神への告発Ⅱ
一方で、クラウが動じることはない。
水の神は感情のままに吠える。
「オパールめ……余計なことを!」
「じゃあ、ホントにいるんだ。オパールっていう異世界の神様」
「お前が知る必要はない!」
『知る必要はない』なんてことはない。この痣はオパールがつけた物なのだから。クラウが倒れる原因となっている物なのかもしれないのだから。
私よりもアレクの方が声を発するのは早かった。
「ふざけんな! いくら神だからっつっても、言い方ってもんがあるだろ!」
「アレクは黙ってて」
「オマエのために言ってんだぞ!?」
「良いから」
クラウは「ふぅ……」と息を吐くと、瞼を閉じる。再び神様の瞳を見据え、口を開いた。
「この痣は、俺の心……怒り、憎しみ、悲しみ……そんな負の感情に反応してると思うんだ。思い出に浸って悲しんだり、アレクに怒りを覚えた時だって、胸が痛んだから」
神はギラつく瞳をクラウに向けたまま、無言を貫く。
「どうなのさ」
「もうそんなに侵食されているとはな」
「えっ?」
私が声を上げた所で、クラウと神の火の粉が止むことはない。『侵食』とはどういうことなのだろう。
「やはりお前を生かしておくべきではなかったのだ」
「じゃあ、やっぱり……」
「そうだ。このままではお前が『影』になるだろう」
クラウが影になるなんて。そんなことがある筈がない。頭が真っ白だ。何も考えたくない。
ただ会話が流れていく。
「そっか……」
何故、クラウは動揺してくれないのだろう。私の心は彼の分まで壊れてしまいそうだ。
「我には他の神にも報告する義務がある。お前の処分はもう少し待て」
「待って」
「何だ」
「俺たちが『人間でいたいでしょう?』ってどういう意味?」
どういう意味もない。私たちは人間そのものだ。それなのに。
「誰から聞いた?」
神は凄む。
「オパール。それに、あいつ……ルイスも」
「余計なことばかり吹き込みおって……!」
そう聞こえたと思うと、辺りが白い光に包まれ始めた。
「待って! 私も聞きたいことがあるの! 私たちはなんで白い服ばっかり着せられてるの?」
「お前たちに色は……闇は必要ないからだ」
神の言葉が真の答えになっているのか分からず、首を傾げる。
「我からは何も言うことはない! 去ると良い……!」
青一色の風景が消え、視界は真っ白になってしまった。浮遊感が沸き起こる。
この感覚はワープだ。
立っていることもつらい。膝からがくりと崩れ落ちる。滲む視界には、モザイクの魔法陣が静かに佇んでいるのみだ。頬へ、顎へ、胸へ流れ落ちる涙を拭う気力もない。
「もう、こんなのはたくさんだ!」
アレクの絶叫が塔の中に響く。それが頭に振動し、怒りと悲しみの感情が増幅される。
「……うっ!」
残響にまぎれて、クラウの呻き声が聞こえたのだ。慌てて顔を上げてみれば、彼は黒い靄が立つ胸を押さえつけ、ゆっくりと床へ崩れ落ちていく。
「クラウ!」
私が伸ばした手よりも早く、フレアの手がクラウの腕を掴む――ものの、女性の力では男性の体重を支えられる訳がなかった。彼は床へ衝突する。
「う……うあぁぁ〜っ!」
こんな泣き方、いつぶりだろう。声を上げて泣きじゃくることでしか、この感情を表現する術がなかった。
「ミユ……!」
アレクが私の肩を後ろから掴み、「すぐ魔法陣出してやる!」とか、「気をしっかり持て!」とか囁いていたと思う。もう、それからはほとんど覚えていない。
誰かが描いてくれた魔法陣に連れて行かれ、誰かに抱かれ、ベッドが置いてあるクラウの部屋に運ばれた。ベッドに座り、未だに声を上げて泣く私をフレアが横から抱き締めてくれた。
「どいつもこいつもふざけてやがる! もう我慢出来ねぇ! これから風の塔に行ってくるからな!」
「アレク、落ち着いて!」
「落ち着いてられるかよ!」
アレクは拳を壁へと叩きつける。
「とにかく、オレは風の塔に行く! フレア、二人を頼む」
フレアの返事を待たず、アレクはワープしてしまったらしい。眩い光が現れて、すぐに散っていった。
「ミユ、泣ける時に泣いた方が良いよ。思いっ切り泣いて良いんだよ」
その声に、ただ無言で頷く。
「あたしがついてるから」
フレアに『ありがとう』と伝えたかった。けれど、今の私はまともに話すことが出来ない。涙で濡れた手で、彼女の腕に縋る。
どれくらいそうしていただろう。涙が枯れ、しゃっくりのような声が出始めた。
「ミユ、喉乾いたでしょう? あたし、水を持ってくるね」
私の身体から、するりと腕が離れた。行かないで欲しい。水なんていらない。そう伝えたかったのに。
足音は遠ざかっていき、一時的に静寂が訪れた。
「クラウ……」
隣で眠っているクラウの手をそっと握った。胸は未だに靄を宿し続けている。
こんなにも私の事を考えてくれて、優しく接してくれる人が、私たちの最悪の敵――『影』になるなんて信じられない。信じたくない。そう思っただけでも、枯れていた筈の涙が出てくる。
間を置かず、フレアが戻ってきた。私の横に座り、水の入ったコップを差し出してくる。
「少しでも飲んで」
クラウの手を、愛おしさを噛み締めながらゆっくりと離し、両手でそれを受け取った。口にすると、水が身体に澄み渡っていくのが感じられる。無意識のうちに一気に飲み干し、フレアに空のコップを返した。
「ミユ」
まるでお姉さんが妹にするように、私の頭を撫でる。されるがまま、その温もりに縋っていた。
「私、クラウのために、何が出来るかなぁ。私の魔法は、闇を光に変えられるんでしょ? なのに、私には、そのやり方が分かんない……悔しい……!」
フレアはただ、うんうんと頷く。
「悔しいよぉ!」
何故、こんなに情けないのだろう。私は無力だ。両手でスカートを握り締める。
そんな時に、ドアが勢い良く閉まる強烈な音が響く。アレクが帰ってきたのだ。
「風の神も駄目だった! クソっ! 誰を頼れば良いんだ!」
そういえば、ルイスとクラウがこんなことを言っていた。
そのままの言葉が、口をついて出ていた。
「私を倒したとしても、王たちが愚かな行いを止めない限り、次なる私が生まれるぞ。必ずだ」
「ミユ?」
「ルイスの言葉……クラウも同じことを言ってた」
「ルイスってーと、影か?」
無言でコクリと頷く。
「そーいえば、コイツ、んなこと言ってたな。愚かな行いって何だ?」
絶望に思考を奪われ、いくら考えても駄目だ。
「分かんない……」
そう答えることしか出来ない。
「王族に直接聞くしかねーか」
不意に出たアレクの呟きに、フレアが顔色を変えた。
「アレク、そんな事!」
「出来るだろ! 実際、ロイたち使い魔が王に会ってんだ! 魔導師であるオレらの謁見を断る訳がねぇだろ!」
「でも、今すぐには無理だよ! 王様にもスケジュールがあるもん!」
では、そのスケジュールを押さえてしまえば王に会えるのだろうか。王族が行っている何かを止めさえすれば、クラウは『影』にならずに済むのだろうか。
「私、王様に会ってみたい」
「ミユ!?」
「だよな! ロイに頼むしかねー!」
一縷の光が見えた気がした。