6袋 背中からこんにちわ(亀之頭公園)
数か月前から耳にし始めた噂がある。近所にある恋人たちのメッカ「亀之頭公園」での噂だが、次第にその噂の実態件数は増え続けている。マチは状況確認、あわよくば解決の為に、兄の恋人ナチと共にその公園に向かうのであった。決して覗きが目的ではない。
◆週末のルーチンワーク
敢えて薄暗くした静かな部屋の中、彼女は野球等の応援に使われる樹脂製のメガホンを壁に押し当てている。
壁側に当てているのは広い口側で、もう一方の小さい口側は自分の耳へ。
一般大衆向け戸建て住宅では、壁を隔てた向こう側の状況もメガホン一つで手に取るように分かってしまうのだ。
彼女は、好んでそんな非道徳的行為を行っているのであるが、にも関わらず彼女の表情に悦楽の表情は全く見受けられない。
それどころか、
「で、そろそろ萎えた頃の兄貴に、菜茅の締めの一声が・・・はい、どうぞ。と」
諦め顔で、壁の向こうに向かい右手でキューを出すおふざけ状態。
そして、その合図にドンピシャのタイミングで聞こえて来たのは、
『うっ、うぅぅっ、あっはぁーん♡』
思った通りいつものニャンニャン声。
「は~い、はい、演技賞。おめでと、おめでと」
投げやりな称賛を進呈する。
隣室の兄(一樹)と、その彼女ナチ(山倉菜茅)の行為を盗聴しているのは、妹のマチ(伊藤真知)である。
ほぼ毎週末行われるこの”秘め事”。
当初は口から心臓が飛び出るくらいにドキドキしたものだが、今ではすっかりマンネリ化されてしまい、マチの敏感であろう乙女のハートにさえも、もはや語り掛けるものは何も無くなっている。
どうやらマチの隣室限定の盗聴趣味も、薄暗くした程度の雰囲気作りではどうにもならないところまで飽きが来てしまっているのだ。
マチにとっては、最初の頃の興奮が堪らなく恋しい。
「全く、ルーチンワークじゃあるまいし、毎週毎週同じ事ばっかりやって、バッカじゃないの?
こう、何て言うか向上心と言うか、探求心が足りないと言うか・・・ホント創造力が貧困!」
マチの心の非難に反して、壁の向こうではマンネリ化した行為後の変わらぬ愛のエピローグが始まっている。これもいつもと変わり映えしない。
「聞く価値なし!」
マチは苛つきを感じながら壁に立てたメガホンを投げ捨て、ベッドに向かってダイビング。
「少しぐらい体を絞っても技量とは関係無いってことかねー。
やっぱ、スポーツとは違うんだな。
でも、そろそろ本当にイ○せないとナッチン(ナチの呼称)だって満ぞク、・・・んっ?ううんっ、おほん」
未経験にも関わらず思わず口から出てしまったお下品な言葉に、マチは慌てて語尾を咳払いで濁らせる。
「え~、お○カせかな?、いやいや、おイ○せ遊ばせてみせか?、んっ?
