とおりゃんせ
私の地元にはちょっとした都市伝説があった。
『日が沈み始めた帰り道にとおりゃんせを歌ったら死ぬ』
そんな眉唾物の話が私が小学生の頃に流行っていた。
私がそれを知ったのはクラスメイトがそんな噂話を話しているのを又聞きで聴いた。クラスメイト達は腕摩りながら楽しそうに怖がっていたが、当時の私はその噂話を聴いてからはそれを縁に生きてきた。
当時の私の家庭環境は最悪だった。
母の再婚相手は銀行員の所謂エリートの筈なのだが、どうしてか私の事を毛嫌いし痣が出来ない程度に殴られる等の虐待を受けていた。
母は裕福な生活に目を眩んで私が虐待されているのを見て見ぬふりをしていた。そして何よりも苦しかったのは再婚相手の実子の弟だけではなく、同じ連れ子の筈の兄の方は再婚相手に可愛がれていたと言う事実だった。
自分を除いた幸せな家族の姿を見るのが嫌で、学校が閉まるまで図書室で本を読んで時間を潰していた。
ある日、学校が閉まり薄暗くなった帰り道をトボトボと一人で帰っていた。
いつの間にか口遊む様になったとおりゃんせを歌っていた時だった。
「とーりゃんせとおりゃんせこーこはどーこの細道じゃあー天神様のお通りだー」
ぴたぴたぴた
幼かった私の背後から裸足で歩く音がした。しかし道は舗装されていないあぜ道だから『ぴたぴたぴた』とコンクリートの上を裸足で歩く様な音は今思えば絶対に出ない筈だ。
当時の私は畑仕事から帰る近所の誰かだろうと気にもとめなかった。
「この子の七つのお祝いにお札を納めにまーいりますー」
そして影が私の姿をすっぽりと覆う。この時私は挨拶をしようと後ろを振り向いたが。
それは人ではなかった。
いや人の形をしていたが、衣服を身に纏わず肌の部分が光も通さぬ様な真っ黒で、口も耳の近くまで裂いて口の中も真っ黒。
唯一目らしき部分が毒々しいまでの金色なのだが、酷く無機質に感じるのは目らしき部分から光がないせいだと思う。
ヒトの姿をしたソレは(子供の時だったとしても)かなり大柄で、なんとなく男の様に見えた。
ソレはじっと私を見下ろしていた。口を大きく開いていたからもしかしたら私を食べるつもりだったのかもしれない。
普通の子供だったらそんな状態だったら泣き叫んで逃げていたかもしれない。
だけど精神状態が不安定だった当時の私は何を思ってかそのヒトの姿をしたソレに。
「ーーーーお父さん?」
勿論母親の再婚相手は論外だし、実父の方は顔すら覚えていなかったし、後日養母から聞いたのだが、実父はアル中で他の女と一緒に駆け落ちしてこの事件の二年後に肝臓を壊して亡くなったと聞いた。
そう言うわけでこのヒトの様な存在は決して私の『父親』な訳ではないのだが、どうしてか私はソレを父親だと思えてしまった。
ソレは私の言葉に動きを完全に止まり、大きく開いた口を閉じて動かなくなってしまった。
微動だにしないソレに頭を傾げてしまい、私はソレに向かって両手を開いた。何時だって食べられる様に準備をしたつもりの幼かった私だったが、ソレは大きく目を見開いた。
そしてソレは一度目を閉じて何か考えこみ、もう一度目を見開くとソレは尖った様な目をしていたが、一転優しく目を丸くして私を黒くて大きな腕の中に覆った。
景色全てが夜の様に真っ暗になったが、ソレの腕の中は反して暖かく安心しきった私は目を閉じて夢の世界に旅立った。
こんな優しくて暖かい腕の中で死ぬのなら悪くないなと思いながら遠ざかる意識の中、耳元でとおりゃんせの歌と背中を優しく叩いてあやす手の温かさだけは何時迄も覚えていた。
目を開けるとそこは真っ白な天井で、点滴を交換していた看護師さんが私が起きた事に気が付いて直ぐに誰かを呼びに走って行った。
それから何だが騒がしかったが、白衣を着た医者と草臥れたコートを纏った男が部屋に入ってきた。
