残酷で美しい世界Ⅲ
早速、エレベーターへと向かう。クラウの表情が曇ったけれど、乗らなくては辿り着けない。「我慢して」と、無理やり手を引いて乗り込んだ。
これさえ乗り切れば、美味しいものが食べられる。クラウの口に合えば良いな、と顔を見上げてみると、やはり恐怖の表情が滲んでいた。
エレベーターから降りると、歩きながら背中を優しく撫でてみる。
「ミユ。やっぱりこれ、俺には駄目みたい」
「う~ん、エスカレーターに挑戦してみる?」
「えすかれーたー?」
「うん。動く階段」
クラウの口元が引きつった。きっと、どうして階段まで動くのだと、怒りにも似た疑問が浮かんでいることだろう。
「今、地面からすっごく高い所にいるから、普通の階段だと疲れちゃうよ」
「それにしたってさ……」
舌打ちをしないまでも、クラウは口をへの字に曲げる。そうして話している間に、目的の店の前へとやってきた。ちらりと食品サンプルへと目を遣り、海鮮丼があるか確認する。ライトに照らされて輝くイクラやマグロ――大丈夫だ、ある。
入店を待つ列の最後尾に並び、懐かしい日本の味を思い出す。
「わしょくって、どんな料理なんだろう」
ようやく笑顔を取り戻したクラウの瞳は、好奇心いっぱいで食品サンプルを見詰めていた。
* * *
「すみませ〜ん!」
「どうされましたか?」
「あの、スプーンとフォークってありますか?」
ウエイターは海鮮丼をじっと見詰めるクラウに目を遣る。
「あっ、お箸使えませんよね、少しお待ち下さい」
足早に去っていく彼を見送ると、私も海鮮丼へと目を落とした。脂ののった刺身が隙間なく整列しており、食べなくても美味しさは確約されている。酢のつんとした香りも食欲を増進させる。
「お待たせ致しました。ごゆっくりどうぞ」
戻ってきたウエイターは、クラウ用のお盆の上にシルバーを乗せると、丁寧にお辞儀をしてから去っていった。
「……ミユ」
「どうしたの?」
「魚の卵は分かるけどさ」
「うん」
何がそんなに不思議なのだろう。小首を傾げると、クラウは眉間にしわを寄せる。
「魚の身、このまま生で食べるの?」
「うん、そうだよ〜」
「えっ……」
そういえば、スティアではあまり魚を生で食べなかったな、などと思い出す。
「日本では人気なんだよ〜? 北海道の海鮮丼」
「そう……なの?」
「うん」
海鮮丼の美味しさは日本全国――いや、世界中に知れ渡っているだろう。自信を持って勧められる。
しかし、不信感を持ったのだろうか。クラウの表情が晴れることはない。
「カルパッチョみたいなものだから」
「……全然違うけど」
ぼそっと呟かれた言葉に、苦笑いをしてしまった。
「こうやって、小皿に醤油を入れるの。しょっぱいから、出し過ぎないでね」
「うん」
「黄緑の……わさびっていうんだけどね? これを醤油の中に好きな量だけ入れて混ぜるの。辛いから注意だよ」
「うーん」
どれくらい入れれば良いのか分からないのだろう。クラウはわさびを見て固まってしまった。
「入れなくても美味しいよ」
「……じゃあ、入れないでおく」
私もわさびが得意な方ではない。小皿を持ち上げ、クルクルと醤油を海鮮丼に注いでいく。それをクラウは凝視し、ぎこちなく真似をした。
ともかく、食べる準備は整った。後は箸を持ち、かぶりつくのみだ。
「いただきます」
「……いただきます」
手を合わせ、箸を取る。ホタテやエビ、マグロにサーモン――どれも私が好きな物ばかりだ。手前にある玉子から口へと運んだ。
「ん〜……幸せ〜! 帰ってきたって感じだよ〜」
美味しくて箸が止まらない。あまりにも貪りつくものだから、クラウの興味も自然と海鮮丼へ向いたのだろう。スプーンを持ち、恐る恐る白身とご飯を掬い取る。口へ運んだ瞬間、表情が一変した。
「美味しい……」
満面の笑みでスプーンを運ぶ。
「魚って、こんな風に食べたら、こんなに甘くてトロトロなんだ!」
「美味しいよね〜!」
「うん、俺、知らなかった!」
