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厄災のユーラシア  作者: もとふ みき
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第十二章 一二二〇年、晩夏 エルサレム(其の一)

第十二章 一二二〇年、晩夏 エルサレム(其の一)


 エルサレムを訪れるのは半年振りになる。前回は冬だったが、寒さは苦にはならなかった。今回は違った。エルサレムへ向かう道中の暑さがこんなにも酷いとは思わなかった。

 メルは周囲を見回した。暑い陽射しを受けて砂と岩の大地が茶色く焼けている。遠くの地平線には陽炎が見えている。陽射しが眩し過ぎて、遠くをじっと見ていると目が痛くなりそうだ。

 見覚えのある荒地を進みながら、メルは前を行くホイヘンスの揺れる背中を見つめた。馬上のホイヘンスの背中には気力が感じられない。その気力の無さは暑さによるものだけではない。

 ホイヘンスは始祖の玉の調査を再開した。立ち直ったかに見えたが、今でも戸惑い、迷いのようなものを持っていた。追い打ちを掛けるように、エルサレムへ出発する直前にドミニクとギヨームの死刑が執行されたと知らせがあった。

 メルにはホイヘンスの辛さが理解出来る。ホイヘンスにとって、命の重みに味方や敵といった区別はない。もちろん、何の罪もない宝石商と家族の命を奪ったドミニクやギヨームをホイヘンスは許していない。それでも、絞首刑が執行されてドミニクとギヨームの命も失われた。その事実にホイヘンスは落胆している。

 そんなホイヘンスを叱り、励まし続けたのはモカだ。エルサレムへ出発する前夜、モカがホイヘンスを慰めているのをメルは偶然に知った。メルがホイヘンスの部屋の前まで行くと、扉が少し開いていた。メルが近付くと、部屋の中からモカの声が聞こえてきた。珍しくモカは怒鳴っていないし、不平も言っていなかった。

 いったいモカは何を話しているのだろう。メルは扉の影で盗み聞きし、思わず驚いた。なんと、モカはホイヘンスを慰めていた。

 あれは先生のせいじゃない、自分を責めるのは良くない、宝石商を殺した連中は絞首刑になって当然だ、あの家族の死を悔やむなら調査を止めてはいけない。そうだろう、先生。

 モカは優しく、辛抱強く話し掛けていた。メルにも思い当たることはあった。ジョンおじさんと二人きりになったあの雨の日からモカは変わった。何が変わったのかはメルも上手く言えない。相変わらず口は汚いし、すぐに怒鳴り散らす。だけど、今までルルクウにしか見せなかった優しい表情を、モカは他の人にも見せるようになった。

 メルにはもっと気掛かりな事があった。メルはイアンが心配で仕方なかった。あの雨の日以来、メルは何度かミシェルに呼び出されていた。ミシェルは浮かない顔で、イアンはどうしたのだと尋ねてきた。

「二等騎士に昇格したというのに、イアンは講義にも訓練にもまったく集中しなくなった。あいつに何か悩みでもあるのか?」

 ミシェルの質問にメルは何も答えなかった。とても答えられるような話ではないからだ。その後、メルもイアンに何度か会った。ミシェル隊長が心配しているとイアンに伝えた。

「そうか、俺は大丈夫だよ」イアンは明るく答えたが、その目は虚ろだった。メルはイアンを励ましたかったが、何を話せばいいのか分からなかった。

 暑い陽射しにメルはうなだれた。気だるく周囲を見回した。何処までも続いている茶色の荒地と照りつける陽射し。何かを考えていても、暑さのせいでしっかりと考えられない。

 メルは溜息を付き、先頭を行くモカとルルクウを見た。モカとルルクウは話をしながら馬を歩かせている。ルルクウが笑った。モカが面白い話でも聞かせているのだろう。ルルクウの笑い声はとても明るく、聞いていて心地よかった。