コートの男は胸元から警察手帳を取り出して私に見せてきた。そこでこの男は刑事さんだと分かってから、霧の様にモヤモヤしていた私はやっと覚醒した。
どうやら私は半月程行方不明になり、山の麓のせせらぎに倒れていたのを猟師に発見された。
それから一ヶ月と半月程この病院で延々と眠っていた。精密検査を行なっても何処も異常がなく、医者も私の症状に頭を抱えたとか。
それから刑事さんは色々と質問して行方不明になった時の話も聞かれた。私は正直に全身真っ黒の大きな存在の話もしたが、大人達は信じてくれなかった。
全く信じてくれない大人達に怒っていた幼かった私だったのだが、個室の部屋で至れり尽くせりの生活に直ぐに機嫌を治した。
何より入院してから一度も家族の顔を見る事がない生活が何よりも嬉しくて、楽しかった。
一度だけ看護師さんから『寂しくない?』と聞かれたが、『自分だけが仲間外れにされて、皆だけが楽しそうにしている姿を見なくて嬉しい!』と正直に話したら、質問をした看護師さん目元を押さえて走って立ち去ってしまった。
それから一週間後に退院した私を引き取ってくれたのは母親の又従兄弟にあたる夫婦だった。
私が行方不明になった事で今までの私への劣悪な環境に気付いた夫婦が私を養子として引き取ってくれたのだ。
そのゴタゴタで知ったのだが、何故再婚相手が私の事を毛嫌いしていたかと言うと、私が賢くなくて再婚相手を尊敬?(良く分からないが)の念を出さなかったから。それを聞いて養父母は呆れたそうだ。
それから私は大人になるまでに家族と会う事はなかった。
今の両親に引き取られた日々は幸せだった。
何せ私の事を理不尽に殴る事も家族内で仲間外れにする事もなかった。それは私の妹が産まれてからも変わらず、本当に幸せだった。
学校は田舎から転校生だった私を温かく受け入れて毎日の登下校は仲良くなった友達と一緒にいる様になった。
ただ偶に。一人で帰る時に無意識にとおりゃんせを口ずさむ様になった。その事を偶々帰り道が一緒になった同級生の指摘で知ったのだ。
本当に無意識だったから指摘された時は本当に驚いた。あの日からあの歌を、ヒトではないモノと出会ってから私の人生が好天したからついつい歌う様になったのだろうと勝手に納得した。
だけどこの歌を口遊む間、誰かに身体に包まれる様な暖かさを感じる。だから友人に指摘されてからは一人で帰る時はとおりゃんせを歌いながら帰るようにった。
現に私が学生の時は危ない目に遭う事はなかった。大袈裟だと言われるかもしれないが、少ながらず危険な運転をする車に轢かれそうになる事も、不審者に会う事もなかった。
それから二十年の時間が経った。
私はあの田舎にいた。
何故ならあの異父弟が交通事故で亡くなったからその葬式に出席する為だ。
私の父親違いの弟は大学に入ったものの素行不良で退学寸前で、事故にあった日も深夜なのに悪い友達と随分と酷い運転を繰り出し、挙げ句の果てに単独事故で車を大破させ全員死んでしまった。
もう二十年も会っていないが、それでも『血の繋がった弟だから』とこれまた二十年も会っていない兄が養父に連絡してきた。
養父母達から無理に会わなくても良いと言われていたが、一応血縁者だし遺産放棄の話とか一度話さなければならないと思って葬式に出る事になった。
訪問者側の席に座り、遺影で大人になった弟の顔を初めて見た。随分とヤンチャしていた様な柄の悪い姿になっていた。
立ち話をしていた人達によると、どうやら弟の遺体は損傷が酷く包帯でミイラ男の様な姿になっていたとか、かなりヤンチャして他所様に迷惑をかけ過ぎて慰謝料を払い続けたら借金しか残らなくなったとか、長男は奨学金で都会の高校大学一貫校に行ってから暫く帰って来ていないとか、夫婦は毎日の様に弟がああなったのはお前が悪いと喧嘩するとか、あの当時の事を知っていた私には仰天する様な話ばかりだった。
