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厄災のユーラシア  作者: もとふ みき
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第十章 一二二〇年、初夏 メッシナ(其の一)

第十章 一二二〇年、初夏 メッシナ(其の一)


 地中海はどこまでも青い。波間には陽の光がきらめいている。ここはシチリア島のメッシナ、初夏の朝の明るい陽光が降り注いでいる。町から離れた岬には聖アントニオ教会が建っている。この教会は、シチリア島では最も古い教会として知られている。

 修道士エウジニオ・ペルディサは教会の小窓から顔を出した。教会が建つ岬の下には広い磯場が見えている。磯場には大きな波が押し寄せている。白い波しぶきがいくつも跳ね上がっている。昨夜より風は強くなっている。波のうねりも高くなり始めている。雨雲は見当たらないが、昼過ぎには天候は悪化しそうだ。

 エウジニオはメッシナの港を見た。交易船が二十隻くらい停泊している。大きなうねりのために交易船は上下にゆっくりと揺れている。どの交易船もすでに帆を降ろしている。当然だ、嵐が近付いているのは誰も分かっている。こんな日に出航でもすれば神のご加護はとても得られない。乗組員は積み荷と一緒に海の藻屑になるしかない。エウジニオは思わず胸に十字を切った。

 下の磯場から吹き上げるような風が舞った。とても酷い匂い、吐き気を催すような匂いがした。エウジニオは我慢しきれず小窓を閉めた。

 腐った匂いは磯場に棲息している貝やカニの死骸が放つ腐臭だ、とカペリ司教は言っていた。それは本当だろうか?自分もよく磯場には降りてみる。それでも、カニの死骸などあまり見ない。どの貝が死んでいるのかさえ分からない。

 小窓を閉めると酷い匂いは薄まった。祭壇で焚いている香の匂いのおかげで和らいでいる。エウジニオは祭壇の奥にある司教の部屋へ向かった。教会の壁を彩るいくつものステンドグラスに朝の陽光が透けている。赤色や黄色、青色に緑色の美しい光を教会の床に映えさせている。

 エウジニオは足を止め、その輝きに見入った。いくつものステンドグラスから光溢れる彩色が放たれ、それらが調和しながら美しく輝いている。

 これこそイエス・キリストが導かれる世界だとエウジニオは歓びを感じた。世界には様々な人々がいる。身体が小さな者もいれば大きな者もいる。力の強い者もいれば頭の良い者もいる。それでも、イエス・キリストの教えを守れば誰でも美しく輝きながら生きられる。

 それなのに、とエウジニオは口を尖らせた。それなのに、世界にはイエス・キリストの教えを信じない者もいる。残念だが事実だ。この事実は正さなければならない。心配ない、今は第五次十字軍が不信心な者たちを罰してくれている。

 第五次十字軍はイスラム連合軍の本拠地カイロを攻略しようと侵攻している。現在はカイロに通じる港町ダミエッタを攻撃している。その兵力は十万人を超えている。ハンガリーの王アンドラージュ二世とオーストリアの王レオポルト六世が派兵した騎士や民兵だ。

 ダミエッタはカイロ攻略のための重要な拠点となる。しかし、第五次十字軍はダミエッタ全域を占領するには至っていない。噂では、ローマ教皇庁から派遣された教皇使節ペラギウスが第五次十字軍の指揮権を要求し将軍たちと対立、そのため攻撃の勢いが弱まっているらしい。

 エウジニオは憤っていた。教皇使節は教皇代理の権限を持つ。それなのに、ペラギウスへの指揮権の譲渡に将軍たちは反対している。まったく言語道断の愚かな行為でしかない。

 エウジニオも、来月にはテンプル騎士団の一員として地中海を渡る。テンプル騎士団には二カ月前に入会した。カペリ司教は反対したが、エウジニオの決意は揺るがなかった。

 エウジニオはダミエッタには行かない。エウジニオは修道騎士ではないため戦場では戦わない。エウジニオは、テンプル騎士団の資産管理の要員としてクラク・ド・シュバリエに向かう。

 本当は戦場に出てみたい、とエウジニオは密かに願っている。もちろん、エウジニオは剣など扱えないが、強い信仰心がある。剣は身体を貫くだけだが、信仰心は心を貫くと考えている。

