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厄災のユーラシア  作者: もとふ みき
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第四章 一二一九年、秋 トリポリ(其の四)

第四章 一二一九年、秋 トリポリ(其の四)


 一二一九年の九月、ホイヘンスがトリポリ伯国へ移り住んでから一年が経過していた。ホイヘンスは多くの巻物を読み終えていた。城内の書庫にはその数倍もの巻物がまだ残っている。始祖の玉や永遠の命について記した巻物はまったく見つかっていなかった。

 ある日、メルはミシェル隊長に呼ばれた。騎士見習いとなって半年になるが、剣術はあまり上達していない。それを指摘されるのだろうか、メルは気が重かった。

 メルは一等騎士の部屋に入るのは初めてだ。部屋に入ると、木目が美しい楕円形の大きな机が目に入った。机の向こう側にはミシェル隊長とホイヘンスが並んで座っている。

 メルはゆっくりと部屋に入った。ミシェルはメルに座るように促した。椅子には黒い毛皮地が張られ、座り心地はとても良い。

 ミシェルは冷たく話し始めた。「私はまわりくどいことは言わん。君には二等騎士になるだけの技量はない。残念だが、騎士は諦めろ」

 ああ、やはりそうか、とうとうこの日が来たかとメルは観念した。

「だがな、君には誰にも負けないものがある、ここだ」そう言って、ミシェルは右手の人差し指で自分の頭をこんこんと突いた。「君は頭がいい、ホイヘンス先生が感心している」

 メルはホイヘンスを見た。ホイヘンスは緊張しているように見えた。

「お話の意味が分かりません。私はどうなるのですか?」

「それはホイヘンス先生から説明していただこう」ミシェルは左手をホイヘンスへ向けた。

 ホイヘンスは咳払いを一つした。「二日前、私はミシェル隊長から相談を受けた。君を除隊させると言われた。ミシェル隊長も、君が勉強熱心なのを知っている。メル、君さえよければ私を手伝ってもらえないだろうか?」

 ミシェルが続けた。「ホイヘンス先生は古代ギリシャの巻物を調べている。先生だけでは膨大な巻物を調べきれない。そこで、君を助手として迎えたいと先生は望んでおられる」

 除隊させられてホイヘンス先生の助手になる?メルの頭の中は混乱していた。メルはしばらく考えた。自分は何がしたいのだろうか、メルは結論を出した。

「ぜひともホイヘンス先生の助手になりたいです。ですが、親しい者と話をさせてください。明日、話してきます」騎士を諦めるからにはジョンおじさんに相談しなければならない。

「いいだろう」ミシェルは頷いた。

 親しい者とはきっと騎士ジョンなのだろうな、ミシェルはそう思った。それでもメルには問い質さなかった。問い質せば、自分とジョンの関係をメルが知る。今回、自分がメルに温情を掛けたとメルが誤解しかねない。

 そうではない、メルには騎士になるだけの剣術の技量はない、それだけのことだ。


 その日の夕方、騎士を諦めるようにミシェルから言われたこと、ホイヘンスから助手に誘われていることをメルはイアンに打ち明けた。

「そうか、お前はもう決めたのだろう?」イアンは、メルの心が騎士から離れているのに以前から気付いていた。

「ああ、もう決めた」メルは申し訳なさそうに、それでもきっぱりと答えた。

 イアンは残念だったがメルの決断を受け入れた。それに、メルと離れ離れになる訳ではない。ホイヘンス先生の助手なら、メルはこれからも同じ城の中にいる。

「分かった。おじさんとおばさんにはいつ話すつもりだ?」

「明日、孤児院に戻って話してくる」

 しばらく二人は無言だったが、メルが躊躇いがちに口を開けた。「イアン、実は聞いてもらいたいことがあるんだが」

「何だよ?」

「ホイヘンス先生の助手になると給金が支給されるんだ」

えっ、イアンはメルの目を見た。メルの目が笑っている。

「この野郎、うまいことやったな」イアンのような騎士見習いは給金はもらえない。良かったな、二人は大笑いした。

 その後、メルは僅かな荷物を持って騎士見習いの部屋から出ていった。除隊させられた以上、もう騎士見習いの部屋にはいられない。何人かの同期はメルに別れの挨拶をした。他の者はメルが去るのを気にも留めなかった。

