第九章 一二二〇年、初夏 バグダッド(其の二)
第九章 一二二〇年、初夏 バグダッド(其の二)
カウナはモンゴルの西方遠征から話し始めた。大ハーンの指揮の下、モンゴル軍の騎馬軍勢十万人はバグダッド、エルサレムを目指し侵攻している。
「発端は、ローマ教皇から大ハーンに送られた密書だ。世界はローマ教皇と大ハーンで分け合おう、二人は共に永遠の命を得て二人で世界を永遠に支配しよう、と書いてあった」
ローマ教皇の呼び掛けで百二十年前に始まった十字軍のエルサレム奪還の本当の目的も、永遠の命となる始祖の玉の入手だ。カウナは実篤たちにそう教えた。
実篤は背筋がぞくぞくとした。草原で老人と過ごした夜を思い出した。あの夜、イスラムと十字軍の戦争は永遠の命を巡る戦いなのではないかと推測した。推測は当たっていた。「では、永遠の命は本当にあるのか?」
カウナは頷いた。カウナは永遠の命に係わる三つの玉について説明した。「永遠の命となる紅い始祖の玉、始祖の石を生成するのに必要な碧い創造の玉、緑色に輝く禁忌の玉だ」
「緑色に輝く禁忌の玉とは、もしかして?」
「そう、お前たちも持っている翡翠の玉だ。三つの玉はシャーマンが使う」
実篤は混乱した。「シャーマンとは何だ?」
「古の一族にあって永遠の命を司る者、それがシャーマンだ。古来より数多くの王や権力者へ永遠の命を与えてきたシャーマン、この世には存在しない者と対話するシャーマン、シャーマンは代々受け継がれる。今はここにいるパールがそうだ」カウナは左手をうやうやしく伸ばし、パールをあらためて紹介した。パールはカウナを睨んでいる。
カウナの言い方には棘が含まれていると実篤は感じた。「それで、どうしてさっさと始祖の玉を生成しないのか?」
カウナは口を曲げた。「協力者が必要だとさっき話しただろ。それに、始まりの地に行かなければ生成は出来ない。ところが、始まりの地が何処なのかさっぱり分からない」
実篤は唖然とした。「そんな、私たちはエルサレムに行けば永遠の命が得られると聞いた」実篤は出雲の海岸に打ち上げられた南蛮船の話をした。「南蛮船には翡翠の玉と巻物があった。巻物には、翡翠の玉を輝かせる異能の子をエルサレムへ連れて行けば、永遠の命を持ち帰れると書いてあった。だから、私たちはエルサレムを目指している」
カウナは溜息を付いた。「俺たちもエルサレムを目指しているが、エルサレムは始まりの地ではない。ローマ教皇の密書には天山山脈の麓に暮らす古の一族が始祖の玉を持っているとあった。そのとおり古の一族は暮らしていたし、シャーマンもいた。しかし、始祖の玉はなかった。千年以上、古の一族は迫害され、逃亡し続けてきた。始まりの地の場所も生成の仕方も継承されなくなっていた。それがどうだ、お前たちと同様に俺たちも悪魔と戦ったが、悪魔の胸に始祖の玉が埋まっていた」
実篤は身体を強張らせ、パールに振り向いた。「では、さっきの化け物が悪魔なのか?」パールは無言のまま頷いた。
カウナは苦々しく言った。「悪魔は永遠の命を得た人間だ。悪魔を倒すには胸に埋まった始祖の玉を壊すしかない。俺もパールから話は聞いた。胸の紅い玉を壊され消えたのだろう。どこの誰かは知らんが、その悪魔も永遠の命を得た人間だ」
「シャーマンが永遠の命を与えたのだろう?それを、どうしてシャーマンが殺す?」実篤はカウナとパールの顔を見比べた。
カウナはふっと息を漏らしながら軽く首を横に振った。「俺たちの前に現れた悪魔は死にたがっていた。さんざん人を殺しておきながらおかしな話だ」カウナは皮肉っぽく言った。
死にたがっていた?実篤は驚いた。「なぜ死にたがる?せっかく永遠の命を得たというのに」
