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厄災のユーラシア  作者: もとふ みき
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第三章 一二一九年、秋 太宰府(其の二)

第三章 一二一九年、秋 太宰府(其の二)


 安倍晴幸は学び舎を開いていた。学び舎では子どもたちに読み書き数えを教えていた。五年前、六歳となったわらびと茶々も通い始めていた。

 子どもたちの学びの進み具合を確かめるため、晴幸は半月毎に試験をしていた。その内、晴幸は不思議なことに気付いた。わらびと茶々の解答がいつの頃からか同じになっていた。正しい答も、間違った答も、二人はまったく同じだった。

 最初、晴幸はそれほど深く考えなかった。双子とは不思議なものだと思うぐらいだった。ところが、それがいつまでも続くと気味が悪くなってきた。

晴幸は茶々にそっと尋ねてみた。「茶々とわらびはいつも同じ答だよ、本当に仲が良いな」

 すると、茶々は意外な返事をした。「ごめんなさい。どうしても教えて欲しいってわらびがしつこいので教えていました。いけないことですよね」

 晴幸は首を傾げた。学び舎では男の子と女の子の部屋は別々にしている。わらびと茶々が互いに解答を見せ合うなど不可能だ。

「茶々とわらびの部屋は違うよ。どうやって教えるのだね?」

「えっと、あの、心で教えるのです」

晴幸にはまったく訳が分からない。晴幸は茶々にもう一度聞き直した。

「ごめんなさい、わらびには言わないで」茶々はとうとう半泣きになった。よほど悪い事をしたと思っているようだった。晴幸は茶々を許して慰めた。

 それからは、わらびと茶々の解答は同じにならなかった。晴幸も茶々に問い質すのは控えた。やがて、晴幸は真相を知った。

 夏のある日、わらびを助けてほしいと茶々が使用人にしつこくせがんでいた。その時は晴幸も来子も外出していた。

「わらびが助けてと言っています。お友だちが気を失っています。崖から落ちて動けないの」茶々は泣きながら使用人に訴えた。茶々は使用人の手を引っ張り近くの山へ向かった。

 使用人は驚いた。先日の豪雨で大きな地滑りがあった場所にわらびと友だちが倒れていた。二人の着物は土に塗れ、わらびは左足首を挫き、傍に横たわる男の子は気絶していた。

 使用人はすぐさま引き返して医者と人手を呼んだ。幸いにも男の子は意識を取り戻した。医者の診断では大事には至っていなかった。

 医者はわらびに顛末を尋ねた。わらびは躊躇いがちに話した。地滑りの跡を見下ろそうと二人で覗き込んだら、ぬかるんでいた地面が突然に崩れて崖を転がり落ちたと話した。

 晴幸が家に戻ったのは、騒動がすでに収まってからだった。茶々がわらびたちの窮状を知らせたと使用人から聞き、晴幸は以前の試験の解答を思い出していた。

その夜、晴幸はわらびと茶々を並ばせてあらためて尋ねた。「もしかして、お前たちは離れていても心と心で話し合えるのか?」

二人はこくりと頷いた。もう隠せないと観念したようだった。

 離れた場所にいてもお互いの考えを伝え合える。陰陽師である晴幸にも信じがたい能力だ。陰陽師の子として生まれたからには何かしらの特別な能力を持っていても不思議ではないが、このような能力は陰陽師の範疇を遥かに越えている。

 晴幸はこの件を伏せておきたかった。朝廷を追われた理由はわらびと茶々の誕生にあった。二人が人智を超える能力を持っていると朝廷に知られたら、凶兆とされたこの子たちがどのように扱われるかそれこそ分からない。

 しかし、この話はすぐさま広まってしまった。すでに多くの人々が関係しており、隠し通すのは無理だった。それなのに、一カ月経っても半年経っても朝廷からは何の音沙汰もない。何もないのはいいのだが、それでもおかしい。晴幸は朝廷の動向を訝しがった。

