厄災と真聖
「うぅ、ううん・・・。」
どんなに思い詰めても、必ず朝はやって来る。ミコトは目を覚ました。決して良い目覚めとは言えないが、気持ちの整理はある程度ついたようだ。
着替えを済ませ、居間へ向かう。
テーブルの上にはマノンが作ってくれた食事とメモが置いてある。どうやら夕方まで買い物に行っているらしい。
ヴィットを覗くと、シャロンとルミナリアからメッセージが届いていた。
『昨日はとても素敵なお方に助けていただいたんですよ♪私が怖い人に捕まっちゃってたら、颯爽と現れたとっても強い男性が一瞬でやっつけてくださったんですよ。ニュースで見た『魔獣狩り』の方にそっくりでした。きっとあのように、人々を守るために闘っていらっしゃるんじゃないでしょうか・・・。』
『おっ、奇遇じゃねえか。アタシも昨日そっくりのヤツに「コレ」取り返してもらったんだよ。バイクに走って追いついて、そんまま蹴っ飛ばすおっかねえヤツでよ。んで、お礼も受け取らずにどっか行っちまった。』
「私も、一目でいいから会わなきゃ。」
朝食を済ませ、外出の準備を終えたミコトは、誰に聞かせるわけでもない決意を口にして家を出た。
ミコトの行き先はディアクルス郊外のゼダリという小さな町である。活気がありながらも古くからの商店が立ち並ぶこの町は穴場の観光地としても知られている。気分転換のためにミコトは頻繁にこの町を訪れる。
路面電車に揺られて、ミコトはゼダリの町に降り立った。特に予定は決めていない。それがミコト流のこの町の歩き方である。
路上の音楽家や似顔絵師、食べ物や陶器の屋台、この町はいつもと変わらない表情で、ミコトを歓迎してくれているようだ。
なじみの古書店で歴史小説を買い、公園に向かう。噴水や小高い丘が整備された公園は広々としていて、市民の憩いの場となっていた。
木の根元に座り、幹に背中をあずける。風を感じながら小説のページをめくる。こうして心を落ち着かせる瞬間が、ミコトにとって何よりの安らぎであった。
――――――
辺りはすっかり薄暗くなっていた。
どうやら浅い眠りについていたらしい。
「そろそろ帰らないとね。」
軽く土埃を払い、立ち上がって歩き出す。
マノンのお土産は何にしようかと、花屋や雑貨屋を覗いていった。
「これなんかどうかしら。」
小さなメッセージボードを抱えた熊のぬいぐるみを選んだ。手紙だけではなく、写真なんかも飾れそうである。
袋を抱えて店を出た。直後。
ゴオオオオオッ・・・!
強烈な轟音と閃光が上空に走った。
「なっ、何なの?」
閃光はミコトがいる町の中心部からやや東方に発生した。
目を潰さんばかりの凶悪な閃光に耐えながらミコトが必死に目を向けると、一瞬だけだが、巨大な召喚魔方陣が「見えた気が」した。それが意味するものは分からないが、「何か」がやって来るということは確実なのである。ミコトは嫌な予感を本能で感じ取った。
「確かめなきゃ・・・。何が、何が起こってるの・・・?」
決して好奇心ではない。ディアクルスの生徒として、将来の大魔導士として、確かめなければならない責務がある。ミコトは自分に言い聞かせながら、逃げる群衆をかき分け、自ら混沌の中へ向かって行った。
閃光の直下の町は、夕暮れ時にも関わらずぼんやりとした明かりに照らされていた。しかし、それは祭典などの穏やかな火ではなく、町そのものが燃えている、災禍の火なのである。
「はあっ、はあっ・・・。嘘、あれって・・・。」
しばらく走った先に、蠢く黒色の物体が見える。明らかに人の体躯の4~5倍もあろうかという「それ」は、下級の蜥蜴型魔獣である。一体ではない。薄暗がりには、少なくとも6体は確認できた。住民の避難は既にほとんど完了したらしく姿は見当たらないが、魔獣達は引き上げることなく建造物の破壊を続けている。
(さっきの召喚魔方陣、見間違えじゃない!こいつらを呼び寄せるためのものだったんだわ・・・。ヴィットもあの魔方陣で通信が阻害されてるみたいだし・・・。)
マノンやシャロン、ルミナリアに連絡を取ろうとしたが、召喚魔方陣の莫大な魔力によってヴィットは起動すらままならない状態となっていた。
破壊衝動のままに行動する魔獣達は、未だミコトには気づいていない。