「俺もそう思ったさ。まあ、悪魔にもいろいろ事情があるのだろう。それにな、永遠に生きるというのは、裏を返せば永遠に死ねないってことだ。家族や友人が死んでも自分だけは生きている。永遠の命とはいえ身体は朽ちていく。人間とは思えないくらい醜い姿に朽ち果てる。そうなれば明るい陽の光の下では生きてはいけない。闇に紛れて生きるしかない。待っているのは永遠の孤独という地獄でしかない」カウナは話しながら不思議に思った。アイ・ハヌムで老人から教えられた言葉を、今は自分の言葉として言える。
しかし、カウナの言葉を今の実篤に理解出来るはずもない。「死ぬために自分からシャーマンの所へ来たというのか?私たちが出会った化け物は憎しみがどうとか言っていたが?」
「憎しみに身を委ねよ、か?そうか、お前たちが出会った悪魔もそう言っていたのか」カウナはパールを見た。パールも無表情のまま頷いている。
「死にたいと願いながら口では殺し合えと言っている。悪魔とはそういう奴らだ。長く生き過ぎて頭がおかしくなっているのさ」
奴ら?すると悪魔は他にもまだいるのか、実篤は尋ねた。
「ああ、きっといる。俺は疲れた、ここからはシャーマンに説明してもらおうかな」カウナはパールへ再び左手を向けた。パールは少しの間カウナを見返していた。
パールは全員を見回しながら話し始めた。「あの者たちは永遠の命を与えられました。ですが、長い年月で身体はどうしようもなく朽ちてゆく。死ぬことも出来ず、人目を避けて生きる。その孤独感と絶望感は想像も出来ません」
実篤や小栗は驚きの表情で聞いている。パールの言葉もやはり理解出来ない。
「私の村を襲った悪魔は心から死を願っていました。自分では死ねない、どうか永遠の眠りを与えてくれと願っていました」
カウナたちにはパールの言葉が理解出来る。アイ・ハヌムで出会った老人との会話があるからこそ、悪魔が死を願った気持ちも理解出来る。
「先程の悪魔は、若い頃の美しい姿に戻してくれと願っていました」そう言い、パールは隣に座っている茶々の頭を優しく撫でた。
「おそらく、この子にシャーマンと同じような気配を感じたのでしょう。それであなたたちの前に現れたのだと思います」
「では、憎しみに身を委ねよなどとなぜ言う。絶望しているのなら悲しみではないのか?」実篤が不満そうに尋ねた。
「絶望の果てで、生きる糧として見出したのが憎しみだったのでしょう」
生きる糧として見出した憎しみ、それは実篤も経験している。それでも、いくら山賊を殺しても憎しみは消えなかった。
「あの者たちは人の心に巣食う憎しみに呼び掛けます。呼び掛けに共鳴してしまうと、自らの憎しみが増幅されて衝動的に周りの人を殺してしまうようです」
小栗は息が止まりそうだった。家族を死に追いやった公家に対する憎しみだけが今の自分を支えている。その憎しみが悪魔の放つ憎しみに共鳴してしまったというのか。
「憎しみだけが生きる糧となり憎しみを煽る、悲しいわね」ずっと黙っていたハクレアが言った。
「永遠に生きる己さえも憎しみ、死という永遠の安らぎを求める」ムーレイが続けた。
「矛盾しているし、哀れだな」ジョシェがぽつりと言った。
「永遠の命そのものが矛盾している」カウナが言った。「そう考えると、永遠の命に何の意味があるのか分からないな。限りある命だから喜びがあり、楽しみがあり、慈しみが育まれる」カウナは独り言のように言った。
今のカウナの言葉こそは実篤たちにも理解出来る。日本ではあらゆるものに神様は宿ると言われている。日本人はそうした一つ一つの神様に対して、自身の限りある命を感謝する。そうして己の慢心を抑え、慎ましい生活の中に安らぎと喜びを見出す。
