糸で紡ぐものⅠ
疑問は絡まった毛糸のように解けてくれなくなり、曖昧なままで自室に戻ってきてしまった。後ろ手でドアを閉めると、そこにもたれかかる。
私は何者なのだろう。一般人には使えない魔法が使えるし、王には叶わない神との面会も許されている。しかし、外出は許可されず、他愛もない話が出来るのは同じ魔導師である仲間と使い魔だけだ。真相に近づけそうで、近づけない。
これ以上考えていても、頭が痛くなるだけだ。深呼吸をし、思考を手放そうとしてみる。
――駄目だ、勝手に頭が考えを巡らせてしまう。こうなったら、別のもので意識を紛らわせるしかないだろう。部屋の中を見回してみると、デスクの上にフルートを見つけた。久しぶりに吹いてみるのも良いかもしれない。
ゆっくりとデスクに近づき、丁寧にフルートを持ち上げた。キーを押す感覚が懐かしい。リッププレートを唇の下につけ、息を吹き込んでみる。中音のドがしっかりと鳴り響く。
良かった。ブランクはあるものの、吹けなくなってはいないようだ。ロングトーンの練習もした方が良いのは分かっているけれど、今は思考の偏りを忘れたい。あえて難曲に挑んでみることにした。ドビュッシーの『シランクス』――楽譜はないから、曲の途中からはうろ覚えだ。シから始まるその曲は、二音目から連符が繋がっている。
最初の連符は抜けた。次の連符も抜けた。しかし、その次で指がもたついてしまう。
「指が絡まっちゃうよ~……」
パラパラとキーを鳴らし、もう一度挑戦してみる。やはり、同じところでつまずいてしまった。
「む~……」
上手く出来ない自分自身に悔しくなる。今度は別の意味で頭がモヤモヤしてしまいそうだ。
クラウに話を聞いてもらおうか。そう悩んでいたところで、丁度良くドアがノックされた。
「ミユ、ちょっと良い?」
この声はフレアだ。彼女が私の部屋に来るのは珍しい。
「何~?」
答えながら駆け寄り、ドアを開ける。その向こうには、目を細めるフレアの姿があった。
「笛の練習の邪魔だったらごめんね」
「ううん、自分の出来なさ具合にイライラしてたとこなの」
頬を膨らませてみせると、フレアは「あはは」と笑う。
「それだったら、一緒に刺繍でもしない? 昨日、約束してたから」
「うん。やってみたい」
息抜きになるし、フレアと話せるしで良いことばかりだと思うのだ。大きく頷いてみせる。
「じゃあ、あたしの部屋に行こう? もう準備はしてるから」
「うん」
促されるままフルートを置き、廊下へと出た。空気は部屋の中とは違い、少しだけひんやりとしている。窓の外は雪の白と空の青以外は見当たらない。
「そんなことしてる間に、年が明けちゃったね。ハッピーニューイヤー」
「そっか、明けましておめでとうございます」
「あ、あけまして……?」
私が頭を下げると、フレアは困惑気味に首を傾げる。
「新年の挨拶だよ」
「ミユの世界って、不思議な挨拶がたくさんあるね」
そうなのだろうか。自分では分からず、眉をひそめてみる。
そんなことを話している間に、フレアの部屋の前へと到着していた。フレアはドアを引き、私を部屋の中へと誘う。
「どうぞ、入って」
やはり、この部屋も私の部屋と家具の配置は同じ――色だけが違う。赤では色合いが強いせいか、淡いピンクでまとめられている。ロココ調の家具が一段と可愛らしく見える。
「可愛い……」
思わず言葉としても漏れていた。
「あたしは可愛いのより、大人っぽい方が好きなんだけどね。赤じゃないだけ良かったかな」
フレアと笑い合い、揃って薄ピンクのソファーに腰かける。目の前のテーブルには、刺繍の資材らしきものが所狭しと並べられていた。
「さてと、始めよっか。図案はこれなんだけど……」
フレアは「っしょ」と掛け声をかけながら、紙の束を自身の前へと手繰り寄せる。一番上の紙には、薔薇が描かれているようだった。
「薔薇は、初心者には難しいと思うんだよね。向日葵とかが刺繍しやすいと思うんだけど」
フレアはパラパラと図案の束をめくっていく。花の選択は彼女の心遣いなのだろうけれど、私には刺繍したいものがある。
「……勿忘草が良い」
「えっ?」
「クラウには、勿忘草の刺繍をプレゼントしたいから」
まだ、プレゼント出来るようなものが仕上がるとは思わない。でも、それを見せられる時が来るのなら――花の種類は譲れなかった。
「勿忘草、か。ミユとクラウには合ってる花かもね」
フレアは儚げに口角を上げ、再び図案と向き合った。数枚めくったところで、その手が止まる。目当ての物を見つけたのだろう。
「あったよ。これ」
その紙を引き抜き、私に手渡してくれた。色がついていない、線だけの勿忘草――まだ刺繍を施していないのに、繊細で愛おしくなる。
「水で色が消えるチャコペンっていうので布に写してくんだけど、出来る?」
「頑張る」
ここで挫けていては、糸にすら触れない。花のキャップがついたピンクのチャコペンと木綿のハンカチを手渡され、隅に一本一本、愛情を込めて丁寧に線を描いていく。線は花や葉をかたどっていき、色がなくとも『勿忘草』と分かるような出来栄えになった――そう、信じよう。
別の図案を写していたフレアの手を止めて確認してもらうと、うんうんと頷いてくれた。
「あとは、この線の通りに刺繍していくだけ。って、それが一番難しいんだけどね」
フレアは苦笑いをし、窓の外へ目を遣った。