(いくら低級とはいえ、あの尻尾は喰らいたくないわね・・・。)
ミコトは正面から魔獣達に向かって行く。自分が好きな町を好き勝手にされている静かな怒りと、自身の魔法の実力への確信が炎のように心の中で渦巻き、彼女の歩みの原動力となっていた。
魔獣の一体が獲物に気付き、飛び掛かってくる。
――――ミコトはそっと目を閉じ、指輪に魔力を込めた。
「魔装顕現!炎舞決闘刃〈スカーレット・デューラー〉‼」
ミコトの周囲を魔力と炎の奔流が包む。放出された強大すぎるエネルギーの余波で、魔獣は吹き飛ばされた。ミコトは帯状となった炎の渦を体に纏わせ、一瞬で姿が変わった。
騎士団のような清廉な服装に、ところどころ激しい炎を連想させるような深紅のリボンやフリルが付いた可憐な姿である。腰にはレイピアを帯刀している。世間では、いわゆる〈魔法少女〉と呼ばれるスタイルである。
魔装顕現とは、魔石に込められた魔力を具現化することで、自身の魔法の能力を最大限にまで向上させる上位魔法である。ディアクルス王立学院の生徒のほとんどが習得しているが、高度な魔法制御技術と自身の魔力量によって左右される術であるため、ユーディア大陸内でも習得者は全人口の3%にも満たない。
「これ以上好き勝手にさせないんだから!武装麗炎舞〈エンチャント・フレイム〉!」
レイピアを抜き放ち、刀身に炎魔法を付与する。
「はあああああーーーーーっ‼」
炎を纏った強烈な斬撃が、魔獣の体を一撃で両断する。
グオアアアアーーー!断末魔を上げるやいなや、炎に包まれて焼失する魔獣。
一体、また一体と、反撃させる暇など与えず、ミコトは魔獣を切り伏せていく。
――――
四十、いや五十体は倒したであろう。
発生した魔獣のほとんどを退治しただろうとミコトが思った直後、遠くでかすかな悲鳴が聞こえた。
急いで向かうと、人の2倍はあろうかという大きさの甲虫型の魔獣が、路上で逃げ遅れた赤ちゃんを狙ってにじり寄る光景が目に入った。
「誰か、誰か助けてください!誰か!」
悲鳴の主である、赤ちゃんの母親と見られる女性は、幸いにもケガは無いようだが、足がすくんでしまってその場から一歩も動けないようだ。無理もない。赤ちゃんを救出したところで、共に魔獣の餌食になることはほとんど確定しているのだ。
ギィ・・・。ギィ・・・。前脚の鎌をこすり合わせ不気味な音を立てながら、甲虫はじりじりと赤ちゃんに近づいていく。
「お願いします・・・。神様・・・!」
「蛍火散貫弾〈ファイアフライ・ペレット〉!」
ミコトは掌から、貫通力の高い火の散弾を放った。弾は甲虫の急所を数か所同時に的確に射貫き、甲虫は沈黙した。レイピアによる近接剣術を得意とするミコトだが、彼女の高い応用力をもってすれば、遠距離戦にも充分対応できるのである。
「大丈夫ですか?お怪我は?」
赤ちゃんを親の元に運び、ミコトは声をかける。
「ありがとうございます。本当に、何とお礼を申し上げたらいいか・・・!」
「周辺の魔獣はもういないはずです。今のうちに逃げてください!」
「あなたは・・・、もしかして王立学院の生徒さんですか?あなたも絶対に無理はしないで。絶対に生きてくださいね・・・!」
返事の代わりにミコトは小さく頷き、町の中に残る魔獣を再び討伐しに行った。
――――
すっかり夜が更けたころ、ようやくミコトの闘いは終わった。魔力を最大限探知しても、町中にもう魔獣はいないようだ。
「・・・・・・。」
ゼダリの町は、ミコトが好きだったころの整然とした町並みを一夜のうちに失ってしまった。崩れた建物と燻る残骸。目の前の脅威は退けたが、復興までの時間は年月を要するだろう。
――帰ろう。そう思い、魔装を解除しようとしたその瞬間、
「さっきの魔方陣⁈いや、規模が違いすぎる‼」
再び上空に召喚魔方陣が出現した。先ほどの直径の3倍はあるだろう。
「こっちが本命なようね・・・。」
ミコトはレイピアを構える。既にかなりの魔力を消耗してしまっていたが、意地が彼女の戦意を増大させていた。
魔方陣が閉じると同時に、とてつもない大きさの黒い鉄塊のようなモノが轟音を上げ、落下してきた。
ゴオオオオオオオオッ!!!!!
