おぼれる
特別養護老人ホームで働いていた頃の話です。
それは、ある年の年末でした。
緊急措置で入所したAさんは家族がおらず、認知症に加え暴力行為や暴言があるとの事でした。内縁の妻はDV被害者であり極度に怯えているとのこと。
ケアマネと副施設長に連れられて来たAさんは痩せて目がぎらついていましたが、女性職員ばかりで気を良くしていました。
たった一つの鞄の中身は、仕事道具でしょう鋸と金槌。着替えも身の回りのものも何一つ持って来ていませんでした。
その日は貸し出しの服を一式出してそのままお風呂に行って貰いました。
話に聞いていた暴力や暴言は見られませんでしたが、そう言った方々が初日から本性を出す事は先ずありえません。
昼食におやつと夕食もにこやかに過ごし、貸し出し用の寝巻きで横になりました。その時点でまだ18時です。普通なら早すぎるでしょう。
にこにこと布団に横になったAさんを、仕事を上がる前にもう一度見ておこうと部屋を訪ねました。
やはり初めての利用者には気にかけます。
声をかけて扉を開けた私の目に飛び込んできたのは、のたうち回るAさんでした。
胸をおさえ畳をめちゃくちゃに叩き足をばたつかせて転がり回るAさん。
私は慌ててナースコールを鳴らし、彼の名前を呼びました。
「苦しい! 苦しい!」と叫ぶ彼を押さえつけ、バイタルを測るものの、とれません。SPO2は20%を切ってました。
当直ナースが救急車を呼び、主任と男性スタッフがその場を引き継ぎ、他のスタッフが他の利用者の対応へと回ります。
やがて到着した救急隊がSPO2を聞いて鼻で笑いました。
「あのね、そんなに下がる前に気絶するから。暴れられないから」
その場を救急隊へ任せましたが、暴れ叫ぶ彼を三人がかりで押さえつけられず、更に応援を呼んで5人がかりでストレッチャーへと固定していました。
「…SPO2:10%切ってます…」「そんなわけ無いだろう!」という救急隊のやり取りが聞こえました。
尚もストレッチャー上でジタバタと「苦しい! 苦しい!」と叫び続けながら搬送されて行きました。
翌日の申し送りで、そのまま、病院へ着く前に救急車の中で息を引き取ったと聞きました。
何故、Aさんが気絶もできずに苦しみ抜いて亡くなったのか、私にはわかりませんが、何かがあったと思わずにいられない、何か壮絶なモノを見たと、そう言う現場に居合わせてしまったと思わずにいられませんでした。