最終章Ⅱ
大して変わり映えのない日々が続き、一ヶ月が過ぎ去っていった。中庭で近衛兵と剣の稽古をする兄を眺めたり、母の料理を手伝ったり――退屈ではないのだけれど、心が満ち足りない。穴がぽっかりと空いてしまってる。
いつになれば、この心は満たされるのだろう。私がエメラルドにいる限り――クローディオに会えない限り、抜け殻のままだろう。
そんな私を心配した両親が旅行を勧めてくれたのだけれど、行く気にはなれない。クローディオとすれ違いになってしまうのが酷く怖いのだ。ただただ首を横に振る私に、両親は流石に困ってしまったようだ。
「このまま家に閉じこもっていても……ミエラのためにならないわ……」
「だからって旅行も嫌がるんじゃな……」
「じゃあ」
言い出したのは意外にも兄だった。
「自分の家が守ってる街を見て回れば良いんじゃないかな。民衆とも話せるし、気分転換には良いと思う」
「……うん、それなら良い」
「ミエラ!」
三人の顔にぱぁっと笑顔が広がっていく。
「そうか、良かった! そこから活動範囲を広げても良いだろうし……いや、ミエラが元気になってくれればそれで良い」
「今日はゆっくり寝て。久し振りの外出だから」
「うん」
気力もなく、もぞもぞと布団に入る。明日、街で本当に気分転換になるのだろうか。疑問は残るけれど、私が決めたことだ。撤回はしない。
三人の気配を気にすることもなく、瞼を閉じた。
翌日、母にメモ紙とお金を握り締めさせられたまま、ドレスで茶色の石畳を歩く。
街を歩いている間で、街の人は皆、私のことを「お嬢」と呼ぶのに気付いた。確かに領主の家系で一応貴族だけれど、特別扱いなんてしなくても良いのに。
メモ紙を見遣る。
「一軒目……ここかな? すみませ〜ん」
「はーい! ……あっ、お嬢! 元気してたかい?」
「うん……一応。それよりおばさん、バゲットある〜?」
「あいよ! ちょっと待ってておくれ」
パンの芳ばしい香りがなんとも言えない。焼きたてのパンはどれ程美味しいのだろう。
香りだけでお腹が満たされた感覚に陥っていると、おばさんはバゲットを三本も用意してくれた。
「おばさん、一本だけで良いのに」
「いつもアークライト様にお世話になってるお礼さ。……って言うか、お嬢」
おばさんは私に近付き、耳元で囁く。
「この街に偉い貴族様が来てるらしいよ」
「えっ? エメラルドの?」
「いや、違うらしい……って言っても噂だからね!」
「気にするんじゃないよ」と言いながら、私の肩をバンバンと力の加減もしないで叩く。
「おばさん、痛いよ〜!」
「悪かったね! ……でも、目を付けられないように気を付けるんだよ」
「う、うん……」
どう気を付ければ良いのだろう。とりあえず、怪しい行動はしなければ大丈夫だろうか。
次の店は果物屋だ。散歩がてら遠回りしよう。おばさんに別れを告げ、意気揚々と道を進んでいく。丁度その時――。
顔は人混みに紛れて分からないけれど、確かに金髪の人物が通りを横切ったのだ。
「……クローディオ?」
金髪だからといって、彼である保証はない。私は何を考えているのだろう。
淡い期待を払拭し、とぼとぼと道を進む。
「着いた〜」
メモ紙を見ると、オレンジ三つと書いてある。
「すみませ〜ん!」
「あっ! お嬢! ちょっと大変だよ!」
細身の顔立ちの整った女の人が店の中から出てきた。
「こっち来て!」
「えっ? ……ひゃ〜っ!」
バゲットを取り上げられ、右腕を引っ掴まれ、店の中まで連れてこられてしまった。
「お嬢、今、この街に貴族様が来てるのは知ってるかい?」
「ん? うん、噂で」
「それが噂じゃないんだよ」
女の人はバゲットを一度棚に置くと、胸に手を置いて深呼吸をする。
「あたしの店にその人が来たんだ。『ミエラって人、知りませんか?』って」
「……えっ? それってどんな――」
「いや、綺麗な人だったよ。金髪で、丁度お嬢みたいなオッドアイで……ってお嬢、いつオッドアイになったんだい?」
女の人は不思議そうに小首を傾げる。
「そんなのは良いから、その人それからどうしたの?」
どうしよう。期待が膨らんで止まらない。
「この街でミエラって、お嬢しかいないだろ? そんなのアークライト様に聞いてみなって追い返しちまった。これで良かったんだよね?」
「アークライト様って私のお父さん! 私、屋敷に帰る〜!」
「やっちまった……!」
「ごめん、バゲット預かってて〜!」
彼の笑顔、怒った顔、悲しそうな顔、嬉しそうな顔──浮かんでは消えていく。どうか、どうかこの噂が幻ではありませんように。必死に何度も何度も地面を蹴る。
ようやく見えてきた屋敷の前には、一つの後ろ姿があった。何やら項垂れてはいるけれど、金髪に貴族を思わせる装飾が施された紺の衣服──間違いない。
「クローディオ……!」
叫びながら抱き着いた。涙が溢れては彼の衣服を濡らしていく。
「ミ、ミエラ?」
彼は私の手を両手で掴み、こちらを向いた。
「やっと……会えた」
「わあわあ」と泣きじゃくる私の頭をクローディオは優しく撫でる。
「こんな所で言うべきじゃないんだけど……」
クローディオの唇が泣き続ける私の唇を覆う。一瞬のことだったのに、涙はピタリと止まった。
「ミエラ。俺とサファイアに来てください」
返事をする代わりに、再びクローディオに抱き着く。花弁を纏った風が私たちを撫でる。まるで私たちを祝福してくれているようだ。
fin
最後までお読みいただきありがとうございました!
時間を空けますが、後日談も後々執筆予定です。
異世界ロマンスになる予定ですので、楽しみにお待ちいただけたらと思います。




