加したパーティは、憂鬱で面倒なだけで、こんなにも彼女の身体を強張らせはしなかった。
この長い長い、けれどレディになるには本当に短い時間でたくさんのことを学び、習得した。今こうしてペルリタが夜会に参加しているのも、彼女がシルビアに及第点をもらえたからだ。もう基本的なことは全てマスターしたから、あとは実践を積んでいきながらだと言われ、ペルリタはベルトランと夜会に足を運んだのだった。
けれど、いくらシルビアに励まされても、ペルリタは不安で仕方ないのだ。
それでも貴族のペルリタは爪の先まで……。
美しく、清く、優美。
同じ言葉を何度使っても足りないくらい、ペルリタは大きく成長した。
ベルトランはそのことが誇らしかった。
そして何より立派なレディになりつつあるペルリタが、それでも気のぬけた瞬間にこぼす笑顔や、不安そうな表情、自分を呼ぶ時の声は、貴族たちに汚れることを知らない澄んだ姿のままだった。それがベルトランは何よりも嬉しかった。
横に立つペルリタから目を離し、いざ視界を広げれば、目の前は貴族でいっぱいだ。
会場にいる貴族たちの魂は、ベルトランが殺意を抱かない程度には汚くないものばかりだ。それでも彼らの近くを歩くと、泥のように粘りのあるなにかに絡まれたような気がしてくる。それでもこれはまだましだった。
夜会の主催者であるクエンカ侯爵オスカルは、いくつか年上だが良き友として、ベルトランを気遣ってくれる。ベルトランの呪いのことを知っていて、彼がベルトランを招待するときは、出席者を吟味してくれていた。
今夜、オスカルが招待した人間は事前にベルトランが渡していたリストに含まれない人物ばかりだった。オスカルはこうして、ベルトランが社交界でもやっていけるように協力してくれるのだ。
オスカルは終始、ベルトランの呪いを味方によっては才能だと言っていた。そうして、ベルトランのリストを参考に、自分自身もうまく貴族たちと渡り歩いていた。
本来なら、利用されていると思って不快になるかもしれない。けれど、ベルトランは呪われた怪物を潔く利用し、友として理解を示してくれるオスカルに、おかしいことかもしれないが、好感すら抱いていた。
戦場でも、社交界でも常にベルトランの居場所を作ってくれるオスカルが、この呪いを利用してどうして不快に思うだろう。
「お前が出席するパーティには、魂の穢れた者が来ないようにしよう。だからお前も公爵としてたまには社交界に顔を出すんだ。いいね?」
リストを受け取り、軽い調子で「任せなさい」と自分の肩を叩いたときの彼の顔をベルトランは今でも覚えている。そんなことできるわけないと、期待していなかったが、まさか本当に、ベルトランが出席する会で、リスト上の人間を不参加にさせるとは思わなかった。
ベルトランがいまだ夜会や舞踏会で、貴族を一人も殺していないのは彼のおかげだ。
行きの馬車でベルトランはオスカルのことをペルリタに話した。彼女は少し憐れんで、少し怒って聞いていた。オスカルがベルトランの呪いを「才能」と言っていることが気に入らなかったのだ。柔らかそうな唇を突き出してふくれるペルリタは可愛らしいとベルトランは思った。
「ベルトラン!」
会場を歩く彼らを見つけたオスカルが声を上げ、悠々とやってきた。
すぐ目の前まで来ると、オスカルは興味津々にペルリタをのぞき込んだ。
いきなり彼が近づいてきたせいか、ペルリタの体は強ばり、少しばかりベルトランの腕を掴む力が強くなった。
可愛い。……いや、そんなこと思っている場合ではない。妻が怖がっているのだ。
ため息をついて、ベルトランはオスカルの肩を叩いた。
「僕の妻をそんなに見つめないでくれないか」
「おお! じゃあ、彼女がおまえの新妻か!」
ベルトランが触られることを許している時点で、彼女が妻でないなどあり得ない。そんなことオスカルも知っているのに、わざとらしく声を上げる。
オスカルは体勢を直すと、ペルリタに手を差し出した。ペルリタは笑みを深めると彼の手に、自分の手を置いた。
オスカルは微笑んで、優しくその手に軽く口づけた。手袋越しだからまだ我慢できるが、素手だったらオスカルだろうと許せないとベルトランは思う。ベルトランは、パーティには必ず手袋をさせるように侍女たちに言おうと心に誓った。
「そんなに怖い顔をしないでくれ、ベルトラン。眉間に皺ばかり浮かべていちゃ夫人に嫌われるぞ」
ペルリタの手を掴んだままのオスカルは楽しそうに笑う。
「そろそろその手を離してくれないか」
「公爵は狭量ですね。まあこんなに美しい人が妻なのだから仕様がないのかな」
いつもの軽口でオスカルは言うが、その手はペルリタから離した。
「それにしてもおまえが彼女と結婚できるなんて思わなかったよ。その性格じゃ結婚なんてできないと思っていたからね」
遠慮のない笑顔を向けながらオスカルは話を続ける。
「夫人、ベルトランはどうですか? しっかり夫としての務めを果たせていますか?」
この質問へのペルリタの答えには、ベルトラン自身も単純に興味が湧いた。期待を込めて彼女に目を向けるが、ペルリタは困ったように表情を崩し、頬を染めるばかりで何も言わない。何を考えているのか、その口元は緩み、優しい微笑を称えていた。
「これはまた……」
オスカルが小さく呟く。彼女の美しさに当てられたようだとベルトランにはわかった。
これでは、魔性の女ではないか!
困ったな。どうして彼女はこうも美しいんだ。
他の貴族も今の恥じらうような微笑みに魅入ってしまった!
ここは早々に一目のないところに移動するのが正解か?
「オスカル、僕らはそろそろ失礼するよ」
その言葉にオスカルは意地の悪い笑みを浮かべ、そっと近づくと耳元で囁いてきた。
「彼女を他の男が放っておくと思うか。それに彼女は注目されている。暴君公爵の妻としてね。俺の側を離れたら、間違いなくいろんな奴が群がってくるぞ。ああ、そうだ。今夜はダンスがあったな。いったい何人が彼女と踊ろうとするかな」
こいつは本当に――!
ベルトランは叱責しそうになる口をなんとか閉じた。ピクリの頬が痙攣する。
「……今夜はオスカルと三人で楽しく過ごすというのはどうだい?」
「ああ、それが良い。よろしければ別室に行きませんか?」
ペルリタは、その提案に少々顔を渋らせた。けれど、周囲を見渡してほんの少し思案顔をした後、愛想の良い笑顔で頷いた。
「私も夫のご友人がどんな方か気になっていましたの」
夫!
ペルリタの口からその単語が出たせいで、ベルトランの「氷のような」表情がまるっきり崩れてしまいそうになる。彼は必死に表情筋を固めた。
そんなベルトランにオスカルはいたずら心が湧いてニヤニヤと笑う。
今度痛い目に遭わせてやろうとベルトランは誓った。




