16. 夜会(上)
シルビアが教育係になってからのペルリタは怒涛の日々を送っていた。爪の先までレディになるための教育はもちろんだが、形から入るのも大切というシルビアによって毎日のようにデザイナーが送り込まれた。
オーダーメイドのドレスや靴、一点ものの宝石を注文するために、何日間も費やされ、シルビアが満足すると今度は所作と教養に入った。服や宝石は頼んでしまえばそれで終わりだが、教育はそうはいかない。何週間もの間、朝から晩まで行われる授業や自習に、公爵邸に来てから頬に膨らみが出てきたペルリタが、また逆戻りするのではないかとベルトランは心配でならなかった。
ペルリタも呪いについて調べたいと思っても自分の体力と時間がついてこなくて、なかなかうまくいかないことに歯痒さを感じた。
教育によって着実に成長しているとシルビアに励まされても、それを喜ぶための活力ももう出てこない。公爵家の美食は、ただただ喉を通る栄養分にしか感じられないことが、ペルリタは悲しかった。
毎晩気絶するようにベッドで寝ているペルリタに、ベルトランは何かしてあげられることがあるかと考えたが、なかなかいい案が思いつかなかった。
次の日に、ペルリタが気に入ったといっていたフルーツを出せば、喜んでくれるが、それが彼女の疲れを無くせるわけではない。ではクッキーをと思っても、ペルリタに食欲がない。
これでは体を壊してしまうと思ったベルトランは、シルビアに教育をもっとゆっくりやってはくれないかといってみたものの、提案したことがペルリタにまで伝わってしまった。
ペルリタはくまに縁取られたエメラルドの瞳で、ベルトランを見上げると、一言こう言った。
「今はやらなくちゃ」
疲れが滲んだ緑の瞳が、それでも宝石のように輝きを宿していることに、ベルトランは息を飲み、それ以降は口を挟むのをやめて、陰ながらサポートすることにした。
シェフに栄養価の高いものを出すように言い、入浴時にはマッサージもしてくれるよう侍女たちに頼んだ。
シルビアの献身的な教育と、ベルトランの支えに感謝していても、ペルリタは、公爵夫人という立場に必要なマナーを身につけることに苦労していた。今まで名ばかりの伯爵令嬢としてやってきた彼女が、一朝一夕で公爵夫人としての立ち居振る舞いをこなせるはずがないことは誰もが理解していたが、ペルリタは自分に掛けた期待とプレッシャーで、自己嫌悪になりそうだった。
シルビアも、他の面々も褒めてくれるものの、ふと気を抜いた時に十八年間の彼女の癖が顔を出す。
その癖が自分を殺すかもしれないことをペルリタは知っていた。
そんななか、仕事の余裕ができたベルトランは、ペルリタの様子を見ようと、食堂に立ち寄った。ペルリタはテーブルマナーに勤しんでいるようで、食器に向かって手を伸ばしては、自分の姿勢を治すために身を正していた。
「こんなところまで完璧にこなすなんて、シルビアはすごいですね」
隣に座るシルビアに、ペルリタが笑いかける。
「私のお父様が厳しかったからね。体裁を気にする人で、言うことを聞かない私に交換条件を出したの」
「どんな条件ですか?」
「令嬢として完璧になれば、ヴァレンティナの敷地内では何をしても良いって言うのよ。それを聞いて私、頑張ったわ。私の自由のためだったから」
その話をベルトランは知っていた。妹好きの父親がシルビアの話をするときによく話題にしていたのだ。それを聞くたびにベルトランは呆れていたのだが、どうやらペルリタは違うらしい。目を輝かせて、シルビアを見つめている。
「私が頑張っても望む自由は手に入らないかもだけど、何かのためにはなりますよね。そう……、私たちのためになるのなら頑張ります」
シルビアにそう語る彼女は、扉の向こうにベルトランがいることに気づいていないだろう。ベルトランは胸に手をあて、スピードを上げる心臓をなんとか抑えようとした。
「……私たち」
結婚して二ヶ月。ペルリタたちは夫婦としての初めての夜会に参加していた。
すでに公爵夫妻の参加を知っていた客たちは、二人が会場に入るや否や、軽く距離を空けて様子を伺った。彼らの目には驚きの色が滲んでいる。
おもしろいじゃないか。
ベルトランは心の中で笑みを深めた。
ベルトランは貴族たちに見せつけるために、室内までの道のりで、風に乱れたペルリタの髪を軽く梳き、耳に掛けて微笑んだ。
ペルリタはそんなベルトランの行動に驚いて顔を上げる。
彼女が感謝を伝えるように微笑めば、周りからも感心したようなため息がこぼおれた。
暴君と結婚した、死ぬはずだった女。
その女が、今はあんなにも美しくなって愛する夫を前にした一人の貴婦人になっている。そしてその夫は、妻以外目に入らないとばかりに、白い歯を見せている。
ベルトランにとって自分がどんなふうに見えているか想像することは簡単なことだった。今は、この予想外の展開に、周りの貴族たちも驚きを隠せないのだろう。そしてその頭は、いろいろと複雑にものを考えているはずだ。
暴君に怖がることなく近づいていれば、自分がペルリタの地位を得ていたのに、とでも場違いなことを思うだろうか。アプローチしていれば、ペルリタの髪に触るのは自分であったのにと後悔しているだろうか。
案の定、貴族たちが囁く声がベルトランの地獄耳に届いた。
「惜しいことをしたな」
「早く手を出しておくべきだった」
声の方を向けば男たちは顔を背ける。女たちは思っていることをわざわざ声には出さないが、口惜しそうにハンカチを握り、そうでなければ、誘うような目をベルトランに向けてくる。
ベルトランは笑わずにはいられない。自分もペルリタも、出生や暗い噂のせいで話のネタにされ、煙たがれ、それでも注目を浴びてきた。そんなふうに自分たちを見ていたくせに、勘違いや記憶違いをされては困る。
彼らの後悔はそもそも間違っているのだ。ベルトランがペルリタしか愛さないこと。誰が相手であろうと、どんな手を使おうと、ペルリタの夫は自分だということ。それを今、この場に集まった人間に、ベルトランは告げたかった。




