不確かな期待
時は少し遡り・・・。
二人に別れを告げたルミナリアは、一人アパートメントへの帰路を往く。
隣を二輪車に乗った人物が通り過ぎる。
フッと、右手にかかっていた重さが無くなった。気付くのとほぼ同時に、ルミナリアは声を荒らげる。
「おい!待ちやがれテメェ!それいくらしたと思ってんだ!!」
ひったくり犯が、ルミナリアが一瞬力を緩めた瞬間を見計らって、超高級ブランドバッグを掠め取っていったのだ。
ルミナリアは全力疾走で追いかける。だが、いくら体育の成績が抜群の彼女とは言え、二輪車に乗って逃げる犯人に追いつけるはずが無い。20、30メートルとだんだん引き離されていき・・・。
「あの野郎・・・。こうなったらアタシの魔法で消し炭にしてでも取り返してやらぁ・・・!」
「ずいぶん大事なんですね。あのバッグ。」
「当ったり前だ!あれ買うのに何か月貯金したと思って・・・。」
「取り返してきますよ。」
「ってか、アンタ誰?」
答えるより早く、突然現れた灰色のローブの男が走って犯人を追いかける。だが、魔導力をエンジンにした二輪車に生身の人間が追い付けるはずもなく・・・。
いや、彼は確実に距離を詰めている。30メートル、10メートル、5メートル。ついに犯人に追いついた彼は、後輪に強烈な蹴りを叩き込む。車輪が歪み走行不能になった二輪車は犯人もろともデタラメな方向に回転しながら地面を転がっていった。弾みで飛んで行ったバッグをしっかり受け止め、ローブの男は悠々と歩み寄ってくる。
「すげーなアンタ・・・。とりあえずありがと。」
「傷は無いようですね。バッグも、そしてあなたもご無事で何よりだ。」
「にしても、容赦ないねえアンタも。あのザマじゃあ3ヶ月は入院生活だよ。」
道の向こうで転がっている犯人を眺めて、少し呆れたような調子で呟く。
「適当にそこら辺の自警騎士団にでも突き出しときますよ。あくまでも正当防衛ってことで。もし訴えられでもしたときは、口裏合わせ、頼みますね。」
「そーゆーの、嫌いじゃないよ。そうだ、この後ご飯でもどう?お礼ってことで。二人分くらいなら出せるからさあ。」
ルミナリアはバッグの中身を確認しながら言ったが、顔を上げたときには男の姿は影も形も無かった。
「とんでもねえやつって、世界にはまだまだいるんだなあ・・・。」
ルミナリアは先ほどの『魔獣狩り』の記事を脳裏に浮かべながら、感嘆と安堵が入り混じったため息をついた。
―ミコト宅―
「マノン、ただいまー・・・ってうわっ!」
「お帰りなさいませぇ~ミコトお嬢様ぁ~!」
ミコトがドアを開けて玄関に入るなり、メイドのマノンが抱き着いてきた。
「お嬢様~今日もお疲れ様でしたぁ~。マノンの愛情たっぷりの夜ご飯にしますか?マノンと一緒にお風呂に入りますか?そ・れ・と・も~。」
猫なで声でマノンは畳みかける。胸に顔が挟まって、甘い香りが脳内に充満する。ミコトは窒息寸前である・・・。
「そういうのいいから!アタシのこといつまでも赤ん坊か何かだと思ってるでしょ!」
「はぁい、ミコト様のことは、それはそれは可愛らしい赤ちゃんの頃からお世話させていただいて・・・。それが今は、なんともお美しいお姫様になられて・・・。」
だめだこりゃ。完全に変なスイッチが入ってしまったマノンは治まるまで放っておくしかない。
―――――
「あっ、お嬢様、申し訳ございません・・・。余計なことをしてしまって・・・。」
冷静になったマノンはようやく自分を客観視できたようだ。
「ううん、アタシも、いつもさんざんマノンに甘えてるのにごめんね。」
「お嬢様が、悲しい顔をしていらっしゃったような気がしたので・・・。差し支えなければ、お話いただけますでしょうか?」
「えっとね・・・。」