イスラム連合軍の野蛮な兵士にイエス・キリストの教えを説いてみせよう。奴らはさぞや驚くはずだ。そう考えるだけでエウジニオの胸は高まる。

「私は聖書を手に持ち、押し寄せるイスラム連合軍の凶暴な軍勢の前にたった一人で立ち塞がる。私はイエス・キリストの教えを声高々に説く。私の教えにイスラムの兵士は涙を流し、剣を投げ捨てて懺悔する。第五次十字軍のすべての将兵は私をダミエッタの奇跡と呼ぶだろう」

 ステンドグラスの彩色の輝きに包まれ、エウジニオは自身の夢に酔いしれていた。


 エウジニオが自らの活躍を夢見ている時、フランコ・カペリ司教は自分の部屋で昨日までのローマへの旅を振り返っていた。その旅は、バチカンのローマ教皇庁からの招待だった。カペリは、シチリア島西部の司教区の代表としてラテラノ宮殿へ招かれた。

 この数年、ローマ教皇庁はヨーロッパ各地の司教区を監督する立場にある司教をラテラノ宮殿に招いている。もちろん、招くからには目的がある。目的は、キリスト教の最高指導者はローマ教皇であり、ローマ教皇には絶対的な権威があるという事実を徹底して認識させることだ。

 なぜ徹底して認識させなければならないのか。ローマ教皇庁にはそうしなければならない切迫した理由があった。それは、ローマ教皇の絶対的な権威の揺らぎだった。

 人々の信仰と生活の基礎となっていたキリスト教の教義。その教えを説くのはヨーロッパ各地の司教だが、ほぼすべての司教はローマ教皇と会ったこともない。ローマ教皇は有名無実の存在だ。司教が説く教えはローマ教皇の言葉ではなく、司教自らの言葉になっていた。

 さらに、ローマ教皇の呼び掛けで始まった十字軍の存在が、皮肉にもローマ教皇の絶対的な権威を揺るがせてもいた。百二十年前に第一次十字軍は聖地エルサレムを奪還した。しかし、三十年前にイスラム連合軍の激しい反撃によりエルサレムはイスラム教徒に奪い返された。エルサレムを再び奪還するため、新たに編成された十字軍がいくつも遠征した。それなのに、いつまで経っても十字軍はイスラム連合軍には勝てない。この事実がヨーロッパの山奥の小さな村々にまで知れ渡っていた。

 ローマ教皇の力にも限界があると人々は思い知った。それだけであればまだ良かった。人々は、ローマ教皇も所詮は人間であり、その権威はお飾りでしかないと認識し始めていた。

 十字軍の相次ぐ敗退は、ヨーロッパの経済を揺るがせてもいた。ヨーロッパ各国は、これまで十字軍の遠征に拠出した莫大な資金が足枷となり財政が大きく悪化していた。財政を立て直すため、多くの国では国民に重税を課していた。その重税が国民を貧困へ追い込んでいた。

 特に、農村では絶望的なまでに貧困が蔓延していた。農民の反乱や逃亡が各地で頻発していた。税の徴収は増えるどころか減る一方で、各国の財政はますます悪化していった。

 ローマ教皇が十字軍への派兵を呼び掛けても、多くの国では派兵する余裕はない。どうせ派兵するなら隣国へするのが良いと考える王も少なからずいた。隣国へ攻め入り領地を拡げれば税の徴収は増える。略奪により資産も増える。破綻寸前の国の財政を立て直せられる。実際、隣国へ攻め入り、戦争を始めた国もある。

 こうした疑心と混乱がローマ教皇を追い詰めていた。ローマ教皇庁にとって、ローマ教皇の絶対的な権威の復活は急務だった。そのために取り組んだのが司教に対する指導の強化、ローマ教皇の絶対的な権威に対する盲目的な崇拝の徹底だった。ローマ教皇庁はヨーロッパ各地の司教をバチカンへ招き、壮麗なラテラノ宮殿においてローマ教皇に謁見させる儀式を始めた。

 いざ始めると、この謁見の儀式はローマ教皇庁の期待を上回る成果を収め始めた。ローマ教皇を拝謁した司教は、それぞれの司教区へ戻りローマ教皇の権威に触れた栄誉を人々へ教えた。ローマ教皇の権威に触れた自らを高貴な聖職者として人々に称えさせた。ローマ教皇から拝聴した教義を高らかに、誇らしげに人々へ説いた。ローマ教皇庁の思惑通り、ローマ教皇の絶対的な権威は復活し始めていた。


 カペリ司教はローマに三泊四日の滞在をした。メッシナからは往復で一カ月近くの旅だった。カペリを含めてヨーロッパ各地から三十名の司教が招かれていた。

 ローマに到着した一日目の夕方、カペリはバチカンの教皇領にある宿泊所へ案内された。何の変哲もない質素な建物だが、一人一人に個室が用意された。十分な質と量の食事が支給された。

