トカゲと嫁
「……奥様、あの……よろしかったのですか」
向かい側に座っていた人が声を出した。ちょっと歳を取った感じの男の声だった。
「何がです? ジャスティンにはもう話をしてありますよ」
私の隣に座っている女性が答えた。どこか怒っている感じの声である。
「あなたに何か言う資格はありません。イザベラを止められなかったのですからね」
「それについては、申し開きのしようもございません」
なんだなんだ。この男の人は何かをやらかしたのかな?
でもこの女の人、怖いな。私はこんな怖い人のところに引き取られてしまったのか……。
小公女セーラっていうアニメに出てきた怖い学校の先生みたいな感じだ。
もう腹くくるしかない。最悪、雨露がしのげてご飯が食べられればよしとしようじゃないの。
おいしいご飯だといいなあ……。
急に馬のいななきが聞こえて馬車がやや乱暴に止まる。シートベルトなんてものはなく、私は前に投げ出されるように向かい側の座席に突っ込んだ。
なんて危険なんだ。向かい側に誰もいなくてよかった。
私が被っていた白い布が落ちて視界が広がると同時に、他の二人の姿が見える。
一人は60歳くらいのグレーの髪の男性。執事のような黒い服を着ている。顔も執事さんっぽい。
もう一人は30代? くらいの女性。淡い色の金髪をお団子みたいに結い上げて、茶色と白のきっちりした上品なドレスを着ている。美人だけどやつれている感じ。
二人とも私と同じように衝撃で体勢を崩していたが、女性の方がすぐに起き上がって御者が見える小窓のカーテンを開けた。
私もすぐに体を起こして落ちた白い布を探すが、見当たらない。
「こちらをお探しですか?」
執事さんっぽいおじさんが拾い上げて渡してくれた。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言って受け取るとおじさんはどこか気の毒そうな顔をした。
何なのでしょうか。言いたいことがあるなら言ってほしいのですが。
そんなことを思いながら再び布を被って座りなおすと、女性がイラ立ったように馬車のドアについている窓を開けた。
あの窓の部分って開けられるんだ。ちょっとビックリした。
「何ごとです?」
ドアのそばには御者と思われる男の人が立っていて女性に何かを言おうとしているような雰囲気だった。
そこへいきなり横から大きな声が聞こえてきた。たぶんこれは御者の人の声ではないと思う。
「これはこれは、麗しの叔母上ではありませんか」
粘っこい感じの男の声で芝居がかったしゃべり方だった。これたぶん、何年かたったら思い出して恥ずかしくなるやつだ。
「……何か用ですか、アロデス」
「用というほどの用ではないのですがねぇ。“あれ”以来めったにお出かけをしなくなってしまった叔母上が、どちらへ行かれていたのか気になったのですよ」
「あなたには関係ありません。馬車をどけてちょうだい」
「いやいや、そうはいきませんよ。私も先ほどまでファスティスの神殿へ行っていましてね……」
「バーンス、馬車を出しなさい」
アロデスとかいう人はあの神殿について何か知っているのだろうか。
それにしてもこの女性の対応はキツめだな。このアロデスっていう人と過去に何かあったのかもしれない。
「まあ、お待ちくださいよ。……情報では、今回は金髪碧眼の類まれなる美形が出ると聞いていたのに、競りを見た限りそんな美形はいなくてですね。今日のために金貨100枚はつぎ込んだのにですよ。叔母上は何かご存じないかと思いまして」
「お黙りなさい。以前からいつまでも結婚せずに、孤児を買っては使い捨てるのを、やめるよう言っているでしょう。聞くのも不愉快です。バーンス! 馬車を出しなさい! 何度言わせるの!」
女性が大きな声でとんでもない内容を言うと、車内にはピリピリとした緊張感が充満した。
「叔母様! せめて馬車の中を見せてもらえませんか! そうすれば……」
対抗するつもりなのか、アロデスも大きな声を出した。彼は馬車の中が見たいらしい。残念、私は金髪碧眼じゃないから人違いなのに。
女性が窓を閉めると同時に馬車が動き出した。あのアロデスの馬車が通せんぼしているみたいだから、馬車を出すってことはそれを蹴散らして行くってことなのかな。
馬車って激しく揺れても大丈夫な作りになっているんだろうか。そしてシートベルトがないのも怖い。
それにしても金髪碧眼か。金髪もだけど青い瞳ってやっぱり好まれるのかな。
あの聖女のヴィエナレーリィ様も青い瞳だったし。
それと金貨100枚ってどのくらいの価値なんだろう。ざっくり100万円くらい? 孤児をもらうのってそんなにするのか……。
あの神殿の他の孤児の中に、金髪碧眼の子がいたんだろうな。
……今にして思えば、ちょっとくらい他の孤児の子とも話をしてみたかったかも。
