Story3 「天音の心」
心の内をとうとう吐露する天音
そんな天音に澄鏡は「大切」だと言い…
天音の心は少しずつ溶かされてゆく─
ほんとは、このまま心の内を誰にも言わずに墓まで持っていくつもりだった。
なのにどうして君は聞くんだろう…僕の気持ちはいつも、いつも…。
あまりいいものじゃないのに、とても後ろめたいものだ、なら言わないで君の心が晴れたところで終わりにすればいいのに。
どうして君は聞くの?
せっかく今まで隠してきたのに…。
でも
少し欲が出た。
話を聞いてほしい、答えがほしいという欲が。
そして彼なら、わかってくれるのではないか、答えを出してくれるのではないか、という期待も。
(僕はまだ、人に…)
そう天音が思いかけたときに、
「君の番だよ、天音」
そう澄鏡が言った。
天音は少し驚いた様子で、
でもなんとなくわかっていたのか、口の端を少し上げた。
澄鏡はそんな天音の表情に気づかなかった。
「…僕は」
天音が話し始める。
「僕の話は、あまりいいものじゃないんです。だから…あまりそこには触れたくないです。でも、今思ってることを少しだけ、聞いてください。」
初めて話すことに緊張しているようだ。少しだけ手が震えている。しかし、ゆっくり確実に言葉を発していく。天音は初めて、自分のことを理解してもらえるように話している。
「僕は、もうずっと臆病者なんです…」
少しずつ、少しずつ、心の中の言ってはいけないと固くとざした扉を緩めてゆく。
「僕は、僕には守るべきもの、とか大切なもの、とかが考える限り存在しなくて、僕って何だろうって不意に問いかけたとき自分を証明するものが無いということに気づいてしまって…。」
大切なものに対して人は、頼まれなくてもそれらを守ろうとする。それは大切だから。そして人は自分が必要とされているんだと確認することができる。誰かを守るために存在している節もある、とそういう“節”を集めて人は自分というものの確定材料にしようとする。
私は誰だと陥ったとき、私には誰々がいるから大丈夫だ、と存在意義を確信し、安心を得ることができる。ちょうどそんな感じで心の中の漠然とした不安とバランスを取ろうとする。
「僕は…僕は自分には何もないんだ、ということを…想像するだけで…怖くて、暗くて、胸の奥や、喉の上のほうが酷く、苦しくなって…」
だんだん天音の瞳から先程までの穏やかさは消え、話してしまって良かったのか、言っても辛くなるだけなのではないかと後悔しているように見えてくる。
苦しくて、今すぐ吐き出せるなら早く吐き出したいという思いが、彼の言葉を箇条書きのように断片的なものにしてゆく…。そうなってしまうと、誰にも言葉は届かなくなる。
「っ…」
言葉を探している。天音は今の自分の心を表す言葉を探している。
言葉足らずだと気づき、探し始めて苦しんでいる。
「…天音…」
すると急に澄鏡が天音の名前を呼んだ。
天音は、びくっと体を震えさせてから、ふと、我に帰ったかのように瞳に光を灯した。
「…天音…、大丈夫。…大丈夫なんだよ。」
澄鏡はそういった。
穏やかな声で、天音の目を見た。
何が大丈夫なのか、明確に言ってはいないものの、それを聞いたとき天音はこわばらせていた肩の力を抜いた。
少し安心したように、もう一度語りだす。
「最近、ふと思うんです。なぜかはわからないけれど。僕は、何なんだろうって。
僕は、何者でもない。それだけなら別に良かったんです。
でも、…僕は 空っぽなんです。
何もないんです。自分を証明するものが。
僕は僕、それだけなのに…自分の中を覗いてみると…何もなくて。それに気づいてしまって。
護るもの、大切なもの、それはアイデンティティの一種で、自分を保証してくれますよね。
…でも、僕はないんです。
僕は、臆病なんです。」
天音は、哀しそうに微笑む。
「護るものを持つことが怖い…。
のくせに、何もない自分を認めてしまうのが…気付いてしまうのが怖いんです。
護ることが、自分にはしていいのか、わからないんです。
本当の臆病者だ」
その言葉を聞いた澄鏡は、少し間を開けて微笑んだ。
「…天音。君は僕に言ったことを覚えているかい?…君が、僕の”人を護っていい権利”を保証してくれたんだろ?…なのに君がそれを持ち合わせていないと、僕、困っちゃうよ…
…ごめんね、意地悪するつもりじゃない。
でも、君はさっき僕の心を守ってくれたじゃないか…
僕は、僕自身を傷付けていて、君はそれに気づかない僕に気づかせてくれた。それで君は僕の代わりに心の代弁者として悪いやつを殴ってくれるんだろう?
