タイムリミットⅣ
アレクは冷蔵庫らしきものを開け、白い液体の入ったボトルを取り出す。ここでふと疑問に思った。
「この世界って、電気通ってないよね? なんで冷蔵庫の中って冷えてるの?」
「あ? これはカイルの魔法だぞ? ってか、電気が通るってなんだ?」
そう言われると困ってしまう。頭の中で整理しながら、言葉を選んでいく。
「電気が線を通って、家に運ばれるの。それで機械を動かして、物を冷やしたり、専用の板に映像を流したりしてるんだ~」
これが電化製品の精一杯の説明だった。上手く伝わらなかったのか、アレクは首をひねる。
「良く分かんねーけど、やっぱミユの世界ってすげぇな」
魔法がないから、文明が高度に発展していっただけだ。凄いことなのか分からず、私も首を傾げてしまった。
「……やっぱ、元の世界に帰りてぇか?」
アレクは小さな鍋にボトルの中身を注ぎながら、こちらも見ずに問いかける。
「帰りたくないって言ったら嘘になる。けど……私もまだどっちの世界にするか決められないの」
「そーか」
コンロに火をつけると鍋に蓋をし、アレクは虚ろにそれを眺めている。
「でもな、これだけは保証してやる。この世界を選ぶんなら、アイツはぜってぇオマエを探し出す」
「うん」
私は地球を捨てられるのだろうか。逆に、クラウに別れを告げられるのだろうか。定まらない心に、ただ視線を落とすしかなかった。
温めたミルクはマグカップ四つにぴったりと収まった。毎日のように料理を振る舞ってくれるアレクの感覚は流石だ。感心しながら、トレーにマグカップを並べ、会議室へと急ぐ。アレクに扉を開けてもらうと、空気が若干重く感じた。クラウとフレアも今後のことを話していたようで、胸が詰まるような雰囲気が漂っていた。アレクは口角を上げ、無邪気さを装っているようだった。
「オマエらも疲れてんだろ? これ飲んだら解散な。明日から三日間、国に帰ること。良いな?」
「うん」
クラウは目尻に溜まる雫を拭うと、儚げに微笑んだ。しかし、フレアからの返事はない。
「フレア?」
「……あたし、部屋でホットミルクいただくね。もらっても良い?」
「あ、あぁ」
アレクが曖昧に返事をすると、フレアはゆっくりと立ち上がる。マグカップを一つ持ち、にこっと微笑んだ。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
去り際の後ろ姿は、何かを振り切るような、逃げるような、そんな感情を孕んでいるかのようだった。扉が音を立てて閉まる。
フレアが去った後で、クラウがぽつりと呟いた。
「俺、フレアに強いって言われちゃった」
クラウはもじもじと頭を掻く。
「別れが迫ってるのに、なんでそんなに前向きになれるのかって。ミユがこの世界を選んでくれる保証なんて、どこにもないのにって」
それを聞いたアレクは眉間にしわを寄せ、首の後ろに手を当てる。
「悪ぃ、オレもフレアの部屋に行ってくる。オマエらも、あんま無理すんなよ」
「うん」
アレクが遠ざかっていく足音が聞こえる中で、私もクラウの隣に腰を下ろした。クラウは強い訳ではない。強がっているだけだ。聞ける話なら、全て聞いてあげたい。それ一心で話に耳を傾ける。
「ミユ、これは俺の我儘だって思って聞き流してくれて良い」
「何?」
「俺はミユにもスティアにいて欲しい。あんなにも手に入れたかった人が、ぱっと現れてするりと手の中からすり抜けていくなんて、もう耐えられない」
クラウの声が震えている。呼吸も浅い。
「ミユが異世界に帰ってしまったとしたら、俺はもう抜け殻になると思うんだ。一生、誰とも結婚しないで、孤独に生きるんだろうなって。だから」
クラウはぎゅっと両手で拳を作る。数秒間を置き、彼の瞳はこちらを向いた。
「ミユ、サファイアに来て欲しい。二人で一緒に暮らそう」
青い瞳は小刻みに揺れ、私を必死に見詰めている。震えている拳に触れてしまいたかった。でも、そんなことをすれば、一緒に暮らすと約束してしまうことになる。今の私には、まだ決断出来ない。何も言えずに、ただ視線を落としてしまった。
「……ごめん、こんなことを言ったって、ミユを困らせるだけだって分かってたんだ。答えは七日後に聞かせてくれれば良いから」
優しくて柔らかい声に、小さく頷いた。今すぐ、貴方を選ぶと言ってあげられなくて、こちらこそごめんなさい。心の中で呟き、マグカップの取っ手に手をかける。じんわりと温かいそれに、ますます胸を抉られる思いだった。
ミルクを飲んでいると、瞼がとろんと落ちてくる。マグカップをテーブルに置き、一度大きなあくびをした。すると、クラウも大きく口を開けた。
「あくびって、移るって言うじゃん」
「言うね~」
「俺も寝たくなってきちゃった。眠れるか分かんないけど」
「うん~」
眠気のせいか、語尾も間延びしてしまう。
「そろそろ部屋に戻ろっか。王様にも、神様にも会ったし、もう限界……」
クラウの瞼も半開きになっている。今にも眠ってしまいそうだ。マグカップを置きっぱなしで、二人でよろりと立ち上がる。それでも手を取り合い、廊下に出れば、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
「明日は、アリアと……」
何をしよう。考えてみたけれど、眠気で麻痺した脳が働いてくれる筈もなかった。首を振り、唸り声を上げる。
「明日のことは、明日考えよう~」
隣でクラウがくすくすと笑う。
「ミユ、可愛い」
丁度、私の部屋とクラウの部屋への分かれ道で、彼の足が止まった。
「クラウ?」
首を傾げると、クラウの顔が急接近してくる。額に柔らかなものが触れ、呼吸を忘れてしまった。僅かな温もりが愛おしい。涙が零れそうになってしまうくらいに。このキスがなければ、私の選択は変わっていたのだろうか。決断を下す前の私は、まだ知らない。




