厨二詠唱とSugar
あの聖女様から受け取ったままのティファーナさんの日記を私が持っているのも何か違う気がするので、エリックさんに預かってもらおうかとパラパラめくっていたところ、下のほうのページに挟んでいたらしい紙が、ピラっと舞うように床に落ちた。
その落ちた紙には、魔法陣のような円と細かい古語の文字がびっしりと書かれていた。
『召喚に応じよ。“世界を憎むもの”、“終焉を願うもの”、“リオスウィル・フィヴライエとティファーナの子”、“ヴィエナリリア・マーストゥン・フィヴライエ”』
ざっと見た感じこう書いてあった。魔法の詠唱のカンペのようなものだろうか。
私の視線は「“世界を憎むもの”、“終焉を願うもの”」のところで釘付けになっていた。
そりゃあんな消え方をしたんだから、ヴィエナリリアがこの世を恨んでいたとしても不思議はないけど……。
『あなたさまは……恨んでいる……』
あの聖女様がそう言っていたのは、私がこの文言で呼び出されて来たからなのか。
確かに私は元の世界で彼氏に振られた後、世の中を恨んだような気がする。滅びろと心の中で強く願っていた……と思う。
いや、まさか……!?
あんなことで!?
この召喚の魔法に引っかかってしまったというの!?
異世界の壁を越えた検索とは、グー○ル先生もびっくりだ……。
しかしそうなるとこの召喚の詠唱の後半部分、「誰々の子」と「個人名」は無視されているのか。まあグー○ル先生も何個も条件つけて検索するとそのうちのいくつかを無視することはある。
……タネがわかったら……想像以上にバカっぽい理由で飛ばされてた。
私は軽いめまいを覚えながら天を仰いだ。天井が見えるだけだったけど。
しかし、エリックさんが更なるとんでもない事実を持ってくることを、この時の私はまだ知らなかったのである。
*******
「……お元気そうで安心しました」
久しぶり……とは呼べないほどの短い間ぶりに会ったエリックさんは、どことなく晴れやかな顔をしていた。
「エリック様もお変わりなく」
差しさわりのない挨拶をして、私とエリックさんは席に座る。
侍女の人がこの応接間で待機しているのは知っているが、なぜか他にも視線を感じるような気がする。
何この感じ。
エリックさんはあらぬ方向に目をやってから私のほうを向いた。
「フガイークの件ですが……あれは、あなたが?」
「え、あの、わかるんですか?」
なぜそんなことがわかるのかと、私は身構えながら座りなおす。
「聖女様をはじめ、水の大神殿から何人か消えて大騒ぎですからね。アレはずいぶんと好き勝手をやっていたようです。人手が足りないからと、私にも大神殿に戻ってくるように話がありました」
「エリック様は戻られるのですか?」
「まさか。そんな義理はありませんよ」
そう言ってエリックさんは目を閉じて目頭を押さえると、少し笑った。
「彼女の悲願が達成されたのなら、私に望むものはもうないのです」
それは泣くのを我慢しているように私には見えた。
しばらくエリックさんはそうしていたが、ふと気が付いたように、荷物から本を出して私に差し出した。
「あなたは魔法の本に興味があったみたいですから、こちらを差し上げましょう」
それは神殿で私が読んでいた魔法の解説書だった。私も持っていたティファーナさんの日記を差し出す。
「あの、これを……あの人から、預かったのですが、私が持っているよりもエリック様が持っているほうがいいと思って」
エリックさんは一瞬固まったようになった。それから震える手でメモ帳のような日記を受け取ると、懐かしそうに撫でる。
「これを見せてもらったのは、もうずいぶんと前のような気がします。……彼女は本当に、いなくなったのですね」
そうじゃないかと思ってはいた。やっぱり彼はこれを見たことがあったらしい。
あの聖女様は、ずいぶん踏み込んだ情報をエリックさんと共有していたということだ。
普通の友人関係でもそれはありえないだろう。つまりこの二人は……いわゆる「恋人」の間柄だったと。
もしかしてエリックさんが毒を盛られたのって、そういうのが原因だったんじゃないの?
