遠きにありて思ふもの
私は魔法結晶の作り方が知りたい。しかし教えてくれる人もいなければ魔法の解説本もない。
ないないばっかりで嫌になってくる。
よろしい、ならば実践あるのみだ。
私の手元にはニルンくんからもらった「カルアネリ」という黒い石があることだし。
私はその黒い石を両手の指先で持って集中し、石に向かって魔力を流すイメージで魔力を出してみる。
そうして徐々に魔力を石に込めていけば魔力結晶になるのではないかと私は考えたのだ。
もし間違っていたらまたやり直せばいい。気楽に行こう。
実際にやってみるとニルンくんからもらった石は小さなものなのに、ぐんぐんと勢いよく魔力が吸い込まれていくような得体の知れない怖さを感じた。
この石一個でどれだけ魔力が必要になるんだろう。
ああ見えてマリーさんはすごい魔法使いだったのかも……。
そんなことを思っていたら頭の中にかすかな声が聞こえ始めた。
(……ケタ、……ミツケタ、…………ミツケタ……)
思わずブワッと鳥肌が立つ。
それは幼い子供のような舌足らずの喋り方だった。
ヤバいよ。以前そういう怪談を読んだことがあるんだけど、これすごくヤバいやつじゃない?
(……アナタハ、ダレ?)
その声は私に問いかけてくる。こここここ怖い怖い怖い。
聞こえなかったことにしたい。
でもこういうのって、無視したらもっと良くないことが起こるっていうのが決まりみたいなもんだから……。うう、泣きたい……。
(私はリリアです)
私は悟りの境地になり、やけくそで強く念じてみる。これが届いてなかったら全部なかったことにしよう。
(リリア? ワタシト、スコシ、イッショネ。……ワタシハ)
非常に残念なことに私の声は届いていた。
そしておそらく相手も名乗ろうとしている。
嫌な予感がした。
それを聞いてしまったら、後戻りができなくなるような。
(ワタシハ、“ヴィエナリリア”)
――衝撃だった。
雷に打たれたような、とはこういうことを言うのだと思った。
生きていたんだ。
この声の主こそが本来この体にいるべき“ヴィエナリリア”その人だと。
だけど、どうして今になって……何がきっかけで話しかけてきたのだろう。
私は手に持っている黒い石を見つめた。
この石のせいなのか。この石に私が魔力を流したから……通信ができるようになった……?
ということは“ヴィエナリリア”もこの石を持っている?
(あの、あなたも黒い石を持っているんですか?)
(…………………………ソウネ)
何か妙な間があったような気がしたが、石が二つあれば通信ができるという私の予想は当たっていたようだ。
(今、あなたはどこに居るんですか?)
(……ジカンノ……アイダ……)
私はずっと知りたかったことを聞いた。
しかし予想外に意味不明な言葉を返されて、一瞬混乱してしまった。
時間の間? 何それ? トンチか何かなの?
(ワタシノ、マホウガ……ボウソウ、シタラ、ソウナルッテ、“アディ”ガ、イッテイタトオリニ、ナッタ……)
電波の悪い通信のように彼女の言葉はわかりにくい。
しかし、“アディ”……ってまさか。
(“アディ”って、“アディラジーン”のことですか? 古代の、すごい魔法使いの)
(ソウ、オカアサマノ、マホウノセンセイ。ワタシニ、“マーストゥン”ノ、ナマエヲ、クレタ)
ヴィエナリリアはその人と面識があるみたいだ。
アディラジーンは100年前にはまだ生きていたのか。
1000年以上生きた、とエリックさんは言っていた。古代のいつ頃から生きているんだろう。
ヴィエナリリアの「お母さま」はティファーナ王女のことだから、国のトップに近いところとは交流があったのかもしれない。
いやそれも興味深いけど私が聞きたいのはそこじゃない。もっと大切で肝心なことを聞くのを忘れていた。
(私は、事情があって、あなたの体を借りています。それで、どうやったら返せるのか……)
(イラナイ)
即答だった。言い淀んだようなこともなかった。自分の体なのにいらないとはどういうことなのか?
ていうか彼女は今現在体がない状態のはず。それでどうやって生きているんだろう。
(ソコニイルト、……ワタシハ、タイセツナ、モノヲ、ナクシテシマウ)
まただ。彼女が何を言っているのかわからない。自分の体よりも大切なものって何なんだ。
そう考えた時、ぞっとするほどの冷たい何かが頭の中を駆け巡るような感覚がした。
それは彼女に「何か」が起こった結果ではないのかと。
(あの、あなたがいた、100年前のことなんですが)
(モウ100ネンモ、タッテイルノネ……ココハズット、カワラナイ、カラ)
彼女は私の言葉に被せるように時間の経過に対する驚きの声を上げる。
人の話を聞けと言いたい。
しかし私は彼女の言葉になんとなくピンとくるものがあった。
『ずっと変わらない』『時間の間』にいる。
それはつまり……時間と時間の間に入り込んだということだろうか?
例えば〇時〇分1秒から〇時〇分2秒の間に入り込んだら、そこには「永遠に〇時〇分2秒にならない世界」があるということになる。
時間魔法を持った“ヴィエナリリア”は魔法を暴走させることによってその世界に入ってしまった。
そうしなければならない原因があったはずなのだ。
(100年前、あなたに何があったんですか?)
