昇華
「ここだ。外からは聞こえないと思うが、あんまり大声で話すのはよしてくれ」
ここと言われても部屋があるとはちょっと思わないような暗がりに、わかりにくいドアがあった。見つけても物置のドアだと思うかもしれない。
傭兵団の男は音もなくドアを開けて入り、それに続いて私が部屋の中に入った時には男の姿はどこにもなかった。すでにドアは閉められている。
あの人本当に何者なんだろう。いつ私とすれ違って出て行ったんだ。
部屋の中は思っていたよりも広かった。壁の一部が斜めになっていて屋根裏部屋だということがわかる。部屋の奥に明り取りの窓があり、その近くに小さなベッドが置いてあった。
「……ヴィエナリリアさま」
ベッドに横たわる消え入りそうな存在感の聖女様がいた。
どこか悪くしているのか頬はこけて目は落ち窪んでいる。息は細くて今にも止まってしまいそうだ。
「あなたは、本物の“ヴィエナレーリィ”?」
私が聞くと、聖女様は寂しそうに笑って少しだけ首を横に振った。やっぱり違う人……じゃないクローンなのか。
「……ごめんなさい、私はあなたさまに、謝らなければいけない」
それを聞いて私はこの世界に来たばかりの時のことを思い出した。
「私を馬車から落としたことですか?」
事故であるとは理解しつつも馬車から落ちて転がった時の痛みは、前の人生を含めてもワーストランキング一位だ。そのことで謝られるのなら私は納得できる。
「……そ、それも、申し訳なかったと、思っています。縄で固定するように、あの人に言われていたのに。でも、どうしても、できなくて」
聖女様はあわてて言い訳をすると、身を縮めるようにして咳をした。
「そ、それよりも……あなたさまは、たぶん、わたし、いえヴィエナレーリィさまを、恨んでおられます」
そこで聖女様は呼吸が荒くなり、ヒュウヒュウとのどを通る空気の音が聞こえるようになった。
私は先ほどの聖女様の言葉に首を傾げながらその痩せた背中をさすった。
「なぜ私が、ヴィエナレーリィを恨んでいると思うんですか?」
私はヴィエナリリアではないから彼女がオリジナル聖女様を恨む理由を教えて欲しかった。聖女様は苦しそうに咳をして視線を天井の方に向ける。
「ヴィエナレーリィさまは、あなたさまを、見捨てたのです」
「……あなたはヴィエナレーリィではないのに、なぜそれがわかるんですか?」
「私たちは、記憶を、継承、していますから……」
つまりこの人はヴィエナレーリィのクローンかつ本物の記憶を継承している。
だから本物がヴィエナリリアを見捨てたことを知っている、ということか。
「見捨てたというのは、どういうことですか?」
状況がわからなすぎて話が見えない。
多少怪しまれてもかまわないので情報がほしい。
聖女様は息が落ち着くのを待つように、目を閉じて胸を押さえた。
「……ヴィエナレーリィさまは、あなたさまが、切り殺されるのを、見ていたのです」
「へぇ……」
やっぱりそういうことがあったんだ。
ある程度は予想していたけど、彼女は刃物で殺されたのか。それは子供にとってはもの凄い恐怖だろう。
「……止めることは、できなかったのです。あのとき、誰にも……」
「そう、ですか」
それはヴィエナレーリィが何歳くらい時の話なんだろう。
この二人は姉妹で間違いないとして。この体の年齢からヴィエナリリアが10~12歳の時ということは、ヴィエナレーリィが姉か妹のどちらだったとしても子供と言っていい年齢だ。
それなら止められなくても仕方がない。
しかもその時おそらくヴィエナリリアは死んでいない。あの自動回復で元に戻っているはずだ。
いや……むしろ、だからこそなのか。
それこそがヴィエナリリアに起こった「何か」なのだとしたら。
「あなたさまは、何度も殺されていました。元に戻るたびに、また殺されて、何度も……」
聖女様は苦しそうな声を出す。それは見ていたほうもキツかっただろう。
ふーん……やっぱり。そういうことだったのか。まあ納得した。
でもそのことを謝りたいという理由だけで召喚魔法を使うわけがない。
何か他に今召喚しなければならなかった理由があるのではないか。
だから私はこの人に会ったらこう聞くと決めていた。
「どうして私を召喚したんですか?」
「……ご存知でしたの」
聖女様は困ったように笑う。
私の予想は当たっていた。しかし問題はその理由である。
「……時間がなかったのです。私が、生かされていたのは、私の次の聖女が、できそこない、だった、から」
「できそこない?」
「聖女は、私で、五人目、……あれは、六人目になります。でも、あれは、他人の真似を、するだけです。話すことも、できません。だからあれには、召喚は無理でした」
つまりできそこないというのは、クローンを作るのがうまくいかなくてエラー個体ができてしまったということだ。
「ティファーナ、さまの結界が解けて、あなたさまが、奪われてしまう前に、召喚を、行わなければ、ならなかった」
「結界が解ける……」
