ステルス
私の好みは純朴で善良な人間である。そう、人を裏切ることができない……裏切ることに心が痛んで身がすくむくらいの善人であってほしい。
決して、ヘラヘラしながら、昔の幼馴染との間に子供を作ったことを報告してくるような男であってはならない。
そして善人でも、悪人に情けをかけるようではダメなのだ。信念とか信条とかの確固たる芯のようなものを持った男性が好ましい。
例えば、決して連帯保証人にはならないとか、そういう主義は貫き通してほしい。
だから私は「外見より中身重視」派。性格がよければ多少ブサイクでもかまわないと思っているのだが。
ロニウスくんは顔がいい。そして性格は優しい。こう聞くと「いいじゃん」って思う女子は多いと思う。
でも彼のは優しいというか、たぶんちょっと気の強い女子にワーワーと強いことを言われたらその場をやり過ごそうとして要求を全部のんでしまうような、そういう弱さを感じる。
押しかけ女房の尻に敷かれるタイプだ。
幼い頃から体が弱くて、他人の世話になることに抵抗がなかったことも原因の一つなのかもしれない。
って、少し前まで思っていた。
目を覚ましてから数日後、体力が回復するとすぐにロニウスくんは領内の剣術の師範を呼んで、初心者がやるように一から剣術の基礎を習っている。筋トレのような基礎運動も毎日みっちりやっていて、かつて病弱だった人だとはとても思えないほどである。
私も朝の走りこみを一緒にやることにした。万が一の時の逃げ足は速いほうがいいと思ったのだ。
お屋敷の外壁の内側を一周回ってくるだけだけどかなりの距離がある。この体は筋肉がつかないかもしれない。それでもやっておけば経験値として差が出てくる可能性はあるはずだ。
しかし2日目にはロニウスくんの速さについて行けなくなってしまった。私が一周回っている間に彼は二周回って帰ってくるのだ。こっちがスカートなのもあるかもしれないけど、恐るべき進化速度である。
実は彼は人間ではなく、何か別の存在になってしまったのではないかと私は疑った。
領主夫妻は息子の謎の変わりっぷりを喜んでいるようなので、私も彼の変化はいい事なのだと思う。
でもどうしてあんなに変わっちゃったんだろう。ちょっと最初に思っていたタイプと違うような気がする。
最近、私はそんなロニウスくんを見るとなんだかソワソワしてしまう。恥ずかしいとかドキドキするとかの前ぶれみたいな感覚だ。
私けっこうギャップに弱いのかもしれない。
弱々しくベッドに寝ていたロニウスくんがあんなにたくましくなるなんて想像できなかった。
ちょっとカッコイイかも……いやすごくカッコイイかも……なんか悔しい。何に対して悔しいのかはわからない。
それなのに彼は急に近くに寄って来たりするものだから、心臓が跳ね上がって寿命が縮むような思いをさせられる。私が早死にしたら確実に彼のせいだ。
遺書に書いとくから……。
******
「……お母さま」
私は意を決して、バルコニーでロニウスくんの訓練を見守っているオリスティアさんに呼びかけた。
「どうしたの、リリア。眉間にシワができてしまいますよ」
「ああ、シワ……。じゃなくて、お願いがあるのですが……」
「まあ、何かしら?」
オリスティアさんの朗らかな笑顔が眩しい。
『ここで服買ってくれって頼んでみろ』と言ったあの黒フードの男が恨めしい。こんないい人におねだりをしないといけないなんて。
ていうかそんなスキル今まで磨いてきてないんだから、どうすればいいのか全くわからない。
稟議書を回していいですか!
「あの……こ、ここに、行きたいのです」
私は手に汗をかきながら、傭兵団の男にもらった「ノリス」という店のカードを渡す。
オリスティアさんの目がカッと2倍くらいに大きくなった。
「これは、なかなか予約が取れないという仕立て屋の……まあ、わたくしとしたことが!」
オリスティアさんは叫ぶような声を出すと、私を強く抱きしめた。
この人は何でもないときでもこうやって抱きしめてくるのでもはや慣れてしまった感があるのだが、今回はひときわ力が強いような気がする。ちょっと痛いくらい。
ここに来たばかりの頃、私の顔はオリスティアさんの胸の辺りにギューギューされていた。今は彼女の肩くらいになっている。私は背が少し伸びたみたいだ。
「女の子なのに、きちんとしたドレスの一つもないなんて、よくありませんでしたね。さっそく明日にでもハードゥーンに行きましょう」
オリスティアさんは言いながら、ロバートさんにお店のカードを渡す。
「明日はハードゥーンへ買い物に行きますよ。この店に連絡を入れておきなさい。最優先に仕立ててもらいますからね」
「はい、奥様」
ロバートさんは返事をすると礼儀正しく部屋から出て行った。
私はそれをなんとなく目で追って、あのカードの店は仕立て屋さんだったのかと思った。服屋じゃなくて仕立て屋。つまり採寸して自分用に服を作るということだ。
それって……めちゃくちゃ高いんじゃないの?
