第二章 一二一九年、秋 サフリム(其の五)
第二章 一二一九年、秋 サフリム(其の五)
どれくらい時間が経ったのか、もう誰にも分からない。家々からは燻ぶった灰色の煙が幾筋も立ち昇っている。気が付くと、空は白々と明るくなり始めている。
キタイは地面に座り込んでいた。カウナもゲンツェイもイギトも、へとへとに疲れ切って座り込んでいた。誰もが煙のせいで顔や手が真っ黒に煤けていた。
ゲンツェイの目の前にはクォルカの死体が転がっている。その死に顔は苦悶に満ちている。クォルカも悪魔の手下と成り下がり、殺された。
ゲンツェイは何も感じなかった。ゲンツェイはハクレアとの約束をぼんやりと思い出した。パールは無事だ、約束は果たせた。
キタイは自分の前に誰かが立っているのに気付いた。もう誰でも構わなかった。顔を上げるのも億劫だった。
「キタイ殿、怪我はないか?」ハシムの掠れた声がした。
怪我はないか、だと。抑えようのない怒りが込み上げた。「こうなると分かっていたのだろう、なぜ黙っていた?」
「わしには分からなかった、すまない」
「分からなかった?シャーマンのお嬢さんにも分からなかったのか」
「そうだ」
キタイは顔を上げた。ハシムの表情も疲れ切っている。掠れ声なのは、物見やぐらで村人をずっと励まし続けていたからだろう。
ハシムの後ろには白い服を着たパールが立っている。その服はキタイが初めて見るものだ。あれが古の一族のシャーマンの服なのか、キタイは興味もなく思った。
「村人は何人やられた?」キタイが尋ねた。
「まだ分からん、一緒に逃げ込んだ六十二人は無事だ。それ以外は生きているのかも分からない」ハシムが悔しそうに言った。
キタイも溜息を付いた。村には百五十人程が暮らしていると聞いていた。その半数以上の生死が分からない。村の長であるハシムの辛さはキタイにも理解出来た。
「悪魔の身体の中に始祖の玉があるとハシム殿は言った。つまり、あの悪魔は永遠の命を得た者だ。それがどうしてこの村を襲う?」
「言い伝えにある、憎しみと絶望に彷徨う者が来る、とな」
「言い伝え?どうやら隠し事はまだたくさんあるらしいな」キタイは怒りが再び込み上げてくる自分に気付いた。
キタイとハシムが話している横を、パールはゆっくりと歩いて通り過ぎていった。悪魔たちを追い込み、焼け落ちた家の前で立ち止まった。焼けた玄関の周りには、黒焦げの騎馬兵の遺体が何体も折り重なっている。
「パール、どうした?」ゲンツェイがよろよろと立ち上がり声を掛けた。パールはゲンツェイに振り向きもしない。
「パール、どうかしたのか?」ゲンツェイは再び声を掛けたが、妙な物音に気付いた。
折り重なった黒焦げの遺体がぐすぐすと動いている。遺体の中から何かがゆっくりと起き上がろうとしている。キタイもハシムも気付いた。キタイはすぐに立ち上がった。
まだ、悪魔は死んでいなかった?
