伏魔殿③
「お宅の娘さんすごいわねえ、進学校に合格したんでしょう」
「上の子がね。そうね~地頭はよかったみたいなの」
「一番下の娘さんも、なんとかっていう雑誌のモデルになったって、ねえ」
「そういう事務所にスカウトされたのよ、ある日いきなり。こっちは大変だったんだからぁ」
「まああれだけ可愛かったら仕方ないわよ。あ、そういえばもう一人……真ん中のお子さんがいたっけ?」
「ああ~、あの子はまあ……普通ねえ」
「……まあ、普通が一番よね~」
どこかのおばさんたちの声と、母の声がする。
不愉快だ。何が普通だよ。
何にも秀でていないってバカにしてるくせに。
姉と妹は周囲からも母からもよく褒められていたが、私は特に褒められたことはなかった。
いつもこんな感じで「私は普通」。いい所も悪い所もないと言われる。だから私は自分のことは自分で決めなければいけなかった。
誰かに自分の道を決められて、それを理由に反発する人もいるだろう。姉のように。
しかし私のように放任されていても、それはそれで苦しかった。
人間はワガママなものだと改めて思う。
私にはずっと、のどから出かかっている言葉があった。
でもそれを言うことはできなかった。苦しい。のどが絞められているかのように声が出ない。
「…………!」
目が覚めると、石造りの天井が見える。ゴツゴツしてて、切り出した時のものなのか、削ったような跡がそのまま残っている天井だ。
ああ、やっぱりここは日本じゃない。
わけのわからない世界の、どこかの国の、ファスティスっていう町の、神殿の一室だ。
私の名前は……リリアだ。
窓の外はまだ暗かった。
たぶん眠ってからそんなに時間はたってないと思う。
寝苦しかったのか汗をかいていた。トイレに行きたくなったこともあって、ベッドから出て靴を履く。
ドアを開けると廊下には誰もいなかった。深夜なら当たり前なのかも。
ちなみにこの部屋は二階にあるのだがトイレは一階にしかない。というか水周りは全部一階になっているようである。配水管の都合なのだろう。マンション暮らしだった私にとってはトイレの度にいちいち階段を上がり降りしなければならないのはちょっと不便に感じていた。
まあ、山の小屋に比べればトイレがあるだけましだと思う。山では森の中の隠れられる場所でしていた。あれは緊張感がすごかったのでもう嫌だ。夜も怖かったし。
廊下に出ると、階段とは反対方向の廊下の突き当たりにうっすらと青白い光が漏れているのが見えた。
なんだろう? こっち側って何かあったかな?
寝ぼけ眼で突き当たりまで行ってみる。壁に大きな四角い穴があってそこから大広間が下に見えた。ここは学校の体育館などによくある、あの中途半端な二階のように大広間全体を上から眺められるようになっているみたいだ。
上を見ると大広間の高い天井があり、そのステンドグラスのような窓からこぼれるのは月の白い光だけだった。
あの青い光はどこから……と私は思いながら穴から身を乗り出して大広間全体を見回してみたが、もうどこにも青い光はなかった。
見間違いじゃなかったと思う。
あの青い光は魔法の光だろうか。誰かがこんな深夜に大広間で魔法を使っていたのか。
だとしたら何の魔法だろう?
考えなくてはいけないことがたくさんあったけど眠たかったのもあって、トイレに行ったあとは何もかも忘れてベッドにダウンしてしまった。
******
魔法の解説書のような本によると、この世界の魔法には大きく分けて3種類あるという。
①攻撃のための魔法。これは戦争の時に大いに役に立ったらしく、戦争をしていた時代は攻撃魔法の使い手の地位が高かったという。
②攻撃を補助する魔法。眠らせたり、麻痺させたりする。これは比較的習得しやすいらしい。
③①と②以外の魔法。治癒魔法もここに含まれる。有名なものでは結界魔法や転移魔法があるが、この③の種類の魔法の習得には大変な時間がかかるものとされる。
そして一般的な魔法使いは得意分野と不得意分野がはっきり分かれていて、①の攻撃魔法が得意な魔法使いは③の魔法の習得が非常に困難であった。つまり攻撃魔法が使えるのであれば、普通は治癒魔法は使えない。
その逆も然りで、治癒魔法の使い手は攻撃魔法を使うことが難しい。ちなみに②の補助魔法はどちらの魔法使いでも使えることが多く、中には補助魔法しか使えない魔法使いもいたらしい。
これは別に魔法の習得に制限がかかるわけではなく、魔力の質と魔法との相性によるものだと結論付けられている。もちろん「普通は」とあるので、攻撃魔法も治癒魔法も使える魔法使いは少数ながら存在していた。しかしそれは例外中の例外であり努力すれば誰でもなれるとは思わないように、とこの本では念押しされている。
そして現在では魔法使いの存在自体が希少になっている。
理由は、魔法の適正が少ない場合には習得に時間がかかるからである。魔法使いを夢見て幼少時に弟子入りしたものの魔法の才能がなく、しかもそれが判明するのが10年後20年後になる者も少なくなかった。
その時間に他の職業にでもついていればそれなりの人生が送れたであろう者が、ただ無為に過ごしたことを知って「魔法使いを目指してはいけない」と警告したことが原因の一つとも言われる。