馬車の箱部分がぶつかる大きな音と、左右に揺れる衝撃が二・三回あってその後は今までとは全然違うスピードで馬車が走る。
ぶつかった衝撃はそうでもなかったけどスピードが増すとこんなに揺れるとは思わなかった。舌を噛まないように備えていて本当によかった。
「ごめんなさいね。あれは夫の一番上の姉の息子よ。親戚中で最も問題のある子なの。いい年をしてみっともないこと……。あれとは親戚付き合いなどしなくてもいいですからね」
女性が先ほどとはうってかわって、優しい声で話しかけてきた。
けっこうキツい言い方をしていたのを最初に聞いていたからか、逆に怖いと思ってしまった。
「は、はい」
とりあえず頭の布を取って返事をする。礼儀は大事である。この人怖いし。
「ああ、その布は被っておきなさい。どこから誰が見ているのかわかりませんからね」
「はい……」
失礼にならないように、ちらっと女性の顔を見ると、驚くほど優しい顔をしていた。薄い茶色の瞳に、目じりにうっすらシワができている。
疲れているだけで本当は優しい人なのかもしれない。
「わたくしの名前はオリスティア。……オリスティア・セイカサウス・トイビーヤです。もし、何かあって道中にはぐれてしまった時は、必ずこの名前を出すのですよ」
「……はい……」
気を使ってもらったようで嬉しいんですけど、その長い名前を一発で覚えて当たり前という無茶ぶりは何とかならないのでしょうか。
「今日の夜は宿場町に泊まります。わたくしたちの領地はトイビーヤ地方といって、ファスティスからは馬車で2日かかりますからね」
「はい」
やっぱり貴族の人なんだ。それからトイビーヤ地方か。覚えておかないと。
「それで、ね、あなたのお名前を、教えてくれるかしら?」
オリスティアさんの質問は、そういう情報は事前に神殿から行っていると思っていた私にとっては意外なものだった。
私は今まで通りリリアと名乗ることにする。
だってそれ以外の名前は、なんか違うと思うから。
「はい、リリアと申します」
「リリアね。まあ、可愛い名前ねえ」
オリスティアさんはなぜかとてもデレデレしているような気がする。
誰か、この人のメンタルバランスを診てあげてください。
「わたくしのことは、お……お母さまと、呼んでもいいのですよ?」
「奥様、それはまだ……」
「あなたは黙っていなさい」
執事のようなおじさんに対する態度が二十面相並みの変化だ。下手な芸人よりすごい。ここまで言われたんなら呼ばなくてはいけない……のかもしれない。
「……お、お母さま」
「まあ、まあ……」
オリスティアさんは両手の指を胸の前で組んで、神に祈るような仕草をした。
「わたくしはずっと女の子が欲しかったのですわ。今日は良き日です」
そうなんだ……よかった……ミン○ン女史じゃなくて……。
******
カラカラと車輪の音が響く。
馬車の窓から見える空が夕暮れ色に染まってきたころ、オリスティアさんはポツリと言った。
「リリア、あなたに話しておかなければならないことがあります」
……来たな……。
まあちょっと怪しいとは思っていたのよ。
女の子が欲しかったってオリスティアさんは言った。でも貴族なら親戚の子とかを養女にするのが普通なんじゃないかと思う。親戚に引き取れるような女の子がいないのなら別だけど、貴族って親戚の数がすごく多いんだって。
貴族同士で結婚するのを何代も繰り返しているから、お祖父さんの兄弟の血筋とか曾祖母の嫁ぎ先の血筋、という感じでたどっていけば無限に親戚が出てくるって。
まあ養女に貰えたとしても、いい子に育ったら産みの親が出てきて「私が本当の親よ~」みたいな昼ドラ展開が待っている可能性もなくはない。
貴族だからこそいろんな理由で他の貴族に借りを作るのが嫌だという場合もあるだろう。
もしくは領主の権力を使って領民の中からこれっていう子を養女にするという手も考えられる。
家が貧しいので、自分が養女になって親の負担を減らしたい、と思っている健気な女の子はいるのではないか。
……「養女になって」を「奉公して」に変えたら、まるっきり「おしん」だった。
いずれにせよ、身近に探せばどこかに条件の合う女の子はいると思うのになぜそうしないのか。
どうして出自も分からないような孤児を神殿でもらってくる必要があるのか。
それが、おそらく今オリスティアさんが言おうとしていることなのだろう。
オリスティアさんは迷うように二回くらい口を開いては閉じていたが、ついに言いにくそうに話し出した。
「わたくしたちには息子がいて、長男のロニウスは今年で17歳になるのです。しかし……二ヶ月ほど前から、その……病気になってしまって……。あなたには、あの子の……お嫁さんになってもらおうと思っていますのよ」
「え? お?」
予想外の言葉を聞いて私は動揺した。
お嫁……?
