出会い
2つに割れた黒トカゲはマリーが呪いを使ったという証拠になるので、魔力を通さないという謎の箱に入れて保管することになった。しかし目の届かない場所に行くのはなんだか悪用されそうで不安だ。
その黒トカゲから出てきた黒い石は貰えるものなら貰いたかったが、これも証拠として保管するらしい。惜しかった。さっさと確保しておくべきだった。通信の実験ができたかもしれないのに。
クローディアというのはオリスティアさんの妹で、トイビーヤの隣の領地アーヴァカントの領主をしている人らしい。彼女の夫は入り婿で子供は女の子が3人いるそうだ。ちょっと想像しただけでも婿の人の肩身が狭そうな家庭である。
もともとトイビーヤはそこの領地の一部だった。オリスティアさんとジャスティンさんが結婚する時に分割されて独立した領地になったそうだ。
実家の領地の大半を受け継いだはずのクローディアはそのことが大変不満だったとみえて「あちらの家の長男ロニウスと自分の長女のイザベラを結婚させて、再び領地をひとつにしたい」と何かにつけて言っていたらしい。
しかしロニウスくんがあまりイザベラさんになびかなかったため「いっそ跡継ぎごと消してしまえ」と今回の事件を計画したのではないか、というのがジャスティンさんの推測であった。
でも別にこのトイビーヤという領地は豊かでもなんでもない。
そもそも面積が小さいし、一部海に面していても断崖絶壁が続いていて港になるような場所はない。それに潮風が強くて沿岸部ではまともに作物が育たないので、農業は畜産業が主になっている。
特産品は羊毛とチーズで、税金をちょっとでも増やしたら領民が全滅する可能性があるくらいの貧しい地方だという。
海があるのに魚を食べる習慣がないのかな。絶壁だと魚釣りは難しいのかしら。
クローディアが何故そこまでしてこの領地を欲しがったのかは、私には理解できなかった。
サリーさんとマリーは、10年前にこの地方を襲った水害で住んでいた村が水没して一文無しになったそうだ。それを領主様のお屋敷の住込み従業員になることで救われたらしい。
災害補償がろくにない世界でここまでの温情をかけてもらっていたのにどうしてあんなことをしてしまったんだろう。
彼女の供述によると「こんな田舎で生きていくのが嫌だった」ということである。あのベスの母親といい、この世界の女子は都会に出ることに全力を尽くしすぎではないか。
こうしてトイビーヤ領主の息子のトカゲ化事件は終わった……いや終わってはいないか。
黒幕だというクローディアには何も償わせることができなかったからだ。管轄の領地も違うし、何と言っても貴族、それも領主である。やろうと思えばどんな手を使ってでもバックレられる、それだけの権力があるのだ。
三権分立してない世界ってクズな人間が上に立ったら終わりなんだとしみじみ思う。
できるとしたらあのマリーの父親を何とかするくらいか。しかしこいつもおそらくクローディアの保護下にあるから、しょっ引くのは無理なんだろうな。
娘は最悪の場合、死刑になるというのに……。
はっきりしない結末だったけど、部外者である私にはどうすることもできない。あとはトイビーヤ領主であるジャスティンさんが頑張って何とかしていくんだろう。
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あれから慌ただしく三日間が過ぎ、マリーの処刑の日となった。
現代の死刑と比べると非常に早い執行である。捜査も裁判も決定権があるのは領主のジャスティさんだけなので、彼がそう決めたらそうなるのだ。
彼女も被害者だったとはいえ領主の息子をトカゲに変えた罪は重かった。「治ったからもういいよ」というものでもないのだろう。
かわいそうだとは思うが同情はしない。同じような境遇にあっても道を踏み外さずに生きている人たちが沢山いるのだから。
しかも田舎が嫌だったからという、自分勝手な理由でトカゲにされたのではたまったものではない。