 ホイヘンスはメルに新しい部屋を用意していた。城内の資材庫の天井裏にある小部屋だ。とても狭いが、部屋の中は乾いていて過ごしやすい。それに、窓から見える地中海の眺めは最高だった。何より、一人でじっくりと勉強出来るのがメルにはうれしかった。


 翌日の昼前、メルは孤児院へ戻った。休暇でもないのに、メルだけが戻ってきたのでブリジットは驚いた。ジョンにはメルに何かあったのだと分った。

 ジョンの部屋で三人は話し合った。ごめんなさい、残念だけど騎士にはなれない、ホイヘンス先生の助手になって勉強したい、メルはそう話した。

「アレクサンドリア図書館に納められていた古代ギリシャの貴重な巻物がたくさんあります。僕も少し読んだ。それらは素晴らしい人間の叡智です」

 メルはホイヘンス先生の話もした。博識で尊敬しています、常に何かを教えられます、と。

「やっぱり、あなたは学者さんが似合っているのよ」ブリジットはそう励ましてくれた。ジョンは終始無口だった。

 ブリジットが昼食を作るために席を外した時、ジョンはメルに尋ねた。「お前は、翡翠の玉が輝いた謎を解きたいのだろう?」それは質問ではなく確認だった。

 メルは小さく頷いた。「悪魔がどうして現れ、翡翠の玉がどうして輝いたのか、それを僕は調べたいのです。それが、僕の両親、イアンの両親のためだと思っています」

 その後、メルは久し振りに孤児院の子どもたちと昼食を食べた。食事の内容も量も相変わらず貧しいままだ。孤児院の子どもたちは今では三十人を超えている。寄付金だけではまったく賄えていないのが分かった。

 メルはジョンとブリジットをそっと見た。二人の服は襟や袖の裾が擦り切れている。ブリジットは美しい金髪に見合う髪飾りさえ持っていない。

 別れ際、メルは見送ってくれたジョンとブリジットに言った。「ホイヘンス先生の助手になると給金が支給されます。僕は城で暮らすからお金は使わない。次の休暇にはいくらか持って帰るから、おじさんもおばさんも服を新しくするといい。余れば子どもたちの食事に使ってください」

 そんな心配はいいのよ、そう言おうとしたブリジットの肩にジョンは優しく手を置いて止めた。「ありがとう、メル。スコットもお前を誇りに思っているだろう」


 トリポリ城に戻ったメルはミシェルを訪ねた。親しい者も了承してくれました、ホイヘンス先生の助手になります、と報告した。

 ミシェルは頷いた。「明日の朝、シャルル大司祭の所へ行け。王室騎士隊を除隊し、ホイヘンス先生の助手になると報告しなさい」

 翌朝、メルは城内の教会へ向かった。シャルルは朝の祈りを終えたばかりだった。メルは、シャルルと話すのは初めてだ。

「ホイヘンス先生を助け、何としても始祖の玉を見つけなさい」シャルルはメルに言った。

「あの、始祖の玉って何のことでしょうか?」

「まだ何も聞かされていないのか?」シャルルは驚いたように言った。

 メルは申し訳なさそうに頷いた。シャルルも思い出した。私が了承しない限り始祖の玉については一切他言してはいけない、そうホイヘンスやミシェルに命じていた。

 シャルルは溜息を付いた。仕方ない、私が話すしかない。シャルルは、ボエモン四世の容態、それからトリポリ伯国が置かれている状況を話し始めた。


 ボエモン四世が風土病に罹ってから数年が過ぎている。症状は一向に改善せず、ボエモン四世は痩せ衰えるばかりだ。王の余命は長くないという噂が城内では囁かれていた。

 ボエモン四世には一人息子がいる。八歳になるレオネル王子だ。ボエモン四世に何かあればレオネル王子が王位を継ぐが、八歳では国政はとても担えない。レオネル王子が成人するまでは代理の者が摂政となり、トリポリ伯国の国政を執り行わねばならない。

 摂政の有力候補はベルモンド伯爵だ。ベルモンド伯爵は周辺のイスラム諸国との交易を推進し、トリポリ伯国の経済発展に大きく寄与している。ボエモン四世も、ベルモンド伯爵の交易手腕に絶対の信頼を置いている。

 しかし、ベルモンド伯爵がイスラム諸国との交易を推進しているのは、国家間の信頼や親交を深めるためではない。トリポリ伯国の財源を確保するためでしかない。ベルモンド伯爵はイスラム教徒を嫌悪している。それは、ベルモンド伯爵と親密なジャン・ド・ブリエンヌに劣らない。