ミコトは、ためらいながら言葉を紡ぎだす。
「なんだが最近、リュウガのことばっかり思い出しちゃって。」
それまで忙しなく変化していたマノンの表情が一瞬で真剣になった。
「街なかとか、道端とか。どっかにアイツがいたりしないかなって。会いに来てくれないかなって。最近の『魔獣狩り』のニュースなんかでも期待しちゃってさ。変だよねあたし。魔獣を倒すのに魔法を使った形跡が無いんだって。アイツじゃないかなって思っちゃって。あんなへなちょこが出来るわけ無いのにさ!それに・・・。」
ミコトの中に渦巻いていた感情が、堰を切ったようにあふれ出した。半ば無理だと分かっているのに諦めきれない。そんな気持ちが、悲しみをこらえるための半笑いの表情に漏れだす。
「リュウガお坊ちゃまは・・・。」
先ほどのハグとは全く別の、優しい意思を感じるマノンの抱擁が、静かにミコトを包み込む。
「リュウガお坊ちゃまは、絶対に約束を守るお方です。必ず、必ずやお嬢様に会いに来てくださいますよ。たとえそれが、何年経っても、どれだけ離れた場所にいようと、リュウガお坊ちゃまは、約束を守るために、元気でいてくれているはずです。」
「そうだよね・・・。絶対そうだよね・・・!」
あふれ出す涙を、ミコトは抑えることができなかった。優等生としての矜持や、友人の前で振舞う明るさなどを全て振り捨てても、誰も彼女の悲しみを否定することはできないだろう。
――――――
ミコトがリュウガに別れを告げ、故郷のブラウ村からディアクルスにやって来て間もない頃のことである。
現在は遠方に転勤となったミコトの両親も邸宅に共に暮らしており、ミコトは初等学校に通いながら王立学院への進学を心待ちにしていた。
村を離れ2ヶ月が経とうとしていた頃、リュウガとの文通が突如途絶えた。
「まったくもー。一週間に一回は返事するって言ったのに!おサボりさんね。」
最初は気楽に考えていたミコトだが、両親の会話から不穏なものを感じ取った。
「どういうことだ?村の建物が全て破壊されていただと?」
「郵便屋が訪れたときには全部焼き尽くされてて、見る影もなかったって・・・。」
「村長は?リュウガ君は?みんなはどうなったんだ?無事なのか?」
「それが・・・。全員跡形もなく失踪してしまったって・・・。まるでそこに『元から誰もいなかったかのように』って・・・。」
ドアの隙間から両親の会話を盗み見ていたミコトは、今までに無い不安を感じた。戸惑いを隠せず、感情を露わにして言い合う両親の姿など今まで見たことが無かった。
そして予感は確信に変わった。留守中に、両親が隠していた新聞の記事を見つけてしまったのだ。
『ブラウ村、静かな集落で一体何が』『襲撃か、住民全員が行方不明』『被害甚大、生存者の望み薄く』
両親はそれからも事件のことを口にすることは無く、ミコト自身も心の内にこの出来事を閉じ込めてしまっていた。だが、気丈に振舞っているつもりでも、時々堪え切れないときがある。
遊んだ日々の思い出、山で一緒に見つけた小さな魔石、木で作った小さなお守り、文通の手紙。
これらが教導学院の優等生としてエリートの道を往くミコトの心の支えになっていたことは言うまでもない。
魔石は指輪に埋め込み、肌身離さず常に携帯している。
ボロボロになった最後の文通の手紙は今でもカバンに忍ばせてある。
「あたしは、せかい一のま法使いになるんだから!せいぜいあたしにあこがれて、がんばりなさいよね!」
「わかった。じゃあぼくは、ミコトがこまったときには、ぜったいに助ける、すごい男になる!村長さんに、どう物の狩り方とか、教えてもらってるんだ。だからそれまで、ちょっとまっててね。」
――――――
「いつまで待たせるのよ、バカ。」
指輪を強く握りしめ、ミコトは眠りについた。