12歳くらいの子供がお嫁に行く?
ますますわからなくなってきたぞ……。
「けれども、もしあなたが嫌だと言うのなら、その時は、わたくしたちの養女になっていただきたいの」
まだ相手に会ってもいないのに、なぜ嫌だと言うのが前提なんだ。
これは訳あり物件のにおい……!
「ロニウスはおそらくもう、……長くはありませんから」
「奥様、そんなことはございません」
オリスティアさんの涙をこらえるような声に執事のおじさんの声が被る。オリスティアさんはさっきのように怒ったりはせず、悲しそうに目を伏せた。
「あの子の姿を見てもそう言えますか? たとえ生きながらえたとしても、次の領主としては……」
「領主様の中には、お屋敷から出ないという方もいらっしゃるそうですから」
「そういう問題ではないのです」
オリスティアさんと執事さんは終わらない雰囲気の話し合いをしている。
なるほど「嫌だと言われる可能性のあるような病気」で「もう長くない」息子さんの嫁にするために子供を貰ってきたというわけだ。
でもなんで嫁? この体は幼くてまだ子供を産めないと思うから、もっとちゃんと成長した娘を貰ってきた方がいいんじゃないの?
それに病気なら治れば問題ないはずだし。
ちょっと詳しく知りたくなり、私はタイミングを見て聞いてみることにした。
「すいません、あの、病気というのは、神殿の司祭さまでも治せないのですか?」
「……リリア様、私は奥様の執事をしております、ロバートと申します。私から説明いたしましょう」
終わらない話し合いで気が滅入ってしまった様子のオリスティアさんに代わって、ロバートさんが話し出した。
「実は、ロニウス様に異変が起きてすぐ、奥様は治癒師として名高いあのダスマス司祭に相談なさっているのです。しかしその病気は……呪いのようなものであるため、治癒魔法では治すことができないということでした」
「呪い?」
「の、ようなものでございます。それによってロニウス様は、外見が大きく変わられてしまった……」
外見が大きく変わる「呪いのようなもの」。
そもそも「呪い」って何だ。ここの息子さんは封印の祠でも暴いてしまったのか。
「どのように変わられたのですか?」
私ができるだけ表情を変えないように聞いてみると、ロバートさんは苦いような顔をして口ごもる。
「む……、それは、その……」
ロバートさんの「察してくれ」と言いたそうな雰囲気を感じる。
そりゃ主人の前で、その息子のことを「とっても醜くなった」とは言えないか。こんなに悩んでいるんだから、まさか美しくなってはいないだろうし。
「……トカゲですわ」
うつむいたオリスティアさんが小さく答えた。
「トカゲのような、肌に……爪に……ああ……」
途中まで言うと、そのままオリスティアさんは両手で顔を覆って座席に倒れこむように深くもたれかかった。
トカゲ?
トカゲ人間?
世界ビックリ人間みたいな、たまにテレビでやっている、変わった外見の人になってしまったということか。
ということはトカゲの呪い? 息子さんがトカゲに嫌がらせでもしたのだろうか。
あー、なるほど。それは親戚の子も領民の子も無理かもしれない。
子孫を残さないといけないのにトカゲ人間の嫁になるって、ハードル高いよね。普通の人と結婚できるのなら普通はそっちを選ぶだろう。
この世界では、子供ができるのかどうかわからない相手との結婚は何らかのリスクがあるのかもしれないし。
私は……どう思うんだろう。
直接そのトカゲ人間を見たことがないから、今はなんとも思っていない。実際に見たら嫌だと思うのかもしれないし、そうは思わないかもしれない。
さすがに全身がそのままトカゲだと結婚相手としてキツいものがある。でも意思の疎通ができるのなら変態に買われるよりはいいかもしれない。
ただ、相手が私のことをエサだと思っている場合は速攻でお断りするわ。
ところで今何回トカゲって言っているんだ。
でも、言いにくいことをちゃんと説明してくれたのは嬉しかった。
「買われた孤児には何をしてもかまわない」と考えているような人だったら、そのトカゲ息子の生贄にするとかだまし討ちのような手を使っていたかもしれない。
でもオリスティアさんはこうやって事前に説明してくれた。それは私の中ではとても大事なことだ。
私はオリスティアさんを信じてもいいのだろうか。
というより私はこの世界で、何か信じられるものが欲しいだけなのかも。
金貨一枚は10万円くらいです。主人公は勘違いをしています。