まあ、とにかく兄貴が悪い!」
自分のお下品な言葉を極力上品に言い替えようと試みるも、どう言い換えようが納まり処は無い。
揚げ句に、自分の言葉遣いも兄の不甲斐なさのせいにする始末である。
高校生の頃は、水泳部だったマチの兄、一樹。
最近こそマッチョンの出現に看過され体を鍛え始めたとはいえ、彼女のナチと付き合い始めた二年程前とは比較にならないくらいに弛んでいる。
当初はその肉体からか、メガホンから伝わるベッドの軋み音にも躍動感が感じられたし、周期的な運動音も最低3セットは繰り返しがあった。それに、なによりも二人の間に初々しい一所懸命さというか熱意が耳から伝わっても来た。
つまり技量の満たない分を補うに余りある何かがあったのである。それが今となっては、全く影を潜めてしまっているのだ。
「あ~、刺激が足りな~い。もう全然ムズムズが来ないよ~」
傍から見れば、むしろ盗聴している側が初々しさを失ったように思えるが、マチにそんな解釈は存在しない。
そもそもマチに自省をする気持ちがあれば、幾ら実の兄だとは言えメガホンまで使って盗聴などはしないはずである。
◆若き精なる力の行方
それでもいつもの土曜の夜であれば、隣室からのある程度の満足感で過ぎて行く。
だが、今までに募った不満の蓄積からか、今日は未だ中途半端になった欲求の封じ込めに成功してはいない。
ベッドに転がっても、物足りなさからか少しでも刺激のある現実を探し求めてしまう。
更に、その思考は次第に深くなって行き、睡眠を妨げる。
それでもスッキリした気分で眠りたいマチは、睡眠を差し置いて刺激と関連性のある事象を探り続ける。
どうせ明日は日曜なのだ。
そして、考えること小一時間、マチは最近学校で噂されているあの話に行き着いた。
数カ月前まで全く聞いたことのなかった亀之頭公園のあの話にである。
マチはそこに刺激の原石を見つけたのである。
「明日、亀之頭公園に行ってみようかなあ~」
しかし、今の感情で動くことに正義は無い。むしろ正義とは相反する非社会的行為となってしまう恐れがある。。
何としても亀之頭公園に行く大義名分を見つけなければならい。
さてどうするか・・・。
亀之頭公園の入口は、マチの通う高校と、高校の最寄りの駅とを頂点に結ぶと、丁度正三角形を描く位置に存在する。
それぞれが歩いてもそれ程遠いと感じない距離に位置しているので、マチにとっても物理的には頻繁に訪れ易い場所ではある。
公園の広さはドーム球場に等しく、中央には手漕ぎボートに乗ることも出来る大きな池が存在する。
周囲は商業地区や住宅地で囲まれてはいるが、公園内は沢山の緑に恵まれており、周囲とは別世界を感じさせる趣がある。
また、池の周囲に広がる木々は多くの死角を作り、周りと隔絶することを容易にさせていると言う特徴があり、更にその死角には、ピンポイントに狙ったのではないかと思わせるようにベンチが存在すると言う気の利き方とくる。
まさに若者たちが格安で欲求を満たすには、この上ない条件を備えた公共施設である。
そんなことで、昼夜問わず精力を持て余したカップル達で静かに熱く賑わいをみせているのである。
今回の噂は、そんな亀之頭公園に発生した。
公園にある大きな池のそのほぼ中央には、都市伝説的な色恋の話が複数存在する有名な木製の橋が架かっている。
今回のこの噂によると、決まってその橋の中央辺りにカップルが差し掛かった時に起こるらしいのだ。
背後から、
『こ・ん・に・ち・はー』と明るい”謎の声”を一言。
もちろんその時に橋の上には、カップルの他には誰もいない。
一人だと聞き間違いも疑うところだが、二人で聞いたとなると信憑性はその倍以上にも膨れ上がる。
当然いくら明るい声とは言え、ある訳のない声を聞いた方は気味が悪くなる。
二人がその場からはそそくさと立ち去ることは正常な判断だ。
しかし、若い二人の血潮の循環は活発だ。生半可の恐怖や、理性で抑え込むのは難しい。正常な判断も僅かな時間でクリアとなる。
若き二人は3歩も進むと、再び満ちて来る欲望に押し負けてしまう。とも言われている(何処かで)が、満更間違いではないだろう。
大方二人の足取りは、木陰のベンチへと向かってしまうのだ。若き血潮が走り出した結果としては止むを得まい。
