禁忌Ⅱ
トコトコと駆け寄ってくる小さな存在にも気づけなかった。
「わぁ……! 金髪のお兄ちゃんだー!」
男の子は息を白くし、興味津々な瞳をクラウに向ける。
「お兄ちゃん、どこから来たのー?」
「えっと……いぎりす、だよ」
「それどこー?」
これには流石にクラウは困ってしまったらしく、瞳で私に助けを求めてきた。
「ヨーロッパだよ。東京とか、大阪よりも、ず〜っと遠いところ」
「そうなんだー」
クラウは男の子の頭を優しく撫でる。男の子の笑顔が更に弾けた。
「じゃ、またね」
「うん!」
男の子は満面の笑みで頷き、踵を返す。転びはしないだろうかと心配になってしまう程、元気に駆ける。
「私たちも行こっか〜」
「どこに?」
「ちょっとだけ遠くに」
行き先を告げたところで、クラウには伝わらないだろう。この街には、あまり長居はしたくない。
歩きながら、母がくれたものを広げてみる。この質感といえば、お札であろうことは想像がつく。目に映った数字に目を見張る。
「五千円だ」
「えん?」
「うん、お金のことだよ」
まさか、こんなに貰えるとは思っていなかった。バッグの中をまさぐり、財布を取り出す。中を確認してみると、千円札が五枚、合計一万円――。私にとっては大金だ。
「……良し! 久し振りに遊ぼ〜! 私、制服デートに憧れてたんだ〜」
「ミユ! 箱が走ってる! 何か光ってる! 人がいっぱい!」
クラウには私の言葉が届いていないようだった。家、コンクリートの道、信号、自動車――この世界の物、全てが新鮮で、物珍しい筈だ。
クラウの姿に改めて目を向けた。紺のトレンチコート、白いマフラー、ジーパン――すっかりこの世界に馴染んでいる。白い服を着ている彼の姿しか見たことがなかったので、新鮮でときめいてしまう。
「あの走ってる『箱』に当たったら、怪我じゃ済まないからね。飛び出し厳禁だよ」
「分かった」
あまりにも無邪気な笑顔に、不安が芽生えた。まるで身体だけ大きな子供のようだ。しっかりとクラウの手を握り、住宅街を進む。
この街には、中学時代のクラスメイトもいる。鉢合わせしなければ良いな、と余計な心配までしてしまう。それが杞憂で終わってくれなかったのだ。
駅が近づき、観光客の姿も目立ち始める。カメラを手に持った人とすれ違い、外国語も耳に届く。この街は観光地として知られているのだ。人に紛れて駅の建物も見えてきたので、そちらに向かって指さしてみる。
「クラウ、あれが駅だよ」
「えき? 関所みたいなところ?」
「多分、そんな感じ」
スティアでの関所を見たことがないので、想像でしかない。何度か頷くと、クラウも目を瞬かせて微笑んでくれた。
「これからどんな所が待ってるんだろう」
ほっと息を吐き出すので、白い靄が出現する。今のクラウの心は、ワクワクとドキドキで出来上がっているのだろう。気持ちは分からなくもない。未知の旅を共有出来ることに、私も喜びを覚えていた。そんな時だった。
「……あっ! 実結じゃん!」
「えっ!? 誰か連れてる! カッコイイー!」
二人組の女子高生──苦手な中学時代の同級生が駅の方から歩いてきたのだ。あの頃とは制服や髪型は変わっている。しかし、わざとらしい笑顔に、嫌な予感しかしない。作り笑いを浮かべ、小さく手を振った。
「……ミユ?」
「私、あの人たち苦手なの」
小声で囁く。決してあの人たちには聞こえないように。唇が動いていることすら勘づかれないように。
「やだー! ひょっとして実結、カラコン入れてる?」
「隣のお兄サンとお揃いにしたかったの?」
自分たちだって、髪を明るい茶色に染めているくせに。何も言い返せない自分に腹が立つ。
そして、すれ違いざまに言われた一言が胸を突き刺す。
「……生意気」
一人、歯を食いしばる――。
「許さない」
「えっ? ……クラウ?」
「ミユに謝れ」
青の瞳はキッと僅か後方にいる二人組を捉えている。彼女らは未だに意地悪な笑みを浮かべていた。
「えっ!? 日本語ペラペラじゃん! こわーい!」
「カッコイイのにざんねーん!」
騒がしく笑う二人組をよそに、クラウは睨みをきかせ続ける。もう放っておけなかった。
「残念なのは貴女たち! バイバイ! ……クラウ、行こう?」
「えっ? ……うん」
後方から聞こえる甲高い声を無視し、クラウの手を引っ張った。そのまま駅の中へと駆け込む。
「ミユ、あれで良かったの?」
「……私、今までずっと言い返せたことがなかったの。言われっぱなしで、笑ってやり過ごして。私、ちょっとは強くなれたかな?」
「えへへ」と笑ってみるものの、胸の奥に冷たい痛みが残っている。涙だって零れそうだ。それなのに、クラウは私の肩をそっと抱いた。
「強いよ。ミユは十分強い。俺が保障する」
笑顔でそんなことを言うから、堪えていた涙が一粒零れ落ちてしまった。今日という日だけは、涙を流したくなんてなかったのに。
レトロな硝子ランプが無数に並ぶ天井を見上げた。急いで顔を手で拭い、時刻表と時計に目を落としてみる。時刻は十時に近づいていた。次の列車の発車まで、あと七分しかない。