パールの背後にいたゲンツェイは剣を構えた。周りに座り込んでいたカウナたちも次々に立ち上がり、剣を抜いて構えた。
「パール、そこを離れなさいっ!」ハシムが叫んだ
パールは動かなかった。パールは右手に持った禁忌の玉を真っ直ぐに頭上に掲げた。高々と掲げられた禁忌の玉が緑色に輝き始めた。
黒焦げの遺体の中から悪魔がゆっくりと立ち上がった。悪魔の全身は焼け爛れ、左手は肘から先が斬り落とされている。口からはしゃーしゃーという荒い息遣いが聞こえ、上下する胸は縦に大きく裂けている。その裂け目から紅い輝きが漏れている。
「あの紅い輝きが始祖の玉だ」「あれが?」
ハシムとキタイの会話など興味を示さず、パールはゆっくりと悪魔に近付いた。
悪魔との距離があと十歩程に縮まった所でパールは立ち止った。悪魔はぼろぼろになった身体を左右に揺らしながら何とか立ち続けている。
「ソウカ、オ前ナノカ」悪魔の乾いた声が聞こえてきた。しかし、昨晩のような憎しみはその声に感じられない。
悪魔はパールを見つめていた。パールも悪魔を見つめていた。パールの心の中に悪魔の悲しみが流れ込んできた。
悪魔はかつて大国の王子だった。王の病死により後継者争いが起きた。王子は古の一族の力を借りて永遠の命を得た。戦いに勝ち、王子は王となった。王は、先王のような圧政ではなく、得深い政治で国を治めた。ところが、長年の干ばつが国土を襲い、民は国を捨てて逃げた。王は民が戻って来るのをずっと待ち続けた。二百年経っても、五百年経っても、民は一人も戻って来なかった。城も町も砂に埋もれた。王は嘆き悲しんだ。王は、一人で永遠に生きなければならない恐怖に怯えた。王は、戻って来ない民と自分を死なない身体にした古の一族を憎んだ。恐怖と憎しみで王の心は壊れた。
オ前ニシカ出来ナイ、オ願イダ、頼ム。パールの心に悲しい叫びが伝わってきた。
「パール、何をするつもりだ、まさか?」
パールは振り向きもせずに答えた。「この者は死を願っています。ですが、自分では死ぬことも出来ません。だから、私が安らぎを与えます」
ハシムは驚愕した。「言い伝えを守る気か?言い伝えが正しいかどうか分からないのだぞ」
パールは何も答えない。立っているのが辛そうに身体を揺らしている悪魔を見つめたまま、パールは意識を集中させている。
キタイは振り向いてハシムの顔を見た。「さっきから言っている言い伝えとは何だ?お嬢さんは何をしようとしている?」
「黙って、気を散らさないでっ!」パールはそう言い返し、ゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間、禁忌の玉が眩しく輝いた。細く収束した緑色の光が矢のように放たれた。緑色の光は悪魔の胸元に紅く輝く始祖の玉を一瞬で砕いた。悪魔は絶叫し、顔を醜く歪ませた。焼け爛れた身体はみるみる膨れ上がり、ばん、と一瞬で砕け散った。四方へ散った肉片は塵となり消えていった。
その光景にキタイたちは誰もが言葉を失っていた。
「終わりました」パールは禁忌の玉を掲げていた右手を降ろした。
パールの顔は悲しみに包まれている。目には涙が浮かんでいる。それは死んだ村人や騎馬兵への悲しみなのか、それとも自分が手を下した悪魔への悲しみなのか、ハシムには分からない。
「おい、悪魔はどうなった?」カウナが周りの騎馬兵に問い掛けている。もちろん、答えられる者などいるはずもない。
肩を落として佇むハシムにキタイは近付いた。「分かっていると思うが、教えてもらいたい事がたくさんある」
ハシムは力なく顔を上げた。「分かっておる」
秋の柔らかな朝日が村を照らし始めていた。悪魔との戦いによる死者は村人が九十六人、騎馬兵が二十七人だった。
翌日、パールはハシムと湖の祠へ向かった。キタイとカウナも一緒だ。ハシムが二人の同行を許していた。キタイもカウナもすでに始祖の玉を見ている。今さら古の一族の言い伝えや対話の儀式を隠しても意味はない。
それに、モンゴル軍の騎馬兵は村人を守った。多くの犠牲を出しながら悪魔を退けてくれた。最後の一撃はパールが放ったとしても、それが出来るように悪魔を弱らせたのはキタイたちだ。