「キャアァァァァァーーーッ‼」
落下の衝撃波だけで、華奢なミコトの体は吹き飛ばされる。そして、「それ」はゆっくりと翼を広げた・・・。
「何あれ・・・。あんなのがこの世に存在するの・・・?」
龍型の魔獣。体長は100メートルを優に超えている。いや、確実にそれ以上であろう。長い頸と、凶悪な爪を携えた四肢。全身を覆う、妖しき光を放つ漆黒の鎧のような鱗。頭部には巨大な角が一対生えており、その瞳は全てを破壊し尽くす邪悪な意思を宿している。
(やるしか・・・ない!)
ミコトは残る全ての魔力を集中させる。刀身に巨大な炎の刃を形作り、全力で放つ一撃!
「烈火灼豪斬〈ブレイジング・スラッシュ〉!」
三日月型の炎の斬撃が魔獣に到達し、その巨体を袈裟切りにした・・・ように見えた・・・。
ドッゴオオオオオン・・・。
空気を震わすほどの衝撃が走る。
「嘘でしょ?確かに直撃させたはず・・・!」
体表から煙が出ている程度で、魔獣にはダメージはおろか、傷一つ付いていなかった。
魔獣の額の水晶体が紫の妖しい光を放ち、全身を邪悪なオーラが包み始めた。
「魔力が急激に増加してる・・・!まっ、まさか、この貯蔵量を一気に放出する気?」
気休めだとは分かっていながらも、ミコトは倒壊していない建物の陰に身を潜めた。
魔獣を包んでいたオーラが一瞬だけ消失した。そして・・・。
グウルルルアアアアーーーーーッッ!!!!!
咆哮と共に、巨体から光線が全方向に放たれた。町は昼間のような明るさとなり、瓦礫や辛うじて残っていた建物は文字通り消滅していく。無差別に放出された光線の奔流が、町の隙間すら残さず徹底的に焼き払っていく。
「炎陣防御壁〈ファイアウォール・ディフェンダー〉!」
炎で作った防壁に身を隠し、ミコトはなんとか致命傷を逃れた。だが・・・。
「・・・っ!足が!」
衝撃波か、飛んできた瓦礫によるものかは分からないが、ミコトは足を負傷してしまった。
魔装はボロボロになり、魔力の安定維持すらも難しい状況である。
「生きて・・・、生きて帰らないと・・・。」
彼女の脳裏には、友人や家族、そして幼少期のままの幼馴染の顔が次々と浮かんでくる。
足を引き摺り、その場から逃れようとする・・・、が。
見つかった。
魔獣の冷徹な目は、明らかにミコトを見下ろしていた。水晶が微かに輝きだし、静かに、だが着実に、魔力が蓄えられていく。間違いない。魔獣はミコトを殺そうとしているのである。
もはや逃げられない、いや、逃げてなどいられない。悲壮な覚悟と共に、ミコトは魔獣に向き直った。
「来なさい、デカブツ!アタシの全部、命を懸けて、アンタの相手してあげる‼」
ミコトは天に向かって掌をかざし、小さな炎の弾を作り出す。それは魔力を込めるごとに大きくなっていき、すぐさまミコトの頭上に身長の10倍はあるであろう巨大な火球が完成した。
「アタシの・・・!命を懸けた・・・!最強最大の魔法・・・!」
火球が魔獣に向かって勢いよく放たれた!
「赫命絶紅炎〈ブラッディ・プロミネンス〉‼」
火球は魔獣の胴体中央付近を直撃し、激しい回転と共に魔獣を貫かんとしている。
「お願い、アイツは、アイツだけは倒さないと・・・!」
ミコトが魔力を込めるたびに、火球の威力と回転は増し、魔獣に確実なダメージを与えていく。
グ・・・グオオッ・・・ガアアアアッ!