カウナは話を続けた。「俺たちは、永遠の命を得た二人に出会った。一人はパールが倒した。もう一人は神官の爺さんだ。爺さんは憎しみに捕らわれてはいなかった、だから、あの爺さんは悪魔とは呼べないな」
実篤は首を傾けた。「憎しみに捕らわれてはいなかった?」
カウナは頷いた。「そうだ。もともと永遠の命など望んでもいなかったらしい。成り行きで爺さんは永遠の命を施された。それでも、永遠の時の中で穏やかに静かに暮らしていたよ。ただし、容姿はとても酷かった。どう見ても生ける屍だった」
実篤は俯いた。帝様が永遠の命を得たらいったいどのように生き続けられるのだろうか。憎しみを生きる糧とし、人々の憎しみを煽り、殺戮を招かれるのだろうか?それとも、今の神官の話のように心穏やかに生き続けられるのだろうか?一つ確かなのは、いずれにしても帝様の身体は醜く朽ちるしかないということだ。
カウナには実篤の考えている懸念が分かっている。それは、かつてカウナも考えていた。「そう難しく考えるな。永遠の命を得て百年、二百年で悪魔の姿になるものではない。それに、憎しみに凝り固まるかどうかなどお前に分かるものでもない。誰のために始祖の玉を持ち帰るのかは知らんが、そんな心配をお前がしても仕方がない」
小栗も実篤に呼び掛けた。「そうですよ。永遠の命を日本へ持ち帰る、今はそれだけを考えなければなりません」
「そうでなければ彦助、左衛門、小太郎の死が無駄になります」菊千代も訴えるように言った。
そうだな、と実篤も思った。ここで迷っても仕方ない。自分には永遠の命を日本へ持ち帰る使命がある。今はそれだけを考えよう。
「話は分かった。それで、あなたたちも永遠の命を捜しているが、永遠の命を授ける始祖の玉は一つしか生成出来ないのか?」
実篤の質問の意味をカウナはすぐに理解した。「つまり、俺たちとお前たちで奪い合いになるっていう心配か?」
実篤はゆっくりと頷いた。カウナは意地悪そうに微笑み、再びパールへ左手を向けた。手を向けられたパールは考えた。いったいどこまで話そうか。
「始祖の玉は始まりの地で生成出来ます。始祖の玉は複数でも生成出来ます。協力者の数だけ生成出来るのです」
協力者?さっきも話に出てきた。実篤は問い掛けるようにパールを見つめた。
パールは続けた。「協力者とは禁忌の玉を輝かせられる者です。茶々は協力者となれます。協力者が多いと始祖の玉の生成は安定すると言い伝えられています。もう一人、ハクレアも協力者になれると思っています」
「ちょっと待て、ハクレアは禁忌の玉を輝かせられないぞ」カウナが大きな声を出した。
「ハクレアにも資質はあります、ハクレアは輝かせられるはずです」パールは無表情に答えた。
「そんな話は初めて聞いた」カウナはパールを睨んだ。
「話す必要が無かったからです」パールもカウナを睨んだ。
ジョシェもムーレイもゲンツェイも、当然ながらハクレアが最も驚いている。ハクレアは口を両手で押さえ、気持ちを落ち着かせるように大きく息をしている。
ハクレアが大きく息をしたのに驚いたのか、胸元の小物入れからコハクが飛び出した。コハクはパールの方へちょこちょこと走り、パールの膝の上に丸くなった。コハクを見つけたわらびと茶々は目を丸くして見ている。
「茶々が何を協力するのか教えてほしい。それに、わらびも翡翠の玉を輝かせられる」
パールは実篤とわらびを見た。「わらびも輝かせられると茶々から教えてもらっていました。ですが、始まりの地で玉を輝かせるのは女だけです」
わらびは驚き、悲しそうに目を伏せた。パールの話した意味はわらびも理解している。つまり、自分は不要だ。わらびの目から涙が一つ、二つと落ちた。
実篤はパールを見た。パールはわらびを見つめている。無表情だがその目はなぜか悲しそうだ。自分の言葉でわらびが傷ついたと分かるくらいの感情はあるらしい。
