あなたの風景をください
私は机の上に並べた2つの黒い石を前にして、深呼吸をする。
1つ目はレーナさんが持っていたもので、最後にティファーナさんの映像が出てくる魔法が込められていた石。
2つ目はフガイークが持っていた、魂が入っていたと見られる石。これはちょっと大きめ。
両方すでに空っぽの状態になっている。
黒い石は耐用限界が来て砕けるまで再利用できると、あの魔法の本に書いてあったので、これを再び魔法結晶にすることにした。
そう、ヴィエナリリアと約束した魔法結晶を作るのだ。
いつ作っても良かったんだけど、エリックさんが来たり、服の採寸があったり、ロニウスくんがおかしかったりで時間がなかなか取れなかったのよ。
そのおかしくなったロニウスくんは今、久々に師範を呼んで剣の稽古をしている。だからこのチャンスを逃すことなく用事を済ませておきたい。
私は前と同じように指先で感覚を確かめつつ、黒い石に魔力を込めていく。私の場合は持っている魔法が時間魔法だけなので、感覚としては「魔力を出したら勝手に時間魔法になる」という感じだ。
もし複数の魔法を持っていたらこの作業はもっと難しかっただろう。
そんなことを考えながら魔力を込めていくと、以前のように頭の中に声が響いてきた。
(……あなたはリリア……?)
(ええ、こんにちは)
(うふふ、こちらは昼も夜もないところだけれど。……それにしても、今日はとても鮮明にあなたの声が聞こえるわ)
それは私も思っていた。前は電波の届きにくいラジオを聞いているようなもどかしさがあったが、今は電話並みの声質が聞こえている。
(前のより大きな黒い石だからかもしれない)
(……! 手に入ったのね? すごいわ)
ヴィエナリリアの声は嬉しそうに弾んでいる。
(これで、私の望むものを見ることができるのね。楽しみだわ)
(あの、あなたは、何を見たいの?)
私は彼女がどうしてこんな無茶振りをしたのか気になっていた。今回は運よく2つ同時に手に入れられたけど、普通はこんなにうまくいくことはない。
お嬢様がそれを理解しているとは思わないけど。
ただその石を使って、彼女は特定の人物や場所を見たいと思っているはずだから、それを聞いてみたかったのだ。
(そう……ね。人の記憶とか、かしら)
(え!?)
彼女の答えは、私の想像していた穏やかな答えとは大きく違ったものだった。何で人の記憶なんか見たがるのだろうか。絶対いい記憶ばかりじゃないのに。
そして、見ようと思えば見ることができると言わんばかりの軽い言い方に、私は底冷えのするものを感じていた。
(そそそ、そんなの、見えるの?)
(ええ。同意があれば。契約? というらしいわ)
誰がそんな契約をするんだ。見るのもあれだけど見られるのはさらに嫌だ。普通は絶対にしない。
するとしたらよっぽどの……。
(よっぽどのメリットがないと……)
(あるわ。その人の時間を、少しの間止めてあげるの。長生きできるように)
ああ……そういうことか。さすが生まれながらの時間魔法保持者だ。考えることが凡人ではない。
確かに、命が短くなってきたことを自覚する年齢の人には、受け入れられるかもしれない。
(でも、他人の記憶なんか見て、どうするの?)
こんなお嬢様が底辺の人間の記憶を見ても理解できることは少ないだろう。仮にものすごい殺人鬼の記憶を見たら気分が悪くなるかもしれない。
そんな私の心配する気持ちが届いたのか、ヴィエナリリアは少しモジモジした雰囲気で答える。
(私、少し記憶を失ってしまったの。だから、失ったものを確認したくて、人の記憶を見てみたい)
直感だけど、私には彼女が何を言いたいのかだいたいわかった。
彼女は記憶を欠損させてしまった。
そして今いる世界は時間の隙間なので、自分しかいない状態だ。
もし彼女がこの世界にいたなら、他の人と関わりあったりして失った記憶がどんなものだったかを推測することができたはずだ。
しかし彼女はもう止まった世界からは決して出られない。だから自分の記憶を補完することはできない。
そこで他人の記憶を見ることによって自分の記憶を穴埋めしようと……って、穴埋めなんてできるのかしら。
石の数が必要なのは、同時にいろんな人と通信して記憶をあっちこっち覗き見するためだろうか?
納得できなくはないけどあんまり褒められた行為じゃないな、と思いながら私は彼女に声を返した。
(石を2つ用意したから、これであなたの願いが叶うといいわね)
(ええ、もちろん叶うわ。嬉しい。どんな人と契約しようかしら……楽しみで仕方ないわ!)