(……ナニガ、アッタカナンテ、オボエテ……ナイワ)
“ヴィエナリリア”は私の質問にそっけなく答えた。
どうしてかわからないけど、私には嘘を言っているように聞こえた。本当は覚えているけど言いたくない。そんな思いが見えたような気がした。
(そこから出ることはできますか?)
(デキナイ……。“アディ”モ、ゼッタイ、デキナイト、イッテイタワ。ダカラゼッタイニ、シテハイケナイッテ、キイテイタ、ノニ)
その時間の隙間の世界から彼女は絶対に出ることはできない……。
なんてこった……。
彼女のいる「時間と時間の間」は、私がやってみたかった「時間を止める魔法」の世界のようなのに。
そうではなく、その止まった時間にずっと捕らわれてしまうということなのだ。
……そのことを『絶対に出ることはできない』『絶対にしてはいけない』と、かのアディラジーンは彼女に教えていた。
どうしてアディラジーンはそんなことを知っているのか?
可能性として考えられるのは、アディラジーンも今の彼女と同じ状態になった……いやなっているからではないだろうか。
自分と同じ間違いをさせたくなくて、彼女にそう注意したのかもしれない。
(……デモ、ワタシハ、ニドト、モドレナクナッテモ、イイッテ、オモッタカラ、イイノ。……ソンナコトヨリ、アナタニ、オネガイガ、アル)
(お願い?)
改まって何だろう。私は体を借りているのだから、できるだけのことはしたいと思うけど。
(アナタノ、モッテイル、ソノイシ、チョウダイ)
(え)
これは驚いた。遠い100年前の時間から何をお願いされるのかと思っていたら、まさかこの黒い石をおねだりされるとは。そんなの全く予想していなかった。
(こ、これはニルンくんに貰った物だから……ダメです)
できるだけのことはしたいと思っているけど、人からお別れに貰った物をあげることはできない……。何とか別の物で勘弁してもらえないでしょうか。
(ソレ、タイセツナ、モノ?)
(そうです。……大切、なんです)
(ジャア、ソレジャナクテモ、イイカラ、オナジモノヲ、ケッショウニシテ、ワタシニチョウダイ)
さらに高いハードルが来たー!
ちょ、この人何言ってんの。同じ物って、この石がそこらへんにゴロゴロ転がっているのなら私だって拾いに行くわよ。でもこの石はもう見つからないんだってドルンさんが言っていたじゃない。
(いや、そんな簡単には……)
(2コカ3コ、アッタライイノ。オネガイ)
なんと数が増えたー!
……さすが生まれながらのお嬢さまは言うことが違うわ。
お屋敷の従業員がヒイコラ言って買ったのがあの小さなカケラなのに、この大きさのを二個か三個って、無理に決まってる。
なんか私、とんでもない人間の体を借りていたんだな。
(そんなにたくさん、何に使うんですか?)
そもそも100年前の時間にお届けすることなんてできるのかどうか。
こうして「通信」はできているんだから何とかなるのかもしれないけど。
できなかった時は、まあ今回は残念だったということで……。
(ソッチノ、ケシキガ……ミエルノ)
(え? 見える?)
(ココハ、ナンニモ、ウゴカナイ。……ジカンモ、ウゴカナイ。タイクツハ、シナイケド、デモ、……)
通信状況が悪いのか、だんだんと“ヴィエナリリア”の声が小さく聞こえにくくなってきた。彼女は何かを訴えている。いったい何が言いたいんだろう。
(えっと、あなたは、この世界とつながることができるから、この石が必要なんですね?)
(……ソウ……アナタガ、マリョクヲ……メタモノヲ……)
彼女の声が聞こえたのはそこまでだった。まるで電波が途切れるようにして通信は突然終わってしまった。
「…………」
私はため息をついてそっと額に手をやる。じっとりとした冷や汗をかいていた。
なんだかとても疲れた。ちょっと実験してみるくらいの気持ちだったのに、いきなりとんでもないのが来たものだから焦ってしまった。
この通信ができた理由はおそらく“ヴィエナリリア”の魔力とこの体の魔力が同じものだからだろう。魂にも魔力が付くのかはわからない。しかし彼女の例では記憶と同じように一時的に保存できるのかもしれない。
彼女のいる世界は時間が止まっているため、保存された魔力が時間経過によって失われることなく「その世界に来た時の状態」が永遠に続く……ということだろうか。
時間が経たないというのはどういう感覚なのだろうか。
退屈はしないと彼女は言った。しかしずっと変わらない世界にたった一人存在し続けることは、彼女をどんな気持ちにさせたのだろうか。
まるで時間の牢獄である。
おそらく彼女はそれに耐えられなかった。だから自分とつながることができる相手をずっと探していた。そこへ私が魔力結晶を作ったことによってつながったのだ。
彼女をどうにかして助けたいと思ったところで、彼女がいるのは今から約100年前のどこかの時間の隙間である。
仮にタイムマシンがあったとしてもその一瞬の隙間を探すのは至難の業だ。
だから彼女は1000年経とうが2000年経とうがその時間の世界に居続けるしかない。
私は自分にできないことはしない主義だ。
できることといえば、この黒い石をどうにかして手に入れることくらいだろうか。
まあ相手は悠久の時間を持つお嬢様なんだから焦ることはない。
返品不可を言い渡されたこの体で、人生かけてボチボチやっていこう。




