白昼の悪夢Ⅰ
フレアが床に横たわっている。右腕にはかすり傷も出来ている。血が僅かに白い服と青の絨毯へ染みていた。彼女の傍には、クラウが無表情で佇んでいる。今にもフレアへ突き刺そうとする氷柱を掲げながら。
辺りには氷が散乱しているので、クラウとフレアの間に何かあったであろうことは予測出来た。
「お願い、やめて……!」
これ以上、フレアを傷つけてはいけない。クラウの元に駆け寄り、その腕を掴んだ。彼は顔色を一切変えずに、その手を振りほどく。あまりの強さに、身体がふわりと持ち上がる。
「きゃっ……!」
受け身を取ることも出来ず、そのままベッドに叩きつけられた。呼吸が一瞬詰まり、激しく咳き込む。
温厚な筈のクラウがこんなことをする筈がない。アリアの言う通り、誰かに意識を乗っ取られたのでは――。涙に霞む視界の中で、足音を捉える。クラウが標的を私に変えたのだろう。立ち上がろうにも、腕がきちんと身体を支えてくれない。
次に訪れたのは、首への圧迫感だった。呼吸をしようにも、痛くて苦しい。両手を前に伸ばし、必死に抵抗を試みる。
その中で一瞬見えた、私を見下ろす彼のその瞳は闇のように真っ黒だった。ルイスと同じ瞳の色だ。
私はこのまま殺されるのだろうか。それも仕方がないのかもしれない。もし殺されたとしても、呪いが解けた今なら、クラウを百年間も――ううん、千年間も待たせることはないのだから。
「……や……だ……」
それでも、心のどこかで生きたいと思ってしまう。
声を振り絞ると、頬にポタリと水のような物が落ちた。もしかして、クラウは泣いているのだろうか。
もし、少しでもクラウの自我が残っているのなら、私はその手にかかる訳にはいかない。でも、どうやって抜け出せば良いのだろう。
お願いだから、こんな事はやめて。遠ざかる意識の中で、どうにか訴えようとしてみる。すると、辺りが緑の光に包まれたのだ。何が起こっているのだろう。
「クラウ! やめろおぉっ!」
アレクの絶叫が木霊する中で、私の意識はぷつりと途切れた。
* * *
目を開けると、視界に広がったのは一面の青空だった。風が頬を撫で、草々がそよぐ。
ここはどこだろう。視線を右に向けてみれば、見覚えのある建物――ダイヤだ。
何故、こんな所で寝転んでいるのだろう。そう考える間もなく、視界が覆われた。金髪に青の瞳――屈託のない笑顔でクラウは私に手を差し出す。
「ミユ、起きて」
断る理由もなく、その手を取った。彼の支えでゆっくりと立ち上がる。
先程までの出来事は夢だったのだろうか。疑問が浮かんでは消えていく。
「こっちに来て。見せたい物があるんだ」
「えっ? 何?」
「良いから、早く」
私の様子を窺いつつも、クラウは私の手を引いたまま、強引に駆け出した。会話のないまましばらく走っていたのだけれど、その人は急に立ち止まる。
「これだよ。綺麗でしょ?」
笑顔のクラウが指差した先には、一輪の白いラナンキュラスが咲き誇っていた。クラウはそれに向かって手を伸ばす。
もしかして、花を摘んでしまうつもりなのだろうか。それでは可哀相だ。
「待って! 摘まないで!」
咄嗟に叫び、クラウの手を振りほどいた。
彼の口角が不気味に上がる。
「フッ」
背筋が凍りついた。この笑い方は明らかにクラウではない。
私が払い退けた筈の手は再び花へと伸び、乱暴にそれを摘む。私の手首を握る手に、力が込められる。
花を顔の位置まで持ち上げると、クラウではなく、黒髪黒眼の人物――ルイスが冷酷な笑みを浮かべて口を開く。
「君もいずれはこうなる運命だ」
地の底から沸き上がるような低い声で言い放つと、花をぐしゃりと握り潰す。白の花弁は四方に散り、茎は目の前の人物によって地へ落とされた。
その手は私の顎を掴み、次は首へと――。絶望の中でも、私は緑の光を見た。私の指先から光は溢れ、ルイスの手首を掴む。思い返してみれば、倒れる前に見た光景と重なって見える。
「くっ……!」
その人は呻き声を上げ、白い光となって掻き消えた。その光は破裂するかのように私に迫る。
「はぁっ……!」
息をするのと同時に、瞼を開けた。身体中から嫌な汗を掻いている。
荒い息を繰り返しながら思う。私は、また生還を果たしたのだ。白い天井を視界に捉え、涙を零す。
「ミユ……!」
この声はフレアだ。良かった、フレアも助かったらしい。視界に捉える前に、彼女はわあわあと泣き出してしまった。身を寄せて彼女に触れた瞬間、私の心も限界に達してしまったらしい。溢れ出す涙と声を、しばらくの間止められなかった。
* * *
ベッドの上でフレアと肩を並べて、俯く。なんて声をかけていいのかが分からない。ただ、確認しなくてはいけないことがあるのは確かだ。
「クラウは……どうなったの?」
恐る恐る口を開くと、フレアは目を伏せる。
「クラウは無事だよ。でも……」
一度言葉を区切り、フレアは表情を硬くした。
「しばらくの間、ミユとクラウには会わないでいてもらうね。いつ、また影みたいになるか分からないから」
「そんな!」
早く会って、クラウの無事をこの目で確かめたいのに。一目見ることも許されないのだろうか。
「だって……」
フレアの頬を一筋の涙が伝う。
「想像してみて? たとえば、自分がクラウを殺そうとした後のこと。ミユは手放しでクラウに会える?」
言われて気づく。クラウの身に想像もしたくもないことが起こったのだ。私を拒絶するのも無理はない。




