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魔物の棲む家①

 アロデスだった老人は体格がそんなに変わらないまま骨や筋肉が細くなっていたみたいで、ベッドに乗せられた時の衝撃で複数の骨を折ったらしい。しかし彼の叫び声は小さく何を言っているのかも分からない状態だった。近くの小さな神殿から司祭が来る前には死んでいたということである。


 その司祭は「今までこんなひどい歳の取り方をした老人は見たことがない」と言ったそうだ。

 小さな宿場町であったため、瞬く間にその話は広がり、「ここにも変な病気が出た」と大騒ぎになった。


 自力で自分の身を守れたことは良かったけど、この魔法は気軽に使ってはいけないのかもしれない。

 なにしろ、自分でも何が起こるのか予想がつかないのだから。


******


 貴族というのが特権階級だというのは私でも知っている。

 その理由の一つが「お金を持っているから」だ。


 もちろん現代の日本だって、お金を持っている人の地位が高いという考え方はある。例えば会社の中でも、社長であるとか何かの役員であるとかの、いわゆる「お金の使い道を決める人」の方が地位が高いし実際偉そうにしている。

 でも現代であれば、どんなにお金があって地位が高くても犯罪行為をしたら捕まるのだ(捕まらない人もいるという異論は認める)。


 ではこの世界の貴族はどうだろう。犯罪にあたる行為をしても捕まらないとしたら。お金で全てが解決できるとしたら?


 アロデスは我慢することができなかったんじゃない。

 我慢しなくてもいい立場にあったのだ。我慢なんてする必要がない。


 「犯罪を犯罪と定める法律がない」のか、「貴族は法律によって裁かれない」のか……。いずれにしても、あの男は今まで全てをお金で解決してきたのだろう。

 だから思い通りにいかないことに納得できなかったのではないか。


 頭の中が簡単になっているのだ。長年の経験によってこれだけお金を払っているのだから思い通りにならないわけがない、という構造になってしまったのだ。


 あの妹と同じだと思った。

 私がアロデスに対して嫌悪感に近い感情を抱いていたのはおそらくそれが原因だろう。

 どれだけ嘘をついても親から怒られることのなかった妹は何かあれば必ず人のせいにしていた。

 私はそんな家にいるのが苦しかったし、居場所がないことがつらかった。


 そして、どこか遠くへ逃げたいといつも思っていた。


******


 日が暮れる頃、ようやくトイビーヤ領のオリスティアさんのお屋敷に到着した。

 長かった……。馬車に乗っているだけなのに本当に疲れた。お尻が痛い。


「奥様、どうぞ」


 ロバートさんも疲れているだろうに、さっと馬車を降りてオリスティアさんをエスコートするのは、素直にすごいと感心する。

 馬車を降りていくオリスティアさんの背中を見ながら、私も降りるために馬車から出ると、左側からスッと白い手が差し出された。


「どうぞ。お手を」


 若い女性の声だった。もう辺りが暗くなってきていたので段差が見えにくいと思われたのかもしれない。馬車を降りるのはだいぶ慣れてきたから私には必要ないと思ったが、こうやって「手を取って降りる」のが女子には必須のマナーなのかもしれない。私はちょっと迷ってから手を乗せた。


「ありがとうございます」


 お礼を言うと、いいえと小さな声が返ってくる。


 黒いブラウスと長い丈の黒スカートに白い前掛け。フリルのついていない「質素なメイド服」のような服装をした黒髪の女性だった。

 しっとり落ち着いた感じの美人である。


 ちなみに私はフリルのついた白いブラウスと長い青スカートという服装だ。ワンピースがダメになったので急いで用意してくれたらしい。本当にオリスティアさんには感謝しかない。


「無事でよかった、オリスティア」


 馬車を降りてすぐのところでオリスティアさんと抱き合っている男性がオリスティアさんの旦那さんで、トイビーヤの領主様なのだろう。


 オリスティアさんはその男性に小さく耳打ちをする。

 それを受けた男性は私の方を見て、ニコッと笑った。何というか独特の圧力を感じる。領主という責任ある仕事をやっている人だからなのか。


「……ああ、君がリリアだね。私はオリスティアの夫のジャスティンだ。歓迎するよ」

「リリアと申します。よろしくお願いします」


 旦那さんはジャスティンさんというらしい。白髪のちらほら見える茶色の髪に青い瞳の、背の高いカッコイイおじさんであった。細マッチョ体型のせいか地味な服を着ているのにすごく決まっている。