修行中の人達からしたら腹が立つことだと思うし……。
私は若干の妬ましさを感じながら、それでも聖女様の最後の言葉を伝えることにした。
聞いてしまったものは仕方がない。
「彼女は『エリック様に、何も言わずにいなくなってしまったことを謝りたい』と言っていました」
「そうですか……」
今度こそエリックさんは泣きそうな顔をした。
もうここまできたら泣いたらいいじゃん! と私は思ったが、泣けない理由はきっと人それぞれあるんだろうから深入りはしない。
でも涙を流すとストレスが減るというし。
ところで。
二人の関係も充分興味深いものだったが、それよりも私は、渡された魔法の解説書を前に胸騒ぎを感じていた。
この本の表紙を見て、私は以前何かを思っていたことを覚えている。
神殿にいた時、エリックさんの部屋に呼ばれる前に私はこの本を読んでいた。どこか引っかかるような内容だったから、もう一回読まないといけないと思っていたのだ。
結局読めないまま神殿を出ることになってしまい、今の今まで忘れていたんだけど。
あれは……どこだっただろう。たしか召喚魔法の……。
そう、召喚魔法だ。召喚魔法の何かがずっと引っかかっている。
これは重大なことだ。そんな予感がする。
私はエリックさんに断りを入れて本を開いた。
しかし焦ってはいけない。読み間違いなどがあってはならない。私は慎重に目当ての項目を探した。
召喚魔法、召喚魔法……。
「……私は、この召喚の魔法陣の記述を見て、こんな文言で呼び出された人物は、彼女にとって良くない存在なのではないかと……言ったことがあります。でもそれは私の考えすぎだったのでしょう。召喚の魔法は、その文言に合致する存在がいなければ、不発になるか、いくつかある条件の一部を満たしたものが呼び出されるといいますから、きっとこの最初の二節は無効だったのでしょう」
エリックさんが感慨深げに目を細めて、あの魔法陣の紙を手にとった。
逆だ、逆!
最初のヤバい二節が効いてるの!
まったく能天気過ぎる。
ほんとあの聖女様とお似合いだよ。
私は表情に出さないように気をつけていたが、内心はかなりの修羅場であった。
ああ、これだ。このページだ。
『条件さえそろえば人を召喚することも可能であるが、あまり推奨されていない。理由は後に詳述する。
召喚される側が召喚を拒否することはほぼ不可能である』
この『理由は後に詳述する』の詳述の部分はどこだ。
私の文字を追う指はブルブルと震え、目は血走り、もはや瞬きも忘れていた。
『――人間を召喚する際は、距離が重要となる。あまりに遠い場所の人間を召喚すると、原因は不明であるが、術者の鼓動に似た音が増幅されて響き渡り、召喚されるということが周囲の者に知れ渡ってしまう。その音は、長い時には召喚の魔法が発動してから5日間もの間響き渡り、人心を乱したと言われている。戦時には到底向かず……――』
「あいつ……」
私は自分でも気付かないうちに、本当に小さくつぶやいていた。
「……ど、どうしました?」
エリックさんが私の不穏なオーラを感じ取ったのか、ちょっと引いたように私を見ている。
『このガンガンうるさいのあんただろ』
私を刺したメガネ男の声が甦った。
その言葉が本当のことだったなんて。
①私が彼氏に振られる。
↓
②私が「この世は滅んだ方がいい」と願う。
↓
③召喚に引っかかる。
↓
④召喚の魔法による騒音が発生する。
↓
⑤アパートの私の上の部屋の住民がキレる。
↓
⑥私が刺される。
↓
⑦私の魂だけこの世界に召喚される。
つまりこういうことだったと。
私がこの世界に来たのは本当に偶然ではなかった。
ほとんどあの聖女様のせいじゃないか。
ちょっと同情していたけどやめよう。あいつとんでもないことしてくれたな。
「エリック様……あの聖女様には、名前はあったのですか?」
私は本から目を離すと、エリックさんの方を向いて目を合わせる。
「名前ですか?」
エリックさんは様子のおかしくなった私に心配そうな視線を向けていた。
私は少しエリックさんに顔を寄せて、侍女の人に聞こえない程度の小声で言った。
「エリック様には名前が見えると、前に仰いましたよね」
「……ああ、私は彼女を“レーリ”と呼んでいました。……残念ながら、彼女の名前は見えませんでしたから」
「そうですか……」
どうして名前が見えなかったんだろう。魔物成分が多くなると名前が見えなくなるのかな。
それはともかく、エリックさんはレーリって呼んでいたのね。ふーん。
可愛い呼び名じゃないの。
レーリ、あの世に行ったら小一時間説教だ……!