「ですが、わらびにも成すべき事はあります。禁忌の玉を輝かせる茶々に協力するのです。それはゲンツェイも同じです。ゲンツェイはハクレアを支えてください」
カウナは眉をひそめた。協力する、またその言葉が出た。カウナはキタイから聞かされていた、古の一族以外の男女も協力して始祖の玉を生成するらしい、と。
ゲンツェイは驚いた。ハクレアと自分が始祖の玉の生成に協力するらしいとキタイから教えられている。ただ、何を協力するのかは分からないとキタイは言っていた。
妙な雰囲気になった。そこへ小栗が手を挙げた。「さっきから始まりの地と何度も言われますけど、何処にあるのか分からないのであればこれからどうするのでしょうか?」
カウナとパールはしばらく目と目を合わせていた。やがて、パールが小栗へ振り向いた。「私たちはエルサレムへ向かいます。始まりの地に係わる言い伝えでは聖なる地が出発点だからです。あなたたちも一緒に来てください」
実篤は頷いた。エルサレムはもともと目的地だったし、古の一族のシャーマンと一緒であれば文句はない。永遠の命が与えられるのであれば協力するのも異存はない。
パールの話が終わったと見てカウナが後を続けた。カウナの口調は今までと違って冷たかった。「そういう訳で、俺たちは一緒に行動しなければならないらしい。だが、俺としては本意ではない。お前たちが足手まといになるのが目に見えているからな」
挑発的な言い方だった。実篤は癪に障った。「どこが足手まといと言うのだ」
「俺たちはモンゴル軍の誇り高き騎馬兵だ。数多くの戦いを経験している。エルサレムへ行こうが始まりの地へ向かおうが不安はない。一方、お前たちは戦い方を知らない」
「私たちは役立たずで足を引っ張るだけだと言うのか?」実篤は声を荒げた。
カウナは答えない。答える必要もないという表情だ。実篤がどういう態度に出るのか面白がっているようにも見える。
実篤は他の三人の騎馬兵も見た。三人ともカウナと同様の考えらしい。実篤は腹を立てた。始祖の玉を手に入れるためにはこの連中と行動を共にするのが最善に思える。それでも、馬鹿にされたままでは納得がいかない。茶々やわらびを利用されるだけだし、複数の始祖の玉を生成出来てもモンゴル人に奪われる恐れもある。
「戦い方を知らないかどうか、私とお前で勝負しようではないか」実篤が挑発的に返した。
小栗と菊千代がはっと顔を上げた。モンゴル軍の騎馬兵の強さは臨安でさんざんに武具屋の老人から聞かされている。勝算はあるのか、と小栗と菊千代は実篤を疑った。負ければ、それこそモンゴル人に頭が上がらなくなる。
カウナは意外そうな顔をしたが、にやりと笑った。「いいだろう、相手をしてやろう」
部屋の中の空気は一気に緊迫した。茶々はパールを見上げている。パールは茶々の顔を見た。茶々は首を小さく横に振っている。お願いだから止めてください、茶々の目がそう訴えている。
「あなたたちは自らの使命を忘れたのですか?協力し合って始祖の玉をそれぞれ持ち帰るのか、つまらぬ意地を張って始祖の玉を諦めるのか、どちらを選ぶのですか?」パールは全員の顔も見渡しながら話した。
パールの言い分はもっともだと実篤は理解している。それでも、実篤の気持ちは変わらない。古の一族のシャーマンやモンゴル軍の騎馬兵と協力しなければ始祖の玉が手に入らないのであれば、私は我慢して協力しよう。けれども、子どもたちや小栗や菊千代まで侮蔑され我慢を強いられるのは認められない。私が言いなりになれば、わらびと茶々、小栗と菊千代の逃げ場所はなくなってしまう。
一方、カウナも自分の気持ちを変えるつもりはない。勝負すれば自分は勝つと分かっている。日本人を仲間に入れるのは構わないが、どちらが強いのかは教えておかなければならない。