「さあ、もう冷えてきたから、夕食にしよう」


 そう言ってジャスティンさんは自然な感じでお屋敷へ先導する。

 石の階段が何段かあって大きな両開きの扉を開けると、とんでもなく広い玄関だった。いやこれはロビーっていうの? とにかく広い。でもなんだかガランとしているように見える。人が少ないからだろうか。

 例えるなら人のいないイオ〇モールのような感じである。



 思っていたよりは小さめのテーブルで、あっさりめの夕食をとる。

 貴族っぽくはないけど、私にはこういう雰囲気の方がちょうどいいように感じられた。


 私は元々あんまり食事に対してこだわりがない。固いパンも味の薄いスープも余裕なのだ。これはサバイバーとしてちょっと自慢。

 味よりも腐ってないことやきちんと栄養が取れていることの方がよっぽど大事だと思っている。

 元の世界でも私はそんなに食べ物にはこだわってなかった。朝はフルーツグラノーラ、昼は会社が頼んでいるお弁当、夜は冷凍うどんか近くのスーパーの割引された弁当という感じ。同じものを繰り返し食べていたが好き嫌いはなかった。


 もちろん付き合いで誰かと食べに行くことはあったし、友達から聞いたレシピで自炊したこともある。でも特定の食べ物に執着したことはない。

 「どうしてもこれが食べたい」とか「これじゃないとおいしくない」っていうこだわりがないのだ。

 実家にいる時は母親の作るものに文句が付けられるような環境ではなかったから、それが染み付いているのかもしれない。ただひたすら黙って食べるだけなのだからこだわりなんて持ちようがないだろう。

 しかし私はまだこの世界に来て一ヶ月くらいなので、もしかしたらこれから好きで好きでたまらないと思える食べ物が見つかるかもしれないけど。



 食事が終わると食後のハーブ入りのお湯を飲みながら、ジャスティンさんは人払いをした。


「リリア、この家について、少し説明してもいいかな?」

「はい」


 ジャスティンさんの話し方は柔らかくて、いいおじさんぽいと思った。


「私たちには、二人、息子がいてね。上の子がロニウスで、下の子が……ラルスだ。しかしラルスは去年、原因不明の病気で死んでしまった」


 いきなり重い話だった。トカゲになったというロニウスくんの下に弟がいたのか。その子が去年亡くなったと。


「ラルスは、ある日いきなり高熱が出て、司祭を呼ぼうと言っているうちに、あっという間だった。あの子はロニウスと違って子供の頃から病気ひとつしたことがなかったのに、こんなことがあるのかと、ずいぶん神様を恨んだりもしたよ」

「そうね、ロニウスは生まれたとき体が弱くて大変だったから、次の子が生まれたときは、丈夫な子に育つようにと、古代の英雄の名前から名付けたりしましたね」


 オリスティアさんも懐かしそうに目を細めた。


「ラルスが死んでしまって……わたくしたちはずいぶん落ち込みましたが、ロニウスの体がおかしくなってから、ますますこの家は、暗くてどうしようもなくなってしまいました」

「そこへあのイザベラが来たのがね……」


 領主夫妻にはつらい話題になるからだろう。声をひそめて2人で話し出す。


 イザベラさんというのはオリスティアさんの妹の娘で、ロニウスくんにとっては従姉妹になる。この娘は以前からロニウスくんに気があるのかよくこの家に来ていたらしい。


 ロニウスくんの体に異変が現れてからは、お屋敷ではロニウスくんをできるだけ他人に会わせないようにする処置がとられていた。もちろん親戚であるイザベラさんもその対象だった。

 それなのに領主夫妻が都へ行かなくてはならない用事でお屋敷を留守にしている間に、イザベラさんはロニウスくんに会いに来てしまったのだ。


 タイミングがいいというか悪いというか……。まあこういうことは誰にでも普通にあるとは思う。


 当然、留守を任されていた執事のロバートさんは面会を断った。しかしこのイザベラさんはわりと、いや結構気の強い娘だったようだ。

 イザベラさんは勝手知ったる家なのか、従業員が使う裏口からお屋敷に入りロニウスくんに強引に会いに行った。

 もちろん裏口付近にいた従業員からは止められたのだが「私は領主夫妻の許可を得ている」と堂々と入って行ったため、却って止めてはいけないのではないかと従業員が思ったほどだったらしい。