私が暗い決意をみなぎらせていると、部屋のドアが急に開いた。建て付けがいいのか大きな音はしなかった。
「リリア」
ロニウスくんが少し青い顔をして部屋に入ってきたので、何かあったのかと私は緊張した。
「もう話は終った? 司祭さまもお疲れになってしまうから、そろそろゆっくりさせて差し上げないと」
「あ、はい……」
神殿とトイビーヤは遠いので、エリックさんは今日このお屋敷で一泊して明日帰ることになっている。でもそんなに長く話をしていたとは思わないけど、どうしたんだろう。
「ああ、前に奥様からご相談のあったロニウス様ですね。ファスティスの神殿で司祭をしております、エリック・ダスマスと申します」
「……ロニウスです」
「お元気になられたようで、何よりです」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。この通りすっかり良くなりました」
「そのようですね。本当に良かった」
エリックさんとロニウスくんが挨拶をしているが、どこか他人行儀というか、ロニウスくん側に明確な壁があるような感じだった。
なんか怒ってる? 前にオリスティアさんがロニウスくんのことで相談に行ったのに断られたから?
「リリア様、こちらへ」
2人のやり取りをぼーっと聞いていたら、侍女の人に手を取られて部屋の外に連れ出されてしまった。
「何かあったのですか?」
侍女の人に聞いたら、侍女の人は言いにくそうに視線を落とした。
「あの……司祭さまと、その、距離が近かったので……それで、ロニウス坊ちゃまが怒っているのだと思いますよ。リリア様も気をつけるようになさいませんと」
「えっ……近い? そうでしたか?」
でもどうしてそれがわかったんだろう。
私が腑に落ちないものを感じて首をかしげていると、さっきの部屋からロニウスくんが出てきて、侍女の人は入れ替わるように部屋の中に入っていった。
なぜか私には侍女の人が逃げたように見えた。
ロニウスくんの顔色は相変わらず悪く、何か息も上がっているような感じである。
「お兄さま、顔色が悪いです。具合が悪い?」
「……うん、悪いよ」
私が見上げながら言うと今にも倒れそうな感じでロニウスくんはうなずいた。
それは大変だ、部屋に連れて行かないと。
本当に手のかかる坊ちゃんだ。どこかで風邪でももらってきたのかもしれない。
「お部屋で休みましょう」
ロニウスくんの部屋へ連れて行くために体の向きを変えようとしたら、私の背中にロニウスくんの腕が回っていて、すぐ目の前にロニウスくんの顔があった。
うおっ、近い近い!