またわずかに適正があったために厳しい修行をして魔法を習得した者であっても、生まれながらに才能を持っている魔法使いの足元にも及ばなかったことから、才能のある者以外は手を出す分野ではないという風潮が生まれたせいでもある。
その上この才能は遺伝しにくいことで有名であった。親が優秀な魔法使いでもその子供が才能を受け継ぐとは限らなかったので、高名な魔法使いは自分の子供を残すことよりも弟子の中から後継者を選ぶことのほうが多かった。
「ふーん…………」
私は借りた本を読みながら考えていた。
つまり、あの司祭のおじさんは攻撃魔法を使えないということだろうか。
まあ「神殿で治療をしています」みたいな人がいきなり火とか氷を撃ってきたらビビるよね。ゲームとかだとそういうキャラクターばっかりだけど現実だとちょっとね。
聖女ヴィエナレーリィ様の「風きき」の魔法は攻撃魔法ではなさそうだし、ここの③の魔法になるのかな。習得時間がかかるはずの魔法を生まれながらに持っていること自体がすごいことなのだろうか。絵本でも結構ページを使っていた。
聖女になれるくらいだからその「風きき」は相当レアな魔法なのかもしれない。治癒魔法だけが「すごい人」の理由ならここの司祭のおじさんだって聖人認定されたっていい……いやもうされているという可能性はある?
図書室で本を読む時はなぜかいつもアメリアさんが向かい側の席にいるので、ちょうどいいから聞いてみようと私は思った。
「あの、アメリアさん。ここの司祭さまって、聖人なんですか?」
「ぶっ」
アメリアさんは飲んでいた水を噴き出してむせた。
本が汚れるからよそでやって欲しい。
「いやいや……何を言うのかと思ったわ。ないわよ。聖人だなんて、ないない」
「そうなんですか」
結構きつめの否定をされたけど、私そんなにおかしいこと言っているのかしら。
よし、話題を変えよう。
「この神殿の大広間って、いつでも行っていいんですか」
「ああ、まあ、そうね。神様に祈るのならいつでも行っていいのよ」
「ええと、夜は閉まってますか?」
「それは当然閉まっているわよ……あ、急に治療の依頼が来なければね。昔ちょっと遠くの貴族のお屋敷に強盗が入って、その貴族が大ケガをして運び込まれたときに、夜中でも司祭さまが治療をされていたから」
なるほど、ますますあの青い光の正体がわからなくなったわ。
とりあえず大広間に行って確認しておこう。
「大広間でお祈りしてみたいのですが……」
「あら、いいわよ。一緒に行きましょう」
私は一人でもいいんだけどついて来るのか……まあいいや、ついでにいろいろ聞かせてもらおう。
*******
大広間は治療のあった昨日と違って閑散としていた。祈りをささげている人が5~6人程度といったところである。
「お祈りはこのあたりで、跪いてするの。こんなふうにね」
アメリアさんが両足の膝を床につけて、胸の前で指を組んで頭を下げる。
その真似をしながら、膝が痛い人とか雨の日で床が濡れている時はちょっと嫌かもしれないと思った。
せっかくそれっぽいポーズを取ったので、私は何かお願い事をしてみることにする。
(この体のリリアさんは、どこの地域の、どこの家の、リリアさんなのか教えてください)
そう神様たちの石像に向かって聞いてみた。しかし返事はなかった。まあ期待もしていなかったけど。
そもそも彼女が「どこ」の「誰」かがわかっていればこんなに悩まなくてすむのに、どうしてプリインストールされていないのよ。おかげで流されるように生きていかざるを得なくて困っていますよ。
それにしても神様の石像が遠くてわかりにくいな。
「アメリアさん、どれがどの神様かわからないので教えてください」
「ああ、高いところにあるからよく見えないのよね。中央が風の神様、両端が水の神様と火の神様で……」
アメリアさんは慣れているのか、リズム良く順序良く神様の石像を指さしていく。
「水の神様って、あのお祈りの?」
「そうそう、ここは水の神殿だから、食事の時はそうお祈りするのよ」
「では、水の神様が一番えらいんですか?」
もし一番えらいのなら石像群の中央にいるはずだろうと思いながら聞いてみる。
「ん~、本当は風の神様が一番えらいの、神話ではね。聞いたことない?」
「いいえ……」
神話も調べておくべきだったか。これ庶民でも必須知識だったりして……。
まあ記憶がないと勘違いしてくれていることだし、常識を知らないのは今さらなんだから開き直っていくしかないか。
しかしやっぱり中央に石像があるということには意味があったのね。
「風の神殿は王族の管轄だったから、昔は風の神様が一番えらかったんだって。でも聖女様は水の神殿の巫女だから、現在は水の神殿が一番力があるということよ。これは司祭さまの受け売りだけどね。だから水の神様が一番えらいっていう考えの人もいるの」
「人によって違ってもいいんですか」
「それはそうよ。どの神様を信じていてもいいの。それを批判することは禁止されているから」
禁止する前はさぞかし派閥争いがあったんだろうな。信者の寄付で儲かっている神殿と儲からない神殿で格差がありそう。
治療を受けるのもお金がいるみたいに、宗教も結局はお金だからね。
でも聖女様ひとりで王族の権威みたいなのをひっくり返すって……もしかして聖女様ってすごい権力者なのでは?
