残酷で美しい世界Ⅰ
ようやく、カフェの看板が見えてきた。ほのかにコーヒーの香りもする。
「クラウ、もうちょっとだからね」
「……どこに行くの?」
「カフェ」
休憩出来ることを察知したのだろう。半歩後ろを歩く、疲れ切ったクラウの瞳に希望が灯ったような気がした。
「コーヒー、冷たい方が良い? 温かい方が良い?」
「うーん、冷たい方」
「おっけ〜!」
無理やり明るい声を上げ、にこりと笑ってみせる。あともう少しで辿り着く。気持ちだけを逸らせ、彼を引く手に力を込める。
「いらっしゃいませ」
女性店員の落ち着いた声が聞こえ、ほっと息が漏れた。胸のおもりが取れるようだった。
「私が注文してくるから、先に好きな席に座ってて」
「うん……。ありがとう」
店員や客に目をくれる訳でもなく、クラウは店内をきょろきょろと眺めながら奥へと向かっていく。心配しなくても大丈夫だろうか。
「お客様、ご注文をお伺いします」
少しだけ遠慮がちに、店員も私を見る。他に並んでいる客はいないけれど、何も注文しないのは失礼だ。レジに近付き、一応メニューを確認してみる。
「店内でお召し上がりですか?」
「はい。アイスコーヒーを二つください」
代金を払い、店内を振り返った。クラウは一番奥の席に落ち着いたようだ。テーブルに突っ伏している。
すぐにコーヒーは用意され、トレーに乗せられた。零さないように、慎重に店内を歩く。
「あそこで伏せてる人、格好良かったよね」
「ね! あんな彼氏欲しい」
近くに座る女性二人組の話し声が聞こえてくる。その目は明らかにクラウに釘付けになっていた。この人は貴女たちの見世物ではない。私のものだ。ちょっとだけ怒りと嫉妬を覚えながら、彼のテーブルに歩み寄る。
「お待たせ〜」
氷同士がぶつかり合う小気味の良い音と、トレーがテーブルに擦れるなんとも言えない音が耳に届く。クラウはむくりと顔を上げた。
「砂糖、入れても良い?」
「うん、お願い」
ガムシロップを手に取ると、クラウのコーヒーに注いだ。ストローを刺し、くるくるとかき混ぜる。コーヒーの底に広がるマーブル模様がすっと消えていく。その奥で、必死に喉の渇きを我慢しているであろうクラウの瞳もあった。
「もう飲んでも大丈夫だよ」
『待て』から『良し』を言い渡された犬のように、クラウはグラスを手にし、ストローも使わずにちびちびとコーヒーを喉に流し込んだ。
「この世界のコーヒーも美味しいね」
「でしょ~?」
自分のコーヒーの味を調えながら、褒めてくれたことに喜びを覚える。
お洒落なジャズを聴きながら、油断しきったクラウの表情に小さく笑ってしまうのだった。
「この国の人はね、学校とか仕事に追われながら生活してるの。多分、良いことじゃないと思う」
「ミユも?」
「うん、私もそうだった」
毎日勉強と部活に追われ、休みになっても課題が出される。まるで遊ぶなと言っているかのように。大人なんて、夏休みや冬休みすらない。想像でしかないけれど、きっと心も身体が休まらないだろう。
「だから、皆、せかせか歩いてたでしょ?」
クラウはカフェの入口へと目を向ける。通り過ぎていく人の笑顔には、どこか疲れが見えた。一歩外へ出れば、また忙しなく歩く人波に呑まれてしまうだろう。
「ミユはこの世界が好き?」
「正直言って、分からない。スティアに行くまで、この世界しか知らなかったから」
鳥かごに閉じ込められた小鳥のよう――ここで生きている人たちは、何の疑いもなく日常を受け入れているのだろう。以前の私のように。
かといって、スティアの人たちの生活を知っている訳ではない。魔導師として転移させられた私は外出も許されず、別の鳥かごに移っただけだったのだから。
明日、エメラルドの城下町を見て回ったとしても、私が知れるのはスティアの人たちのほんの一部なのだろう。
「俺もこの世界をこの目に焼きつけておくよ。ミユのためにも、スティアの未来のためにも」
「ありがとう」
腕時計を確認してみる。針は丁度、十一時十五分を回った所だ。
「ご飯を食べに行くのはまだ早いし、う〜ん……」
考えを巡らせながら、アイスコーヒーを飲み干す。
「札幌の観光名所……時計台?」
呟いてみたけれど、そこは駄目だ。北海道のガッカリスポットで有名だから、そんな場所は見せられない。
「じゃあ、動物園?」
「どうぶつえんって何?」
「この世界の動物がいっぱいいるところ」
クラウの瞳が輝き始める。
「行ってみたい!」
「う~ん、時間が足りないかも……」
「えー……」
それにお金もかかってしまう。
もう駅ビルでウインドウショッピングを楽しむ以外には、良い案が思い浮かばなかった。
「クラウ、ごめんね。札幌に来たのが間違いだったかも……」
「えっ?」
「ここって、日帰りだと買い物を楽しむ場所だった……」
泊まりならいくらでも楽しめる場所はあるのに。明らかに選択ミスだ。溜め息を吐き、視線を落とす。
「俺は、それで十分だよ」
「えっ?」
それなのに、クラウはにっこりと笑う。
「俺はこの世界の人たちの人と成り、生活を見てみたい」
先程、嫌味な同級生と会ったばかりなのに。心がささくれていたので、救われるような思いだった。
そうと決まれば、じっとしているのは勿体ない。ここで出来ることをめいっぱい楽しもう。
「よし、しゅっぱ〜つ!」
「うん!」
クラウの手からグラスを奪い取り、トレーに乗せて思い切り立ち上がる。それを颯爽と返却口へ滑り込ませ、二人で店を出た。「またお越しくださいませ」と背中越しに店員の声が響く。『また』は無いかもしれないな、と思いながら、振り返ることはせず、クラウと手を繋いだ。
「まずは、今、どこにいるか見せるね」
「うん」
人混みをかわしながら札幌駅の改札口を通り過ぎ、南口の出口を通り抜けた。雪混じりの凍える風がプリーツスカートを、髪を靡かせる。昼間だからあまり綺麗ではないイルミネーションには目もくれず、ずんずん進む。駅前通りの歩道の手前まで着くと、足を止めた。
「……ミユ?」
「クラウ、振り返ってみて?」
「えっ?」
どんな反応が見られるかワクワクしながら、「せ〜の!」で振り返る。クラウは目を見開いた。
「……えっ!? ええっ!?」
「ここが札幌駅だよ」
青色の円に星が散りばめられた時計が目を引く、現代的な建物だ。舞う雪が更に建物の壮美さを際立たせる。