とっさに腕で顔をガードしようとしても間に合わず、唇にやわらかい感触があった。
「…………」
ロニウスくんはキスがしたかったのか……。
それならそう言ってくれればいいのに。別にイヤじゃないんだから。
でも元の世界で元彼としたときよりもメチャクチャ心臓が鳴っている。鳴りすぎて死ぬんじゃないかって不安になるぐらい。
それにしてもこのキス長くない? もう息が続かないんだけど。
ファーストキスでこの長さは異例では……ないでしょうか……。
ようやくロニウスくんが口を離してくれたので、ゼーゼー言いながら息をする羽目になった。
「……息止めてたの?」
「だ、だって、いきなりだから」
責めるようなロニウスくんの言葉に、少しムカついて言い返したが、どうもキスしたことのない子供の言葉のようになってしまった。
私だってキスくらいしたことあるんだからね! バカにしないでね!
よく考えたら鼻で息すればいいんだった。でも至近距離で鼻息がスースー当たると幻滅されないかな。
「こ、こういうことする時はちゃんと言ってください。いきなりは困りま」
言っている端からロニウスくんの顔がまた近付いてきて、私は焦った。
「待って! ダメです!」
変な脳内物質が出ているのか、心臓のドキドキが止まらない。このままでは確実に寿命が縮む。そんなに長生きしたいわけではないけど、今にも死にそうな感じがして怖くなってしまう。
私がけっこうな大声を出していたのか、他の従業員の人が様子を見に廊下に出てきた。しかしなぜか私たちを見て何事もなかったかのように戻っていった。
どうしてこのバカ息子を咎めないのかと思ったが、それよりも恥ずかしさの方が大きくなって、私は顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。
ロニウスくんはいつもと変わらない顔なのに。
人目があるところであんなことしておいて、なんで普通の顔ができるんだろう。
ま、まさかこの人、こういうことをやり馴れているのでは……。
意外過ぎる。
「……僕はリリアと結婚するからね」
ロニウスくんは私の耳に口を寄せてでつぶやいた。その息がかかって、私の耳が熱くなる。
「リリアが嫌がっても」
その低い声は何と言うか、ぞくっとするような冷たい色気でできている怖さがあった。なんだろう怖いんだけどなぜか興奮してしまう。
ロニウスくんってこんな人間だったっけ。また何か別の生物に変わってるんじゃないか。
「い、嫌じゃない……です」
「本当?」
「はい……」
嫌じゃないどころかすごく好きだ。悔しいけどもうメチャクチャ好きになっているのを自覚してしまう。
でも女性が自分からそう伝えるのはこの世界的にどうなんだろう。ありえないってドン引きされたりしたらとても困る。
だから私ははっきり意思表示していないんだけど……さっきのって、プロポーズでいいのかな? 私、調子に乗ってない?
この世界の常識がないからこんなこともわからないなんて、もどかしくて仕方がないわ。
しかし今のところロニウスくんにやられっぱなしな感じがして、何かこう、言い返してやりたいような気持ちになる。
「……で、でも、結婚するなら、お兄さまって呼ぶのは変かも……」
「いや全然変じゃない」
速攻で否定された。なんでよ。どう考えてもおかしいじゃない。
「だって、兄妹で結婚するみたいに思われるし……」
「思われたっていい」
何この切り捨てっぷり。ロニウスくんの薄い茶色の目はまぶしいほど透き通っている。どうしてこんなに覚悟が決まってしまったんだ。
彼は何か変な薬でも飲んでいるに違いない。
しかしそうなると、エッチの時も私は「お兄さま」って呼ばないといけないのか。
どこのレディースコミックだ。
もしかしてそういう性癖だったのかな……どうして私はこんな男に惚れてしまったんだ……いやもう好きになっちゃったら仕方ないんだけどさ。
私はさっきよりずいぶん顔色の良くなったロニウスくんを見上げていた。ずっと背中に回っている腕がなんだか怖くて、少し離れようと動いたら今度は両腕で抱き寄せられた。
今日はいつもよりスキンシップ多めだ……嫌じゃないけど、嫌じゃないけど……どうしたんだろう。
だいたいずっとこうやって廊下で子供がイチャついてるのだっておかしいでしょ。
何で誰も注意しないんだ!
そういえば今日はなんかみんなおかしいよ! どうなってんの!




