11. 皇宮へ
公爵家に来てから、ペルリタが敷地外に出るのは今回が初めてだった。
公爵夫人になって最初の任務が皇帝との謁見だなんて普通はそのハードルの高さに、どんな女性も畏れ多いと顔面蒼白になりそうだが、ペルリタは特に何も思わなかった。ただ魔女だとばれて殺されなきゃいいけど、とそればかりを考えていて、雲上人に会うことに期待も不安も何もなかった。
ただ、帝国が魔法師を迫害する理由の一部、いや大部分である皇族に会うというなんとはなしのムカつきは確かに胸の内にある、とペルリタは認めた。
魔法師迫害の原因は、その歴史を辿れば二代目皇帝まで遡る。彼がひどく魔法師に怯え、嫌悪を示した結果が迫害に繋がった。「魔法師を国民として庇護することは不可」と書かれた一文は法律に今も記載されている。
しかし、実際に国民が魔法師を迫害する理由は、国法に忠実に従っているからではない。国民たちは魔法師を庇うことで、自分が被る被害を危惧していた。
世界を見れば魔法師のおかげで発展した国があるが、帝国は一向に魔法師たちを受け入れなかった。商人などの国外にも移動する平民や貴族の中には、魔法師受け入れを心のうちに望んでいる者もいたが、それでも、王侯貴族のほとんどが魔法師を嫌っている状況で、議会が動くことはなかった。
正体は隠しているものの、魔法師の一人であるペルリタが皇族と直接会うというのは楽しい話ではない。もし正体がばれれば殺されるのは間違いない。ペルリタはここで死ぬのが怖かった。
善良だった母さんやゴラの人々が死んだ原因であるこの国の代表に、ペルリタが恨みを一抹も持っていないと言ったら、それは嘘だ。だが、彼女は皇帝を殺すことを望んでいるわけではない。
もし、皇帝を殺してと言ったら、ベルトランは私のために剣を握る?
カーテンで隠された窓の向こうを見透かすように、ペルリタは眉間に皺を寄せた。
「心配することはないよ」
「……別に何も心配なんてしてないわ」
「手を握りしめているから」
ベルトランにそう言われて初めて、ペルリタは自分が震えていることに気づいた。そして、つい笑ってしまった。
「なぜ笑うんだい?」
「私もあなたも皇宮が体に合わないみたい」
冗談として受け取って欲しくてペルリタが笑えば、ベルトランは眉を上げる。それから「そのようだね」と一緒になって笑った。
「ペルリタ、そのドレスよく似合っているよ」
笑いがおさまるとベルトランは優しく微笑んで、ペルリタの着ているドレスに触れた。
「既製品で申し訳ないけど、君の炎のような瞳によく似たエメラルドが付いていて綺麗だ」
「ええ」
皇宮の敷地は広い。宮殿や役所だけで建物は何十もある。その中でもとりわけ豪華で大きいものが政治の中核を担う本殿だ。
皇宮の本道に繋がる正門から真っ直ぐに伸びた太い一本道のずっと先にそれはある。馬車はまっすぐにそこに向かった。
皇宮なだけあって、敷地内には多くの人間がいた。貴族はもちろん、官僚や騎士の姿が視界から消えることはない。ヴァレンティナ家の家紋の付いた馬車に気づけば彼らは決まって足を止め、礼をした。
皇宮に入ってからは、カーテンは開かれていて、外からも中が見えるはずなのに、ベルトランはただペルリタの方だけをじっと見つめ、彼らに会釈一つせずに、無言のまま車窓から彼らの姿が消えるに任せていた。努めて貴族たちを見ないようにしているのだとペルリタにもわかった。
馬車が本殿の前に停まると、ベルトランの緊張した表情はより硬くなった。深呼吸をすると意を決したように扉を握り、外に出る。手を差し出し、ペルリタが降りるのを助けながら彼は小さく口を開いた。
「側を離れないでくれ」
「……離れない」
握るベルトランの手が細かく震えているのを感じながら、ペルリタは不思議な浮遊感を感じた。淡白に受け入れていた現実に初めて緊張と不安が混ざり始めた。本殿は視界にはおさまらないほど、大きくて力強かった。
ベルトランはペルリタの手を自分の手から離し、そのまま腕まで持っていく。そして、一歩前に踏み出した。
彼は、殺傷への欲求に耐えながら、何度も、何度もここを歩いてきたのだろう。いったいどれほど自分を律して我慢してきたのだろう。どんな思いで皇宮の人間と顔を合わせてきたのだろう。
ペルリタはベルトランを盗み見て、深く深呼吸をした。彼の代わりに自分が空気を肺に詰め込もうと思ったのだ。
これから私たちは皇帝に会う。きっと、この国で最も魂が汚れている。
ペルリタはもう一度大きく深呼吸をした。
謁見の間は広々としていて、とても長い。部屋の奥、高くなっている段の中央に置かれた玉座に堂々たる態度で座っているのは、広大な帝国を治める皇帝その人だった。
大きな体は、良く鍛え上げられているように見えた。立ち上がればベルトランと変わらないくらいには背が高いのだろうとペルリタは思う。頬杖をついてこちらを見据える瞳は、今は影になっていてわからないが、きっと鋭い灰色だろう、とペルリタは漠然と思った。その瞳を覆うのは茶色の髪で、ほんの少しだが白髪が混じっていた。
この国では凡庸な色合いの男だった。
色だけなら伯爵と似ているわね。
けれど、その気迫は伯爵には到底真似できそうにないものだった。部屋中を満たす圧倒的な存在感はさすが皇帝と言うより他ない。
一歩前に出るたびに、その存在が大きくなっていく。
ここで十分というところまで来ると、ベルトランはペルリタの手を軽く叩いた。ペルリタは自分の手を彼の腕から離すと、深く礼をした。皇帝にのみ送る最上の礼だ。
ベルトランも礼をする。
「面を上げよ」
その声は武神のような容姿とは似合わず、落ち着いていた。ベルトランが動くのを確認してからペルリタも体勢を戻した。
あっ目が合った。やっぱり瞳は灰色ね。
ペルリタは、皇帝から視線を逸らしていいのか悩んだ。逸らすのも失礼な気がするし、目を合わせ続けるのも威嚇みたいになりそうだと考える。
がそんなふうに悩んでいるあいだに、皇帝の方が目を大きく見開いていた。その瞳は動揺にひどく揺れていた。
あっ皇帝でもこんなに顔に表情出るのね。
「……ルフィナ。……ルフィナか」
皇帝の声は小さかった。けれどその名前ははっきりとペルリタの耳に届いた。
――――どうして母さんの名前を知ってるの?