その恩義をハシムは強く感じている。だから、キタイが望んだとおり、ハシムは古の一族の言い伝えを教えることにした。
パールが対話をしている間、ハシムたちは離れた所で待っていた。キタイとカウナは禁忌の玉を輝かせて対話しているパールの背中を見ている。
「隊長、あの緑色の輝きは何ですかね?」
「私に分かる訳がない」
二人の傍に佇んでいたハシムは戸惑っていた。今日の対話はいつもより長い、また何か起きるのかと不安になる。パールは、光る膜や悪魔を倒した矢について教えてもらうと言っていた。対話がどれだけ教えてくれるかは分からない。古の一族や永遠の命についてパールが質問すると、対話は沈黙してしまうからだ。
ハシムの考えていたとおり、パールは様々な疑問を次々に頭の中に浮かべていた。古の一族とは何なのか、シャーマンは何を成す者なのか、始祖の玉は何なのか、永遠の命を得た者があのような悪魔になるのはどうしてなのか。
やはり対話は何も教えてくれなかったが、パールの呼び掛けには応えてくれた。
‐シャーマンは知らなければならない‐
‐そう、あなたは知らなければなりません‐
‐世界で何が起きてきたのか、何が起こっているのか‐
対話が像を送ってきた。それは、初めての文明が誕生した頃の像だ。人々は粗末な服を着て、粗末な家に住んでいる。何かを争い、粗末な武具で戦っている。
次の像でパールは衝撃を受けた。戦いに勝った王の胸には始祖の玉が紅く輝いている。その後も像は続いた。様々な時代の王や指導者の胸に始祖の玉が紅く輝いている。
‐始祖の玉が戦いをもたらし、人々に憎しみと悲しみを与えました‐
‐今も始祖の玉が戦いをもたらして人々に憎しみと悲しみを与えています‐
対話は今の世界の戦乱の像をパールに観せた。それは異なる宗教、異なる文明の激しい衝突だ。男だけではなく、女や子どもが犠牲になる大きな戦乱だ。
パールの身体は震えた。こんなに酷い出来事が本当に起きているの?こんなに酷い出来事がどうして起きているの?待って、これも始祖の玉のせいなの?
‐二つの戦乱が大陸の西と東で起こりました‐
‐やがて、世界は一つの大きな戦乱に覆われます‐
‐かけがえのない命が失われていく‐
‐わたしたちの子どもたちが戦いで死んでしまう‐
‐いつになったら戦いの愚かしさに気付いてくれるの‐
身じろぎもせずに立ち尽くしていたパールが動いた。パールがハシムたちの方へゆっくりと歩いてくる。右手に持った禁忌の玉はもう輝いていない。
「ハシム、もう村に災いは起きません」パールが落ち着いた声で言った。
「そうか、良かった」ハシムは喜んだ。同時に、パールの表情が曇っているのに気付いた。
また何かあったに違いない。それでも、キタイやカウナのいる前では聞くに聞けない。村に帰ってから聞くしかない。
キタイもカウナも、パールの表情が曇っているのに気付いた。とは言え、二人は対話という儀式を実際に見るのは初めてだ。対話とはこういうものなのかと思うしかなかった。
その後、パールとハシムは村へ帰った。まずは多くの死者を弔わなければならない。燃えた家々を片付けるのはそれからになる。その時は、騎馬兵にも協力を求めなければならない。
キタイとカウナも宿営地へ帰った。途中、ローマ教皇の密書の話をキタイはカウナに教えた。もはや自分一人で抱え込んでいても仕方ない。こうなった以上、副隊長であるカウナにもすべてを話しておく必要がある。
「大ハーンよ、あなたは永遠の命を得ることが出来ます。天山山脈を越えた麓、サフリムの村を制圧しなさい。その村の民は古の一族です。永遠の命をもたらす始祖の玉を守る一族です。一族には永遠の命を司るシャーマンがいます。と、ローマ教皇からの密書はそういう内容だった」
カウナは頷いた。これが二日前であれば、キタイにしては珍しい冗談だとカウナは大笑いしただろう。今は違う。あの悪魔と戦った後であれば何を聞いても信じられる。
「密書の続きはこうだ。大ハーンよ、共に永遠の命を得よう。世界は二人の偉大な王が君臨するには十分な大きさがある。私は西方の永遠の王となり、大ハーンは東方の永遠の王となる。エルサレムはヨーロッパのものとなり、バクダッドはモンゴルに捧げよう、とな。その後、大ハーンは今回の西方遠征を決められた」