 ブリエンヌは十字軍国家の一つだったエルサレム王国の王族だ。ところが、幼少の頃にイスラム連合軍にエルサレムを奪われ、エルサレム王国は崩壊した。それ以来、ブリエンヌは流浪の王族となっている。ブリエンヌは、現在は多くの騎士を従えて第五次十字軍に合流している。イスラム連合軍の拠点であるカイロ侵攻に向け、その足掛かりとなるダミエッタ攻略に参戦している。

 ベルモンド伯爵の背後にはブリエンヌ、さらには十字軍の影が見え隠れしている。もしベルモンド伯爵が摂政となれば、トリポリ伯国に十字軍が進駐してくるのは間違いない。何しろ、トリポリ伯国には大型船が何隻も停泊できる港が整備されている。この港を使えばヨーロッパから多数の騎士や民兵を移送し、大量の武具や食糧を陸揚げ出来る。十字軍にとっても、トリポリ伯国の港はエルサレムの再奪還のために喉から手が出る程に欲しい。

 それだけではない。ここ数年、ベルモンド伯爵は、トリポリ伯国も自衛の兵力を持つべきだとボエモン四世に進言している。数万人規模の騎馬軍の編成を具体化させつつある。この騎馬軍も、やがては十字軍に編入される恐れがある。

 そうなれば、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が共に築き上げてきたトリポリ伯国の平和は終わる。かつての十字軍国家のように、キリスト教徒以外の異教徒は迫害され、彼らと親交のあるキリスト教徒も弾圧されるだろう。

 だから、シャルルを代表とするトリポリ城内の穏健派は、ベルモンド伯爵が摂政とならないように願っている。そのためにも、レオネル王子が成人するまではボエモン四世に何としても生き続けてもらわなければならない。

「歴代の王と同じく、ボエモン四世もトリポリ伯国をキリスト教徒やイスラム教徒が一緒に暮らせる国にしてきた。何としても、王にはまだまだ生き続けてもらわねばならない」

 メルは自分とイアンが育った孤児院を思った。孤児院は宗教の区別なく孤児を受け入れている。ベルモンド伯爵が摂政となり十字軍が進駐してくれば、イスラム教の子どもたちは追放されるに違いない。それだけでなく、おじさんとおばさんにも危険が及び、孤児院は取り壊されてしまうかもしれない。孤児院は僕とイアンの大切な家だ。そんなの絶対に認められない。

「メルよ、ホイヘンス先生を手伝い、始祖の玉を捜し出してくれ」

「分かりました」メルは俯いたまま静かに答えた。

 メルの様子に、シャルルはメルが怖気付いたのかと危ぶんだ。そうではなかった。メルはすでに考え始めていた。生きるとは何を意味するのか、死ぬとは何を意味するのか。いや、そもそも生死に意味はあるのか。命そのものに意味はあるのか。

「シャルル大司祭、教えてください」メルはゆっくりと顔を上げた。

 シャルルは自分を見つめる真っ直ぐな眼差しに息を飲んだ。それは、生と死を説く聖職者の心を見透かしているかのような鋭い眼差しだった。

「命とは何なのでしょうか?」


「命とは何なのか。ふむ、それで、君は何だと思うかね?」ホイヘンスは、メルの話を聞いて同じ問いをメルに返した。

「分かりません。命があるから生きるのか、生きるから命があるのか、それすら分かりません」

 ホイヘンスはくすっと笑った。「君にはソクラテスやプラトンの哲学の方が向いているな」

「はぁ、ソクラテスですか」

「冗談だ、気にするな。さ、まずはこれを読んでくれ」ホイヘンスはそう言って一つの巻物をメルに手渡した。

 メルは手渡された巻物を開いた。ヘロフィロスの生理学をアラビア語に翻訳して記した写本だ。

メルはさっそく巻物を読み始めた。ヘロフィロスは、骨格、心臓、内臓、血管、筋肉、脳といった身体の部位について詳細に記していた。人間の知識や記憶は心臓ではなく、脳に宿ると書いてある。ヘロフィロスはどのようにしてそれを調べたのだろうか。メルはいろいろと想像したが、どれも気持ちのいいものではなかった。

 