 そしてイザベラさんは変わり果てたロニウスくんの姿を見て大声で叫び、屋敷から転がり出る勢いで逃げた。

 そこでようやくロバートさんが事態を知ることとなったのである。


 その日のうちにトカゲ息子の噂は親戚を中心に貴族の間中に広まった。


 そして、なぜか貴族と関わりのない平民までもが知るようになってしまった。


 ロニウスくんの状態を知らされていなかった従業員からは退職の申し出が相次いで、お屋敷に勤める人は限界まで少なくなっていった。

 もちろん退職した従業員には、口止め料を含めて多めの退職金を渡したのだが、それでも噂は領内中に広まっていったのだという。


 そんなわけで、神殿に私を引取りに行くのにもお供はロバートさん一人だけだったのだ。そしてその間にロニウスくんに何かあるといけないのでお屋敷にはジャスティンさんが残る、ということになったらしい。


 貴族という特権階級のわりにいまいち脇が甘いような気がするけど……。


 しかしこの夫婦が悪人ではないというのはなんとなくわかった。

 話を聞いた感じだとそのイザベラさんは怪しいな。ロニウスくんの異変を知っていて会いに来たようにも思える。

 噂の回り方が早すぎるからだ。


「それでね、今この家には侍女が少ないの。だからあなたにとっては不便に思うこともあるでしょうけど……」

「えっ? いえ、私、自分のことはできるだけ自分でしますから、大丈夫です」


 オリスティアさんの心配する方向に驚きながら私は手伝ってもらわなくてもできることをあれこれと考えた。着替えは服によっては一人で着るのは難しいけど、今の普段着なら普通にできるし、掃除道具があれば掃除もできるし、洗濯は洗濯機がないからさすがに教えてもらわないと無理だけど、たぶんやればできるはずだ。


「そうなの? でも無理をしてはだめよ」

「はい」


 そんなの全然無理じゃない。生活するのに必要なら何でもするのが当たり前だし。


 ……何か、さっきからオリスティアさんがチラチラと私の方を見ているような気がする。私は何かしてしまったのだろうか。


「リリア、よ……呼んでもいいのですよ、その……」


 オリスティアさんは照れたような顔で詰まりながら言うと、片手で自分の胸をポンポンと叩いた。一瞬何を言われているのかわからなかったが、「呼んでもいい」のキーワードで私は気が付いた。


 でも改まって呼ぶのは、ちょっと恥ずかしい。


「……お母さま」


 ぶわっと顔が赤くなるのが自分でもわかった。

 オリスティアさんは満面の笑みでイスから立ち上がると、座ったままの私をギューギュー抱きしめた。身動きが取れないけど、こういう場合って、私は座ったままでいいのかしら……。


「いい子ね、リリア、もう一回言って」

「お、お母さま」

「もう一回」

「お母さま……」


 これでもかと頭を撫でられて、ゆでダコのように顔が真っ赤になるのを感じる。いつ移動したのか、後ろからジャスティンさんがそっと手を私の肩に乗せてきた。


「……リリア、私のことは、お父さまと呼びなさい。ね!」


 私が思わず見上げるとジャスティンさんの目がちょっとマジなように見えた。怖い……というより迫力のある視線である。何のオーラを出しているんだ。

 いいおじさんっぽいと思っていたけどなんか違うような気がしてきた。


「はい、……あの、お父さま」


 ジャスティンさんは私の返事を聞いて、満足そうにうなずいた。


 何なんだろう、この夫婦。


*******


 お風呂に入ってもう寝よう。


 現代人には普通の発想だ。しかしこの世界ではいちいち面倒くさい。

 まずお湯を沸かさないといけない。もちろんガスはないので薪をくべてお湯を沸かす。そこで薪の使用許可が必要になるわけで、その薪も「料理に使う用」とかで分けてあると勝手に使うわけにはいかない。