 カペリには余分な持ち金はなく、ローマに来たからといって贅沢は出来なかった。それに、金を持っていてもカペリは贅沢する気もなかった。ローマの偉大な歴史に触れ、ぐっすりと眠れる寝床と空腹を凌ぐ食事があればそれで良かった。

 二日目の午前、三十名の司教はラテラノ宮殿へ招かれた。ローマ教皇を拝謁するためだ。

 三階建ての巨大なラテラノ宮殿の壮麗さにカペリは圧倒された。ローマのような大都市でもこれ程に立派な建物は他にない。カペリはローマ教皇の絶対的な権威をさっそく思い知った。

 ラテラノ宮殿の大広間、そこにはイエス・キリストの生涯を描いた巨大な絵画が何枚も飾られている。大広間の奥には使徒座と呼ばれる重厚な造りの椅子が置かれている。使徒座にはローマ教皇だけが座れる。

 純白の教皇服を着たローマ教皇は使徒座にゆったりと座っていた。ローマ教皇の胸には黄金色に輝く十字架の首飾りが高貴な輝きを放っていた。

 使徒座の左右には、ローマ教皇への助言者でもある司祭枢機卿がそれぞれ五名ずつ並んでいた。司祭枢機卿の服は漆黒のような黒色だ。その胸には銀色に輝く十字架の首飾りが飾られていた。

 純白のローマ教皇と左右に立ち並ぶ漆黒の司祭枢機卿たち。その姿は、言葉では言い表せないくらい荘厳さに溢れていた。

 カペリたちは順番にローマ教皇の座る使徒座の前まで進み、両膝を床に付いてひれ伏した。ローマ教皇はひれ伏した司教の顔を上げさせ、名前を尋ねていた。

 カペリの順番になった。カペリは使徒座の前まで進み、ゆっくりとひれ伏した。同じ人間だと分かっていてもローマ教皇の顔を直視出来なかった。

「顔を上げられよ」ローマ教皇の透き通った低い声が聞こえた。顔をうやうやしく上げたカペリに向かって、ローマ教皇は名前を尋ねた。

「シチリアのメッシナにあります聖アントニオ教会の司教、フランコ・カペリでございます」

 ローマ教皇はゆっくりと頷いた。フランコ・カペリ、フランコ・カペリと二度ほど名前を繰り返して口にした。

 ローマ教皇はカペリに優しく言った。「フランコ・カペリ司教、そなたがイエス・キリストの教えを唯一の教えとし、イエス・キリストの代理者である私に従う事を望みます」

 ローマ教皇は右手をカペリに向かってそっと伸ばした。ローマ教皇の皺だらけの右手をカペリは両手で支え、その手の甲に思わず口づけした。

 ローマ教皇は優しく微笑んだ。「そなたと私はもう旧知の間柄、私はそなたを忘れません」

 カペリの全身を悦びが駆け抜けた。ローマ教皇に仕える悦びだ。カペリはローマ教皇の右手に自分の頬を愛おしく当てた。

 神々しいローマ教皇の面立ちと友愛に満ちた言葉にカペリ司教は感動していた。周りを見れば、涙を流している司教も大勢いた。


 カペリが拝謁したローマ教皇は、ホノリウス三世だ。ホノリウス三世は一一四八年にローマの貴族の家に生まれた。出生時の名前はチェンツィオ・サヴェッリといった。

 サヴェッリは家を継がずに聖職者の道を歩んだ。聖マリア・マッジョーレ大聖堂の司祭を経て、一一九三年に助祭枢機卿に任命された。

 聖職者である一方、サヴェッリは文才でもあった。多くの貴族の子弟の家庭教師も務めていた。後の神聖ローマ皇帝となったフリードリッヒ二世の家庭教師も務めていた。

 一二〇〇年、サヴェッリはローマ教皇イノケンティウス三世により司祭枢機卿へ昇格した。そのイノケンティウス三世が一二一六年に逝去した後、コンクラーヴェと呼ばれる選挙によりサヴェッリは第一七七代のローマ教皇に選出された。

 ローマ教皇となったサヴェッリは、自らをホノリウス三世と名乗った。ホノリウス三世は、かつてのような秩序あるヨーロッパ社会の再生を目指した。キリスト教による教義と厳格な規律が支配する社会だ。そのためにも、十字軍によるエルサレムの再奪還、イスラム連合軍への完全なる勝利は成し遂げなければならない。

