広がる不安Ⅲ
クラウはアレクとフレアが出ていったドアを見る。
「ホントは、まだ話さなきゃいけないことあったんだけど」
「うーん」と唸り声を上げ、口を尖らせてもいた。
「私にも話せること?」
「うん」
クラウは小さく頷き、こちらを見る。その瞳は細かく揺らいでいた。
「あいつに言われたんだ。『君たちはただの人間じゃない。魔導師に留まる器でもない』って」
「それって、どういう……?」
「いくら考えても分からないんだ。どうやったって俺たちは魔導師で、それ以上でも以下でもないのに」
ただの人間ではないのは分かる。魔法が使えるのだから。それにしても、『魔導師に留まる器でもない』の意味が分からない。
唸り声を上げて考えてみても、一向に答えは出てこなかった。
クラウは更に続ける。
「それともう一つ。『私を倒したとしても、王たちが愚かな行いを止めない限り、次なる私が生まれるぞ。必ずだ』って」
後者の言葉は私も聞いた。しっかりと、本人の口から。
「王たちは何を隠してると思う? 王たちが『愚かな行い』を止めれば、こんなことはもう二度と起きない筈なんだけどさ」
「う〜ん……」
言われてみれば、確かにそうだ。今回の敵――ルイスの言葉が本当だとするなら、根本的な問題を取り除いてしまえば、これ以降、世界の危機なんて訪れはしないだろう。
王に接触する意義はあると思う。でも、魔導師である私がどうやって王に近づけるのだろう。私一人で考えても、分からないことばかりだ。
「アレクとフレアがご飯持ってきてくれた時に聞いてみよう?」
「そうだね」
私が提案すると、クラウもうんうんと頷いてくれた。
しかし、今は生還した喜びを二人で噛み締めたい。触れていたい。
「ちょっと、触っても良い?」
「ん?」
「胸……気になるから」
「……うん」
ナイトウェアの上からクラウの痣に触れる。今は、異変は感じられない。そのまま左胸に耳を当ててみる。規則的に打つ彼の鼓動を感じられた。温かくて、力強くて、何物にも代えがたい鼓動だ。
すると、クラウの方からも優しく抱き締めてくれた。思わず微笑みが零れる。
「生きててくれて、ありがとう」
「うん。ミユもだよ。ありがとう」
「うん」
身体だけではなく、胸も温かくなる。こんな幸福な時間がいつまでも続けば良いのに。
その雰囲気を、アレクが轟音を響かせて打ち破る。
「飯持ってきてやったぞ!」
「ちょっとアレク、ノックくらいしてから」
大皿を二つ持ったアレクがずかずかと部屋に入り込み、その後ろでフレアが溜め息を吐いている。
「ミユ、クラウ、ごめんね。アレクがこんなので」
「こんなのいっつもじゃん」
クラウが腕を離してくれないので、身動きが取れない。顔は沸騰したかのように熱くなっていく。
「オレのこと、モノ扱いすんじゃねぇよ」
「じゃあ、ちょっとは雰囲気とか考えてあげても良いでしょ?」
クラウだけではなく、フレアも怒っているのが声色から伝わってくる。嬉しいのに、恥ずかしい。
「ちょっと二人にも伝えたいことがあるんだけどさ」
「何?」
この状況で、クラウは先程のことを聞くらしい。姿勢くらい正しておきたい。
じたばたと暴れていると、クラウはようやく腕を離してくれた。
「俺たちってさ、ただの『魔導師』だよね?」
アレクとフレアは揃って不思議そうに首を傾げる。
「そう、だけど?」
「あぁ、多分な」
「あいつが言ってたんだ。俺たちは『魔導師で留まる器じゃない』って」
「んなの、ただのハッタリじゃねぇのか?」
あんな戦場で、ハッタリなんて残すだろうか。
「それだけじゃない。『あいつを倒したとしても、王たちが愚かな行いを止めない限り、次なる私が生まれる』って意味深な言葉も残してる。俺には嘘やハッタリを吐いてるだけとは思えないんだ」
アレクとフレアは唸り声を上げながら、思考を巡らせているようだ。
「あたしには……何のことを言ってるのかさっぱり……」
「オレも分かんねぇ」
そこで考えを出し合う流れになるかと思いきや、アレクは鋭い目をクラウに向けたのだ。
「それより、オマエの胸の印を何とかするのが先だ。余計なことは考えんな」
吐き捨てるように言い、腰に手を当てる。
そうだ、人の心の闇を何とかしなくては。神に会いにいかなくては。一度はブレてしまった目標を、アレクは思い出させてくれた。
「難しい話は後回しだ。とりあえず、オマエらはゆっくり休むんだぞ」
子を叱る親のように、アレクは口をへの字に曲げる。また片手を振り、廊下へと消えていった。
「また明日ね」
「うん。おやすみ」
フレアとも挨拶を交わし、再び二人だけの時間は訪れる。顔を見つめ合い、クラウの胸に頭を預けた。私の焦茶の髪を彼は優しく撫でる。
「ご飯、食べちゃおっか」
「うん」
身体を離すのは名残惜しいけれど、仕方ない。心を引き剥がすような気持ちで、自ら立ち上がった。
テーブルに乗った大皿の上には、ワンプレートディナーがあった。大海老のピラフにステーキ、フライチキン、ポテトサラダ、それにコンソメスープ――温め直したと言うより、食べやすく調理し直してくれたのだろう。
アレクの気配りに胸を打たれつつ、椅子に腰かける。クラウも席に着いたのを確認して、両手を合わせた。
「いただきます」
「……いただきます」
クラウが『いただきます』と言ったのは初めてだ。食事の度に手を合わせる私を見て、何か思うところがあったのかもしれない。
和やかな雰囲気の中で、食事を楽しむことが出来た。明日も、明後日も、その先も、こんな時間が続くと信じよう。