うわ、私、オリスティアさんに厚かましいと思われていたらどうするのよ。オリスティアさんはそんなこと思わないだろうけど。
自分で何言ってるかよくわからなくなってきた。
しかもこの体は今が成長期なのに、そんな高いの買ってもらってすぐに着られなくなったらもったいないじゃない。
あのオッサンどういうつもりなんだ。
*******
町に着くまでの道中は穏やかで何事もなかったのに、ハードゥーンの町に着くやいなや全身甲冑の人たちに馬車が囲まれてしまった。
何かわからないけどこれはちょっと困ったことになったぞ。今日はあの聖女様と会うことはできないかもしれない。
ロバートさんが町の兵士さんにさりげなく聞いたところ、全身甲冑の人達は「水の大神殿」所属の騎士で、都で盗みを働いた盗賊がこのハードゥーンの町に潜伏しているから、こうやって全部の馬車を止めて調べているということだった。
その「水の大神殿」の甲冑の人から、馬車の中を改めたいので全員いったん馬車を降りるようにと言われた。それは貴族の人にとってはありえないことなのか、ロバートさんは顔をしかめていた。
しかし神殿付きの騎士に文句を言うのはリスクが高いらしくて、黙って言われたとおりにするしかない。私もみんなと一緒に降りて馬車の近くで待つことにした。
すると私の横にいた侍女の人が、急に私の手を取って馬車から離れた方向へ歩き出す。
「こちらへ」
その声は確かに一緒の馬車に乗っていた侍女の人の声だった。
今回の馬車の移動には、オリスティアさんとロバートさんとあともう一人、オリスティアさんの侍女として女性の方が一緒に乗っていた。
だから私はその人だと思って何も思わずについて行ったのである。
ところがその人が向かった先は道が細かく入り組んだ下町っぽい場所で、どう考えてもオリスティアさんたちが買い物をするようなところではなかった。
それに、よく見れば一緒に来た侍女の人はこんなに癖のある栗色の髪ではなかったような気がする。
私は後ろを振り返ってオリスティアさんたちがどこにいるのか探そうとした。でもどういうわけかそんなに歩いたわけではないのに全身甲冑の人達もオリスティアさん達も、どこにも見当たらなかった。
狐に化かされたような気分だ。
「あの、あなたは誰ですか?」
私はこの女性について行くのが怖くなって体を引いて抵抗したところ、女性はさらに強く腕を引っ張ってきた。
痛いじゃない。何なのこの人。
「あなたの探している黒髪の女性が、あなたに会いたいと言っています」
「えっ」
この女性はあの傭兵団の男の手下だったのか。どうやってあの侍女さんと入れ替わったんだろう。私も全然気が付かなかったけど、たぶん他の人も誰も気が付いていないはずだ。
すごい特技持ってるな。
この巻き毛の女性を信じたわけではないけど、他にどうすることもできないので仕方なく黙って女性について行く。すると路地裏にあるような 一階が飲食店になっている小さな建物の裏口からすばやく太い腕が伸びてきて、ほとんど一瞬でドアの中に引きずり込まれた。
「おとなしくしてくれよ、お姫サマ」
何度か聞いたことのある声。あの傭兵団の男だ。またこいつかという思いが私の中に渦巻いた。
「都の大神殿の奴らが嗅ぎつけてきたんだよ。あんたが来るのが遅いからだぜ。何してたんだ」
「遅いって……」
何でこのオッサンにそんなことを言われなくてはいけないのか。そもそもこっちは自分でどこそこへ行きたいですなんて言える身分ではないのだ。
「あのニセ者にはいよいよ時間がない。その前にあんたに話したいことがあるそうだ。ノリスの店から連絡あって以降、こっちはバタバタしてんだぜ」
「時間がないっていうのは?」
この人は前にも同じことを言っていたけど、あの聖女様が死んでしまうという意味なのか。
はっきり言えばいいのに。
「まあそのへんもニセ物の命なんだってよ。まったく、今回は大損だ」
男は投げやりに言って、私を抱えたまま2階へと音もなく上がっていく。何で音がしないのか不思議で仕方がない。
「あんたをさらうのはこれで3回目か。よくよく縁があるな」
「傭兵団じゃなくて、人さらい団なんですか」
小さい声で嫌味を言うと男はあわてた様子で否定した。
「いや、貴族のオッサンに雇われた時以外は、むしろ人助けだろ。俺のかみさんはそういうのにうるさいんだからな」
「かみさん?」
「あんたを連れてきた巻き毛の女だ」
傭兵団の男にも奥さんがいるのか。
前の世界では、傭兵なんて銃が相棒だっていう連中ばかりだと漫画に書いてあったのに、この世界の傭兵は普通に結婚するのね。
少子化とかなさそう。