じゃあ未だに追っ手がないということは、あの聖女様は私のことはもういいと思っているのかしら。
ん? いやちょっと待って。何かおかしい。
「左端の長いウェーブの髪の女神様が、水の神様よ」
「えーと、あ、あちらですか」
考え事をしていると、アメリアさんの説明する声に現実に引き戻された。
ほぼ背丈ぐらいある髪がふわーっと広がっている女性の石像が、躍動感のある姿勢で握った右手を大きく振り上げている。その右手部分が石像群の中でも一番高いところにあった。
あれが水の神様らしい。
「あの右手に持っているのが有名な『雷のカナヅチ』よ。何でも壊すことができるの」
「カナヅチ?」
そういえば市場のお姉さんに、お土産のカナヅチレプリカをもらっていた。本当に石像のカナヅチも小さいわ。よく見ないと持っているかどうかもわからないくらい。
あんなに小さかったら物理的には何にも壊せないような気がするけど、ここで突っ込んだらいけないんでしょうね。
この世界では女神様が何でも壊せる雷を落とすわけね。怖いなぁ。
神話ってだいたい現実の人間がモデルになっているはずだから、権力のある女性はヤバイってことだな、だぶん。
「ええと……では今日は神話の本を借りたいのですが」
「あら、さっきはずいぶん難しい魔法の本を読んでいたのに、意外ね」
「お話を聞いて、神話について知りたくなりました」
「そうなの。あ、そうだ、明日は司祭さまがリリアにお会いになるそうだから、午後の勉強は無しね」
アメリアさんがサラッととんでもないことを言うので、私は反応が遅れてしまった。
「は、はい?」
司祭のおじさんが私に何の用があるのだろう。なんだか会うのが怖い。私にも司祭のおじさんに聞かなければいけないことがあるが、何かボロがでたらと思うと気が引ける。
悪い人ではないとは思うけど、どうしても怖いのだ。
ちなみにさっき私は「聖女様って権力者なのかも」と考えていたが、それなら私をさらうのには誰か他の人間を使うのではないか。
少なくとも有名人である聖女様本人がすることではないと思う。
それに私の乗せられていた馬車は幌さえ付いていないむき出しの荷車だった。映画とかで農民が使ったりするやつ。
あんな貧乏くさい馬車に乗っていたのはおかしい。
立場が上の人であるならドアが付いてて内部に座席がある馬車に乗っているはずではないのか。
つまりあの人は聖女様ではなく、赤の他人で聖女様のそっくりさん……いやこれは無理があるな。
もしかしてあの男の人が言っていた「偽者の聖女様」の意味はドンビシャなのではないか。聖女様には影武者がいるとかの。
影武者だとしたら何のためにそんな人間が必要なのかが問題である。ものすごい善人として国民から慕われているはずの聖女様になぜ偽者が必要なのか。アイドルに影武者がいるようなものではないか。
あの聖女様には早く会わなければいけないが、あちらからの動きが何一つないということは、むしろあの聖女様が「何もできない状態」になっているということも考えられる。
あと、ちょっと気になるのは……あの肖像画と聖女様の絵本。
なんか、妙に古いのよね。
私が見た女の人は若いように見えた。だいたい20~25歳くらい? それで何で肖像画や絵本が昔からありますみたいな感じなんだろう。
まさかずっとあの姿のまま歳も取らず、というわけではないと思うけど……いやここ異世界だからありえるのか?
とりあえず情報を集めないと。
役に立ちそうな本には片っ端から目を通していこう。
里子に出されるまで時間はそんなにないだろうから。




