『ポイントください』——そのあとがきの有効性について
なろう世界の情報を探しネットという広大な網の中を潜っていると、こうした意見を見かけることがある。
『あとがきにポイントクレクレ書く奴うざい』
僕自身はこれまでポイントをくれ!とあとがきで催促したことは無い。なぜならこの手の意識高い系書き込みを意識していたからだ。利益主義者である僕は人を敵に回すことを利益面において忌み嫌う。ただの陰キャだと言ってはいけない。
しかし気になっている事もある。こんなことを書いて効果が有るというのか?
ぼくはかつてB級スコッパーとしてなろう海を駆け巡っていた。そして良い作品があれば即座に5:5を押していた。意識の高いスコッパーは作品に応じた評価をせよと嘯くが、ぼく個人として検索システムに影響を齎す以上は5:5以外の選択肢はあり得ない。そもそも読み続けようと思った作品なのだから最高の作品に決まってるではないか。
今は膝に矢を受けてしまった事でなろうでの活動は縮小気味ではあるが、ぼくの価値観からすれば『評価ください』と言われる頃には既に『評価は終わっている』。だからあとがきで催促されてもあげられるものはない。
だが、それはあくまで少数派の視点らしい。
ポイントを堂々と乞食するためもとい検証をするために、自作『【VR】ブレイブファンタジー【神ゲー確実】』の2021年11月6日投稿『レジェンドジエンドオンライン 1.8』に評価を求むあとがきを添えた。前日の時点で総合評価ポイントは19,688。1日に増えるポイントは投稿時期では10〜40ポイント前後だ。それが次の日どうなってるかな?と軽い気持ちで考えていた。
しかし1時間後の21時前後、当エッセイ執筆時点でポイントは既に19,888。比較するまでもない。一瞬で効果は現れた。
そう、人は自らの意思で評価をしないのだ。
ここまで圧倒的な実績があれば『クレクレ批判厨』も黙らざるを得ない。クレクレは一瞬でこれまで地道に築きあげてきた砂山が嘘だったかの如く破竹の勢いで土砂を乗せていく。これであとがきを書かなきゃ嘘だ。
しかし僕の場合は初めてのクレクレ活動だったこともあり評価権をすでに行使している者が少なかったわけだ。(完結詐欺を除く)
これが継続的にクレクレをしている者であれば読者の評価権は既に行使されている可能性が高い。2回目以降のクレクレに効果が有るのか?その辺りの検証が望まれる。やらないけど。
たとえば身も蓋もない話だが人気のない作品やその作者がクレクレを行う場合、読者が少ないために評価権を行使できるユーザー自体が少ない。これではポイントを貰っても駆け上がることは難しく、毎日のように書いても前述の意識高い系に蔑まれるだけかも知れない。
しかしそれが局所的なタイミングだったらどうだろう?毎日のクレクレは戦力の逐次投入と同等。なろうにおいて正義とされるのは瞬間火力だ。瞬間火力さえあれば作品は一時的にでもランキングという地上へ浮上し、人の目に晒される。そこから更に駆け上がれるかは作品次第ではあるが、成功のチャンスとなり得るのだ。
この程度の戦略は既に様々な作者が通った道かもしれない。しかしそんな当たり前のことをこうして文章に残すことに価値はあると考える。そんな意味有りげで特に何も考えていない薀蓄でこの話の結びとする。
余談
利益の追求を考えた結果、クレクレは自分の心臓に悪いのでもう書きません。