その結界って、この世界で目が覚めて最初に見た白いキラキラ? 確かに手を伸ばしたら何かにあたった記憶がある。あれはティファーナさんの魔法だったのか。
「どうして結界が解けるの?」
「……どのような強力な結界も、時間が経てば、解けます。あなたさまを封じて、100年あまり。結界としては、長くもった、かと」
しかしなぜ結界で封じる必要があったのか。
『奪われてしまう前に』ということは誰かがこの体を奪いにくるとわかっていたんだろうか。
そういえばエリックさんは『あなたの時間魔法は狙われている』と言っていた。
「誰が、奪いに来るんですか?」
「…………」
それが一番知りたいことだったのに、聖女様は唇を震わせるだけで答えてはくれなかった。
チラ見せしてきて食いついたら焦らすなんて、性格が悪いぞ。
仕方がない。これはもう話題を変えるしかない。
「召喚の魔法って、たしか習得が難しくて、何人かでやらないといけないって」
「魔法結晶が、ありましたから。ティファーナさまが、王宮から持ってこられた、ものです。……それと、魔力だけを、貯めた結晶も」
そうだった。魔法結晶があれば誰でも魔法が使えるんだ。人数の不足も同じように魔法結晶で解決したってことか。
それにしても準備がいい。こういうのも記憶の継承で伝えられるのかな。
私が難しい顔をしていると、彼女は枕元から薄くて少し汚れている小さな本……というかメモ帳? を取り出した。
「……日記です。ティファーナさまの」
それを差し出した白い手には火傷の痕がついていた。
誰かに見られることを恐れたのか、その日記には個人の名前などは書いていなかった。
ティファーナさんの日記は自分の夫が謀反の罪で捕まったところから始まる。
夫は反逆者とされ、反逆者の妻となってしまった彼女は二人の娘を連れて神殿に身を寄せることにした。
この時彼女は王族でありながら風の神殿の保護が受けられず、やむなく水の神殿を頼ったという。
王女って王様の娘のはずなのに薄情じゃない?
その状況で神殿に行くのは戦国時代とかの「殺されないために出家する」っていうのと同じ感じなのかな?
水の大神殿では一転して温かく迎えられたため彼女は油断してしまう。娘の一人が聖女にかつぎ上げられ、次々と聖女らしいイベントに利用されていった。
「聖女様」は都中で大人気となる。その聖女様を見出した功績により司祭だった“ある男”が大司祭に就任する。
大司祭になってからの“ある男”の権力は強大となった。彼女は自分がそれに加担してしまっていたことに気が付く。
気が付いたきっかけについては記述がなかった。ただ「絶対に許すことが出来ないことがあった」と書かれている。
そして聖女様として祭り上げられた娘は聖女認定を受ける。しかしティファーナさんは喜べなかった。
その娘はその“ある男”の傀儡になっていたからだ。母親である彼女には自分の娘が以前とは違っていることがわかってしまった。
ティファーナさんは結界魔法を持っていた。
魔力のある王族は適性があればだいたい結界魔法を習得するらしい。戦争時の最後の砦として城に結界を張るのが王族としての役目だからだ。
何度も殺されて意識を失った直後の「聖女ではない方の娘」に、彼女は強固な結界魔法をかけた。
“ある男”の目を盗むようにして彼女は倒れた娘の体を取り返し、娘の体が朽ちてしまわないよう、誰にも奪われないようにと、かつてないほどの強力な結界を張った。
しかしその結界もいつかは解けてしまうだろう。だからその時のために聖女の「複製」に命じたという。
「いつかこの結界が崩れる前に失われた娘の魂を召喚するように」と。
ここで日記は終わっている。
「ヴィエナレーリィがこの“ある男”の言いなりになっていたと考えると、その「複製」にこの命令をするのは、ちょっと無理があるのではないかと思うんですが」
聖女様は私の空気を読まない突っ込みに儚く悲しそうな笑顔を返した。
「私たちの、中にある記憶では、本物のヴィエナレーリィさまは、その死の直前に、全てを思い出しています。そしてその記憶を、残そうとされました」
「じゃあ、今はもう問題ないんですね?」
そんなわけがないのは承知の上で私は言ってみた。
本当の意味で自由になっているのなら、この人が聖女様なんてしているはずがない。
「ヴィエナリリア様」
聖女様は泣きそうな顔をしている。ヤバい嫌味すぎた。
「私たちのこの体は、魔物を基にして、作られています。その魔物は、生涯に一度、自分の分身を作る、という性質を持っているので、それを基に、したのだそうです」
聖女様は目を閉じて深い息を吐く。
「ですから、作られた私たちは、……その“ある男”を、裏切ることはできません」
うーん、名前が言えない理由はそれか。
しかしマッドなマジシャンだな。
魔物の性質を利用して特定の人間の記憶も姿も継承させる。そうやってできた生物は自分を裏切らない。
メチャクチャなチートじゃん。数が作れるなら魔王だって目指せるんじゃないか。
でも本当に、少しも裏切ることはできないのかな?