…頼もしいよ、とっても。
僕の心を傷つける“僕”と“悪い奴ら”から護ってくれたし、守ってくれるんだろ?
君はもう、大丈夫だよ…。
絶対大丈夫。
護るもの…覚悟、ちゃんとあるじゃない…」
澄鏡はそう言ってから笑ってみせた。
澄鏡が笑った瞬間に天音は、まるで小さい子どものように、声を出して泣いていた。上を向いて泣いていた。
何かが吹っ切れたように、言葉が雪崩のように流れてくる。
澄鏡の優しい言葉で天音の心が動いた
「あぁ…っ…ああぁっ…」
それから天音は俯き気味になり、胸の前に手を組んで祈るようにその手に額をつけていた。
「…大丈夫って…っ…そんなのっ…わかんないはずなのにぃ…僕はまだ…何かを守っても…いいのっ…?」
願いを…何かを乞うようだった。か細い声だった。
相手は澄鏡か、神様か、はたまた自分か。
天音は願う。
「…天音…いいんだよ。もう、大丈夫なんだよ…」
澄鏡には天音の苦しみが少しはわかるから、どれほどの思いでそれを乞い願うのかは十分にわかって。
天音の感じる“罪悪感”にも共感できた。
「僕はっ…必要とされていますか…っ…そうじゃなかったら…あぁ…どうしようも、…ないなぁ…っ…」
自分を嘲るようだった。どうしようもない、相変わらずだめな自分。必要とされていないことを前提として彼は泣いている。
(…天音…何があったの…?君にこんなに深い傷を背負わせたのは、何?)
澄鏡は天音の背中をさすりながら思いを巡らせる。
天音の願いの奥底にある天音の過去について。
しかし彼には到底わかるはずもない。
だが、天音の苦しみの大きさは感じ取れる。
「僕…怖いんです…何もかもっ…自分を取り巻く…全部が…っ…」
澄鏡には、天音の心の叫びが苦しいほど聞こえていた。
「少しでも、気持ちが落ち込んだら、思い出せる限りの暗い記憶を引っ張り出して、何度も何度も…っ、フラッシュバックするんだ…!
その度に自己嫌悪、もう自分が嫌で嫌で仕方がなくて…
罪悪感が…ずっとこびりついて離れない…
日常に少しずつ存在する罪悪感の、降り積った大きさに気づいてしまったんです…
なんて愚かなんだろうって…自分がっ…。
苦しくも、悲しくもないのに…ただただ辛い…
幸せなはずの今に、こんな暗い気持ちを持込んで人に気を遣わせてしまう自分が嫌い…
ずっと、少しでも意識すれば…今までの罪がフラッシュバックして…
できることなら消えてなくなりたい
でもそれすらも…罪悪感を逃れるための行為じゃないのかなって…
僕は…僕は…どうすればっ…
贖罪を…」
天音の流す涙は、先ほどとは温度の違う冷たい花を咲かせていた。
黒百合が咲き乱れている。冷たい雪のような花も。
手元に咲いた彼岸花は彼の戒めだろうか。
澄鏡は花々を見ては胸を苦しめた。
自分の心を救ってくれた人物の自分より大きな闇の片鱗に触れてしまったから。
「…嗚呼…僕なんて…僕なんかじゃあ…っ…心の隙間を埋める権利すらもらえるわけがない…っ…
こんな臆病者には…何もない…」
澄鏡はその瞳の色を見つめ、訴えた。
天音の瞳が闇に染まってしまう前にと
神様、この子は僕を救ってくれたんですと
澄鏡は天音を見つめながら心の中で訴えた。
(嗚呼…)
我慢など、到底できない。
澄鏡の”大切な人”が
苦しんでいるのだから。
「天音っ…!」
その瞳を闇に染める前に
伝えたい思いがある
その瞳は、遠くの光を感じ取った。
「天音!
