さらわれる
2話目です。
目が覚めると、ボンヤリと白い天井が見えた。
あれ、病院? 助かったのかな? …………んん? なんだか天井に彫刻のようなものがうっすら見える。内装が豪華だ。よっぽどいい病院なのかな。……ああ……入院費どうすんだよ……保険、どんなの入ってたっけ……。
頭が痺れたように思考が働かないが、周りを見ると、モヤのようなキラキラしたものが視界を埋め尽くすように飛んでいるのが見えた。
……きっと目の病気だ……。……いや脳の後遺症かも……。
それともこれがあの世の景色なのか……。
ボンヤリしたまま右手を上にあげると「何か」にぶつかり、そこからもキラキラのモヤが出てくる。どうやら自分は透明な「何か」に囲まれていて、その「何か」は触るとキラキラになって消えていくようである。
しかし、触らなくてもキラキラになっているような気もする。これは何だろう。こんなの見たことがない。
しばらくしてキラキラが全部なくなると、さっきよりはっきりとした天井が見えた。白一色で植物モチーフのような細かく美しい彫刻がされている。これは普通の病院ではない。セレブ御用達とかのとんでもない贅沢病院なのではないか。よく知らないけど、芸能人とかがマスコミから逃げるための入院に使うってネットで見たことがある。
どうしよう、豪華だわ、やばいわ、語彙力がなくて困ったわ、一泊いくらかしら。保険はきく……わけないか……。
「……よっこらしょ」
だるい体を掛け声と共に起こす。
だるいけど、ケガの部分は痛くない。起きても大丈夫みたい。点滴の管とかもつながってないし。
起き上がると、白いヒラヒラの「ウエストの絞ってない袖なしゆるふわワンピース」のような服とそこから出ている白い脚が見えた。
「あ、あれ?なんか小さくない?」
私は(日本人的には)背の高い方だったので、足のサイズは(日本人的には)大きい方だった。でも今見えている足はいつも見ていた足より小さい……ように見える。目がおかしくなければ。
そしてよく見ると寝ていたところもベッドではなく、白くて硬い石の上だった。
なんじゃこりゃ。
ケガ人をこんな硬いものの上に乗せるとはどういうことよ。入院費を割引してもらおうか。
金の心配ばかりしながら、ベッドじゃなかった、石の台を降りる。
そこでスリッパがないことに気がついたが、周りにそれらしいものはない。仕方なく素足のままで黒い床を踏みしめる。意外にもそんなに冷たくなかった。
(床暖かな? 冷え性だから助かるわ~)
改めて見るとずいぶん広い部屋である。30畳以上ありそう。でも壁も天井も白いので距離感がつかめなくてよくわからない。
ちなみに家具や調度品は一切なく、非常にガランとしている。私の寝ていた石の台は部屋の奥の方になるようだ。
おかしなことにこの部屋には窓がないにもかかわらず、ほんのりと明るい。
壁や天井や扉、寝ていた石の台は白なのに床だけ黒いタイルを使っているのも変わっている。
どこから光が差しているのかわからないが、黒いタイルを覗くとまるで鏡のように自分の顔が写っていた。
「だ、誰……?」
そこに写っているのは自分ではなかった。
大きな瞳に鼻筋の通った、凛とした美少女が写っている。子供といえば子供であるが妖精のような儚い美しさを持った女の子だ。
驚きすぎて床にしゃがみこんでまじまじと見た。腰が抜けたわけではない。
薄暗くてはっきりしないが、髪の色は黒ではなく薄めの茶色っぽい。目の色も明るい色だ。妖精の中でもこれはきっと森の妖精になるのではないか。
ちょっと何言ってるのか自分でもわからないけど、まあ少しも日本人っぽくはない。
背丈は150センチ弱くらいだろうか。近くの壁に寄りかかって手で押さえて測ってみる。
ここまでわかればもう確定だ。
この体は「元の私の体」ではない……。
自分の体をぺたぺた触ってみる。ナイフが刺さった時のケガも傷跡もない。白いヒラヒラ服の下には下着の類を身に着けておらず、胸はペタンコになっていた。ずいぶん寒々しい。いや寒くはないけど。
足の力が抜けて、私は床にへたり込んだ。
そんな馬鹿な……。
生まれ変わったにしてもいきなりこの年齢はないよね。
あるとしたら「入れ替わっちゃった!」みたいな?
