司祭のおじさんの過去
※過去回です。
私は、都ローグレイで生まれ育った平民です。幼い頃に治癒魔法の素質を発現させたため、大神殿より勧誘があり、神官になるために水の大神殿で修行をしました。
魔法の素質は幼い子供の頃に多く発現します。私は石畳の街道で転んだ時に、すりむいた膝を押さえた手が光ったことから治癒魔法だと分かりました。これが攻撃魔法の素質だと、子供がかんしゃくを起こしたときに発現することが多いようです。
いずれにしても魔力のある子供は小さな時に「無意識に魔法を使っている」ということですね。もちろん、効果はそんなに大したものではありませんが。
私の治癒魔法が形になったのは12歳くらいの頃でした。その時師匠代わりだった先輩の治癒魔法使いから、こう注意されたのです。
「お前はいい治癒師になるだろう。だが、完璧に治すのはやめておきなさい。それと、大人数を一度に治癒しないように」
どちらもその時の私にはできないことでしたが、先輩の真剣な表情から何かがあるのだろうと思いました。
あとで知ったことですが、都の大神殿ではなぜか「聖女ヴィエナレーリィ様の伝説」に匹敵するような治癒の使い手は左遷されたり消えたりするということでした。誰もそれについて公に言う者はいませんでしたが、4つの大神殿の大司祭様たちが関わっているのだというのが暗黙の了解でした。
実際その助言をしてくれた先輩は、のちに北の辺境の領地へ異動になりました。彼には手紙を何度出しても返事がなく、その消息は今も分かっていません。
18歳くらいの頃でしょうか。ある日私は聖女様の治療をすることになりました。
これは全くの偶然でした。その日は風の神殿の祝日で、治癒ができる魔法使いはほぼ全員が「奇跡の施し」のために神殿にはいませんでした。
ああ、「奇跡の施し」とは貧しい人たちの居住区へ行って無料で治療をすることです。これもすべて聖女様の善行ということになります。
私はその時大神殿に近い居住区を割り当てられていました。日が暮れてから大神殿で聖女様がお出ましになる行事があったのですが、突風が吹いて神殿に吊るされていたランプの火が聖女様のお袖に飛び火したのです。
私が呼ばれて駆けつけたときには、聖女様は左手の甲から左腕にかけてひどい火傷を負われていました。
「火傷痕を残さぬよう、完璧に治せ」と、風の大司祭様からしつこいくらいに念を押されました。しかしどうしてもあの先輩の言葉がちらついて、私にはきれいに治すことはできませんでした。
相応の罰を受けるものと思っていましたが「実力が足りなかったのだから仕方がない」という水の大司祭様のとりなしもあり、降格処分のみで終わりました。
私は不思議に思いました。
彼女は聖女様なのだから自分で火傷を治せばいいのではないかと。
伝説では何百人でも一度に治癒できるという素晴らしい治癒魔法の使い手なのに、なぜ自分の傷は治せないのかと。
その日から私は聖女様のことを少しずつ調べ始めました。
聖女様が水の大神殿から「聖女の認定」を受けられたのは今から100年ほど前のことです。つまり正確な年齢は100歳を越えているはずですが、聖女様は今も若い姿のままです。
それは魔力を多く持つ聖女様にしか使えない秘術によってそうしているのだと都では教えられています。それが事実であれば、聖女様は多くの魔法使いの持つ悩みをご自身で解決されているわけですから素晴らしいことなのですが。
母親はティファーナ王女殿下だというのは有名な話です。この方はその時代の人物で間違いないでしょう。
しかし父親についてはあまり言及されていません。絵本では大司祭様との子供になっていたようですが、王族が水の大神殿の大司祭と結婚したとすれば当時の一大イベントとなるはずなのに、都のどこにもそのような記録はありませんでした。
それに王女が降嫁した場合は「元王女」となるはずです。ところがどの記録も「王女」の表記のままで結婚相手の名前はローグレイの記録にはありませんでした。
これでは結婚しないままでヴィエナレーリィ様を産んだように思われても不思議ではありません。王女としてはありえないことです。
そこで地方に残っていた当時の役人の記録を念入りに調べたところ、ティファーナ王女の降嫁先は「フィヴライエ伯爵」とはっきり書かれていたのです。
おそらく都の記録は改ざんされていて、地方の小役人の書いた記録までは手が回らなかったのではないか。
というのは、このフィヴライエ伯爵家は王に反逆した罪によって取り潰されているからです。その反逆したとされる当時の伯爵がティファーナ王女のお相手だったのです。
要するに聖女ヴィエナレーリィ様は反逆者の娘ということになります。それでは都合が悪いので、その父親の記録を抹消し母親を王女のままの記録にしたと、私にはそう考えられるのです。
反逆者とされた理由ですが、その当時の王様はいわゆる暴君と呼ばれるような性格であり、何か気に入らないことをした貴族に対して次々と反逆罪を被せて処刑していたという記録が残っています。
ですからそう大した理由で断罪されたわけではないはずです。あまりにもたくさんの貴族が粛清されていったため、後の政治に大きな支障が残ったという話が神殿にも伝わっていますよ。
それから「聖女様の姿絵」はヴィエナレーリィ様が聖女認定されてからは盛んに描かれていたようなのですが、神殿の許可した肖像画や絵は判で押したように法衣を着て杖を持った姿です。こちらの神殿の大広間にもあったかと。
しかし聖女になられて最初の頃に庶民が私的に残したスケッチなどでは、法衣の上からネックレスのようなものを着けていることが多かったのです。
私は、このネックレスは魔法結晶ではないかと考えました。
魔法結晶というのは、魔法を石に込めたものです。たとえば私のような治癒魔法使いが魔法を石に込めて、他の人がその込めた魔法を解除すると治癒魔法を使えない人でも治癒ができるのです。
この技術は戦争をしていた頃に開発されて非常に役に立ったそうです。魔法を込めるのに「カルアネリ」という黒くて硬い石を用いるのですが、庶民の残した落書きや絵にはまさにこの黒い石で作ったと見られるネックレスが描かれていました。
これらのことから、聖女様のいろんな大治癒魔法の伝説は魔法結晶を使って作られたものだったのではないかと私は疑っているのです。
聖女様はもともと治癒魔法を持っていない。だからあの時の聖女様は自分で治療することができなかったのだと。
それから何年か経ったある日、私は神殿を歩く聖女様に再び出会ってしまったのです。
その聖女様がいつも着ている法衣の長袖から出ている左手の甲には、火傷の跡がなかったのを私は跪きながら見てしまったのです。
目の前の聖女様は私が治療した聖女様ではないと、私にはわかりました。
私はできるだけそのことに気付かれないように、その日のうちに異動願いを大司祭様に提出しました。
ちょうど同じ頃、私の食事に毒が入っていたことがありました。
毒を盛られた理由は、私の治癒魔法の能力が強くなったことに対してなのか、新たな魔法の習得ができたことが知られてしまったからなのか、または……聖女様のことを調べていたのがバレたかのどれかでしょう。私にはわかりません。
しかしとにかく私は早急に都から離れる必要があったのです。
ちなみに私がなぜここを希望したかというと、ここがフィヴライエ伯爵領最大の神殿だったからです。伯爵はかなり力を入れてこの神殿を作ったようですね。
反逆者としてフィヴライエ伯爵の名は抹消されました。けれども領民には善政をしていたらしく、領地の名前が変わることを知った領民から強い反発があり、歴史のある土地でもあるためそのまま地名として名前が残ることになったそうです。