 さっき厨房にいる男の人に許可もらったから、ここまではクリア。


 そして着火ももちろん自動ではないから火を起こす道具がいる。前にいた神殿では金属の棒みたいなのをこすり合わせて火を起こしていた。

 今日は運良く厨房の種火を貰えたので、手間が省けてうれしい。


 ファンタジー世界なら魔法で火をつけられてもいいんじゃないか。でもここは魔法使いが少ない世界だからね。どうしても絵的には地味になるわね。


 そして鍋で沸かしたお湯をバスタブに入れる。時間を置かずに繰り返し何度か沸かしては入れて、適量になったら温度調節の水を入れる。

 この水は普通は湯を沸かす間に井戸などから汲んでくる。ここでは大きな樽にすでに水が用意してあった。

 子供にとって水汲みはかなりの重労働なのでかなりありがたい。


 こうしてようやくお風呂に入れるのだ。

 ボタンポチーで終わる現代日本に戻りたいわ。考えるだけで泣けてきた。



「リリア様、お風呂ですか? 仰られれば私がいたしましたのに」


 さあ入るぞという段階になって、馬車を降りたときにいたメイド服の黒髪の女性が慌ててお風呂場に来た。

 もしかして何か決まりごとを破ってしまったのだろうか。とりあえず私は謝罪することにした。


「ごめんなさい、皆さんお忙しくされていると思ったので、自分で入れました。ダメでしたか?」

「……いいえ、でも、火を使うようなことは、危険ですからできればやめていただけると……」


 黒髪のメイドさんは語尾を濁してうつむく。その顔はなぜか怒っているようだった。

 これ絶対「こいつ手間かけさせやがって」って思ってる顔だわ。


「そういえばリリア様、お着替えはお持ちですか?」

「あ、……いいえ」

「では用意してまいります」


 なんとパジャマがあるらしい。あとで場所を確認しておこう。お風呂の度にメイドさんに用意してもらうなんて、人手が足りない中で迷惑をかけてはいけない。


 あとは体を拭くものがあれば、と脱衣所のあっちこっちの棚を探す。きれいに畳まれた木綿の布が収めてあった。吸水性が良さそうなのでたぶんこれだ。でも勝手に使ってもいいのだろうか?


 布を取ろうとして私が左手を伸ばした瞬間、その指先があっという間に黒く変色していった。

 自分の手ではないような鈍い痺れを感じて私は思わず手を引っ込める。


「え?」


 何が起きたのかわからなかった。私は何か触ったのだろうか。インクとか……いや違う。これは皮膚の内側から黒くなっているように見える。

 不思議だなあと指先を覗き込んでいると、自動回復の効果が現れたのか黒い指先はスルスルと元の指の色に戻っていった。


 ――何だったんだ今の。


「……リリア様、こちらがお着替えです」

「はい、ありがとうございます」


 気がついたら黒髪のメイドさんが後ろに立っていた。

 顔には出さなかったけどちょっとビックリした。ホラー映画じゃないんだから、いきなり背後から現れるのはやめましょう……。


 私は一人でお風呂に入るつもりだったのに、黒髪のメイドさんが手伝うと譲らないのでそういうものかと思ったのだが、遠慮も手加減もなくガシガシ体をこすられたのには閉口した。

 髪も必要以上にガシガシやられたような気がする。

 これから毎日こんな感じでお風呂に入るのかと思ったらゲンナリした。


 貴族って、平民と違う意味で大変なんだな。一人で鼻歌でも歌いながら入るお風呂は至高だったわ。


 それにしてもこのメイドさん、何か距離感がおかしい。私はさっきまでかなり放置されているっぽかったのに、急にこんなに関わってくるのは違和感がある。



 お風呂から出て、黒髪のメイドさんの先導で部屋へ案内してもらう。

 私は眠い目をこすりながら、結構な距離を歩いたような気がする。なんて広いお屋敷なんだ。そういえばどこらへんの部屋なのか聞いてなかったな。


 一人暮らしの部屋を探していた頃を思い出して6畳くらいあったらうれしいなと思っていたら、ぱっと見で20畳はありそうなとても広い部屋に連れて行かれた。


「ここ……でいいんですか?」


 子供の部屋としては広すぎて逆に使い勝手が悪いのではないかと心配になるレベルだ。

 冷暖房とかも効きにくいんじゃないか……冷房はないか。


「はい。ここがリリア様のお部屋になります。そして、この廊下の突き当たりの部屋がロニウス様のお部屋になります」


 黒髪のメイドさんが答える。


 ロニウスくんの部屋に近いのか。じゃあ挨拶にでも行こうかな。今日はもう遅いから、明日の朝にでも。

 それにしても眠い……。ここのところあんまり眠れなかったからかもしれない。

 メイドさんにおやすみなさいを言ってベッドに入ると、すぐに眠気が襲ってきた。


 あの黒髪のメイドさんはなんていう名前だろう。

 スプラッタなホラー映画に出てきそうな雰囲気のある人だ。

 そういえば夕食の時に、オリスティアさんが「マリー」って呼んでいたな。


 ……メリーさんじゃなくて良かった。


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