 あれからも四度、ルルクウは孤児院に遊びに行っている。モカは孤児院に行くのを嫌がるので、メルがルルクウに同行した。ルルクウはブリジットおばさんとすっかり気が合っていた。髪の色も肌の色も違うが、おばさんとルルクウは仲の良い母と娘に見えた。ルルクウは子どもたちとも仲良くなっていた。きっと、たくさんのかわいい妹や弟が急に現れたようなものなのだろう。

 また、ルルクウの笑い声が聞こえてきた。今日のルルクウはよく笑うな、とメルは思った。それも当然かもしれない。明日の昼頃にはエルサレムに到着している。ルルクウにとっては久しぶりの帰郷になる。エルサレムにいい思い出はないのかもしれないが、それでも帰郷はうれしいはずだ。

 その時、後方から地鳴りのような音が聞こえてきた。多くの馬の蹄が乾いた大地を叩く音だと分った。メルは後ろを振り返った。後方からイスラム連合軍の騎馬部隊が近付いている。

 メルたちは交易路から外れて騎馬部隊が通り過ぎるのを待った。二百人程の騎馬兵が隊列を組み、土埃を巻き上げて走り去っていった。騎馬兵は若者ばかりで完全武装していた。

「ダミエッタへ向かう援軍かもしれんな」モカがつぶやいた。

 エルサレムへ向かう途中、イスラム連合軍の騎馬部隊がいくつもメルたちを追い越していった。どの騎馬部隊も少年のようにあどけない若者ばかりで、誰もが緊張した面持ちだった。イスラム連合軍と第五次十字軍の戦いがいよいよ熾烈になっているのだろうとメルはあらためて感じた。

 トリポリ伯国も、イスラム連合軍と第五次十字軍の戦いにいずれ巻き込まれるのだろうか。ボエモン四世の身体に何か起これば、レオネル王子が後を継ぎ、ベルモンドが摂政になる。そうなるとシャルル大司祭もベルモンドを抑えられなくなる。

 そうならないように、僕たちは始祖の玉を早く見つけなければならない。

 

 翌日の昼過ぎ、ホイヘンスたちはエルサレムに着いた。高い城壁は遠くからでも分かった。城壁の中の丘に建てられた多くの建物も半年前と同じ。ひときわ目立つのは、やはり岩の覆いだ。黄金色に輝く円形の屋根が夏の陽光を浴びて眩く輝いている。

 その光景にメルはあらためて感嘆した。ホイヘンスを見ると同じように感嘆している。これで先生もやる気が出ればいいのだが、メルはそう願った。

 メルは後ろのモカとルルクウに振り返った。ルルクウは朝から体調が良くなかった。モカもルルクウを気遣って黙っている。

 四人は城壁を通り抜けてエルサレム市内へ入った。相変わらず人通りが多い。やはり、馬を降りて歩くしかなかった。

 大通りの途中にある公共の水場で四人は二手に分かれた。ホイヘンスとメルはトリポリ伯国の所有する宿泊所へ向かった。モカとルルクウは自分たちの店へ帰っていった。

「明日の朝、私たちは君の店へ行くよ」ホイヘンスはそう言ってモカと別れた。

 宿泊所に着いたホイヘンスとメルは、シャルルから預かった交易商人の証明札を主人に見せた。主人はにっこり笑って見せた。主人はホイヘンスたちを覚えていた。この暑い時期に交易商人はエルサレムに来たがらない、部屋は空いている、好きな部屋を使うといい、主人はそう言った。

 ホイヘンスとメルは半年前に泊まった部屋を借りた。部屋に入った二人は荷物を床に降ろした。ホイヘンスは手早く荷物を出しては整理している。その後ろ姿は少し元気そうに見える。どうやら、エルサレムに着いて先生はやる気を出したようだ。

 一方で不安もある。オーギュストに直接会う、という先生の考えは分かるし、それが始祖の玉の謎を解き明かす近道になるかもしれない。けれども、オーギュストの手下はドミニクやギヨームのような連中ばかりだろう。相当な危険が伴うに違いない。