天音!届いてるかなぁ
僕の声は
届いてる?
君の声は届いたのに!
君にだけ何も聞こえないなんて
理不尽だよ!」
澄鏡はそう言いながら天音の咲かせる花を優しく分けていく。
天音の元まで、花を折らないように。
天音は澄鏡の方を見る。
その瞳に光はまだある。
少しだけ、残っている。
「天音。言い忘れていたから、どうか聞いて!」
澄鏡は心を込めて
心を届ける
「本当はみんな怖いんだ
僕だって空っぽだったよ!
記憶が、なかったんだもの
大事な記憶
そして思い出した今も空っぽと言っていいかもしれないね。僕は何も無いままなんだから。
みんな怖いのは同じ。
だからって悩む必要がないとは言わない…
怖いのは一緒
ただそれだけ
ほんとは僕も怖いんだよ!」
澄鏡の手は相変わらず優しく花を分けていく
「でも君を見てるとね…
やっとわかった…
僕らは無理をしている!
僕らは何か大切なものがないと生きてはいけない…でもね、僕らは
それを無理して遠ざけているんだよ…
守るものなんてあったら迷惑をかけてしまうかもしれない、
傷つけるのが怖くて、
それで罪悪感を背負うのを恐れている
これ以上は僕達には背負いきれないよね…
僕らだっていっぱいいっぱいだ…
僕もそうだよ」
1歩ずつ、澄鏡は手で花を分け、膝でゆっくり天音の元へ進んでゆく。
「そして僕らは、罪悪感を、過ちを忘れようとしたんだ…
僕も君と同じかもしれないね…
でもね…安直に君の心に理解は示しちゃいけないね
それは君の苦しみ
君のものだからね
安っぽい同情は君を傷つける
だから」
天音の苦しみを受け止めながら穏やかな口調で語りかける。
「僕らは戦うんだ
何かを護るという戦いを
自分のことを自分で傷つけないように
僕達は
傷つけすぎている
この話でわかったと思うけど
僕達は 傷つけるか傷つけないかで神経をすり減らしてる
とっても大事なんだよ 罪悪感を過敏に自覚している人間にとっては
背負いきれない罪悪感はごめんだからね
それでも僕らは
大切なものを見つけなきゃ…
それが苦しくても悲しても
それがない方が
よっぽど辛いよ…
孤独は毒だ
麻痺してしまう
自分を傷つけていることに気づけない
だから
何かわかんないけど何でもいいから
大切なものを見つけて、天音」
澄鏡は天音の元まで、たどり着き、天音の手を温かい手で握る。花々がだんだんと変化してゆく。
「僕達は空っぽだ!
正しさなんて分かんない!
ただ一人が怖い
空っぽな自分が怖い
何かを守れれば
生きがいがあれば
必要とされれば
それはマシになるんじゃないかなあ
そしたら僕らは」
黒百合が白百合へ、雪のような冷たい花は、春の日差しのような温かい花へ、
「ようやく報われる
そして、少しだけど強くなれるよ…きっと…
この言葉が、もし君に届いてるなら…
これだけは覚えていてよ、天音!」
澄鏡は、握っていた手を離し、
天音の涙を人差し指で拭った
天音の瞳とようやく目が合う
その瞳の闇は深海へ、深海は、鮮やかに輝きを増してゆく
「僕が君にこんなことを言うのには、訳があるんだ!
君の心を守りたい、守りたいと思ったよ!
伝えたい想いがあるからだよ!