そう考えた瞬間、私の胸に刺さったナイフが記憶に甦ってきた。もしこれが入れ替わりだとしたら、あの私の体に入った人は間違いなく死ぬはず。
ちょっとそれは考えたくない。
だいたい、ここはどこなんだ。日本なのか。病院でもなさそうだし、誰かの家でもなさそう……?。
落ち着きなくきょろきょろと周りを見ていたら、突然背筋がぞっとするような嫌な感じがした。
……誰かが見ている、ような気がする。
どこから見ているのかはわからない。でもとても嫌な気配がする。
逃げなければという謎の焦りが私を急かし始めた。
しかし逃げると言ってもどこへ逃げればいいのか。ここがどこなのかもわからないのに。
全く見当も付かないまま、ふらふらと歩いて寝ていた石の台とは反対方向にある白い大きな扉を開けた。
逃げるにしてもまずは出入口から逃げるという常識的な判断である。だって窓がないし……。
ふわりと暖かい風が吹く。部屋の外は暗かった。たぶん時刻は夜なのだろう。
扉の外には幅が10mくらいある広い廊下があって、廊下と外? の間に豪華な装飾の低い壁のようなものが見える。壁の向こう側は見えないが、越えればたぶん庭があるはずだ。
外に出られるかもしれない。
おぼつかない足取りで壁に向かい、夜のようなのに空が明るかったので見上げてみたところ、星がなかった。
「……えっ、なんで?」
思わず声が出てしまう。
星がない。一つもない。ここは地球ではないのか。
自分で思っておいて何だけど、地球ではないってありえないことなのではないか。
地球外生命体は本当にあったのか。
それでどうして私は私の体じゃなくなって地球外にいるんだろうか。
この体は宇宙人のものなのか。
星がないということは銀河系の端っこのあたりにある惑星なのか。
そんなところで中身が地球人のわたしはどうすればいいんですかー!!
ああ思考がまとまらない。
……冷静に考えれば死んだあと宇宙人になって地球ではない星にいるなんてあるわけないじゃない。
もう考えられるのは一つしかない。
ここが冥界ってやつか……マジ勘弁だわ。それとも浄土って言うんだっけ。
ハァ~とため息をついたところで、気配を殺した誰かが近付いてきているのに私は気が付いた。
ちょっと前に刺されているせいで感覚が鋭くなっているのかもしれない。
誰なんだろう。冥界に知り合いはいないはずだけど。
考えても仕方がないのでとりあえず逃げることにする。
この壁は、今の自分には踏み台でもなければ乗り越えられそうにない高さだ。かといって私がこの建物の間取りを知っているわけもなく、やむを得ず壁に沿ってヨロヨロとおぼつかない足取りで走った。
感覚がおかしい。久しぶりに走ったみたいに足が絡まってしまう。毎日通勤しているのでそんなに運動不足だとは思っていなかったが、運動量としては足りていなかったのだろうか。
ああ、そういえばこの体は私の体じゃないんだった……。
壁ぎわには所々で大きな柱が装飾のように立っていて、私がそれに邪魔されるように壁から離れた時。
「!」
大きなガサガサした手が私の口をふさいで、すごい力で体が横抱きにされる。
さっきの気配を殺していたこの人物は音もなく走っていたようだ。追ってきているとはまったく思っていなかった。
どうしてこんなことをされているのかはわからない。とにかく自分はマズい状況にあると全神経が警告していた。
しかしさっき起きたばかりで少ない体力を消耗してしまうのが怖かった私は、やみくもに暴れて拘束を振り払うことができなかった。
「あれぇ、おとなしいな」
「しっ、喋らないで」
誰なのかは見えなかったけど、男の声と女の声が聞こえる。同時に変なにおいが鼻に来て、私は再び眠りに落ちていった。