タイムリミットⅢ
早く話題を変えたいのだろうか。クラウはそっと溜め息を吐き、目を伏せる。
「早くご飯いただこうよ。せっかくなのに冷めちゃうし」
その横顔を見詰めてみると、頬が桜色に染まっていた。
回らない頭でスプーンを手に取ってみる。今日の夕食はボロネーゼのスパゲッティにボルシチ風のスープだ。フレアのスープは私たちのスープよりも更に赤いので、大量の唐辛子が入っているのだろう。考えるだけでも口の中が辛くなってくる。もう一度、自分のスープに視線を落とし、気持ちを落ち着かせるために息を吐き出す。
「いただきます」
両手を合わせてお辞儀をすると、クラウも「いただきます」と私の真似をする。失礼だけれど、その仕草が可愛らしい。
一時はどうなるかと思ったけれど、和やかな夕食は始まった。まずはスープに手を付けた。口の中にトマトの酸味と旨味が広がる。さっぱりとしていて美味しい。
「あっ!」
フレアが小さく声を上げた。
「どうかしたか?」
「刺繍、七日で絶対に終わらせなくちゃ」
「あっ」
フレアが言ってくれたおかげで、刺繍のことを思い出せた。ダンスの練習でそれどころではなかったのだから。せっかく始めた刺繍だ。完成させて、クラウに見せたい。
「私も頑張るから」
決意を込めて、クラウの瞳を見詰めてみる。すると、柔らかな微笑みが返ってきた。
「無理はして欲しくないけど、楽しみにしてるね」
「うん!」
俄然やる気が出てきた。待っていてくれる人がいるなんて、どれほど力になるだろう。早速、今夜から取りかかろう。心に決めて、スープを平らげていく。
「オレも楽しみにしてるからな。出来たヤツはミユに見せびらかして――」
「ハードル上げないの」
アレクとフレアは笑い合う。その勢いのまま、アレクはフレアの頬に唇を落とした。フレアの頬が薔薇色に染まる。その光景が微笑ましくて、ちょっぴり恥ずかしくて、私とクラウも一緒に笑顔になっていた。
ボロネーゼも牛肉らしさが残っていて、満足感が強い。味だってコクと酸味のバランスが良く、いくらでも食べ進められる。美味しいな、と幸福感に包まれていると、ちらりとカノンの声が聞こえた気がした。
“やりたいこと、七日間で全部やっちゃおう!”
やりたいこと――私にとっては何だろう。まず、一つは刺繍だろう。絶対に仕上げたい。他には、クラウとデートをしてみたい。恋人同士になったとはいえ、二人だけで遊びに行ったことなんて一度もないのだ。後は、アリアにしっかりと感謝を伝えたい。何千年という時を経て、私を――この世界を見詰め続けてきたこと、いつも私の味方でいてくれたこと、他にも『ありがとう』だけでは表現出来ない感謝が心に詰まっている。アレクとフレアにも、ずっと仲間でいてくれて『ありがとう』と伝えたい。命を懸けて守ってきたこの世界を知りたいし、人々に会ってみたい。この世界を旅行してみたい。
この全てを、たった七日間で叶えられるのだろうか。心配になってきてしまった。
「やりたいこと多すぎて困るよ~……」
ボロネーゼを頬張りながら、小さく息を漏らす。
「どんなことをやりたいの?」
「皆に感謝を伝えるのは勿論だけど、クラウとデートしたり、世界旅行したり――」
「世界旅行!?」
フレアは声を上げ、目を瞬かせる。アレクも信じられないといった様子で頭を抱えた。
「いくらなんでも、使い魔が許してくれないだろ」
「そんなの、聞いてみなきゃ分かんないじゃん」
クラウは少しだけ目を吊り上げる。それだけで、心に希望が灯っていく。
「俺だって、命を張って守ってきた世界を見てみたいよ。ミユの気持ちは良く分かる」
「そーだけどよ……。期待を膨らませ過ぎて、駄目になっちまった時のガッカリ感は半端ねぇからな」
「そんなの、ミユも俺も覚悟は出来てるよ」
クラウがにこっと笑うので、アレクも肩を揺らして笑った。
「心配し過ぎだったみてぇだな」
ただ否定したかったのではなく、アレクの優しさから出た言葉だったのだろう。そう思うと許せてしまえる。デザートのオレンジを平らげ、息を吐き出した。
今日はへとへとに疲れてしまった。十分眠れるだろうけれど、考えごとを始めれば目が覚めてしまう。なるべくなら寝つきを良くしたい。
「私、ホットミルク飲みたくなっちゃった。みんなもいるよね?」
立ち上がり、三人の様子を窺う。ところが、アレクに不審な目を向けられてしまった。
「オマエ、ミルクのある場所、分かってんのか? オレも一緒に行ってやる」
にやりと口角を上げ、アレクも立ち上がる。一緒にと言ったくせに、私を置いて一人で行こうとする。
「待って~!」
言い出したのは私なのだ。私にも出来ることはやりたい。駆け足でアレクを追い、会議室の扉を押し開けた。その先で、アレクはきちんと待っていてくれた。顔だけをこちらに向け、目を細めて、柔らかな表情を浮かべる。
「ちょっとオマエと二人で話しておきたくてよ」
歩調をゆったりと落とし、二人でキッチンの入り口をくぐる。話とは何だろう。小首を傾げたところで、アレクは視線を落とした。
「アイツに許可も得ないで、オマエに余計な情報を吹き込んで、オマエの気持ちを試すようなことをした。オマエの気持ちを無視して、フレアを優先しようとしたりもした。悪かった、済まねぇ」
まさか、謝罪をされるなんて思ってもいなかった。そんなのとっくに許しているし、気にすらしていない。未だにこちらを向いてくれないアレクに、ブンブンと首を振る。
「顔を上げて? 私、気にしてないから。こんなのアレクらしくないし」
「オマエ、ちょっとアイツに似てきたな」
アレクは苦笑いをすると、ようやく穏やかな瞳を私に向けてくれた。