なるほど、とカウナは思った。バグダッドは世界で最も美しく、最も豊かな都市だと言われている。大ハーンは何としてもバグダッドを欲しがっている。けれども、それでは話が単純すぎる。
「大ハーンはローマ教皇の誘いに乗った?」カウナは尋ねた。
「乗った振りをした。大ハーンは、世界の王は自分一人だけで十分だと考えておられる。それはローマ教皇だって同じだろう」
ふうん、カウナは鼻を鳴らした。大ハーンとローマ教皇は、右手で親密に手を重ねながら、左手には殺意に満ちた剣を突き付け合っているという訳だ。
「サフリムを第二のモンゴルにせよという命令は、この地に騎馬兵を留まらせるための方便だ。それでも、私は永遠の命など信じていなかった。それが、あの悪魔とシャーマンのお嬢さんの不思議な力を見た今では信じている」
カウナは質問した。「ローマ教皇は、どうして大ハーンに永遠の命を教えたのですかね?」
「世界中に放った宣教師や密偵に捜させている内、サフリムに古の一族の村があると分かった。しかし、ヨーロッパからサフリムまでは強大なイスラム諸国が立ちはだかっている」
「それで大ハーンに呼び掛けたのですね。でも、解せません。大ハーンが古の一族を取り込めば、永遠の命を独り占めにも出来ます。ローマ教皇にすれば教え損ですよ。それはローマ教皇自身にも分かっていたと思いますが?」
キタイも頷いた。「そうだ。私もそうした疑問は持った。それでも、大ハーンといえども永遠の命を独り占めには出来ない」
「どういうことですか?」カウナは首を傾げた。
「永遠の命をもたらす始祖の玉の在りかが分からん。いや、あの悪魔の身体に始祖の玉は埋め込まれていたが、お嬢さんが壊してしまった」
「では、始祖の玉はもう入手出来ないのですか?」
キタイはすぐには答えなかった。どうしたのかとカウナはキタイを見た。キタイもそれに気付いてカウナを見返した。
「始祖の玉は生成出来るそうだ、始まりの地ラトへ行けばな」
「始まりの地?何処ですか、それは?」カウナは訳が分からないと言うように聞き返した。
「知らんよ。だが、あのお嬢さんは始まりの地へ行く」
「パールが?どうしてですか?」
「シャーマンが古い始祖の玉を葬る時、新たな始祖の玉を始まりの地で造る、それが古の一族のシャーマンの定めだそうだ。護衛としてモンゴル軍の騎馬兵も一緒に始まりの地へ行く」
カウナは怪訝な表情をした。「一緒に行く?」
「ハシムから依頼があった。パールだけでは心配だが、剣を扱えない自分や村の者が一緒に行っても護衛は務まらない。どうか、モンゴル軍の騎馬兵でパールを守って欲しい、無事に村へ連れて帰って欲しい、とな」
「それで、引き受けたのですか?」
「そうだ。その代わりに大ハーンに永遠の命を与えると約束させた。だから、お嬢さんと一緒に始まりの地を捜し、お嬢さんとお嬢さんが生成した始祖の玉を確実に持ち帰らねばならない」
ふうむ、カウナは大きく息を吐いた。「でも、そんな大事なことをキタイ隊長が独断で決めていいんですか?何かあったら後で大変ですよ」
「永遠の命の存在の有無に係わらずモンゴル軍は西方へ侵攻する。侵攻に影響しないよう、お前は独断かつ隠密に動いて構わない。それが私へのグラトフ万人隊長の指示だった」キタイは面白くもなさそうに言い、カウナをじっと見つめた。
まったく雲を掴むような話だな、カウナは他人事ながらキタイの苦労を気の毒に思った。カウナは憐れむようにキタイを見返した。そう言えば、先程から隊長も自分を見つめ続けている。どうして隊長は俺をじっと見ているのか、カウナは嫌な予感がした。
「宿営地に騎馬兵は数多くいる。アラビア語を話せる者も多い。だが、敵地に長期間潜入し、状況を理解し、的確な判断と冷静な行動が出来る騎馬兵は少ない。おそらく、私とお前ぐらいだ」
淡々と話すキタイの顔をカウナはまじまじと見つめ返した。隊長は何を話している?少なくとも今の俺はこの話を理解出来ない、いや、理解したくない。こんな話を聞かされて、的確な判断と冷静な行動が出来るはずがない。