 ホノリウス三世は、先代イノケンティウス三世はもちろん、グレゴリウス八世、エウゲニウス三世、ウルバヌス二世といった数代前のローマ教皇と同じく、エルサレムの再奪還に強い決意で臨んだ。その一方、ホノリウス三世は過去のローマ教皇が犯した過ちを繰り返すつもりはなかった。

 ホノリウス三世は十字軍の再編成を進めた。これまでは参戦する各国の王がそれぞれ持っていた指揮権をローマ教皇に集約した。十字軍は、名実ともにローマ教皇の軍となった。


 カペリは、自分と同様にローマ教皇庁から招待された各地の司教とも交流した。それぞれの教会の美しさを称え合い、それぞれの郷土の風光明媚な風景や特産物を自慢し合った。

 カペリは、一日目の夕食で席が隣同士となったベルトラン・ジャブイエという中年の司教と特に親しくなった。ジャブイエはフランス北部のブレストという港町から訪れていた。お互いの教会が港町にあると分かり、二人は最初から親近感を覚えていた。

 ただ、性格的には二人は正反対だった。朗らかで包容力のあるカペリと寡黙で近寄りがたいジャブイエ。周りから見れば、二人の気が合うとはとても思えなかった。それでも、不思議にも二人の気は合った。

 ローマ教皇を拝謁した後、カペリとジャブイエはローマ市内の教会を見て歩いた。聖ピエトロ大聖堂、聖マリア・マッジョーレ大聖堂、聖パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂、聖マリア・トラステヴェレ大聖堂。名のあるある教会も、名も知れぬ教会も、歴史と威厳を備えていた。

 二人はローマ帝国時代の遺跡も見て歩いた。コロッセオ、フォロ・ロマーノ、チェチリア・マデッリ墓、ディオクレティアヌス浴場、コルネリウス・バルブス劇場。二人は千年以上も前に建てられた数々の建造物に圧倒され感動した。

 三日目の夕食にもなると、カペリとジャブイエの会話は社交辞令だけでは済まなくなっていた。他の司教は夕食を終えてそれぞれの部屋に戻り、給仕の者もすでに帰っていた。食堂に残ったカペリとジャブイエは、お互いの司教区について悩みや苦労を話し合った。

カペリは、メッシナの人々の信仰心が希薄になっている現実を嘆いた。

「メッシナは交易で栄えてきた港町です。今は地中海の沿岸にある諸国と活発な交易が行われています。交易自体は私にも異論はない。人々の暮らしは良くなり、教会への献金も増えています」

 カペリの話をジャブイエはじっと聞いている。

「ですが、最近は教会を訪れない者が増えています。彼らの関心はお金です、金儲けに夢中になりすぎている」

 カペリは溜息を付いた。「イスラム諸国と交易を始めた商人もおります。あろうことか、イスラム教の交易商人をメッシナまで招待している。信じられますか、十字軍がイスラム連合軍と戦っているこの時にですぞ」カペリは興奮気味に話した。

「イスラムの交易商人はメッシナで騒動を起こしたりしているのですか?」ジャブイエは尋ねた。

 カペリは首を左右に小さく振った。「まさか、騒動など起こしません。とても礼儀正しいです。ですが、イスラム教の者たちです」カペリは、いかにも悩ましいという具合に顔をしかめた。

 ジャブイエは不思議に思った。交易によりメッシナの人々の暮らしは良くなり、平和に暮らしている。イスラムの交易商人は礼儀正しく騒動も起こさない。いったい何が不満なのだろうか。

 フランス北部では、十字軍の友軍であるイングランドの兵士が村々を襲い、人々を殺戮した。経済は疲弊し交易も出来ない。人々の暮らしは貧しく、友愛も道徳も失われている。人々はキリストの教えに救いを求めようともしない。

「交易で豊かになり、人々が平和に豊かに暮らせる。そうであれば、イスラムとの交易も許されるはずです。キリスト教徒が幸せを得るために与えられた恵みの一つと考えればいいのです」ジャブイエは静かに言った。

 カペリは驚いた。ジャブイエの言葉はメッシナの交易商人の言葉と同じだ。イスラムとの交易を行っている交易商人が言い訳がましく言っている言葉だ。まさか、同じ言葉を自分と同じ聖職者から聞かされるとは思ってもいなかった。