「俺が勝っても日本人は同行させてやる。それでも駄目か?」カウナがパールへ尋ねた。
「私も同じだ。モンゴル軍の騎馬兵を一緒に連れて行ってもよい。お望みならばもっと強くなれるように剣術を教えてやる」実篤も不敵に答えた。
パールはカウナの目を見つめ、実篤の目を見つめた。二人ともパールを見返している。今日は止められても、いずれこの二人は勝負をつけようとする。どうしたって勝負は避けようがないとパールは理解した。
「そこまで言うのなら分かりました。ですが、相手を傷つけてまで戦うのは止めてください。傷つけ合えば、それこそお互いに憎み合うだけです」
カウナも実篤も頷いた。カウナと実篤は明日の朝に勝負しようと決めた。
パールは諦めたように言った。「何としても全員で始まりの地へ赴きます。茶々の持つのと合わせて禁忌の玉は二つに増えました。これで悪魔がいっそう引き寄せられてくるかもしれません。始まりの地へ無事に辿り着くため、守りの人数は多いに越したことはありません」
カウナは苛立った。やっと本音が出た、これだからシャーマンの娘は信じられない。「つまり、捨て駒の数は多い方がいいと?」
パールは首を横に振った。「あなたも悪魔と戦い、その強さは知っているではないですか。だから、誰も失わないように協力し合って欲しいのです」
パールは真実を言っている、それはカウナにも分かっている。悪魔を倒すにはパールが光の矢を放つ必要がある。しかし、悪魔の動きを弱らせ、胸に埋め込まれた始祖の玉を露わにしないといけない。どうしても近接戦に持ち込まなければならない。パールの言うように人数は多い方がいい、ぜひとも日本人には捨て駒になってもらおう。
窓の外はすっかり暗くなっていた。実篤たちはマディーナに戻ることにしたが、帰り道が分からない。カウナは実篤たちを送りたくない。パールが実篤たちをマディーナまで送るしかなかった。
日本人を送った帰り道でシャーマンの娘に何かあったら大変だ。カウナはパールの安全を考えてゲンツェイを同行させた。「悪魔と戦った道は避けろよ、イスラムの警備兵がいるはずだ」
パールはカウナに冷たい視線を返した。カウナはパールを無視した。
途切れた雲の合間からいくつもの星が瞬いている。瞬いているが、家々の灯りが邪魔だ。不毛の荒地で毎晩見たような、吸い込まれるような美しさは感じない。
パールは、わらびと茶々と手を繋いで先頭を歩いている。パールと茶々は楽しそうに話し合っている。わらびは口数が少ない。使い物にならないと言われれば誰だって面白くない。
三人の後ろを実篤は歩いている。実篤は誰とも話したくなかった。頭が混乱している。明日にはカウナと対戦しなければならないが、今はそんなことを考える余裕もない。実篤は激しい疲れを覚えていた。身体を蝕み食い尽くすような疲れだ。左衛門、彦助、小太郎を死なせてしまった。そのやり切れない思いが実篤の心を暗く覆っていた。
安芸の山奥で山賊と戦っていた時も、実篤は多くの仲間を失った。それでも、仲間は山賊と存分に戦い死んでいった。実篤自身、死ぬのも戦いの一部だと感じていた。いずれ自分の順番は来る、いつかは自分も戦死する、実篤自身もそう割り切っていた。
けれども、左衛門、彦助、小太郎の死は違う。悪魔に対して三人は勇敢に立ち向かったが、もはや戦いではなかった。悪魔による一方的な殺戮でしかなかった。殺された三人の無念を思うと実篤は胸が痛んだ。三人の遺体を捨て置いてしまったのを実篤は悔やんだ。そうせざるを得なかったのは分かっているが、悔やむ気持ちが静まるはずもない、