彼女はウキウキとした声を上げる。浮き足立っているのが目に見えるようだ。
このお嬢様はきっと、これから自分にとっていいことばかりが起こると思っているのだろう。ちょっと釘を刺しておかないといけないかもしれない。
(あのね、契約するのは誰でもいいというわけではないのよ。変な魔法使いなんかと契約したら、見たくもないような記憶をずっと見せられて気分が悪くなるかもしれないでしょ。それにあんまりあなたと身分が違いすぎても、記憶の内容がまったく理解できないだろうから意味がない。そもそも性格の悪い人の寿命を延ばしてもろくなことはないから)
あえて強い感じに念じると、彼女からはポカンとした雰囲気が返ってくる。
(……え、そう、なの? 難しいわね?)
浮かれたような声だったのが少し落ち着いてきて、お嬢さま特有のボンヤリした口調になってきた。
(そうよ。とりあえずどこかの王女様とかその辺りで、長生きしたい理由が分かりやすくて、生活水準の高い人間を探すのがおすすめよ。それから人柄も大事だからね。もしアレな人間だったら『後からでも契約を破棄して石を取り上げるぞ』くらいの強い縛りでいくのよ)
(……な、なるほど……わかったわ。なんとなくで考えていたけど、世の中には怖いことを平気でする人間がいるんですものね……。あなたの言った通りにしてみるわ。それにしてもあなたって、すごくいろいろ考えているのね)
感心したような口調でお嬢様が私を褒めてくれたが、あまり嬉しいとは思わなかった。
いやこれくらい普通に考えるでしょ……。このお嬢様大丈夫なのかな。不安になってくるわ。
(……あなたのお母さまのティファーナ様から、あなたに幸せになって欲しいって、言われたから)
私がそう念じた途端に、通信が少し不安定になるのを感じた。
(お母さま……が、私に?)
そのあとしばらく無言の時間が続いた。もしかしたら彼女は泣いていたのかもしれないが、私には何も言うことができなかった。肉体がなくても人は泣くことができるのだろうかと、私はしょうもないことを考えたりした。
持っている黒い石に魔力が入らなくなったことを確認して、私は石から手を離そうとした。その時、石と何かをつなぐような白い線が見えた。その白い線は1メートルくらい先の空中で溶けたようにぼやけている。
ひょっとしたらこれはヴィエナリリアと繋がっている線なのかもしれない。有線通信だったんだ?
このまま強く力を込めれば、この石を向こう側へ「送れる」ような気がする。そんな雰囲気が手元の石からしている。
私は指先の黒い石に、彼女の元へ行くよう力を込めてみた。石はふっと幻のように消えていった。
おお、すごい。直感って大事だなあ。まあもともと彼女と私の魔力って同じものだもんね、相性が良くて当たり前よね。
でも本当に彼女のところに届いているのだろうか。なんか心配だ。全然別のところに届いていたら落ち込むわ。
気を取り直してもう1つの黒い石に魔力を込める。特に疲れたりどこかが痛んだりはしていない。まだ魔力的には余裕があるということなのだろう。
いやーこの体はすごいな。ハイスペック。
(……石が届いたわ。ありがとう)
再び繋がった通信の第一声は感謝の言葉だった。届いていて良かった。私もちょっと涙が出そう。
(どうしてあなたが、お母さまの言葉を聞けたのか、教えてもらってもいいかしら?)
ああ、そこが気になったのね。いい質問です。
……しかしどうやって説明しよう……。
(ティファーナ様は、あなたに聞かせる伝言を残していたの。フガイークが死んだら、という条件で。そっちの方の石だったかな? 魔法が込められていたのよ)
(……え!? あいつは、死んだの!?)
(ええ、まあ……はい)
予想していたよりも大きな声を出して彼女が驚いたので、なんか気まずくなって口ごもってしまった。
私がぶん殴ったらススになったのよ。いいの入ったなって思ってはいたけど、ああなるとは思っていなかった。この世界は不思議なことがよく起こる。
私はふっと遠い目をした。
(……そうなの……。あいつが……ウフフフ……)
また通信が怪しくなった。ヴィエナリリアは泣いたり笑ったり忙しい。
そういえば時間が止まっているのなら、彼女はまだ箸が転がっても笑える年齢なのか。
(ねえヴィエナリリア、この通信は時間制限があるの?)
私は前から疑問に思っていたことを聞いてみた。魔法の解説書にも書いてなかったし、エリックさんともあんまり話ができなかったから、こういうことを聞ける人がいなかったのだ。
(“エディ”は、1日最大20分くらいだと言っていたわ……。何かの魔法をそちらで使おうとしたら、もっと短いって)
思っていたよりも短かった。1日たったの20分。じゃあもう時間が来てしまう。
(そっか……なるほどね。ところで、これで2つの魔法結晶ができたんだけど)
(ありがとう。もっと長くかかると思っていたのに、こんなに早くて嬉しいわ)
素直なお嬢様の喜ぶ声は、私を大変満足させた。一生かけて探さないといけないと思っていたものが、こんなに短期間で用意できるとは私も思っていなかったから。
(……あと1つ、前の通信に使ったニルンくんの石は、私が死ぬときにあなたに送るわ)
(えっ……それは、あなたの大切なものなんでしょう?)