 考え込むカペリへジャブイエが質問した。「メッシナでは行き倒れて死ぬ者はおりますか?」

 いったい何が知りたいのだろう、怪訝に思いながらもカペリは答えた。「いいえ、食物は何処にでもありますし、困った者がいれば皆で助けます」

 ジャブイエは天井を仰ぎ、静かに話し始めた。「フランス北部の沿岸地帯は湿地です。作物は育ちにくい。ここ数年は春から夏にかけて長雨が続き、根腐れがひどく麦は実りませんでした」ジャブイエは薄暗い食堂の壁を見ながら話している。「司教区では食物が年中不足しています。農民は青白く痩せています。子どもの多くは三歳になるまでに死んでしまいます」

 ジャブイエはフランス北部の貧困の実態を事細かに話した。その話にカペリは驚いた。聞いている内に、ジャブイエが大袈裟に言っているのだろうと疑った。

 カペリが疑うのも無理はない。シチリアでは作物が豊かに実る。海では魚が豊富に獲れる。農民も漁民も贅沢は出来ないにせよ幸せに暮らしている。子どもたちは地中海の明るい陽光の下で元気に遊び育っている。老人たちは家族に囲まれて穏やかに余生を過ごしている。

曇天に冷たい北風が何日も吹くフランス北部の夏など、カペリには想像すら出来ない。

「それならば、領主は一時的にでも税を低く抑えてやるべきでしょうね。いや、そうすべきです」カペリはもっともらしく言った。

 そう言いながら、フランスでは領主が農民を抑圧しているという話をカペリは思い出した。その話は、第五次十字軍に参加するためにメッシナで輸送船を待っていたフランスの農民が、聖アントニオ教会を訪れた時に教えてくれた。

「俺は重税から逃れるために十字軍に志願しました。家族は病気で死んだ。もうフランスには戻りたくない。エルサレムから宝を持ち帰り、何処かで贅沢に暮らしたいです」哀れなくらいに痩せ細った農民はそう話していた。

 その時も、カペリは農民が大袈裟に話しているのだと思っていた。今、ジャブイエからも同じような話を聞いた。フランスの農民の貧困は本当らしいとカペリも考え始めていた。

「それ程に酷い状況であれば、いよいよあなたの教会は重要です。イエス・キリストの教えに希望を求めて農民はやって来るはずですから」カペリは励ますように言った。

 ジャブイエはカペリの励ましに素直に感謝した。同時に、カペリには自分の心の内など分かるはずもないと諦めを感じていた。

「そうですね、信仰とはいったい何のためにあるのでしょうか?私は、そのようなことを時折考えてしまいます」

 司教区の教会を巡回してミサを執り行う時、ジャブイエは無力感に襲われていた。痩せ細った身体に擦り切れた服を着た多くの農民を前にして、神の教えと信仰の悦びを説く自分に偽善を感じた。いくら祈っても彼らの暮らしは一向に良くならない。いくら祈っても、彼らの赤子は生まれてすぐに死んでしまう。

 ジャブイエも農民の家に生まれた。子どもの頃から満足に食事をした記憶はない。小さなジャブイエを一人だけ残し、家族全員は流行り病で死んでしまった。今の教会に拾ってもらわなければ、きっと幼いジャブイエも野垂れ死にしていた。幼いジャブイエはそれでも良いと思っていた。生きる苦しみから解放されるなら構わない、死こそが神の慈悲だと考えていたくらいだ。

 だから、ジャブイエには農民の気持ちがよく分かる。農民は教会へ希望など求めていない。彼らは貧困と重税から逃れるため、天国へ導かれたいがために教会を訪れている。農民にとって祈りは希望ではない、現世への諦めでしかない。

 そうした考えをジャブイエはぽつりぽつりと語り始めた。カペリは気が気ではなかった。それは、ローマ教皇庁の招きで集まった司教が、バチカンの教皇領にある司教用の食堂で口にして良い言葉ではない。キリスト教、ローマ教皇への批判とも取られかねない。こんな話を他の誰かに聞かれでもしたら、二人は査問会に掛けられる。

 カペリは慌てて話題を変えた。百二十年を超えて今もイスラム連合軍と戦う十字軍について話をした。カペリもジャブイエも親しい者が十字軍に参加していた。

 フランスやイングランドの王が出陣してさえもイスラム連合軍には勝てなかった。聖地エルサレムはキリスト教徒の手に取り戻せるのだろうか、十字軍が勝利する日はいつなのか。二人はずっと話し合ったが、二人に分かるはずもない。

 ところが、翌日には第五次十字軍の勝利が間近だと二人は知った。


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