 時は流れ、季節は冬を迎えようとしていた。メルがホイヘンスの助手となり二カ月が過ぎた。ヘロフィロスの巻物には始祖の玉や永遠の命に関する記述はなかった。ヒポクラテスの巻物にも、エンペドクレスの巻物にも手掛かりはなかった。

 毎日、朝から夕方まで、ホイヘンスとメルは巻物を読み続けていた。二人が共に過ごす時間は、それぞれが巻物を読み調べる無言の時間だ。晴れの日も、雨の日も、ホイヘンスの研究室では巻物を広げてめくるかさかさという音だけが聞こえていた。

 この二カ月、メルは膨大な知識の洪水に圧倒されていた。メルは自分でも気付かない内に疲弊していた。ホイヘンスは、メルが集中力を欠いているのに気付いた。

 その日、メルはホイヘンスから休みを与えられた。そんな疲れた頭では駄目だ、気分転換してきなさい、とホイヘンスはメルに言った。

「始祖の玉は忘れて、今日と明日はゆっくりと過ごしなさい。孤児院へ戻るのもいい。町をぶらぶらと歩いて、素敵な娘さんを見たら声を掛けるのもいい」

 いつになく陽気に話すホイヘンスにメルは驚いていた。ホイヘンスの言葉で、メルは初めて自分が疲れているのに気付いた。

 トリポリ城を出たメルは町を歩いた。通りにはたくさんの人々が笑いながら行き来している。疲れのせいか、メルは人々の往来の中で妙な疎外感を覚えた。

 あそこへ行ってみよう、そう遠くはない、メルは思った。しばらく歩くと聖フランシスコ教会の尖った塔が見えてきた。そう、あと少しだ。

 その通りには新たな店が立ち並び、人々が賑やかに商いを営んでいる。道を行き交う人々の邪魔にならないうよう、メルは通りの端に寄って石段の上にそっと座った。

 メルは目の前を歩く人の流れをぼんやりと眺めた。昔、ここで大火事があった。商店は焼け落ちて多くの人が死んだ。焼死した人もいたが、実は殺された人がほとんどだ。その事実を知る人がここに何人いるだろうか。そもそも、大火事など遠い過去の出来事でしかないだろう。

 けれども、メルにとっては過去の出来事ではない。今、この瞬間にも疑問が湧き上がってくる。悪魔は僕たちをどうして奪いに来たのか?僕は翡翠の玉をどうやって輝かせられたのか?

 ジョンに話を聞いてから、メルは何度かこの場所を訪れていた。いつも同じ疑問が浮かんだが、答えは見つからない。試しに翡翠の玉を持ち出し、ここでそっと触ってみた。翡翠の玉はまったく輝かず、何も起きなかった。

 しばらくしてメルは立ち上がった。今日は孤児院へ帰ろう、おじさんとおばさん、子どもたちのために何かおいしいものを買って帰ろう。メルは海岸通りの中央市場へ向かった。水揚げされたばかりのカジキマグロの大きな切り身を買った。孤児院の食事で肉や魚が出る日は滅多にない。

 中央市場を出たメルは、孤児院へ真っ直ぐに向った。メルはジョンとブリジット、子どもたちの笑顔に迎えられた。夕食にはメルが買ってきたカジキマグロがおいしそうに焼かれて食卓を飾った。子どもたちは大喜びで食べてくれた。

 食事を終えた子どもたちは次々に食卓から離れていった。食卓にはメルとジョンとブリジットだけになった。メルはカジキマグロに手も付けずじっと考えている。

 ブリジットは皿を集めて部屋を出ようとした。部屋を出る間際、ブリジットは何かを問うようにジョンの顔を見つめた。ブリジットの視線に気付いたジョンは優しく頷き返した。

「メル、イアンはどうしている?」ジョンはメルの横に座り話し掛けた。

「あぁ、ごめんなさい。すぐに食べます」ジョンの質問を聞いていなかったので、メルは見当違いの答を口にした。

 ふふっ、とジョンは笑った。「考え始めると周りが見えなくなるのは変わらんな。おいしいカジキマグロだった。子どもたちも喜んでいた、礼を言うよ」

 ジョンはイアンの近況やホイヘンスについてあれこれとメルに尋ねた。始祖の玉とは関係ない話をしているとメルも食欲が湧いてきた。メルはカジキマグロを食べ始めた。

「イアンはすごい、一等騎士の半分と互角に戦えるまでになりました。年明けには二等騎士になるための試験を受けられるそうです」

「それはいいが、いくらイアンの上達が早くても、騎士見習いになって一年未満での昇格試験は異例だな」ジョンは眉をひそめた。「イアンはすぐに行動して答えを求めようとする。イアンが騎士になるために必要なのは忍耐と思慮だよ」