前回は遠慮なしで要求してきたくせに、ヴィエナリリアは戸惑ったような声を返してきた。彼女の性格なら「くれるんだラッキー」とでも言いそうだったので、私にとっては意外だった。
(まあ、そうだけど、私が死んだ後ならあげてもいいかと思って)
(あ、あの……そのニルンくん? の石は、あなたの子供に……渡してくれないかしら)
予想もしなかったヴィエナリリアの言葉に、私は驚くと共に思考が停止する。
彼女の言い方は遠慮しているというよりもどこか言いにくそうにしていて、裏があるのかもしれないと思わされたのだ。
それになぜ、まだ生まれてもいない子供に渡すという話になるんだろう。彼女は魔法結晶が欲しいんじゃなかったの?
(……どういうこと?)
私は努めて冷静に彼女に尋ねたつもりだったが、彼女からは明らかに慌てたような雰囲気が伝わってきた。
(……だから……わ、私はこんな状態だから、子供なんて無理だし、……ここからあなたを見ていると、まるで私が楽しく暮らしているみたいで……嬉しかったの。だからきっと、あなたの子供も、見られたら楽しいかなって……)
(あ゛?)
なんか今、聞き捨てならない言葉を聞いたような。
(ちょっと待った。なに? あなたからは私が楽しく暮らしているのが見えるって?)
そういえば彼女は最初の通信で「そっちの世界が見える」って言っていたような。
……言っていたような。
私はあれからニルンくんの石を革紐で縛って首からかけたり、そのまま部屋に置いていたりしていた。あれを通してこっちの世界が見えていたということ?
そういえばハードゥーンに行く時は、よそ行きの服装に合わないから置いて行ったはずだ。だから彼女はあの日のことを知らなかったのか。
でもそれって……それって覗き見じゃない?
そんなこと言われたら見られてるの意識しちゃって、普通に生活なんてできなくなるわ!
それは人としてやっちゃダメだ!
(なっ、何してんのよ! ダメよそんな覗き見とか、やめなさいよ!)
(え? そうなの? 毎日、10分か15分だけ見られるの。いつも楽しそうで……ついつい見てしまうのよ……)
ついついじゃない! 覗き見は犯罪だ!
……まあ、気持ちはわからんでもないけどさ。でもそれとこれとは別だから。ほんと別だから。
(さっさと契約して他の人を見るようにしてね! まったくもう)
(ウフフ……ごめんなさい。でも、もしあなたに子供が生まれたら……その時は、お願いね……)
あ、いかん。通信が切れそうになっている。私は今度の石にも現れた白い線を見て、石を彼女の元に送るよう力を込めた。黒い石は鈍く光を反射しながら、私の手から霧のように姿を消した。
他人の記憶。それを得た彼女が何を思うのか、私が知ることはたぶんないだろう。
そういえば、何かと引き換えに願いを叶えるとか、人の人生を覗き見するとか、どこかで聞いたような行動だけど……。
例えば神様とか、魔王とか?
彼女は悠久の時の中で、いつか神様みたいな存在になっていくのかもしれない。だって死ぬことはないんだから。
私のあげた石を悪用しないのなら、それもいい。
ふうー……と長いため息が出る。さすがに2個は疲れた。
私はベッドに寝転がりたい衝動に襲われたが、ぐっと我慢して目を見開いた。
疲れていてもやらねばならないことがあるのだ。
私は少し前に、倉庫のガラクタの中から手の平くらいの小さな木の箱をもらっていた。
小物などを整理するのに使おうと思ったのだが、フタがついていてちょうどいいからあれに入れておこう。
あのお嬢さまがどうか満足のいく契約相手を見つけられますように。
そう私は願いながら、木の箱に覗き……じゃなかった、ニルンくんの石を入れてさらに引き出しの奥にしまい込んだ。
ふと見上げた窓の外には、前の世界で見ていたのと同じ、青く澄んだ空が広がっている。
よく似ているけど、あの世界にはもう戻ることはできないんだ。
私とヴィエナリリアの唯一の共通点。
それはもう元の場所には帰れないということ。
私はかつての居場所に思いを馳せる。
遠くて懐かしい世界を想う。
いいことも嫌なこともあったけど――
「もし帰ることができるとしたら、どうする?」
私は自問自答した。
すぐに答えが出てきて驚いたわ。
「いいえ、私の世界はここになったから」
って。
主人公視点のお話はこれで終わりです。
読んでいただいて、本当にありがとうございました。
他の人の話をもう一話投稿します。