 その頃、モカとルルクウは店へ向かって馬を曳いて歩いていた。近付くにつれて周囲の建物は薄汚れ、街角に立つ男たちは一癖も二癖もありそうな連中ばかりになっていった。窓辺の奥で手招きする女たちもまともじゃない。それでも、半年近くも離れていると、いかがわしいこの通りでさえ懐かしく思えるから不思議だ。

 突然、一緒に歩いているルルクウの足が止まった。

「どうした、ルルクウ?」モカは心配そうに尋ねた。ルルクウは朝から調子が悪かった、酷い頭痛がすると言っていた。

 ルルクウは何も答えない。モカは怪訝に思いルルクウの顔を見た。モカは驚いた。ルルクウは怯えている。恐怖に襲われたように目を見開き、立ちすくんでいる。

「ルルクウ、いったいどうした?」そう言ってモカは気付いた。「まさか、また見えたのか?」

 ルルクウはゆっくりと、恐る恐るに頷いた。今にも泣きそうな顔になっている。

「ルルクウはここにいろ、俺が戻るまで動くなよ」モカは馬に飛び乗った。モカは通りの奥へ向かって馬を走らせた。

 通りに座り込んでいる酔っぱらいや客引きの女たちが、勢いよく走って来た馬に驚いた。女の一人は馬に乗っているのがモカだと気付いた。女はモカの後を追って走り始めた。

 通りの突き当りまで来たモカは馬を止めた。モカは茫然としたまま馬をゆっくりと降りた。店は無残にも焼け落ちていた。焼け落ちてからかなり月日が経っている。モカは焼け跡に近付いた。焼け具合や煤の拡がりから、煉瓦造りだった店なのに激しく燃えたのが分かった。

こうした焼け跡にモカは覚えがある。モカは第四次十字軍の時に油を撒いて家々に火を放った。それとまったく同じように店は激しく焼け落ちていた。

「モカ、何処に行っていたのさ?」不意に背後から女の声がした。

 モカが振り向くとシルビアが立っていた。ここまでずっと走って来たのか、シルビアは太った身体を上下して大きく息をしている。

 シルビアは幼い頃のルルクウとよく遊んでくれた。誰もがルルクウを嫌っていたが、シルビアだけはルルクウの面倒を見てくれていた。そうした繋がりで、モカとシルビアは今でも親しくしていた。もちろん、モカはシルビアの客になったことはない。

「シルビア、いったい何が起きた?」モカは尋ねたが、シルビアの向こうにルルクウが立ちすくんでいる姿を見つけた。

 ルルクウは放心したようにふらふらと歩いてくる。右手に持った手綱で曳かれる馬もゆっくりと歩いている。ルルクウの目は大きく見開き、視線は焼け落ちた店をじっと見つめている。

「ルルクウ、待てっ」モカが慌てて声を掛けるとルルクウは立ち止まった。ルルクウはモカをゆっくりと見つめた。モカの顔を見つめ、ルルクウは我に返った。

「いやっ、いやよ!」我に返ったルルクウが絶叫した。目の前の現実を理解出来ない、いや、理解したくない叫びだ。

 モカはルルクウに駆け寄り、震える身体を抱きしめた。ルルクウはまだ叫び続けている。

「私を見つめるのは誰?あなたはいったい誰なの?」ルルクウは意味不明な言葉を叫んでいる。見つめるのは誰?モカは戸惑った。ルルクウは今までそんな言葉を口にしたことがない。それとも、新たな何かが起きようとしているのか。

 ルルクウの叫びが突然に止まり、足元ががくんとふらついた。ルルクウは気を失っていた。

「何処か、ルルクウを休ませる場所はないか?」モカはシルビアに言った。早くルルクウを横にして休ませなければいけない。

「私の部屋しかないけど、嫌じゃないかい?」

「構わない」モカはそう言い、少し間を置いてからありがとうと付け加えた。

 シルビアは驚いた。モカが礼を言うなど初めてだ。シルビアはモカを不思議そうに見つめた。

「さあ、早く運ぼう」シルビアの視線に気付いたモカは苛立たしく言った。


 シルビアは売春宿のマダムに何とか話を通してくれた。モカは、マダムからてっきり断られるかと思っていたから意外だった。マダムはルルクウを嫌っているからだ。

 マダムだけではない、この通りに長く住む連中はルルクウを昔から嫌っていた。ルルクウに自分の行く末を見られたくないから、誰もがルルクウを避け、忌み嫌っていた。

 こんな掃き溜めのような場所に住んでいれば幸せな行く末など訪れるはずがない。それは誰もが分かっている。それでも、他人から自分の行く末の不幸など聞きたくない。聞いてしまえば、僅かでも残っている希望が消えてしまう。

