嫉妬と羨望
眠れなかった。
ぼんやりと明るくなっている空の色を窓越しに眺めながら、私はベッドの中で寝返りを打つ。
今日が出発の日か……。
「明日にはここを発っていただきます。できる限り、安全な貴族に引取られるようには手配していますから。……あなたは、ここにいては危険なのです。私はしょせん水の神殿に所属するいち司祭にしか過ぎませんので、問われればあなたを隠し通すのは難しいでしょう」
昨日、司祭のおじさんはそう言っていた。
安全な貴族ってどんなんだ。変態じゃなければいいけど。
司祭のおじさんは部屋を出る前に「次からはエリックとお呼びください」と言った。そういえば名乗られたような気はするけど、私は「司祭のおじさん」としか認識してなかった。
かなり親身になってくれていたのに、申し訳ない。
でも、私がそう呼ぶような機会はたぶん来ないだろう。
「はあ~……」
私は大きくため息をついた。
大抵の金持ちとか権力者って、本人はブス・ブサイクだとしても結婚相手には美男や美女を選ぶわけで。
そのカップルから生まれた子供がうまいことその美男や美女の顔を継いでいれば、美形の金持ちや美形の権力者ができる。
これを代々繰り返していくと金持ち・権力者の周りは美男美女であふれかえるはずだ。
……理論上は。
だからこの体がこんなに美少女で、しかも伯爵家で領主様の子だったとしても不思議ではないと思っている。あんなすごい美男美女から生まれているんだから遺伝子の選択肢にはすべてに「美」って付いているだろう。
でも、それだけでも特別感が半端ないのにさらに時間魔法持ちだって。
あきれてものも言えない。80年代の少女漫画かと。
「天は二物を与えず」どころか三物も四物も貰っちゃってる人間って、存在するんだな。
窓の外がさらに明るくなり、鳥のさえずりが聞こえる。
私はもう一度寝返りを打った。
昨晩は遅くまで魔法の練習を繰り返していた。その結果私は魔力は指先の方が感じやすいということに気が付いた。指先には神経が多く集まっているらしいから、たぶんどれかの神経が魔力を感じ取っているのだろう。
それが分かってからは指先に魔力が流れる感覚をつかもうと試行錯誤していた。でも魔力って色がついているわけではないから、そこにあるのかないのかよくわからないのだ。
流れた? 違う? じゃあこれは? みたいな感じ。
何度も繰り返し同じことをしていると、逆に混乱してきたりもした。
魔法って難しい。今までこんなことをした経験なんてないから、余計にそう思う。
******
朝日が見えてきたのでベッドから降りて朝食を取りに食堂へ行った。この食堂にもお世話になったから、私は食堂のおばちゃんたちに軽く感謝の挨拶をする。
部屋に戻るとアメリアさんがすでに待っていた。
用意された服に着替えるということだったので、机の上に広げられている水色のワンピースを着た。長袖と立ち襟に少しフリルが付いているだけのシンプルな服だ。でも布地はさらさらの手触りでたぶん凄くモノがいい。
でもそれより驚いたのは白い革靴の方。くるぶしまでの編み上げショートブーツで、かわいいデザインがワンピースとよく似合っている。しかも新品。こんなの絶対高いわ。誰が用意してくれたんだろう。
素敵な履き心地にフワーっとした気持ちになっていると、ベッドの方からパキッという乾いた音が聞こえた。そしてその直後にベッドが斜めに傾いた。
「……」
沈黙が痛い。
いや私そんなに重くないって。
ベッド壊すとか関取じゃあるまいし。
それでも気になって見てみたら、4つあるベッドの脚のうち1本が乾いて割れているようだった。
「朽ちてるのかしら、そんなに古いものじゃなかったはずだけど」
アメリアさんが首をかしげている。さっと部屋のドアが開いてアメリアさんの同僚と思われる女性が入ってきた。
「どうしたの? 何かあった?」
「ここのベッドの脚が壊れたみたいなのよ」
アメリアさんが説明するとその女性は大したことはないというように手を振った。
「直せば使えるでしょ。これは一階に下げ渡してここには新しいのを買いましょう。そんなことより、その子はもう引き渡しますよ」
「え? もう決まったの? だって……」
異論があると言わんばかりのアメリアさんを手で制して、女性は言う。
「もう馬車が来ているの。私が連れて行くから」
アメリアさんの目は吊り上がり、まるで睨み殺すような目つきになっていた。しかし立場としては女性の方が上なのか文句を言うことはなかった。
私はそんな二人の様子を目の端にとらえながら、朽ちたベッドの脚を見ていた。
現実逃避ではない。
あの壊れたベッドの脚は、夜、魔力を出そうとしていた時に左手でつかんでいたところだったのだ。
うまくいかないと思っていたけど、もしかしてこの現象は私が触っていたことであのベッドの脚の時間が進んだとは考えられないか。
もしそうだとしたらこの魔力にはあの青いネコ型ロボットの風呂敷みたいに、物の時間を進ませたり戻したりっていう効果があるのかもしれない。
役に立たないことはないと思いたい。あれ映画にだって出てくるし……。
******
カラカラカラカラ……。
私の乗った馬車の車輪が石畳を走る音がする。
この馬車がどこを走っているのかは分からない。確認しようにもベールのように白い布を頭から被せられているので、見えるのは自分の着ている服と手元だけだ。
誰がこの服と靴を買ってくれたのか、なぜこの白い布を被ったまま馬車に乗りこまなくてはいけないのか、そういう説明は一切なかった。
同じ座席にはもう一人、スカートが見えるのでたぶん女性が座っている。向かい側にももう一人いる。この二人が誰なのかという説明もなかった。