 この頃、朝廷はそれどころではなかった。いつ北条義時が京へ攻め込んで来るかと、役人も公家も戦々恐々としていた。西日本の果てにある太宰府の不思議な双子の話など、誰も気に留める余裕も無かった。


「真実はそのような内容でしたか」実篤は顔をしかめて笑った。

「お前が安芸で聞いた噂とはどのようなものだった?」

「鳥や獣に化けて野山を駆け巡る双子、鬼やもののけを自在に操り世間を騒がせる双子、だいたいそんな感じです。噂の出所が太宰府ですし、我が祖先様の菅原道真に係わる怪綺談がそのまますり替わっていました。今の父上の話にも十分驚きますが、安芸で聞いた噂はそれこそ眉唾ものばかりではありました」

「こうした噂は人から人に伝わればどんどんと大きくなる」

 実近と実篤が話している間に玄関が騒がしくなった。やがて、ヨシに連れられてわらびと茶々がやって来た。わらびは藍色の羽織袴を着て、この歳の男の子らしく落ち着きがなかった。髪を結った茶々は薄黄色の浴衣を着て、久し振りに会う実篤に恥ずかしがっていた。

「この度の長きに渡る修業、真に大義でありました」わらびと茶々は実篤の前にちょこんと座り、深々とお辞儀をした。

 実篤は高らかに笑った。「私は安倍家をお世話する者。わらびと茶々からそのように褒められるとはもったいない限りだ。さあさ、二人とも成長した顔を見せてくれ」実篤は大きく手を拡げた。

 わらびと茶々は顔を見合わせ、立ち上がると同時に実篤に飛び付いた。実篤も二人をしっかりと抱き留めた。わらびも茶々も目をきらきらさせて笑った。

「やだ、お髭が伸びているよ」「安芸での山賊退治の話を聞かせておくれ」わらびと茶々は、きゃっきゃと騒ぎながら実篤に纏わり付いていた。

 しばらくして、安倍晴幸も訪ねてきた。逞しくなった実篤を見て安倍晴幸は満足気に頷いた。「実篤、立派な武士となったな」

「はい、これも安倍晴幸様が私の安芸行きをお許し下さったおかげです。これからも、この実篤は安倍家に誠心誠意お仕えいたします」

「その言葉、真に嬉しいぞ」安倍晴幸は実近に振り向き言った。「これで唐橋家も安泰に相違ない。実近殿もさぞやご安心でしょう」

「ありがとうございます」実近は深々と頭を下げた。

「何を言われる、唐橋家の安泰は太宰府の安泰だ」そこまで言い、安倍晴幸は含みのある笑顔で実篤と実近の顔を見比べた。

「実は、明日にでも我が屋敷で実篤の帰郷祝いを持ちたいと考えている」

 実篤と実近は驚いて顔を見合わせた。「滅相もありません。そのようなお心遣いは恐縮するばかりでございます」実近が慌てて答えた。

「実篤は我が弟も同然。遠慮なく受けていただきたい。私も実篤の手柄話を聞きたい」

 こうまで言われれば実近も断れない。「かしこまりました。謹んでお伺いいたします」

「では、明日の夕刻にお越し願いたい。楽しみにしているぞ、実篤」安倍晴幸はそう言い、帰りたくないと渋るわらびと茶々を連れて帰った。


 その日の深夜、安倍家の屋敷に二人の男が突然訪れた。急を要する要件だ、安倍晴幸にしか名前は名乗れない、としか二人は使用人に言わなかった。一人は折り込まれた和紙を使用人に手渡し、晴幸に見せるように命じた。

 使用人から急な来客を告げられた晴幸は怪訝に思った。晴幸は折り込まれた和紙を開き、はっと息を飲んだ。そこには、帝しか使えない朝廷の公印が鮮やかに捺印されている。

 二人にすぐに会う、会席の間にてしばらくお待たせしろ、晴幸は使用人に言いつけた。夜着を着替えながら晴幸は不安を感じた。何の要件だろうか、もしかして、わらびと茶々の件だろうか。