私のお焼香の番となり、前の家族と再開した。
喪主は兄の様で随分と整った顔に草臥れた様子が見えたが、私に気づいたのか目を見開いたが直ぐに頭を下げた。
母親は又従兄弟だった養父と同い年の筈だったが、年齢以上に老け込んでいた。目が窪み黒髪の数を数えた方が早い位白髪まみれて骨と皮の状態で肌の色も健康とは言い難い色だった。
明らかに弟が死ぬ以前の心労が原因だと伺えた。弟が死んだのがショックなのか私が目の前にいるのに気付いていない様子だ。
そして母の再婚相手は……
「何でお前が生きているんだ!!!!」
私の姿を見た瞬間再婚相手は怒りで顔を真っ赤に私の襟首を掴みかかってきた。しかし考えるよりも先に身体が動いて襟首を掴まれていた手を捻り上げて逆に再婚相手を地に伏せた。
護身術として柔道を習って良かったとこの時は心からそう思えた。
あんなにも恐ろしかった再婚相手は私が組み返す程、年老いて弱くなっていた。組み敷かれても私を睨みつけて罵倒する再婚相手の姿を見ても何も感じず、逆に憐れに感じてしまった。
母はやっと私の正体に気付き絶句していた。全く動こうとしない母の代わりに兄が私達の間に入って止めた。
私は葬儀の場を騒がした事を詫び、そのまま葬儀場を出て行った。
帰ろうとした私を引き留めたのは兄だった。
兄は『元気だったか?』『今はどうしている?』と当たり障りのない事を聴き、少しの沈黙の後私に頭を下げて当時の事を詫びた。
私は驚いたが、当時は子供だった兄に出来る事は少なかったと慰めて許した。実際、兄は何時も申し訳なさそうに陰で私を見ていた事を知っていた。昔は恨んではいたが大人になるにつれて兄も兄で苦しんでいた事にやっと気付いたのだ。
大分打ち解けた兄から私が出て行った後の話をしてくれた。
再婚相手が私に虐待をした事は表沙汰にはならなかったが、如何やら私が行方不明になっていた間の母と再婚相手の態度があまりにも親らしくなかった事、私が家が出て行った理由は『精神を病んだ為に親戚の家に静養させている』と嘘を吹聴したそうだが、私が入院している間養父母と母達と家の中で大喧嘩の声が外に漏れていた為、近所からは何があったか色々と察したらしい。(そもそも私への態度が冷淡な事は敏い人には悟っていた)
それからご近所からは母達は避けられる様になった。しかも入院していた時に目元を抑えて出て行った看護師さんが再婚相手の勤めていた銀行のかなりのお得意様の奥様だったらしく、奥様の話を聞いて『子供にそんな事を言わせる様な男がいる銀行に金は預けられない!』と激怒して本当に預金を全額引き出されてしまった。
結果出世街道に乗っていた再婚相手は即刻解雇となり、現在は隣町で小さな工場の安月給の事務をしているそうだ。勿論今までの裕福な生活は送られなくなった。
荒れに荒れまくった再婚相手は母に八つ当たりをしながらも、逆転の希望を我が子に―――異母弟に託した。
私は知らなかったのだが、弟は幼い頃は神童と呼ばれる程頭が良かった。だから弟に金をかけて何とか大手企業に入社させようと両親は弟に大金を叩いて勉強させた。
だけどあまりにも勉強を強要され、勉強以外の一切の自由を制限された弟は、中学受験に失敗して両親に理不尽に怒らたり殴られたのを切っ掛けに、溜めに貯めた鬱憤が爆発。優等生から一気にとんでもないDQNに大変身。
兄も弟の事を心配していたが、今度は兄の方を邪険にし始めた再婚相手達によって寮付きの学校に無理矢理入れられてしまい、それ以降家に帰る事が出来なかった。(長期の休みとかは母方の祖父母の実家に身を寄せていた)
そして今日の葬式の日まで母達とは没交渉状態だった。(何度か金の催促があったらしいが、最初の頃に手切れ金を渡して以来無視していたそうだ)