だってこの聖女様は現にここまで逃げてきてるじゃない。つまりある程度の抜け道はあるはず。
「ですが、ヴィエナレーリィさまの記憶と共に、魔物の性質は、薄まってきていたのです。私たちの、一人目は、まさにヴィエナレーリィさま、そのものと言っていいほどの、はっきりした記憶を、持っていました。しかし、私の持つ記憶は、ほとんど他人の記憶を、眺めているような、とてもぼんやりしたものです。ですから、その制約からも、ある程度は逃れられました」
そんなに都合のいい魔法がそうそうあるわけないということか。代を重ねるごとに最初の設定が薄くなっていき、最後はエラーな個体ができてしまった。
しかしそんな状態でもその男の名前を言うことは難しいと。
ヴィエナレーリィを聖女に持ち上げて大司祭になり、その聖女を魔物の体にした“ある男”。
こいつがヴィエナリリアを殺した男に違いない。時間魔法を手に入れるために。
「……私たちは、分身を作ると、死期が、早まります。二~三年ほどで、寿命が来るのです。でも、寿命を迎えられたのは、私くらいでしょう……」
そう言いながら聖女様はベッドのシーツに指で文字を書いた。綴りを読み取るのはなかなか難しかったが、私には人の名前のように見えた。
「フ? フガイーク?」
私が何とか読み上げると聖女様はゆっくりうなずいた。目の光が薄いような感じがする。
このタイミングでそんなことをするということは、これが“ある男”の名前なのか。
「……人形の、聖女は、終わりです」
彼女の呼吸は落ち着いているように見えた。回復に向かっているようにすら見える。
でも、彼女の死期はもうすぐそこに迫っていた。
「だから……あなたさまを、召喚できて、よかった……」
いいえ。
いいえ、あなたは召喚できていません。本物のヴィエナリリアは、まだ100年前の時間の隙間にいます。
でも私にはそんなことは言えなかった。
「……はい、感謝しています」
私は彼女の手を握ってお礼を言う。
柄じゃないけど、これぐらいはしておかないとティファーナさんに怒られそうな気がしたのだ。
彼女は大きな目を見開いて嬉しそうに微笑んだ。
やつれていても彼女はとても美しかった。
「私の体は……もうほとんど、魔物になっています。だから、きっとあなたさまは……驚かれるでしょうが……悲しまないで、いただきたいのです……」
すごく思わせぶりな言い方なんだけど。私は何に驚いて何に悲しむことになるのだろうか。
「……エリック様に……何も言わずに……いなくなってしまったこと、お詫びを……したかっ……」
ためらうような言葉を最後に、彼女の体は白い霧に変わる。
見間違いかと思ったくらい、それは突然で一瞬のことだった。
魔物の体は死んだ時にはこんな霧のようになるのだろうか。
……でも、これは見ていて少しつらいかも。後に何も残らないんだから。
私は消えていく白い霧をぼうっと眺めながら、彼女たちの人生を思った。
彼女たちは聖女ヴィエナレーリィという存在のためだけに生まれ、記憶を継いで聖女として働いて、最後はこうして消えていくのか。
『悲しまないで』と彼女が言ったのは、たぶん彼女も「前の聖女様」が死ぬところを見たからだろう。自分以外は寿命を全うしていないらしいから、その聖女様が殺されるのを見ていたということになる。
そんな目にあう者はもういないということが、心優しい彼女にとっては救いだったのかもしれない。