 モカもマダムが嫌いだった。だから、礼など言わなかった。モカはルルクウを両腕に抱えて売春宿にずかずかと入っていった。いつもは大広間に集まっている女たちは、ルルクウが運ばれて来ると聞いて自分の部屋に隠れていた。

「こっちよ」シルビアがモカを自分の部屋に案内した。シルビアが商売で使っている部屋は思ったよりも小奇麗だ。何も物がない、と言うのが正しいかもしれない。煉瓦に漆喰を塗った薄茶色の壁にはところどころに削れたような跡がある。酔った客が何かを投げつけたのか、それとも値段が合わずに何かを持って喧嘩でもした跡なのか。

 汗のすえたような匂いのするベッドにモカはルルクウをそっと横たえた。シルビアは窓を大きく開けて外の空気を入れた。ルルクウの呼吸はもう落ち着いている。モカはルルクウの額に優しく手を当てた。汗はすっかり引いており、熱も出ていない。

 モカとシルビアはベッドの端に並んで座った。

「いったい何があった?」モカはシルビアの横顔を見ながら尋ねた。部屋の隅をぼんやりと眺めていたシルビアは振り向いた。

「あんたは何も知らなかったのかい?」シルビアはそう言い、また部屋の隅に視線を戻した。首を横に振りながら話し始めた。「三カ月前の夜遅く、あんたの店は襲われたのさ。外で客を捜していた娘が見ていたよ、十字軍の紋章を背中に付けた十人くらいのヨーロッパ系の連中だったらしい」

 モカは身体を固くした。「十字軍の紋章?それは黄色の服に赤い十字軍の紋章か?」

「そこまでは私も知らないよ、私の知っている話はまた聞きだしね」シルビアはそう言ってやるせないように溜息を付いた。「その数日前に、緑色に輝く玉を知らないか、玉を輝かせる娘は何処だって、危なそうな連中が聞き回っていたらしい。玉の話の出所はアブーさ」

「アブーが、なぜだろうな?」モカは独り言のように言った。

「それは知らないよ。あの玉は金になるって言い、誰かれ構わず金を無心していたそうだよ」

 モカにも事情が分かりかけてきた。輝く翡翠の玉に興味を持っていたメルを連れてきたアブーに、モカは借金の半分を帳消しにしてやった。それで、アブーは翡翠の玉に高価な値打ちがあると思い込んだのだろう。

「アブーの奴、見つけたらぶん殴ってやる」モカは腹立たしく言った。

「それは無理だよ」シルビアが吐き出すように言い返した。「アブーは、あんたの店が襲われる数日前に殺されていたよ。身体中が赤黒く腫れ上がっていたらしい」

「自業自得だな。それで、ティムたちはどうした?」

「焼け跡から見つかった、ジャミトもムスタージもね。かわいそうに、三人とも首を斬られていたそうだよ」シルビアは祈るように両手を組んだ。

 モカはティムたちを殺した連中に強い憎しみを持った。同時に、ルルクウが心配になった。エルサレムに連れて帰るべきではなかった。それに、気になることがある。トリポリ城ではルルクウの不思議な能力は嘘のように消えていた。それがまた戻ってきた。今朝から頭が痛いと言っていたのも、その予兆だったのかもしれない。