「最近はイアンも落ち着きが出てきましたよ。それに、同期では一番強いだけに、皆を引っ張っていかなければと自覚し始めているようです」

「それはいい。人を導くには、自らの考えや行動も日々見つめ直さなければならない。イアンには良い機会になるな」

「そうですね」

「で、お前はどうなのだ、メル?」

 メルはフォークを持つ右手を止めて左横に座るジョンの顔を見た。ジョンは穏やかな表情でメルを見つめている。

 ああ、そうか、ジョンおじさんは僕の今の状態が分かっているのだな、そう感じたメルは素直な安堵を感じた。「詳しくは話せませんが、行き詰っています。ホイヘンス先生から息抜きをしろと言われました」

 メルは自分の話を始めた。トリポリ城には膨大なアレクサンドリア図書館の巻物があり、それを日々読んでいると話した。始祖の玉や永遠の命については一切触れないように気を付けながら、膨大な巻物に記された膨大な知識について興奮気味にジョンに話した。

 ジョンはメルに好きなだけ喋らせた。それに、メルの話は興味深いものばかりだ。ジョンはゆっくりと頷きながら聞いていた。

「古代ギリシャ人の知識は素晴らしいものです」

「しかし、それほどの知識が後世に伝えられなかったのは不思議だな」

「アレクサンドリア図書館の巻物を不必要と考えるキリスト教徒が燃やしてしまったそうです」

「そうか、残念だな」メルが話し終えたのを見計らい、ジョンはメルに尋ねた。「それで、翡翠の玉の謎は解けそうか?」

 話し終えてすっきりしたのか、メルはあけすけに答えた。「まったく駄目ですね、謎を解く入口にも辿り着けません」

 ジョンは微笑んだ。「焦るな、そのうち輝いた意味も分かるさ」

 そうであればうれしいのだけど、とメルは思った。


 メルがトリポリ城に戻ると、エルサレムへ行こうとホイヘンスから持ち掛けられた。どうやら、ホイヘンスは始祖の玉の手掛かりをエルサレムに見つけたらしい。一昨日、ホイヘンスが妙に陽気だったのはそのせいなのかとメルは納得した。

「サニアスの書いたアレクサンダー大王の遠征記には、エルサレムに大王が一カ月も滞在して、神聖な丘で重要な儀式を三日三晩行った、と書いてあった」ホイヘンスはメルと夕食を食べながら興奮冷めやらぬ様子で話している。


「重要な儀式ですか?」

「どういった儀式なのかは書いていない。それでも、遠征記の中でわざわざ重要な儀式を行ったと書いてあったのはエルサレムだけだ」ホイヘンスは食べるのも忘れて話し続けている。

「ですが、イエス・キリストの復活の地に永遠の命の手掛かりがあるとは、それでは話が簡単過ぎませんか?シャルル大司祭から永遠の命と聞いた時、何も知らない私でさえイエス・キリストをすぐに思い浮かべたくらいですよ」メルは素直に感じた疑問をホイヘンスに投げ返した。

「私もそう思い、エルサレムは調査対象から外していた。何しろ、イエス・キリストが復活し、ムハンマドが昇天した奇跡の町だからね。しかしながら、それらは今を生きる私たちだから知っているエルサレムの歴史だ」

 確かに、エルサレムについてはそうした先入観はあった、メルも頷いた。

 今や、ホイヘンスの口調は確信に満ちている。「サニアスの巻物は、イエス・キリストがこの世に現れる三百年以上も前に書かれている。サニアスの文章を読み、私はゼカリヤ書を思い出した。世界のすべての国々はエルサレムに集う、そう書かれてある」

「国々が集まるなど現実は無理、つまり、王が集まるという意味ですね」

メルの推察にホイヘンスは満足した。「そうだ。聖地として広く知られる以前から、エルサレムには各国の王を引き寄せる何かがあったのだ」

「それで、エルサレムへ行くべきだと?」

 ホイヘンスは大きく頷いた。「行ってみる価値はある」


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