もつれる足Ⅲ
会議室からの帰り道で、こんな会話があった。
「ミユ、刺繍始めたじゃん?」
「うん」
「ちょっとだけ見てみたい」
クラウは興味津々といった様子で、にこにこと笑う。それに対し、フレアは苦笑いを向ける。
「駄目だよ。完成形を見たいでしょ?」
「それはそうだけど……」
「ああいうものって、見せた瞬間に、その時の形が心に残るから。ミユだって、納得したものを見せたい筈だよ」
確かに、今のガタガタな線の刺繍は、あまり見られたくはない。もっと上達したものを見せられるまで、私も頑張りたい。
「まだ時間かかっちゃうかも……。ごめんね?」
「ううん、俺はいつまでも待ってるよ」
繋いでいた手を、クラウがぎゅっと握り返す。それだけで、絆を感じられる。
「オレがもらった刺繍はいつでも見せられるぞ」
アレクが口角を上げて懐に手を差し入れると、フレアは慌ててその手を掴む。
「それはアレクにあげたものなの。見せびらかすものじゃないでしょ?」
白いアイリスの花言葉は『あなたを大切にします』だと教えてもらった。フレアにとって刺繍はただのプレゼントではなく、心そのものを贈っているのだろう。心を他人に見られるのは、絶対に恥ずかしい。
「でも、ハンカチに刺繍してあるんだ。使ってたら誰かには見られるぞ?」
「それはそうなんだけど……でもねぇ」
フレアは顎に手を当てて考え込む。見せびらかすのと、偶然目にするのとでは意味が違う。
「アレクって、女心を分かってないなぁ」
「お?」
小首を傾げるアレクに、私とフレアは肩を竦めるのだった。
それぞれ自室に戻り、それぞれの時間を楽しむ。私は一刻も早くクラウに見せられるように、勿忘草の刺繍に取りかかっていた。夜は更け、明かりも消える。
翌朝も、その次の朝も、クラウの闇を払う。その度に動悸がし、平常心を保つので精一杯だった。大丈夫だ。倒れなければ誤魔化せる。何もないかのように笑顔を向けると、クラウも微笑んでくれた。その度に、この人を騙しているのだという罪悪感に襲われる。
七日が過ぎた夜会当日の朝も、ある種の儀式のように闇を払う。動悸がしてもめまいは起こらず、何とか耐え抜いた。今日、夜会で王の『愚かな行為』を止めさせられれば、こんな苦行も終わるのだろう。昼食も終え、期待を胸に、ダンスの練習に取りかかる。これが問題なのだ。
「ミユ、やり直し」
「うん」
フレアの厳しく光る眼に萎縮してしまう。いつものワルツが流れる中で、アレクが拍子を刻む。クラウと手を取り合い、足を動かしてみる。後ろには行けた。次は前に進んで、また後ろへ――。クラウの手を借りて飛び上がり、滑るようにステップを踏む。つま先立ちをして一回転し、ぴたりと動きを止めた。
「……出来た?」
「うん、良くやったよ!」
「やった〜!」
「頑張ったね。ホントに良かった」
やっとクラウに褒めてもらえた。嬉しくて、我慢していた何日かぶりの抱擁を交わす。しかし、出来たのはダンスのうちのワルツ、たった一つだ。
「ワルツしか出来なかった」
「それさえ出来れば十分だよ。ワルツだけにしてもらえば、問題ないから」
「でも、負けを認めることになるんじゃ……」
「ミユは精一杯頑張ったから。その事実を認めさせれば良いよ」
クラウは満足そうに目を細める。
それで良いのだろうか。負けず嫌いな自分がそっと顔を覗かせた。
「どんな感じか、他のダンスも曲だけ聞いてみても良い?」
「良いけど……聞くだけになると思うよ?」
「うん」
あわよくば、少しだけ手ほどきしてもらおう。そう思っていると、理想は見事に覆された。フレアが指を鳴らすたびに、曲が変わる。カドリール、ガロップ、ポルカ、それぞれ全く曲調が違っていて、どう踊って良いのか分からない。今の私には、ワルツだけで限界だ。
「みんな、どうやって覚えたの~?」
「あたしは、小さい頃からダンスが好きだったから、全然苦にはならなかったよ」
「え~?」
幼少期からダンスに親しんでいたなら、出来て当たり前だ。私の考えが甘かった。
がくりと肩を落とし、唸り声を上げる。クラウは私の頭をそっと撫でてくれた。
「ちょっと休憩しようよ」
「そーだな」
三人は笑顔で頷いてみせる。
気持ちを切り替えよう。ワルツは成功したのだ。そう思うと、達成感と満足感が心の底から溢れてきた。
今は何時だろう。時計に目を遣ってみると、もうすぐ十六時になろうかという頃合いだった。夜会まであと二時間しかない。
「駄目、緊張しちゃうよ~……」
スカートを握り締め、小さく息を吐く。相手にするのは各国の王たちなのだ。最高権力者である四人と対峙するなんて。とはいっても、私たちも対等な立場ではあるのだけれど。
「ミユは臆病だな。こんな時こそ、どんと構えてなくちゃ駄目だぞ?」
「そうなんだけど……」
豪快に笑うアレクに、口を尖らせた。
「俺たちも一緒だから。四人でいたら、苦しいのは四分の一って言ってくれたのはミユだよ?」
言いながら、クラウは私の手に自分の手を重ねる。その感触はしっとりと汗ばんでいた。
緊張しているのは私だけではない。一人で気負う必要はないのだ。クラウの微笑みに、口角が上がる。そんな時に扉は開かれた。
「ミユ様、フレア様、お支度を」
現れたのは、いつもと変わらない様子のアリアとサラだった。駄目だ、心の準備が出来ていない。緊張感は更に跳ね上がった。