私せいで人生が滅茶苦茶になってまだ若いのに死んでしまった弟に罪悪感を持ったが、『アイツも随分と好きに生きたんだ。きっと後悔はないだろう。それにアイツ等にもかなりの仕返したしあの世で満足しているだろう』と慰めてくれた。その言葉にほんの少しだけ救われた。
―――兎も角、アイツ等随分とお前の事を逆恨みしているみたいだから帰り道は気を付けた方が良い。
兄からそんな助言を貰った帰り道だった。
何時も通りにとおりゃんせを口ずさみながら駅に向かう途中だった。
後ろから大きなクラクションと周りの悲鳴に思わず振り向いた。目の前には猛スピードで車が私に突っ込もうとしてきたのだ。
避け切れない!! 私は身構えて目を閉じて衝撃を備えた。一瞬、横で何か黒いモノが横切った気がした。
雷の様な大きな音がした。
私はその音に驚いて音がした方へ視線を向けると、其処にはお店の壁に私がぶつかりそうになった車が衝突していて前のフロントから煙が出ていた。私はヘナヘナと腰が抜けてしまい地べたに座り込んだ。
そんな私に周りの人は駆け寄って気遣ってくれた。一体、何故私に真っ直ぐにぶつかろうとしていた車が、私の横にあったお店の壁にぶつかっているのか。
周りの人も私と同じ気持ちだったろだろう。言葉の雨が私に降り注いだ。
『大丈夫ですか!? 怪我は!!??』
『あの車、この人を轢こうしていたわよね!?』
『ああ、スピードも落とさずにこの人を狙っていたな』
『ギリギリになって横にハンドルを切ったよな?』
『私、黒いナニカがこの人の目の前に現れて、それに車が驚いた様に見えたけど……』
『ええ? 見間違いじゃないのか?』
最後の言葉に私はあの黒いヒトではないモノを思い出した。
そして、運転席から引きずり降ろされたのは頭から血を流している母の再婚相手だった。
何か恐ろしい物でも見たのか恐怖の表情のまま顔が固まり、葬式の時に年齢の割に白髪も少なく髪もフサフサだったのに、全ての髪が真っ白で髪も殆ど全て抜け落ちていた。
事情聴取を受けた私は家族の迎えを待っている間、老年の刑事さんと立ち話をしていた。
何時しか話題はあの『とおりゃんせ』に関しての都市伝説についてだ。
「元々はとある事件を基にした作られた話なんですよ」
「事件?」
「私の曾祖母から聞いた話なんですけどね。とある父子がいたんですが、子供の方が野犬に食い殺されてしまって……時代が時代でしたからね。たった一人の子を亡くした父親は気が狂って子供と一緒に歌っていたとおりゃんせの歌を口ずさんで村中を彷徨う様になって、子供を殺した野犬と一緒に山の崖下に死んでたのを野犬狩りをしていた猟師に発見されたと言う訳で。ショッキングな事件でしたから何時の間にかそんな話が出来たでしょうねぇ。まぁ、死んだ子供と同い年だった曾祖母の話では、父は優しい人だったらしいですから子供を殺すなんて事はしないでしょう」
あれから再婚相手は警察に捕まったが、精神が崩壊したらしく檻のある病院に入院している。何かに怯えているのか部屋の隅で震え、時折雄叫びを上げているとか。
母は弟が死に、再婚相手は息子である私を殺そうとして逮捕された挙句に精神病棟に永久入院してしまったせいで一気に認知症になってしまい、現在は老人ホームにひっそりとしているとか。
兄とは季節の挨拶やお中元を贈り合う様になり、少しずつ交流をする様になった。私の家族も兄の家族も幸いな事に良好で、一度家族旅行をしようと約束している。
弟の墓は命日には参る様にしている。殆ど仲良くした記憶はないが、せめて私が死んであの世で再会した時にはゆっくりと話したいと思っている。
そして未だに私が帰り道でとおりゃんせを口ずさむと、黒いナニカに守られている気がするのであった。
老年の刑事の曾祖母が生きていれば、幼かった頃の『私』と死んだ子供の顔が似ている事に驚いた事だろう。