実篤の後ろには小栗と菊千代が続いている。菊千代はわらびの様子が気になっていた。わらびはまだ子どもだ。それでも茶々をかばい、弱音も吐かずに頑張ってきた。それが、ここまで来てお前は役立たずだと言われた。
菊千代にはわらびの悔しさがよく分かる。菊千代にも似たような辛い経験がある。菊千代は武士の家の三男として生まれた。武士の子として子どもの頃から武術全般を学んだ。菊千代にも武術に秀でる資質は十分にあった。
ところが、どうしようもない壁があった。菊千代は小柄だった。身体が小さいと近接戦では不利になる。背が低いから日本刀を振り下ろす勢いに欠ける。腕が短いから槍が届く範囲が狭い。体重が軽いから相手の槍や刀を受け止めてもすぐによろけてしまう。身体が小さいと逃げ回るのに都合がいいように思えたが、実際は歩幅が小さいから逃げ足は遅い。
槍や日本刀の扱いそのものは優れていたが、相手のある試合で菊千代は勝てなかった。技術で勝りながら身体の大きさで負けるなど耐えられない屈辱だった。
唯一、菊千代が勝てる武術があった。それは弓術だ。飛び道具なら身体の大きさは関係ない。菊千代は弓術に打ち込んでいった。どっしりと腰を据えて弓を射るために足腰を鍛えた。弓の弦を素早く引き、不動の姿勢で的を狙えるように腕や胸、背中の筋肉を鍛えた。菊千代の身体は米俵を担いで運ぶ人夫のような身体になった。
菊千代は弓術の試合では誰にも負けなかった。矢を放てば百発百中の腕前になった。三男である菊千代はいずれ家を出なければならない。それなら弓術の師範を目指そうと菊千代は考え始めた。
菊千代は師範のことを父親に相談した。意外な答えが返ってきた。
「お前の弓術が優れているのは承知している。されど、我が家は代々に渡って剣術の家系だ」
父親の表情は冷たかった。「飛び道具の弓など臆病者の武具だ。合戦においても弓を引くのは臆病者たちだ。お前は臆病者たちの師範になりたいと言うのか?」
菊千代は驚いた。父親が弓術に良い印象を持っていないのは薄々感じていた。それでも、菊千代が弓術の試合で勝てば父親は喜んでくれていた。菊千代は悔しくて仕方なかった。今まで弓術の鍛練に一生懸命に励んできた自分を否定されたように思えてならなかった。
それからしばらくして、菊千代の家に佐々木経久からの知らせが届いた。近江守護にとって重要な使命を果たすため、武術に優れた若者を集めているという知らせだ。家督を継ぐ長男は除くという文言が付け加えられていた。つまり、生きては帰れない使命だ。
佐々木経久の呼び掛けに応じたいと菊千代は父親に申し出た。父親は関心がなさそうに申し出を許した。太宰府に旅立つ前夜、家で過ごした最後の夕食に父親は同席しなかった。
今のわらびはかつての自分だ、菊千代にはそう思えた。わらびを励ます言葉など菊千代には思い浮かばない。それでも、わらびに寄り添ってあげようと菊千代は考えていた。日本へ帰るまで、わらびと一緒にいてあげようと。
列の最後はゲンツェイが一人で歩いている。ゲンツェイは日本人と初めて会った。日本人の顔立ちが自分やカウナと似ているのに親近感を覚えた。三人の仲間を悪魔に殺されたばかりだという悲しみに同情したい気持ちもある。とは言え、日本人に気を許すつもりはない。日本人が信用出来るかどうか分からない。
分からないと言えば、パールの行動も分からない。日本人の女の子とこれまでも禁忌の玉でやり取りしていたと言っていた。協力者の数は多ければいい、悪魔と戦うにも数が多ければいい。その理屈は分かる。それにしても、パールは早々に日本人を受け入れた。まるで、カウナへの当て付けのようだ。驚くべきは、ハクレアも禁忌の玉を輝かせられるというパールの言葉だ。本当にそうなら、どうしてもっと早く言わなかったのだろうか。これもカウナへの当て付けなのだろうか。




