指輪Ⅰ
私の胸にはぽっかりと小さな穴が開いている。カノンの結婚指輪が思い出だけのものとなったのだ。飾り気のないネックレスチェーンに触れてみる。金属の冷たい感触が心に刺さるようだ。
「なくなっちゃった」
夕食後の自室で、まるで支えがなくなったかのようにテーブルへと突っ伏した。そこへドアがノックされる。タイミングを見計らったのではないかと邪推してしまった。
「ミユ?」
振り向かなくても分かる。この声はクラウだ。返事をせずにいると、段々と足音が近付いてきた。
「指輪」
名を呼ぶこともせず、ただ想いを垂れ流す。
「えっ?」
「ないと、やっぱり寂しい……」
カノンだけではない。私の想いをも証明する物だったのだ。クラウは小さく笑うと、私の頭を優しく撫でる。
「そのことで話があったんだ」
話とは何だろう。そうだ、指輪を手放した時に、クラウは『考えがある』と言っていた。その考えとは何だろう。思考を巡らせてみたけれど、私が答えを導き出せるものではなかった。
「ミユ、一緒にあの花畑に行こう」
その言葉にようやく顔を上げた。私とクラウが共通で知っている花畑は、二度も戦闘に使ってしまったあの真っ白なベルフラワーが咲き誇る場所しかない。
「どうして?」
「また一緒に行こうって約束したじゃん」
正確に言うと、約束したのは私たちではなくカノンとリエルだ。首を傾げてみせたものの、それがクラウを苛立たせてしまったのかもしれない。
「俺、先に行ってるね。ミユも来てくれるの待ってるから」
私が返事をする間もなく、クラウは光に包まれて消えてしまった。そんな言い方をされては、行かない訳にもいかない。静かに立ち上がり、そっと瞼を閉じた。
浮遊感が収まり、辺りを確認する。突き抜けるような青空に、びっしりと咲き乱れるベルフラワー、そしてクラウの笑顔――その温かさに声を出すのも忘れてしまった。一陣の風が駆け抜ける。
「良かった。来てくれなかったらどうしようって思っちゃったよ」
光に透ける金の髪と青い瞳が天使を連想させるようだ。
「……ミユ?」
「ううん、なんでもない」
見惚れていましたなんて、恋人同士だからこそ言えない。照れ隠しに笑ってみせると、クラウも笑い声を上げる。
「ミユ、左手を出して欲しいんだ」
「左手?」
「うん」
もしや、あの指輪は本当は埋めていませんでしたなんて言うつもりなのだろうか。訝りながら、そろりと左手を出してみる。クラウは懐に手を伸ばし、紺のリングボックスを取り出した。摘まれた指輪は――あの指輪ではない。一つの指輪に寄り添うようにして並ぶ緑と青の石――まさしく私たちを象徴するようなものだった。
「その指輪……」
呟いてみたけれど、クラウは笑うばかりだ。私の小指にそれをはめると、私の左手を両手で優しく包み込む。
「やっと渡せた」
呟きが心に染みるように響く。百年分の想いが結集されているようだ。
手がゆっくりと離されると、クラウはもう一つの指輪を取り出した。私の指輪と瓜二つで、サイズだけが違う。大きなそれはクラウの親指にピッタリのように見える。
「ホントにリエルがカノンにあげたかった指輪って、これなんだ」
本当にあげたかった指輪ということは、今までの指輪は何なのだろう。分からずに首を傾げると、クラウは首をすくめて苦笑いをする。
「今まで持ってた指輪、カイルの手違いでさ」
「……ん~?」
カイルの手違い、つまりリエルが直接買いつけに行っていないということだろう。てっきりリエルが反対を押し切ってまで街まで買いに行ってくれたと思っていたのに。真実は残酷で残念だ。
「俺たち、自由に外に出られないじゃん? 理想の指輪を絵に描いてカイルに頼んだんだけど、石が離れ離れになっちゃって。まさか、ホントに離れ離れにされるなんてさ」
切ない声に、胸が痛くなる。自分のふとした行動が、予期せぬ未来を決定付けてしまった。そう考えてもおかしくはない。
口を結んでいると、クラウは何かを私の手に握らせた。
「これ、ミユの手で俺の指にはめて欲しい」
儚い笑みを浮かべて言うので、断ることなんて出来ない。差し出された左手の親指に指輪をゆっくりとはめた。並んだ二つの石は太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
「ありがとう」
クラウはじっと指輪を見詰めると、それをひと撫でした。前世での指輪をなくした今だからこそ、彼もこの指輪の話をすることが出来たのだろう。消失は失うばかりだけではない。過去の傷を埋め変える絶好の機会でもあることを知った。
* * *
「ミユはさ」
「何〜?」
花畑で、二人で仰向けに寝転がりながら手を繋ぐ。
「俺のどんな所が好き?」
急にどうしたのだろう。少し驚いてしまい、クラウの顔を見てみる。途端に青い瞳とぶつかった。
「もしかしたら、こんな機会は最後かもしれないからさ。どうせなら聞いておきたい」
そんなにまっすぐ見詰められると、またしても心がブレてしまう。地球に帰るという選択肢が残されていることすら間違いなのではないかと考えてしまう。