…そうだね、こういった方が
僕達にはわかりやすい
天音は、
僕の大切な人になったんだよ。
これだけは覚えていて、
君には
僕がいる
…ちょっと…頼りないけどね…」
そう言って笑う澄鏡を見て天音は澄鏡を眩しそうに見つめる
まだ、自覚がないのだ。
その言葉を飲み込むには心がいっぱいで。
そして…誰かの心の片隅にでも置いてもらえたことを少しずつ、自覚してゆく。
それをしっかりと自覚した時
天音の鮮やかなブルーブラックの瞳には
温かい、歓喜の涙が流れ
綺麗な花々を咲かせた
「澄鏡さん…いや、澄鏡。
あなたの声が
ちゃんと届いた
僕の心にちゃんと届いた。
嗚呼…温かい。」
天音は着ている服の胸元を優しく撫で下ろし
「…こんなに心がいっぱいなのは
こんなに心が温かいのは、いつぶりだろう…
届いた言葉がこんなに温かく感じれたのはいつぶりだろう
誰かの心の隅っこでも自分がいるという事が
こんなに心を喜びで満たすなんて知らなかった
嗚呼…幸せなはずのに…
涙が止まらない…
今までの罪悪感を拭うことはできないけど、
でも、それらはきっと、必要だった…
自分を成長させるための通過点
捨てては行けないから…沢山増えてしまうかもしれないけど、ちゃんと持っていくよ」
とても嬉しそうな顔
やっと自分の過去を受け入れることができたらしい。
そして澄鏡は
「…天音、沢山増えてしまっても持っていこうとする君はとても偉いと思う、…けどね、もし増えすぎて、息ができなくなりそうだったら
その君の人生の荷物を何処かに預けることだってできるんだよ
君の居場所、帰れるところ、拠り所、いろんな言い方があるけど、大切な人を見つけて。
見つけたら、少しでも持ってもらいな、
息ができなくなる前に持ってもらいな
そして君も、大切な誰かの荷物を少しでも持ってあげるんだ」
そう言って微笑んだ。
天音の瞳の涙が止まる。
「…澄鏡?
それはどういう…?」
天音はわからない、といった表情をする。
まるでその言い回しは自分が天音の大切な人として選ばれないような感じで。
その先の未来、澄鏡が居ないような寂しさを感じさせる。
「…天音、僕達…
今日限りな気がする。」
放たれた言葉の力の強さに、天音の心は大きく揺れた。夢だから当然なことだが、天音は、夢とは思えなかったし、気づきもしなかった。
「…なんだか、どこかから来た天音は、また、どこかへ帰っていってしまう、そんな気がするんだ。」
そう言った澄鏡の口元は少し固く結ばれていた。
天音は澄鏡の顔が見れなかった。
「…急…随分と急ですね。」
天音の心はとても揺れていて、せっかく本音を受け止めてくれた人を引き剥がされることには耐えられないだろう。
さっきから、嬉しかったり、悲しかったり、天音の心は今、ぐちゃぐちゃだ。
複雑な感情をもっと掻き乱され、辛くなってうつむいた。
「…天音、」
澄鏡が、このあと発する言葉の意味を天音は、まだ理解できない。
「僕のことを、覚えていて。
遍く君にだけ、覚えていてほしいんだ。」
「今日限りでも、この時間が、瞬きするほど短くても…
僕にとって君は大切で、だからこそ、今日限りの僕だけに優しい君の心を縛りたくない。
だからね、君が自分で探して大切な人を見つけるんだ。他にもっと、君の心を理解してくれる人がいる、守りたいと思う人ができると思う。」
そんな澄鏡の瞳は潤んでいて、しかし穏やかだった。
天音は、その言葉を聞きながら、まだ理解できないまま、自分の体がキラキラとサラサラと消えてゆくのがわかった。
目の前が涙でぐらついて、自分の指先は少しずつ消えてゆく。
夢から醒めそうだった。
焦る心、まだ伝えたいことがあるんだ。沢山。
「天音、でも僕のことを」
ああ待って、まだちゃんとお礼を言えてない。
声が出ない。
薄れていくからなのか、自分の息が詰まっているのかわからないけれど。
最後までこちらを見続ける澄鏡はもう一度言う。
「覚えていて。
忘れないで…」
天音の視界はまた暗闇に戻った。
投稿できてなかった感じだったので再度投稿してます
投稿されてたらすみません(汗)
天音は澄鏡の「大切」という言葉に心を動かされたようですね
そんなふうに誰かに優しくできたらと思います
読んでいただいてありがとうございました