有限の花Ⅱ
すると、アリアも儚げに微笑むのだ。
「エメラルドのお野菜が甘くて美味しいのも、ミユ様とオズ陛下のお陰なんですよ」
「えっ? 私?」
「そうですよ」
話をしている間も、今度は手を休めることはしない。
「私、何もしてないよ?」
「存在なさっていることが重要なんです。魔導師様と国王様、対になってこその王国なんです。どちらかが欠けると作物は上手く育ってくれません。百年間、エメラルドは雨が少なく、日照りが続きましたが、二年前……ミユ様がお生まれになった頃ですね。ようやく天候も安定したんですよ」
そんなことがエメラルドで起きていたなんて。魔導師のみんなだけではない。エメラルドの人々のことも『影』は苦しめ続けていたのだ。怒りに任せながらも、スープを静かに平らげた。
あっという間に皿が浮かんで消えたかと思うと、次は鯛のアクアパッツァが登場した。添えられているムール貝といい、私には難易度が高すぎる思うのだ。
「これ、今の私に、絶対に出しちゃ駄目なやつだよ~」
「これが食べられれば、他のお魚料理は失敗しませんよ」
「そうかもしれないけど~」
どうしても不満が顔を覗かせる。頬を膨らませると、アリアは「ふふっ」と笑う。
「失敗は成功のもとです。やってみるだけタダですから」
「分かった」
どうせ、私には拒否権はないのだろう。フィンガーボウルとナフキン、アクアパッツァを見比べながら、口をへの字に曲げる。向かいの席で、アリアが感傷に沈んでいるのにも気づけなかった。
「こうして地の魔導師様といられることが、こんなに嬉しいなんて。百年間も、このお部屋は空でしたから。穏やかな時を過ごしたのはいつぶりでしょう」
アリアは目頭を押えて俯いてしまった。咄嗟に椅子から立ち上がる。
「アリア……!」
「ミユ様、いけません。お座りになって下さい。お食事の最中ですよ」
「でも……」
「泣き出したのがオズ陛下でも、ミユ様はそのようになさいますか?」
はっきりと「うん」と言いたかった。実際に王様には会っていないから、断定出来ないのが悔しい。仕方なく、浮いていた腰を椅子の上に落ち着かせた。
アリアは「ふぅ……」と息を吐き出すと、先程までの微笑みをたたえる。
「揃って地の魔導師様はお優しいですね」
「優しくなんかないよ」
「いつか、その優しさが仇になるかもしれません。どうか、くれぐれもお気をつけて」
優しいなんて自覚はない。気をつけなければいけない意味も分からない。
歯に衣着せぬ言い方に、こくりと頷くしかなかった。
* * *
最後のピーチタルトを頬張り、ようやく食事が終わった。前菜、スープ、魚料理、ちょっとしたシャーベット、肉料理、サラダ、チーズ、デザート――長かった。これを完璧にマスターすることは無理だとしても、最低限のマナーを守れないと恥をかいてしまう。
ほどなくアリアがコーヒーを用意してくれた。小さな音を立てて目の前に置かれる。
「そうだ、せっかく頑張ったんだもん。ちゃんとメモしておかなきゃ」
立ち上がり、デスクに置かれた日記と筆記用具を手に戻った。アリアは口に手を当てて小さく笑う。
「コーヒーも食事の一部ですが……今日は良いでしょう」
そうか、最後の飲み物をいただくまでは立ち上がってはいけない。これもメモに付け加えよう。
パラパラと日記を開き、今日の日付で手を止めた。テーブルマナーを食事別に書き込んでいく。
「アリア、これで合ってる〜?」
書き終えたところで日記をアリアにかざして見せてみる。ところが、アリアはきょとんとした顔で首を傾げるばかりだ。
「これは……なんと書いてあるのですか?」
「あっ、忘れてた〜。読めないよね。これ、日本語なの」
「ニホン語……」
日本語で書いたものをアリアが読める訳がない。日記を自分の手元に戻し、読み直してみる。うん、間違いない筈だ。一人で納得し、ミルクと砂糖を入れたコーヒーを口へ運ぶ。
テーブルの中央では、氷のラナンキュラスが照明を浴びてキラキラと輝いている。曇りや溶けている様子はない。
「今頃、クラウはどうしてるかなぁ」
アレクもダイヤに戻っていないのだとしたら、フレアと二人きりだ。クラウとフレアを信用していない訳ではない。それなのに、胸の奥がざわついてしまう。一人で落ち込んだりしていなければ、また倒れたりしていなければ良いのだけれど。
「ふう……」と吐息をつき、窓の外へと目を遣った。なんとなく、現実を直視しなくてはいけない気がして、ベランダへと向かった。夜風が私の身体を優しく撫でていく。眼下に広がったのは、温かな明かりの灯る城下町なんかではない。白と水色の月に照らされた、地震で傷ついた街だった。所々で足場が組まれ、復興作業が進んでいる。しかし、全てではない。
これが、地震の時に逃げ出した私の判断ミスのせいなのだとしたら――私一人で背負うには、あまりにも重すぎる。膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らす。
アリアは私にストールをかけ、何も言わずに背中をさすり続けていてくれた。その行動が、どんな言葉よりも、ずっと優しかった。