木陰のベンチは、二人が座った瞬間からカップルの聖地となる。
一旦走り出した血潮は勢いが凄まじい。
いつしか奇妙な出来事も二人が恣意的に繰り広げる”何たらかんたら”で、近々の頭の中の出来事はすっかり上塗りされてしまう。めでたし、めでたし。
で、終われば、大した噂話では無い。むしろハッピーエンド。奇怪な一声も二人の間ではスパイスでしかかくなってしまう。
だが、噂はそれで終わりでは無いのだ。
二人が盛り上がった頃に、再びベンチの背後から奇妙な声が襲って来るのである。
抑揚に欠けた欧米人訛りで。
「ちょっと、いいですかー」と。
最中のまっただ中に「ちょっといいですか」と言われて、普通は言い訳が無い。
誰に見られても恐縮なのに、誰に見られてるか分からない状況である。
当然、人生で滅3度と来ない焦燥の瞬間が訪れる。
二人は息をのんで声を掛けられた方を振り向くことになるが、今度は橋の上の時とは違い、そこには”何か”が確実に存在しているのだ。
不気味な”何か”が。
しかも、近距離から二人を見つめているのである。
ただ、この”何か”が今を持ってあやふやなのである。
各々のカップルによって見るモノも違えば、一緒に見ていたはずの二人でもその話が異なるのである。
幽霊と言う話もあれば、妖怪と言う話もある。性別も不明だ。
ただ、共通しているのは、池の中から現れたのではないかと思わせる、ずぶ濡れの姿らしいと言うことである。
幸いなことに、今を持って身体的や金銭的な被害のあったと言う話は聞いてはいない。
しかし、そもそもマチはそこから疑っている。
つまり”被害はあるのだ”と。
この噂で広まっている一連の流れはここまでだが、マチはこの話を聞く度に、もう一つ時期をほぼ同じくして耳にし始めた”ある別の噂”が頭を過ってならないのだ。
根拠は無いが、関連性を感じてならないのである。
それは、マチの正義心から来る直感なのか?噂好きの性格が問題ごとを欲しているからなのか?は分からない。
でも、元来、正義感の強いマチはその噂の真相を確かめ、あわよくば解決したいと思うのも本心なのである。
おやっ?
と言うことは?
マチの頭の中では”刺激を求めての行動”と言う意味合いを打ち消す大義名分、”正義の追求”と言う名目が完成することになる。それは、もう完璧に理論的に。
「よーし、絶対に見に行って確かめなきゃだ。うん、絶対行かなきゃ。正義のためだもの!」
結果、当然そう言うことになるが、マチとしては、ちょっとしっくりこない部分もある。
ここがマチの真面目なところである。
マチの正義の心は、その癒着的な整合性を否定するのである。
マチは”純粋な正義の心で行動する”でなければ自我が成立しないのだ。
マチは自問自答する。
一ミリでもカップルの営みを見たいと言う気持ちはないのか?
いや、ない。正義の心から、その奇怪な事件を確認したいだけだ。
もしかすると、カップルの営みで欲望を刺激したいからではないのか?
いや、違う。あくまで正義感のみが自分を動かしているのだ。絶対に!
・・・・・・。
・・・・・・。
「そう、私は正義の為に亀之頭公園に行くんだ!」
自分の心を都合よく置き換えることに長けているマチは、自問自答を続けることにより、全てを純粋な正義心に置き換えることは容易い。
これで、マチが亀之頭公園へ行くのは”正義の為”と言う図式が出来上がった。
そうとなれば、
「よし、明日の夜”決行仮面”だ! 変身、トゥー!!」
早期行動が基本だからと、明日の決行を結構なことだと判断となるのも必然だ。
後は一応現地へ行ってからの状況確認の方針だが・・・。。
本来、一番良いのはマチ自身が囮のカップルになることである。ただ、その状況を作り上げるのはマチには物理的にハードルが高過ぎる。そもそも、そんなことが可能な状況であれば、現状の回りくどい思考に至っていない。
であれば、マチには陰に隠れてカップルを覗く、いや、調査をするしか選択肢は無いことになる。
もちろん、これは噂の真相を確かめる為の調査だ。
噂が被害をもたらしていないかの検証のために必要不可欠な調査なのだ。
ホントに、本当に止むを得ない”覗き”なのだ。
マチはそう信じている。
<つづく>