「本当は私が行くべきだが、私はサフリムを第二のモンゴルにせよと勅命を受けている。私がここを離れれば何かあったのかと誰もが勘繰り始める。永遠の命の捜索は機密事項だから、そうした妙な噂や憶測を招くような真似は出来ない」
「ですが、悪魔と戦った仲間は多少なりとも気付いていますよ。それに、別動隊の者も含めて二十七人が死にました。それはどうするのですか?」カウナはむきになって言い返した。
「二十七人はホラズム軍の敗残兵との戦いで死んだ。考えてもみろ、戦死であればモンゴルにいる遺族には弔慰金が出る。もちろん、生き残った騎馬兵や職人には全員に口止めをする。背けば大ハーンの秘密を暴いたも同然、死罪は免れないと言うつもりだ」
なるほど、隊長の考えそうな筋書きだとカウナは思った。
しばらくして、カウナは諦めたように言った。「分かりました。無事にパールを守り、確実に始祖の玉を持ち帰りますよ」
キタイは眉をひそめた。「言葉どおりに受け止めるな。私はハシムの口約束など当てにしていない。だから、始祖の玉が生成されたらすぐに奪え。始祖の玉さえ手に入れれば、後はあのお嬢さんに無理やりにでも永遠の命を大ハーンに施させればいい」
カウナは頷いたが、一つ心配があった。「あの悪魔ですが、まだ他にもいるのでしょうか?」
「いる、と考えておくべきだろうな」キタイは冷たく答えた。「交易商人の一人が悪魔だったが、一緒に夕食を食べたハシムには分からなかった。男は別れ際に、村のシャーマンに会いたいとハシムに言ったそうだ。ハシムはシャーマンなど村にはいないと言って別れた。その後、男は村人に同じように聞いて回っていたらしい」
キタイはハシムから聞いた話をそのままカウナに教えた。「村人も知らないと相手にしなかった。すると、男は突然に暴れ出した。剣で村人を斬り、家に火を付け、あのおぞましい姿になった。同時に、憎しみに身を委ねよという声が村人の心に響いた」
「村人同士が殺し合っていたのはどうしてですか?」
「心に潜む憎しみが悪魔の声に誘発され、憎しみに身を委ねて凶行に及んだのではないか。ハシムはそう考えている。そう考えれば、温厚なシャオロが狂ったのも理解出来る」
「隊長も俺も憎しみに身を委ねはしませんでしたが?」
「そうだな、私もお前も騎馬兵だ。敵への憎しみは持っている。それでも、悪魔の言いなりにはならなかった。そこが良く分からない」
カウナは戸惑った。相手が悪魔かどうか見分けられない、心に憎しみがあれば自分を制御出来ずに殺し合う。憎しみなど誰でも持っている。
「あの戦いでまともだった者は今後も大丈夫だと考えていい。そういう連中を連れて行け」カウナの戸惑いに気付いてキタイが言った。
「何人連れて行けますか?」カウナが尋ねた。
「騎馬兵三人、すでに一人は決まっている」
「えっ、誰ですか?」
「ゲンツェイだ。それに、民間人のハクレアも行く」
カウナはキタイの顔を見返した。「ゲンツェイとハクレアが行くとは、それはなぜですか?」
キタイは困惑した表情になった。「シャーマンのお嬢さんがゲンツェイを指名した。ハクレアについては自分から志願してきたよ。パールもハクレアの同行を望んでいる。始まりの地では古の一族以外の男女の協力が必要らしい」
キタイもそれ以上の説明は出来ない。ハシムもパールも何も教えてくれないからだ。いや、二人も言い伝えに基づいて話しているだけで、真実は分からないのだろう。
「ゲンツェイを除きあと二人、アラビア語が話せる奴を人選しろ。出発は十日後とする」
カウナは溜息を付いた。「分かりました、それで何処へ向かえばいいのですか?」
「まずはエルサレムへ向かう。始まりの地ラトの手掛かりは聖地エルサレムにある。言い伝えではそうなっている」
「でも、そうではないかもしれない?」カウナが不満そうに言った。
キタイも不満そうにふっと笑った。「そうだ、行ってみなければ分からない」
キタイは再び険しい表情になりカウナを見つめた。「お前は西方へ向かう、つまりは、モンゴルが今後戦うだろうイスラム諸国を横断する。隠密かつ迅速に行動しろ。孤立無援だ、覚悟してくれ」
「分かりました」カウナは答えた。答えながら自問自答していた。俺はいったい何を分かっているのだろうか。