 しばらくしてルルクウは目を覚ました。モカは安堵した。トリポリ城の正門で倒れた時のように、一晩過ぎても目を覚まさなかったらどうしようかと心配していた。

 目を覚ましたルルクウはシルビアがいるのに驚いた。ルルクウはシルビアの名を呼び、安心したように微笑んだ。小さかったルルクウに優しくしてくれた大人は少ない。その少ない大人の中でも、シルビアはとてもルルクウに優しくしてくれた。

 モカは、シルビアから聞いた話をルルクウに伝えた。嘘でしょ、嘘よね、ルルクウは涙をぽろぽろと流した。ルルクウは父親との思い出の店も失くしてしまった。モカには慰めの言葉もない。

 ここにいても危険だ、モカはルルクウを連れてトリポリ伯国の宿泊所へ行こうと決めた。他に安全と思える場所は思い当たらない。このままここにいれば、シルビアの商売の邪魔になる。

「ありがとう、シルビア。もう行くよ」

「いいさ、それより行く当てはあるのかい?」シルビアが心配して聞いた。

 何とかなるさ、モカはそう答えた。何処へ行くかはシルビアには何も言わなかった。「俺たちの行先を知れば、お前も危ない目に遭うかもしれない」

「そうね、あんたたちも気を付けなよ」シルビアはモカとルルクウを順番に抱きしめた。

 モカの心は痛みを感じていた。行先を告げなかったのはシルビアのためではない、モカはシルビアさえ信用していない。モカはそうした自分に虚しさを覚えた。これまではルルクウを守るために誰も信用しなかった。人を信用するなど愚かな行為でしかないと考えていた。それなのに、今はルルクウを守るために誰も信用出来ない自分がとても悲しかった。


 夕暮れが近付き、ホイヘンスとメルは食事に出かけようとしていた。宿泊所の一階が騒がしくなった。怒鳴り声が聞こえた思ったら、階段を勢いよく駆け登ってくる足音がした。ホイヘンスたちの部屋の扉が弾けるように叩かれた。

「先生、モカだ。部屋に入れてくれ」そう言いながら、モカは扉を勝手に開けた。モカの後ろには疲れ切った表情のルルクウもいる。さらに後ろには不満そうな顔をした宿泊所の主人がいる。

 この二人は私の知り合いだから勘弁してあげてほしい、ホイヘンスは主人に丁寧に謝った。主人はまだ不満そうだったが一階へ降りていった。

 メルは扉を閉めた。モカとルルクウはベッドに並んで腰かけた。モカはともかく、ルルクウの様子が変だ。表情は強張り、顔色は青ざめている。

 ホイヘンスは向かい合わせのベッドに腰かけた。メルは窓際に立った。二人が急いで来たのは何かが起きたからに違いない。事情は分からないが、そうであれば外の様子を見張っておこうとメルなりに考えていた。

「いったいどうした?」ホイヘンスが尋ねた。

 モカは説明した。翡翠の玉を輝かせる娘を捜している連中がいる、背中に十字軍の紋章のある服を着ている、宝石商を殺したのと同じ連中だ、そいつらに店は焼かれた。ティム、ムスタージ、ジャミトは首を撥ねられていたそうだ。

 モカが話している横で、ルルクウは両手で顔を覆って泣き始めた。また犠牲者が出たのか、泣き続けるルルクウの姿にメルも心が痛んだ。ホイヘンスも沈痛な表情をしている。

「店が焼かれたのは三カ月前だと言ったね」眉をひそめたホイヘンスが意味ありげに聞いた。モカはゆっくりと頷いた。

「そう、おそらく先生の考えているとおりだ。連中は、俺とルルクウがトリポリ城にいるのをムスタージたちから聞き出して殺したに違いない」

 モカはホイヘンスとメルを交互に見ながら続けた。「それからは、エルサレムからトリポリ城へ入る巻物を盗み見していたのだろう。それで、先生とハイサムのやり取りを見つけた。先生が翡翠の玉を集めているのを知った。宝石商を脅して罠を仕組んだ。まあ、そんなところだろう」

