廃墟の塔Ⅰ
使い魔を呼び出してから三日経った日のことだった。夕食の後で、青い家具の部屋に入り浸る。ココアを飲みながら、クラウは新雪が積もった外を見遣った。
「今年もあと二日で終わりか」
ほっと溜息を吐き、マグカップをテーブルに置く。
「異世界で年越しするなんて、変な感じ」
率直な感想を言うと、クラウは小さく笑う。
「そうだよね。こんなことが起きるなんて、誰も思わないよ」
「うん」
人肌の温度のココアが身体に染みる。
「そういえば、ミユって名前にどういう意味があるの? この世界じゃ聞いたことない名前だからさ」
「え~っとね」
私も幼い頃に名前の意味を聞いた記憶がある。確か、こうだった筈だ。
「私の人生が美しく花開いて、実を結ぶようにって」
「素敵な名前だね」
「うん」
この由来もあってか、私は自分の名前が好きだ。頷いてみせると、クラウはにこっと笑ってくれた。
今度は私が聞く番だ。
「クラウってどういう意味なの?」
「そっか、ミユ知らないんだ」
「えっ?」
何のことを言っているのだろう。首を傾げると、クラウはどこか誇らしげに口を開く。
「俺たち魔導師の名前は、『愛称』なんだ」
「本名じゃないの?」
「うん。この世界は、人を『愛称』で呼ぶと『その人を愛する』っていう意味になるんだ」
「それってどういう……?」
いまいち良く分からず、また首を傾げてみる。
「俺たちの名前は『世界に愛されてる』って意味で、愛称を使われるんだ。言い方は悪いけど、本名はその時に抹消されてる」
それは良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか。両親がつけてくれた名前を奪われるなんて。でも、世界に愛されている証としての愛称なら、喜ばしいことなのだろうか。眉間にしわを寄せて考えていると、クラウは小さく笑った。
「そんなに考え込むことじゃないよ。この世界では当たり前のことだからさ。それに、名前を抹消されるのは俺たちだけじゃない。王様もそうだよ」
「う~ん」
納得出来ないのは私だけだろうか。口を尖らせて考えてみても、やはりおかしいと思ってしまう。そのままの表情をクラウに向けると、苦笑いされてしまった。
「俺の本名の由来はね」
「うん」
「不完全なもの。人に支えられて、でも愛されて生きられるようにって」
「素敵な由来」
それなのに抹消されてしまうなんて。両親の想いを踏みにじっているようにさえ思えてしまう。溜め息を吐いてみせると、クラウは私の手に自分の手を添える。
「こうやってミユに愛されてるのも、名前のお陰でもあるのかもね」
儚げに揺れる笑みが、私の心をざわつかせた。
* * *
そうして穏やかな五日が流れた。今日も朝一でクラウの部屋に向かう。私が力を使わなければ、クラウは世界の敵になってしまうかもしれないのだから。
部屋の前に着くと、軽く拳を作って三回ドアを打ち鳴らす。
「入って大丈夫だよ」
ドアを開けた先にいたその人が、一瞬だけ天使のように見えた。朝日に照らされた金の髪に、柔らかな青色の瞳――今日も異変は起きていない、優しい表情だった。クラウの元へと駆け寄り、そっと微笑んだ。
「今日もちゃちゃっと済ませちゃうね」
「うん。ありがとう」
手をクラウの胸に当てる。途端に緑の閃光が弾け、周囲を照らす。数秒間で光は収束し、日常が戻ってきた。
この力を使った後の鼓動の高鳴りは日に日に強くなっている。息が乱れる程ではないものの、気づかれはしないかとひやひやしてしまう。
「これで今日も大丈夫」
小さく呟き、手を引っ込めた。
「みんな、起きてるかなぁ」
「寝てたら許さないよ。ミユがたった一人で、異世界の神様の所に乗り込むって時にさ」
クラウがほんの少し目を吊り上げるので、思わず笑ってしまった。
「大袈裟だなぁ。ちょっと会ってくるだけなのに」
「全然、大袈裟じゃない」
クラウは硬く口を結ぶ。そんな時に、ノックの音が三回響く。
「入っても良いか?」
ドアの向こうからアレクの声が聞こえた。
「良いよ。ミユも来てる」
クラウが返事をすると、開いたドアの隙間からアレクとフレアが顔を覗かせる。
「二人とも起きてたね」
そっと囁くと、クラウの頬はバツが悪そうに桜色に染まった。
「使い魔の準備が出来たらしい。ミユ、大丈夫か?」
「うん。私はいつでも」
大きく頷いてみせると、アレクの顔つきが引き締まる。
「んじゃ、行くか」
四人で顔を見合わせ、決意のほどを確かめた。
会議室へ来てみれば、魔法陣が横に四つ並んでいる。これが闇の塔へと繋がっているのだろう。魔法陣の奥には、神妙な顔つきの使い魔たちが佇んでいた。
「オニキス様には念を飛ばしておきましたが、伝わっているかは分かりません。確証が持てる状態でお見送りしたかったのですが……」
「しょうがないよ。だって、オニキスは異世界にいるんでしょ?」
「はい」
カイルは申し訳なさそうに頭を下げる。
「ここにずっといても、緊張しちゃうだけだから。行っても良い?」
「はい。お気をつけて」
アリアは儚げに目を細める。出来るなら、どんと構えていて欲しかったのに。文句を言っても仕方がないので、苦笑いを返した。
緊張が高まる前にオニキスに会って、すぐに帰ってこよう。決意を新たに、一歩一歩前へと歩き出す。足が魔法陣に触れた瞬間、紫の光が私を包み込んだ。
そうして辿り着いたのは、まさに闇夜――カラスが一声鳴き、翼をばたつかせて漆黒の闇へと消える。月も星も一つも見えないので、空には暗雲が立ち込めているのだろう。空気はピリッと冷え、肌に刺さる。誰かに見られているかのような、そんな気配さえ感じる。
煉瓦も闇に溶けるかのように黒い。それらが形作っているのは、かつては城だったのだろうか。蔦が巻きつき、煉瓦は侵食され、面影が多少残っている程度だ。
その廃墟の隣に天をも突き破りそうな程に高い、円柱の煉瓦の塔がそそり立っている。
あまりの不気味さに、ワープしてきたクラウの腕に飛びついた。彼も私の頭を撫でてくれたけれど、その表情は硬かった。
この先に、本当にオニキスはいるのだろうか。先程のカイルの自信がなさそうな言葉に、不安が募っていく。