 会席の間に入った晴幸は驚いた。晴幸が京にいた頃に親しくしていた近江守護の佐々木経久がいたからだ。佐々木経久は晴幸の良き理解者であり、晴幸の左遷に最後まで反対した武将でもあった。久し振りに会った佐々木経久の頭は白髪ばかりとなり、顔にはいく筋もの深い皺が刻まれている。

 もう一人は三十歳半ばと思われたが、晴幸の知らない顔だ。それでも、身なり振る舞いから朝廷の役人だとすぐに分かった。

「佐々木様、お久し振りでございます。ご健勝であられましたか」

「安倍殿も息災で何よりじゃ。夜分にお訪ねしました無礼に深く詫びを申し上げる。一刻を争う要件でしたのでお許し願いたい」

 一通りの挨拶が終わった後、佐々木経久はもう一人を紹介した。「本日ご案内しましたのは、帝様に近臣として仕える藤原忠綱様じゃ」

 晴幸は緊張した。近臣と言えば帝に仕える側近中の側近だ。守護武将や荘園主は帝から命令を直接賜ることはなく、すべて近臣を通して命じられる。つまり、近臣の言葉は即ち帝の言葉ともなる。

「初めてお目にかかります。このような西の果ての地にようこそおいでくださいました」晴幸は不安を悟られないよう深々とお辞儀をした。

「挨拶は不要に願う。安倍殿に急な願いがあって参上した」藤原忠綱は早口で答えた。

何かを焦っている気配に、晴幸はいっそうの不安を覚えた。「私で出来ますものでしたら何なりとお申し付けください」

 藤原忠綱は、なぜか少し間を置いた。「安倍殿には双子の男女の子がおるはずだ」

「はい、いかにも双子の男女です。それが、何か?」晴幸は惚けたように答えた。

「その子らは不思議な能力を持つと聞いている。どのような能力か?」藤原忠綱は有無を言わさない口調で晴幸に尋ねた。

 晴幸の顔は凍り付いたように強張った。晴幸はゆっくりと藤原忠綱を見つめ、佐々木経久を見つめた。佐々木経久は晴幸に安心せよと言わんばかりにゆっくりと頷いた。晴幸は佐々木経久の温和な表情に少しだけだが安堵した。