「もう少し・・・もう少しで倒せる・・・!」
だが、彼女に蓄積したダメージと、先ほどの闘いで消耗した魔力の量は想像以上に大きかった。
「ぐっ・・・、ああっ!」
魔力が弱まった隙に、火球が破られてしまった。
魔獣の怒りは頂点に達していた。再び水晶が光りだし、魔力が増大していく。ほぼ全ての魔力を使い果たしたミコトに、もはや抵抗する手段は無かった。
立っていることすら難しく、その場に膝をついてしまう。
傍らに置いていた、マノンへのプレゼントの袋を傷だらけの手でそっと撫でる。
「ごめんね・・・、みんな。アタシ、みんなの所に帰れそうにもないや。」
走馬灯のように、友人や家族との会話がよみがえる。そして最後に脳裏に浮かぶ声――――
幼馴染と交わした、遠い日の約束。
「ぼっ、ぼくが、絶対に、いつか、ミコトを守ってやるからな!」
「はいはーい、いつかあたしが困ってるときはソッコーで助けに来てねー、リュウガくーん。」
「そっ、そんな・・・。からかうなよ!ぼくは本気だって!魔法が使えなくたって、いつか立派になって・・・。約束だからな!これは!男の約束だ!!」
あれが別れ際の最後の会話だったっけ。もう10年くらい経つのかな。
焦土と化したゼダリの街。
空を覆いつくす程の巨大な龍型魔獣。
一人立ち向かう少女は絶望した。
黒曜石の如き妖しい光を放つその鱗に、通じなかった。渾身の魔法が。灼熱の炎が。全ての力が。
万象を喰らい尽くすその顎あぎとから、ミコトの眼前に放たれる閃光。
―――助けて、リュウガ―――
「約束、遅くなっちまったな。」
「えっ――――。」
初めて聞いた声。だけど、誰よりも聞きなじみのある声。
凄まじい衝撃と共に、ミコトの眼前に存在していたはずの魔獣の巨体が後方に吹き飛ぶのが見えた。
絶望の淵から顔を上げたミコトのそばに、声の主が佇んでいる。
灰色のローブを纏った男は、静かにフードを上げる。ミコトを見つめる紺青の瞳。その優しい目を見るだけでわかる。たとえ何年離れていたとしても、ミコトはそれが待ち望んでいた幼馴染その人であると確信できた。
「助けに来るって約束、守りに来たぜ、ミコト。」
「リュウガ・・・!」
なぜここにいるのか、今までどう生きてきたのか、聞きたいことなど無限に涌いてくる。だが、今はそんなことはどうでもいい。背伸びしても全く届かないほど大きくなっているし、とっくに声変わりもしているが、それが本人だとは一瞬でわかる。リュウガが、もう二度と会えないと思っていた幼馴染が目の前にいるのだ。
「遅い・・・、遅いよ・・・!いつまで待ってたと思ってんのよ・・・!このバカバカバカ・・・!」
あの頃よりもはるかに大きくなった幼馴染の胸をポカポカ叩きながら、ミコトは嬉しさと安心感で涙を流しながらも安堵の表情を浮かべていた。
「心配かけてごめんな・・・。とりあえず、今は休んでな。」
ミコトの傷だらけの体を案じたリュウガは、ミコトを座らせて魔獣に向き直る。
「リュウガ!一緒に逃げようよ!アタシだって無理だったのに、リュウガまで死んじゃうよ・・・!」
「大丈夫。いつまでもあの頃のままじゃないぜ?」
リュウガの優しい眼差しが、一瞬で鋭くなる。
「コイツは、俺の獲物だ・・・!」
魔獣に臆することなく、リュウガはその場に仁王立ちし、目を閉じて精神を研ぎ澄ます。
(リュウガ・・・、何をするつもりなの?まさか『魔獣狩り』って、本当にリュウガだったの⁈)
怒りに我を忘れ、絶叫を上げながら突進してくる魔獣。リュウガの目前に最接近したその瞬間、目を見開き、叫び放つ!
「錬気結昇ッ!!!超真聖拳〈アウェイクニング・ノヴァ〉!!!!!」