有限の花Ⅰ
テーブルに置いてある、氷のラナンキュラスの花束に思いを馳せる。これは私の歓迎会をしてくれた時に、クラウがプレゼントしてくれたものだ。
「あの氷のラナンキュラスさ、溶けないの不思議じゃない?」
記憶を辿る中で氷の塔を周り終わり、頭痛が治まった頃だった。食卓を囲みながら、クラウは微笑んだ。
「う~ん、魔法だから溶けないのかなって思ってた」
「当たりだけど……あれは永遠に咲き続ける訳じゃないんだ」
「えっ?」
首を傾げてみせると、クラウは小さく笑う。
「有限の命だからこそ、綺麗なんだよ」
「う~ん」
そういうものなのだろうか、と当時の私は深く考えもしなかった。むしろ、永遠に咲いてくれた方が記念に残るのに。そう思っていた。
テーブルマナー講座を受けるために運ばれてくるディナーをぼんやりと捉えながら、アリアに向かって口を開く。
「このラナンキュラスって、どうして有限の命なんだろう」
「魔法を使った者の魔力がなくなってしまえば、形は維持できませんからね」
ということは、この花はクラウがいなくては咲き続けられない――彼の安否確認が出来る、という訳だ。
透明さを維持したまま、溶けだしている様子はない。恐らく、今は安心出来るだろう。ほっと胸を撫で下ろす私を見て、アリアは小さく笑う。
「クラウ様に何かあれば、カイルが飛んでくるでしょうから。大丈夫ですよ」
胸に痛みを訴えるクラウを見ていないから、そんなことが言えるのだ。若干むっとしながら、鼻から息を吐き出した。
そうこうしている間に、目の前にシルバーが並べられていく。シルバーは確か、外側から使う筈だ。欧米のテーブルマナーを参考にしながら、心の準備を整える。
食事の準備を終えたアリアは、私の向かいの席に腰を落ち着けた。
「私がオズ陛下だと思って食事をなさって下さいね」
私を見るアリアからは、いつもは感じられない威厳が漂っている。はっきりと言って怖い。
「う、うん」
「では、前菜です」
ドアが開いたかと思うと、小さな長方形の白い皿がフワフワと浮かんでこちらへとやって来た。アリアの頭上を通過し、私の目の前に小さな音を立てて着地する。
「シルバーを使う順番は分かりますか?」
「外側から」
アリアはニコッと笑う。当たったのだろう。緊張感を保ったまま、一番端に置かれていたシルバーを手に取った。皿には右から順番にテリーヌ、何か貝のような白い物、ラディッシュをスライスしたような物が乗っている。
どれから手をつけて良いか分からず、シルバーを持ったまま料理を眺めていた。
「いけません!」
「ひゃっ!」
突然、アリアの怒声が飛んだ。理由が分からず、彼女の顔を見てみる。
「シルバーを持つ前に、食べる物を選んで下さい」
「はい……」
とりあえず、出された物は左側から食べるようにしよう。ラディッシュ目がけてフォークを突き刺し、口へ運ぼうと――。
「いけません!」
またしても、アリアの叱咤が飛ぶ。思わずシルバーを落としそうになってしまった。
「前菜と言えど、立派な料理です。一口で召し上がらないで、必ずナイフを入れて下さい。……これでは先が思いやられますね」
「ごめんなさい……」
私も最初からこんなにつまずくとは思っていなかった。悔しくて涙が零れそうになる。いけない、本当につらいのはクラウなのだから、と自分を奮い立たせた。ナイフとフォークをぎこちなく動かしながら、なんとか前菜を食べ終える。
そういえば、食事を共にすることになるオズ陛下とは、どのような人物なのだろう。彼のことについてほとんど聞かされていないことに気づき、皿が入れ替わる間に口を開いた。
「ねえ、アリア」
「何ですか?」
「オズ陛下ってどんな人?」
唐突に王の話をしたからだろうか。アリアは皿の交換が終わるのを待ち、咳払いをした。
「オズ陛下は温厚で、普段は老若男女、分け隔て無く接して下さいます。ですが……」
「何?」
「プライベートとなると話は別でして……女性好きな面もあります」
アリアの頬が桜色にぽっと染まる。
「もしかして……」
「はい。私も何度か言い寄られたことが」
なんということだろう。使い魔にまで言い寄るなんて。一気に不安になってきた。
大丈夫、私にはクラウという存在がいる。言い寄られても退ければ良いだけだ。――その『良いだけ』が、実際に行動を伴ってくれればの話にはなるけれど。
「陛下には王妃殿下やお子様もいらっしゃいますので、リップサービスだとは思いますが……。一応、心しておいて下さい」
「うん」
前情報があって良かったと考えよう。そうだ、国王は魔導師と対等な立場――王も自分が不利になるような立ち回りはしないだろう。
さて、問題は次のポタージュだ。スプーンを持つ前に考える。確か、スプーンを手前から奥に運べば間違いはない筈だ。地球のマナーと同じにするのなら。
スプーンが震えないように固く握り、思い描いたように手を動かした。アリアは微笑んでくれたので、正解したのだろう。緊張感が少しだけ解れ、じゃがいもの優しい甘さがじんわりと口に広がる。
「甘くて美味しい」
自然と呟いていた。