好きな人と好きな物を分かち合える事が酷く幸せで嬉しい。この日本での幸せな時がずっと続いて欲しいな、などと叶いもしない夢を描きながら、食事と会話を楽しんだ。
約一時間、この和食料理屋に滞在し、次に向かったのは別ビルのゲームコーナーだった。ずっと、彼氏になってくれた人に、UFOキャッチャーでぬいぐるみを取って貰うのが夢だったのだ。まずは私からゲームの手本を見せてみる。
「落ちないで、お願い!」
握る力の弱いアームは、黄色の犬のキャラクターの頭をがっちりと掴んだ。アームが大きく揺れる。
「あ〜っ!」
揺れに耐えられず、アームはぬいぐるみを離してしまった。落ちたぬいぐるみは床に弾み、少しだけ落下口へと近付いた。
「ミユ、俺がやる」
「ちょっと待ってね。お金入れるから」
財布から取り出した百円玉五枚をUFOキャッチャーへ注ぎ込む。それは、まるで生きているかのように、音楽を奏でる。
「これで三回出来るよ」
「うん」
クラウの目つきは鋭く、まるで敵を見据えるようだ。
「一回で決める」
左手でハンドルを緩く握り、右手はボタンに添えられている。しっかりと私の動きを見ていたらしい。
アームはぬいぐるみの頭へと向かう。
「あっ! 良い感じ!」
ゆっくりと降りていくアームはぬいぐるみの耳の間をすり抜け、頭の芯を捉える。
「お願い〜! ……えっ? えっ!?」
そして、なんと。
「……やった」
「やった〜!」
思わず飛び上がって喜んでしまった。人生で初めてUFOキャッチャーに挑戦した人が、本当に取ってしまうなんて。信じられない。
ぬいぐるみを獲得出来た合図の鐘が鳴る。
「おめでとうございまーす!」
言いながら、男性の店員が駆け寄ってきた。
「袋、使いますか?」
「いえ、いいです。あと二回分、お金入れちゃってて」
「他のぬいぐるみ出しますよ。どれが良いですか?」
「あれにしてください」
クラウが指をさしたぬいぐるみを見ると、今さっき取ったぬいぐるみと全く同じものだった。
「ですが、お客様――」
「同じのが良いんです」
「分かりました」
店員も何かを察したのか、クラウににっこりと微笑む。
「頑張って下さい!」
「はい!」
キョトンとする私を余所に、二人は意気投合してしまったらしい。笑い合い、去り際にも手を振り合う。何故、たった数分でそんなに仲良くなれるのだろう。その雰囲気に、私だけが取り残されていた。
落ちてきていたぬいぐるみをクラウは引っ張り出すと、私に渡してくれた。
「これ、ミユにあげる」
「良いの? クラウが取ったのに」
「勿論」
温かい気持ちを抱きながら受け取り、ぬいぐるみを抱き締める。もふもふとした感触と共に、体温も伝わってくるようだ。
「ありがとう」
夢が叶ってしまった。頬がほんわりと熱を持つ。
一方でクラウはというと、再びUFOキャッチャーに向き合い、鷹の視線を送る。
二回目は頭を掴んだけれど惜しくも失敗した。三回目は掠りはしたものの、ぬいぐるみを掴めずに失敗した。
「ミユ、もう少しやらせて」
「うん」
先に両替を済ませておいて良かった。迷うことなく財布を取り出し、五百円を投入する。
「お願い、成功して〜」
「頑張る」
クラウはガッツポーズをし、にこっと笑う。
四回目は胴体を掴んでしまい失敗し、残すは二回だけとなってしまった。
「今度こそ」
クラウは慎重にアームを操る。かくつくこともなく、一直線に頭を狙う。軌道は一回目の時に似ているように思う。
それは見間違いではなかった。ぬいぐるみの両耳の脇を擦り抜け、先程と同じ位置にアームはやって来た。これでぬいぐるみが途中で落ちさえしなければ――。
少し離れた所で鐘が鳴る。私たち二人の腕の中には同じぬいぐるみがいる。
店員はクラウがぬいぐるみを取ったことに気付かなかったのだ。
「お揃い、増えたね」
「うん……」
「この世界にも、俺たちの存在を残せたかな」
もう一つのお揃いである、カノンの結婚指輪に意識を向ける。後ろで点滅を繰り返すUFOキャッチャーのボタンのことも忘れ、火照る頬をぬいぐるみの頭で隠しながら、そっとその場を離れた。