不親切な世界である。孤児なんだから仕方ないって言われればそうなんだけど。
デコボコの少ない道なのか、この座席のクッションがいいのか、馬車の揺れは少なかった。その上私にはやることもないので眠気が襲ってくるのにそう時間はかからなかった。
*******
高校時代で、私はすでに170センチくらい身長があった。
一年か二年の夏休みあたりに急激に伸びて、ジャージのすそから足首が出るくらいになってしまったのを覚えている。
最終的には社会人になってからの健康診断で……174センチくらいだったかな。
その頃から妹がやたらと絡んでくるようになった。中学生からモデル活動をしていた妹は、自分で思っていたほど身長が伸びなかったことに対して焦りがあったのかもしれない。
「ブスが背が高くてもみっともないだけ」
「バカの大足」
「でくの坊って意味知ってる?」
相手にしても仕方がないような悪口を毎日言われた。
親、特に母親は妹の味方だったので、訴えても意味がないのはわかっていた。だから何を言われても無反応を貫いた。
けどさあ。
背が伸びたのは私が悪いのか。
人が持っているものが羨ましいのは分かるけど、それをけなしたところであなたは何か得をするのか。
私はそう聞きたかった。
たぶん答えなんか無いんだろう。あいつは言いたかったから言っていただけなんだろう。頭の作りが簡単でいいよね。
同じ時期だったかな……クラスの友達にも身長のこと言われたような気がする。こっちはだいぶ違うけど。
その子はバレーボール部に所属していたが、身長が足りないという理由で後輩に正ポジションを取られてしまったらしかった。
「あんたくらい背が高かったらよかったのに」
放課後の教室で泣きながらそう言われた時には、何て言ったらいいのか分からなくて本当に困った。
「でも私、バレーボール苦手だから……」
部活に誘われることも多かったが、私はバレーボールもバスケットボールも嫌いだった。どちらも試合をするとボールがぶつかってきて痛いからである。
そんなことは球技ではよくあることで、つまり私は球技全般が嫌いなのだ。
だが体育の授業では、バスケットボールはサボることができたのでマシだった。ゴール下とコート中央あたりを意味なく走りまわったり、パスをすぐパスしたりすればそれなりに見える。
問題はバレーボールである。この球技はサーブ権なるものがあり、サーブの順番が回ってくるという最悪なルールがあった。このサーブが私はとても苦手だった。力を入れればコートの外へ行くし、力を抜けばネットを越えないという「素人あるある」状態がとても嫌で仕方がなかった。
しかもボールを拾うときにはレシーブとかいう腕が痛くなるだけの自虐技を使う。授業の後は痛くていつもヘコんだものである。それくらい苦手だったのだ。
「そういや、そうだったね」
友達は泣きながら笑ってくれた。
あの子はいい友達だったな。
今はどうしているんだろう。元気にしてるかな?
******
「元気にしてた?」
そのセリフで思い出した。
私は社会人になってからすぐ、高校を卒業後に実家を出て行った姉と再会していた。久しぶりに会った姉はきっちりとした髪型とスーツで胸には弁護士のバッチを付けていて、輝くような笑顔で私にそう言ったのだ。
聞けば姉は彼氏と一緒に都会へ出てから、成績優秀者には入学金免除・学費無料で奨学金支給のある大学に入り、大学在籍中に司法試験に一発合格したという。大学卒業後は有名な弁護士法人に就職してバリバリ仕事をしているらしい。
頭がいいことは知っていたけど、出来が違うとはこういうことかと思ったものだ。
なんだかんだ言いながら親の金で大学に行った身としては、そんな姉が眩しすぎてまともに見られなかった。
「あんたがあの家を出て1人暮らししてるってわかって、ちょっと安心したわ」
どこでそういう情報を得ているのかわからないが、いちおう心配してくれていたことには感謝した。いきなり知らない電話番号から電話がかかってきた時の、私の動揺やら不安やらはなかったことにしてあげよう。
「あの家はおかしいからね。あんたのストレスは知ってたけど、こっちもあれこれ言われててあのときは庇う余裕もなかったんだ。ごめんね。ところで結婚式には出てくれるよね? 2次会かなっていうくらいの小規模でやるんだけど……」
姉は一緒に田舎を出て行った男性とすでに入籍していた。そういうある意味一途なところも羨ましい。
私もこれっていう男性を見つけたら、その人一本で突っ走るような恋愛がしたい……したかった。
「あんた背が高くてカッコイイからモテるよー」
姉は女子への褒め言葉じゃない言葉を残して去って行った。
私は、姉のような生き方のほうがカッコイイと今でも思っている。
就職した会社では特にモテることはなかったが、なぜか同期の女子から「バレンタインデーにチョコをあげる人がいないから、女子同士でチョコを交換しないか」と言ってきたのには驚いた。都会ではそういう風習があるのかと思い、急いで会社の近くのデパートに走り込んで有名ブランドのチョコレートを買ってきたものだ。
ところが会社でその同期の子とチョコを交換すると、どこで見ていたのか先輩社員やらお局様から次々にチョコを渡された。交換するチョコがないからと断ったにもかかわらず、「しっかり食べなさい」などと言われて強引に持たされてしまった。
甘いものは好きだから内心ちょっと嬉しかったけど、そもそもこれって男性にあげる物ではないのかというモヤモヤは残った。
チョコはどれもおいしかったから、たぶん嫌われてはなかったと思う。
改稿しました。