「お話ししても、とても信じてはいただけないでしょう。二人は遠く離れていても、念じればお互いの心を伝え合えるのです」

 藤原忠綱は否定もせず、呆れもせず、笑いもせずに晴幸の説明を聞いた。晴幸は確信した、この朝廷の役人はすでに知っている。

「そうか、噂は本当だったな。夜分に申し訳ないが、二人をすぐに起こして連れて来てくれ」

 まさか、わらびと茶々は処罰されるのだろうか。そんな真似は絶対にさせない。「あの子たちをどうするのですか。あの子たちには何の罪もない」晴幸は藤原忠綱に詰め寄った。

晴幸を佐々木経久が諌めた。「先走ってはいかん。あの子たちは凶兆ではなかったのじゃ」

 予想もしていなかった佐々木経久の言葉に晴幸は動揺した。藤原忠綱は晴幸の目を見つめたまま黙っている。

「凶兆ではない?つまり?」晴幸は訳が分からないという具合に尋ねた。

「あの子たちは凶兆ではなかった。安倍殿を朝廷から左遷させたのは誤りだった。その上で、藤原忠綱様は安倍殿の協力を必要としている」

「藤原様が私の協力を?」晴幸はいよいよ訳が分からない。

今度は藤原忠綱が答えた。「正確に言えば朝廷が必要としている。理由は後で話そう。決してお子さんに危害を加えたりはしない」

 晴幸にはまったく訳が分からなかったが、わらびと茶々を起こしに部屋を出ていった。

 しばらくして、晴幸は寝惚け眼のわらびと茶々を連れてきた。二人は藤原忠綱と佐々木経久の前に座らされた。まだ眠い二人は何度も欠伸をしている。

「なんと、あの小さな赤ん坊が大きくなったな」わらびと茶々を不安がらせないように佐々木経久はにこやかに話し掛けた。

 これからどうなるのだろう。子どもたちに危害は加えないと藤原忠綱は言ったものの、晴幸はどうしようもなく不安だった。

 藤原忠綱は懐より紫色の絹の布を取り出した。その中から濃淡のある緑色の玉を出した。一目で翡翠の玉だと分った。

「安倍殿、この玉を子どもたちの手に持たせていただきたい」藤原忠綱はそう言い、緑色の玉を晴幸に手渡した。

 玉を手渡された瞬間、晴幸の身体に熱く冷たい異様な感覚が流れた。何かが身体の中を駆け巡ったかのような感じだ。

「いったい、この玉は何なのでしょうか?」晴幸は藤原忠綱に尋ねた。藤原忠綱は何も答えない。早くしろと言わんばかりに苛立ったような目で晴幸を促した。

 この玉を持ちなさい、晴幸はそう言ってわらびに手渡した。わらびも何か感じたようだったが何も起こらなかった。晴幸はわらびの手から玉を取り上げて、今度は茶々に手渡した。茶々もまたびっくりしたような顔になったが何も起こらなかった。

 藤原忠綱と佐々木経久は落胆した顔をお互いに見合わせて首を振った。「藤原様、この子たちも無理でしたか」「うむ、これでは仕方ない」

 晴幸には何がどうなっているのかまったく理解出来ない。その横で、茶々は手の上にある玉を不思議そうに見つめている。そこへ、わらび手を伸ばして茶々の手から玉を取ろうとした。わらびの手が玉に触れた瞬間、玉から気のようなものが周囲に発せられた。

 藤原忠綱と佐々木経久ははっと息を飲み、玉を見つめた。茶々の手に乗った玉にわらびの手が被さり、二人の手の中で玉が緑色に鈍く輝いている。

「なんと、本当に輝いたぞ」佐々木経久が驚いた。

「玉から何か聞こえるか、何かを感じるか?」藤原忠綱はわらびと茶々に尋ねてみた。わらびと茶々は顔を見合わせ、こくりと頷いた。

「あのね、ここに来なさいって言っている」茶々が答えた。

「こことは何処か分かるかね?」

「分からない、とっても遠い所だよ」今度はわらびが答えた。

 藤原忠綱は何度か頷き、わらびと茶々を交互に見つめた。「眠いのにすまなかったな。安倍殿、もう良い。子どもたちを寝かせてもらって構わない」

 藤原忠綱はわらびと茶々から玉を受け取った。その途端に玉は緑色の輝きを失った。

 晴幸はわらびと茶々を寝室へ連れ戻した。晴幸がいない間、藤原忠綱は何をどう話せば良いか思案していた。

晴幸が戻ってきた。「どうか、私にご説明いただけますでしょうか?」晴幸は二人の顔を見比べながら尋ねた。

 深夜のため虫の声も蛙の鳴き声も聞こえない。奇妙なくらいにしんと静まりかえっている。

 ゆっくりと佐々木経久が話し始めた。「晴幸殿、あの子たちは吉兆に間違いない。あの子たちは帝様をお救いし、日本を救ってくれるかもしれない」

 あまりにも突拍子のない話に晴幸は返す言葉が出ない。

「驚くのも仕方ない。まずは藤原忠綱様のお話をお聞きいただきたい」佐々木経久が藤原忠綱の横顔を見つめながら言った。

 藤原忠綱は俯いていた顔を上げた。「そう、しばらく私の話を聞いていただきたい」


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