残酷で美しい世界Ⅴ
表情に出さないように我慢してみる。しかし、流石は恋人なのだろうか。すぐに察知されてしまった。
「ミユ?」
私の顔を覗き込むクラウもどこか寂しげだ。
「ううん、なんでもない。これも飲んでみて」
誤魔化すように自分のグラスを前へ出し、勧めてみる。
「うん。……美味しい。これは馴染みのある味だね」
クラウは一口だけ含むと、柔らかく微笑んでくれた。
「俺のも飲む?」
「うん」
日本を離れて久しかったので、抹茶を味わうのも楽しみだ。クラウからグラスを受け取ってから気付く。
初めての間接キスだ。キスは何度か経験済みだけれど、気付いてしまうと胸が高鳴る。頬がぽっと熱を帯びるのを気にしながら、抹茶ラテを味わった。お茶の苦味が懐かしい。
「美味しい〜」
苦味の奥にもほのかな甘さがあり、心を穏やかにさせてくれる。これぞ日本の味だ。
「ありがとう」
「うん」
交換したグラスを自分の物へと戻し、小さく笑い合う。テーブルに置かれた二つのお揃いのぬいぐるみも、一緒に笑ってくれているような気がした。
そうだ、スマホで写真を撮ろう。物は残らないのかもしれないけれど、心の記念にしたい。鞄をまさぐり、スマホを取り出す。カメラを起動し、レンズをクラウへと向けた。
「ミユ、それ何?」
「スマホだよ。写真を撮るの」
「すまほ? しゃしん?」
「多分、撮ったものを見せた方が早いと思うの。グラス持って、笑って~」
何が何だか分からないと言いたげに首を傾げたものの、クラウはぎこちなく笑ってくれる。シャッター音と共に、クラウと抹茶ラテ、それに二つのぬいぐるみがスマホの中に収まった。この世界の人が写真に写るように自然な笑みではない。それでも私は満足だ。
スマホの画面をクラウに向けると、彼は目を見開き、それを凝視する。
「何、これ……」
幽霊でも見たかのように、声が震えている。
「これが写真だよ。一瞬を切り取って、画面に残すの」
「凄い……。凄いよ……!」
クラウが驚愕して腰を上げそうになるので、周りの目を気にしてしまった。人々は私たちに関心を向けず、思い思いに語らっている。良かった、変な人だと勘違いされずに済んだらしい。
「これもこの世界の『日常』なんだ~」
この『日常』が、彼にとってどんなに異質であるかを私は知っている。スマホを鞄にしまい、細い息を吐く。落ち着いてシトラスティーを飲んでいるところを見せると、彼もストローに口をつけた。
「俺は、この世界じゃ生きていけないかも。何もかも違いすぎるよ」
それが正直な感想なのだろう。気持ちが痛いほど分かるので、苦笑いをするしかなかった。
視界の隅に、通路を走る幼い女の子が現れた。そのまままっすぐ通り抜けるかと思いきや、クラウのすぐ傍で尻餅をつく。親はどこに行ってしまったのだろう。周囲を見回しながら、女の子に手を差し伸べようとした。振り返った女の子は今にも泣き出しそうだ。
「大丈夫?」
「うちの子に触らないで!」
女性の怒声が背中に降りかかる。この世界は美しく発展したものばかりではない。冷たくて残酷でもある。それをまざまざと思い出させるようだった。
母親らしき女性は女の子を抱きかかえると、私に鋭い視線を残して立ち去っていった。
「なんだよ、あれ」
クラウも負けないくらいに目を吊り上げ、視線で女性を追う。
「この世界ではたまにあることだから。気にしないのが一番だよ」
そう言っておきながら、傷付いている自分がいる。口を結び、残っていたシトラスティーを飲み干した。
窓の外に目を遣ってみれば、陽が落ちている。腕時計は十七時――残り一時間。冬はイルミネーションが煌びやかに街を彩る。その風景をクラウに見せないのは勿体ない。外を歩きながら、観覧車へと向かおう。
「クラウ、行くよ。もう時間がないから」
「うん」
抹茶ラテと空気を同時に吸い上げる無作法な音を立て、クラウは一気にそれを飲んでしまった。グラスを片付け、出口へと急ぐ。
自動ドアが開くと、一瞬で冬の様相へと変わった。吐く息は白く、雪がちらついている。
「寒っ」
小さく呟き、ぬいぐるみを抱き締めた。無言のままクラウは私の肩を抱くと、そっと微笑む。その表情が何よりも温かかった。
* * *
青白いイルミネーションは街だけではなく、私たちをも照らし出す。光に釘付けになるクラウの瞳が、宝石のように美しく輝いていた光景は忘れられないだろう。
頂上に観覧車がそびえるビルに辿り着くと、意気揚々とエレベータに乗り込んだ。何とも言えない浮遊感に少し慣れたのだろうか。クラウの顔が恐怖に染まることはなかった。
何ごともなくエレベーターを降り、通路を進む。すぐに観覧車が見えてきた。若干、興奮しながら指をさす。
「あれが観覧車だよ。乗るの久しぶりだなぁ」
子供の頃も、喜び勇んで観覧車に乗ったものだ。建物は小さく、それでいて世界は大きく見えた。
私が生まれ育った『日本』という世界を、もっとクラウに身近に感じてもらいたい。願いはそれだけだ。
乗車口で搭乗券を渡し、クラウと手を繋いだ。
「行ってらっしゃいませ」
スタッフに笑顔で見送られ、二人並んでベンチへと座る。少しだけゴンドラが私たちの方に傾いている気もするけれど、良いことにした。
「わあ……! 光が綺麗……!」
「だよね! この時期しか見られないんだよ~」
口を開け、光と白銀に染まる地上を見下ろしながら、クラウは息を吸い込んだ。
「俺、この世界に来て分かったことがある」
一呼吸置き、青の瞳はこちらを向いた。
「人の善の感情はどの世界でも変わらないんじゃないかって、気付いた」
クラウは目を細め、穏やかな表情で言葉を紡ぐ。
「確かに、にほんの嫌な部分も沢山見えたよ。殺人が起きたり、人に冷たくされたり、スティアにはない黒い部分。でも、やっぱり人間って嫌な部分だけじゃないんだ。必ず良い部分もある。それが分かった気がした。かいさつで会った人だって、わしょく料理の人だって、ぬいぐるみを取ったところの人だって、みんな見ず知らずの俺に優しくしてくれた。この世界は素晴らしい。そして……」
クラウは澄んだ瞳で遠くを見据える。
「俺たちが魔導師を辞めて普通の人間になった後のスティアだって、素晴らしいに決まってる。そう思うんだ」
格好良い。不意に思う。この人から離れたくないという思いも激しく沸き起こる。
未だに前を見たままのクラウの頬にキスをする。その瞬間、私たちの身体は光り輝き、この世界から消失した。