ちなみにここに来た最初の日、お風呂から私の部屋までがとても遠いと感じていた件について。これはマリーが一番遠いルートを通って私を案内していたからであった。
マリー逮捕の時、従業員の皆さんがロニウスくんの部屋に来るのがやたら早いので聞いてみたところ、一階の食堂とお風呂、リビングから最短で来ることができる階段が存在していたのである。
言われてみればマリーも着替えを持ってくるのがすごく早かった。彼女はそのルートを知っていながら私には教えてくれなかったのだ。
何が目的で彼女がそんな案内をしたのかは知らないけど、嫌がらせのつもりだったのなら、一発ぐらい殴っておけばよかったわ。
そんなわけで領主夫妻は処刑の立会いのためにお屋敷にはいない。
私はあれからずっと目を覚まさないロニウスくんのベッドの側で、彼の両親に代わって見守る役目を任されているのだ。
見守るといっても実際はただ見ているだけなんだけど。
それにしても彼はまつげが長い。
そして意外にも女の子っぽい顔立ちをしている。トカゲだった頃の名残など全くない。
肩まである長い金髪はいつも後ろで結んでいたらしいが、今はそのまま流しているので余計に女の子みたいだった。
顔立ちは全体的にオリスティアさん似だと思う。体型はいわゆるヒョロガリ。背はジャスティンさんに似て高いけど筋肉がついてない。この世界基準では頼りないと言われるタイプなんだろうと思う。
マリーの持っていたという魔法の教本も読んでみたかったな。あれも証拠だからという理由で回収されてしまっている。
だから魔法の遠隔操作のことはわからないままだ。
魔法についてはいろいろと調べたいところなんだけど、どうも調べにくい環境に流されているような感覚がしてならない。
私はふーっと長いため息をついた。ロニウスくんのまぶたが少し動いたような気がする。あれ、気が付いたのかしら?
「…………」
私はしばらく瞬きも忘れてロニウスくんを見つめた。しかし一向に目を開けないのでちょっと飽きてしまった。
オリスティアさん達、遅いなあ。
「この事件の犯人を明らかにすることによって、領主夫妻への根も葉もない悪い噂を払拭する」という狙いがあるとはいえ、公開処刑ってちょっと怖い。
それを領民が見に行くというのもわからない。
私は、できれば若い娘が処刑されるような場面は見たくない。価値観が変わってしまいそうだから。でもそれがこの世界の文化なら仕方がないのかな。
「……き、みは……?」
かすれた小さな声が聞こえてきて、慌ててロニウスくんを見るとぱっちりと目が開いていた。
しまった。ロニウスくんが目を覚ます瞬間を見逃した。
いや見たとしても別に何かあるわけじゃないんだけど、ずっとここに張り付いているのに、肝心な時に見ていなかったのが悔しかったのだ。
「リリアと申します」
私はとりあえず名乗っておく。怪しい者ではないという意思表示である。いきなり知らない人が横にいたらロニウスくんも嫌がるかもしれないから。
もし「出てけ」って言われたらおとなしく退散しよう。
「……母さまは……」
「用があって、今はお屋敷を出られています」
私は彼の質問に対して詳しいことを言うのは避けた。まさか元従業員を処刑していますなんて言うことはできない。
それにしても目が覚めてすぐ母親を探す17歳ってどうなんだ。
この人は小さい頃から体が弱かったらしく、その分たくさん母親の世話になっているはずだから、マザコンとは事情が違うと言っていいのかもしれないけど。
それに普通の人間は、こんな時には母親に頼りたくなるものなんだろう。
「お水、飲みますか?」
「ん……」
ロニウスくんがうなずいたので、私は吸い口のついた小さなガラス製の容器に水を入れて口元に持っていった。のどが渇いているから変な声なのかと思ったけど彼はあまり水を飲まなかった。
生き物として弱っていると思われる。
ロニウスくんの目は何か言いたそうにしていた。