 ホイヘンスも自分の考えを確かめるように頷いている。沈痛なホイヘンスの面持ちがさらに沈痛さを増している。

「私たちはこれからどうしたらいい、トリポリ城に戻るべきだろうか?」ホイヘンスが恐る恐るモカに聞き返した。

 モカの表情が険しくなった。「戻るだって?始祖の玉の手掛かりを見つけるためにエルサレムに来たんだ。店を燃やしたのもオーギュストの手の者に違いない。当初の予定どおりにオーギュストに会えばいい。いいや、俺は何としてもオーギュストに会う」

 ホイヘンスは黙って俯いたままだ。モカは苛立たし気に舌打ちした。「お前はどうだ、メル。このまま何も分からずに終わらせたいのか?」モカはメルに尋ねた。

 メルはどう答えればいいのか分からない。始祖の玉は見つけたいし、自分が禁忌の玉を輝かせた理由も知りたい。だけど、あまりにも多くの人が死んでしまっている。このままでは、これからも犠牲者は出るだろう。

「僕だって始祖の玉を見つけたい。禁忌の玉を輝かせた謎も解きたい。でも、これ以上人が死ぬのはどうなのかと思う」

 モカは苛立つ心を落ち着かせるように大きく息をした。モカはルルクウにも尋ねた。「ルルクウはどうだ?もう終わりにしたいか?」

 ルルクウは俯いていた。やがて、顔を上げて静かに首を横に振った。「私はすべてを失った。だから、私は知りたい。どうして禁忌の玉を輝かせられたのか、どうして人の行く末が分かるのか、どうしてこうなったのか。先生、メル、ごめんなさい、私は知りたいの・・・」

 ホイヘンスは驚いて顔を上げた。メルも驚いた。

「今朝になって、以前と同じような感覚が戻ってきたの。それに、誰かに見られているみたいで今も怖い。でも、これが私の運命なら受け入れる覚悟はあります。だから私は知りたいの。どうしてそれが私なのかを、知りたいの」

 モカも、ルルクウがここまではっきりと自分の考えを言うとは思っていなかった。モカはあらためてルルクウとの約束を思い出した。

「先生、聞いてくれ」モカはホイヘンスとメルに呼び掛けた。「連中は俺たちをすでに知っている。先生が終わらせたくても、連中は終わらせてはくれない。これからも連中は襲ってくる。トリポリ城に戻っても追い掛けてくる」

 ホイヘンスは俯いたままだ。

「そもそも、十字軍の遠征がなぜ始まったのか思い出せよ。永遠の命を捜すためと言いながら、百二十年も殺し合いは続いているんだ」

 メルはモカの顔をじっと見つめながら聞いている。

「十字軍の連中は真相も知らないまま死んでいく。何のために戦っているのかも知らずにな。それに付き合わされて死んでいくイスラムの人々も哀れだよ。だがな、俺たちは真相を知っている。俺たちは何のために戦い、殺し合い、死ぬのかを知っている」モカは冷たく言った。

 ホイヘンスもメルも黙ったままだ。

「ボエモン四世が長生きしないとトリポリ伯国は危うくなる。始祖の玉を早く見つけないと、トリポリ伯国でも多くの人々が戦いに巻き込まれて死ぬ。多くの女や子どもが殺されるんだ。先生の自分よがりの罪の意識のために殺されるんだ」

 ホイヘンスは自分自身を恥じていた。私は知りたい、ルルクウはそう言った。そうだ、それこそが私が生きている理由だ。ホイヘンスが顔をすっと上げた。一度俯き、また顔を上げた。「分かった、つまりは覚悟の問題だね」

 モカは頷いた。「じゃあ、これで決まりだな」モカはホイヘンスに呼び掛けた。ホイヘンスは小さく頷いた。

 メルもモカに頷き返した。僕もルルクウと同じだ、僕も知りたい。それに、おじさんとおばさんの孤児院を守りたい。

「それで、これからどうするね、先生?」モカはホイヘンスに尋ねた。

「もちろん、オーギュスト伯爵に会いに行こう」

 モカはにやりと笑い返した。その目は笑っていない。モカの目は殺意に満ち溢れていた。


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