「……あの、リリア、は」
「はい」
「なんで……逃げなかったの」
私は一瞬何の話かと思った。ロニウスくんはトカゲだった時のことを覚えているようだ。「恐ろしいトカゲ人間」を見た私が逃げなかった理由を聞いているんだ。
「……イザベラ、は、逃げた。……ひどい顔を……してた」
ロニウスくんは悲しそうな顔をした。
それはそうだ。この世界で何不自由なく育った貴族のお嬢様が、あのトカゲ人間を見て怖がらないわけがない。
私の場合は元の世界でああいう種類の被り物があって、ハロウィンでもっとすごいのを見たこともあるから見慣れていたというか。
……そういえばあれはトカゲじゃなくてゴジ〇だったかもしれない。
でもそんなことうまく説明できないし、困ったな。
ここはさりげなく話題を変えよう。
「そうだ、何か食べられそうですか? 料理長さんが食事を用意しているらしいですよ」
ロニウスくんが目を覚ましたらいつでも食べられるように、お腹にやさしい系のスープを用意していると事前に聞いている。料理長さんが毎日新しいものを作って用意しているらしい。愛を感じる話だ。
そういえば私、ロニウスくんの目が覚めたらその料理長さんに報告しないといけなかったんだった。
「ちょっと厨房に行ってきます」
「まっ、て!」
ロニウスくんは突然大きな声を出して立ち上がろうとした私の腕をつかんだ。その動きはトカゲの時より早いように感じた。
病み上がりなのにすごい。成長期だしもともと身体能力は高めなのかもしれない。
何気なくロニウスくんの顔を見ると泣きそうな顔をしている。私はなんだか妙に焦った。女子に泣かれて困る男子小学生の気持ちに近いかも。
なぜそんな顔をしているのでしょうか。もしかして一人になりたくないという理由じゃないでしょうね。いや今まであなたずっとこの部屋で一人だったですよね。
あ、そういうことか。
「一人になると不安ですか?」
「……うん」
ロニウスくんの手の力がギリギリと強くなっている。私の腕が痛い。これはもうだいぶ身体の方は回復しているとみていいだろう。
でも握力チェックはリンゴでやってね。
「あの、手が痛いです」
「あ……ごめん」
苦情を申し立てると、ふっと彼の手の力が抜けたのがわかった。でも相変わらず腕はつかまれたままだ。
別に不愉快ではないが何で手を離さないんだ。前世はスッポンだったのか。
「リリアは……、母さまは前に……女の子が欲しいと言っていたけど、その……」
ロニウスくんは言い方を探るようにゴニョニョしている。要するに私がどこから来たのか聞きたいのだろう。
「私は孤児だったので、ファスティスの神殿から来ました」
「……そう、じゃあ、養女、になるのかな」
ロニウスくんの質問に私は首を傾げた。そういえばオリスティアさんは「嫁がダメなら養女に」と言っていたような。
どっちに転んでも最終的には養女になると考えていいはずだ。
私はうなずいた。
「たぶん、そうなるみたいです」
「そう」
ロニウスくんはオリスティアさんによく似た笑顔を見せる。頬に赤みが差してかわいらしい。男性にそんなことを言ったら怒られるかもしれないので言わないけど。
「僕は、リリアの、兄になるんだね」
念を押すようにロニウスくんが言う。
お兄ちゃんになるのがうれしいというやつだろうか。
しかし弟さんがいたんだからもうすでに兄にはなっているはずだ。ロニウスくんは一体どうしたんだろう。私は彼の頭が心配になった。
そんな私をじっと見ていたロニウスくんは、おもむろに口を開く。
「……お兄さま、で」
「えっ?」
「僕のことは、そう呼んで」
ロニウスくんの顔が真っ赤になっていた。そして少し嬉しそうに見えた。
何なのこの流れ。呼ばないといけないっぽい雰囲気。
すべてにデジャヴを感じる。
意識すると、私はまた恥ずかしくなってしまった。
「えっと、お兄さま……」
この家の人たちはどうも呼ばれ方にこだわるところがある。そういう血筋があるのだろうか……。




