第五十八話 妖楼温泉街編(最終) 終演ノ章
桃馬たちの波乱万丈な草津旅行は、ゴールデンウィーク四日目にして幕を下ろした。
妖楼郭で働く白備たちに見送られ、名残惜しくも帰りのバスに乗り込んだ桃馬たちであったが、ジグザグな山道によって、一部の者が酔い潰れてしまった。
※酔いつぶれた者。
窓側に寄り掛かり青ざめている桃馬。
目を閉じながらひたすら酔いに耐えている直人。
少し口を開けながら目が死んでいるジェルド。
これら三名であった。
車酔いに苦しむ三人は、ジグザグな山道を抜けた後も続き、トイレ休憩のパーキングエリアに着くまで、激しい吐き気と戦い続けた。
それから数時間後。
ようやく信潟駅の万代口バスターミナルに到着した桃馬たちは、少し遅い昼食を取るべく、とある立ち食い食堂にて、名物のカレーを食べていた。
桃馬「むぐむぐ、」
憲明「少し遅めの昼食とは言え、そう"がっつ"かなくてもいいだろ?」
桃馬「んっ?ごくり……、仕方ないだろ?トイレ休憩の時に、全部だし……。」
憲明「っ、すまん、分かった。分かったからそれ以上言うな。」
桃馬「……そうか?あむっ……。」
ここで小話。(少々下品な話)
トイレ休憩のパーキングエリアで、激しい吐き気に敗北しトイレで粗相をしてしまったのは、桃馬とジェルドであった。
一方、人目を気にしてトイレで粗相する事が出来なかった直人は、パーキングエリアのお店で、酔い止めの薬を購入し、吐き気が落ち着くまで耐え続けていた。
桃馬「それにしても、久々にバスターミナルのカレーを食ったけど、やっぱり美味いな〜。」
憲明「ほんと、昔から変わらない味だよな。特にこのスパイスが効いている感じが懐かしいよ。」
バスターミナルのカレーは、信潟県の中でも有名な食べ物である。そのため、既にお昼過ぎだと言うのにも関わらず、ゴールデンウィークも重なってか、桃馬たちが食べている時でも長い列をなしていた。
飲食用のカウンターは、大小合わせて五箇所程。
そのため、カウンターの数とお客さんの数が、圧倒的に釣り合わない様に見えるが、不思議な事にお客さんの回転率は非常に早い。
例えば、食券の購入後、列に並んでカレーを受け取る頃には、適当な席が空いている程の回転率である。
しかし、団体で集まって食べるには、運要素が絡むため少々難しい所である。
そのため桃馬と憲明は、小頼たちから離れた末端のカウンターで食べていた。
その一方で、運良く固まれた小頼たちは、楽しそうにカレーを食べていた。
小頼「んん~♪おいひぃ~♪」
リフィル「うんうん♪私も初めて立ち食いをした時は、カレーの味と共に、解放感と罪悪感に駆られて興奮したな~♪」
桜華「〜っ!はむはむっ♪」
ジェルド「……うぅ、す、スパイスが強い。」
ギール「ふっ、相変わらずジェルドの舌は、甘口のお子ちゃま舌だな〜?」
ジェルド「っ、な、何だと!?」
ギール「まぁ、そう怒るなよ?味覚の好みは人によって様々だからな〜。」
ジェルド「っ、い、言わせておけば……、そ、そもそも俺は、スパイスが効いた辛い食べ物に慣れていないだけであって、別に食べられない訳じゃないんだぞ!?」
ギールからの煽りに釣らてしまったジェルドは、そもそも辛い食べ物が苦手にも関わらず、ギールに対して安い見栄を張ってしまった。
実際のジェルドは、辛い食べ物を食べられない訳では無いが、好き好んで食べたりはしないレベルである。
※しかし、甘口のカレーは大好物である。
では、何故頼んだのか。
そもそも、バスターミナルのカレーは、最初の三口までは甘いと感じるが、食べ進めて行くに連れて、次第にスパイス系の辛味が口の中に広がって行く様な味である。
更には、店先から香るスパイス系の匂いはもちろんの事、優れた嗅覚を持っているジェルドなら、スパイスの匂いだけでも辛いと分かるはずであった。
しかしジェルドは、美味しそうにカレーを食べている子供の姿を見てしまった事で、"意外と甘口なのではないか?"と思い込んでしまった。
しかも、カレーの色もそう辛そうには見えず、更には甘口特有の"ごろっ"とした具材が見えた事で、ジェルドは"ごくり"と喉を鳴らしながら頼んでしまった訳である。
※ジェルドの一個人としての感想です。
ギール「まぁまぁ、そう無理して強がるなって、ほら、ちょうど自販機に牛乳が売ってるから、ママのおっぱいだと思って飲んでなよ。」
ジェルド「っ!!な、何だとギール!お、俺だってこのくらい楽勝に食えるよ!」
ギール「なら、水なしで食ってみろ?」
ジェルド「うっ、い、良いだろう!」
見え透いたギールの挑発に乗り、既に一歩も引けなくなってしまったジェルドは、スプーンを片手に"ごくり"と喉を鳴らしながら、スパイスの効いた辛いカレーを食べ進めるのであった。
一方、そのジェルドの背後には、幸せそうにスパイスの効いたカレーを食べているシャルが、一杯目の大盛りカレーを瞬時に平らげ、"謎の二杯目"に入っていた。
シャル「〜っ、美味しいのだ!余はこのカレーとやらが凄く気に入ったのだ!」
ディノ「もぐもぐ、わ、私も気に入りました♪これは魔界では食べられない極上の食べ物ですよ!」
シャル「うむうむ!やはり、この世界の食文化は凄いのだ!いつか魔王の力が完全に戻ったら、この世界を絶対に支配してやるのだ!」
ディノ「っ、それは素晴らしいですね!その時は、このディノもお供します!」
シャル「うむ!この世界を制して、毎日美味い物を食らうのだ!」
カレー程度で大袈裟に喜んでいるシャルは、なんと三杯目を求めてお店の窓口に駆け寄ろうとした。
するとそこへ、何かしらの違和感を感じたギールが、透かさずシャルの肩を掴んだ。
ギール「おい、ちょっと待てシャル……。」
シャル「ん?何なのだ?」
ギール「何なのだ?じゃねぇよ。金を持ってないお前が、どうして"二杯"も食っているんだ?」
シャル「むっ?何だその事か。それなら、店の者に"おかわり"と言ったら、"さーびす"?とか言う復唱呪文で"おかわり"が出来たのだ。だから、また"おかわり"を……。」
シャルの話を聞いたギールは、徐々に青ざめた。
しかもよく見れば、しっかり者のディノまでもあやかっていた。
ギール「っ、ば、ばか!?"おかわり"をする時は、列に並んで食券を買ってからだよ!?そ、それと、サービスでおかわりをしたって言ったな!?そもそもサービスは、お店からのご好意であって、何回もあやかって良いものじゃないんだぞ!?」
シャル「そ、そうなのか!?」
ディノ「はわわ!?そ、そうだったのですか!?す、すみません!?」
ギール「はぁ、ディノも分からなかったとは言え、人の優しさに漬け込む行為は、"まお"…んんっ、人として下の下だぞ。」
一瞬、"魔王"と言いかけたギールであったが、堂々とお店の前でシャルとディノの説教を始めた。
小さな騒ぎに周囲のお客さんたちが、思わず三人に注目する中、するとそこへ、店主と思われる"おじいさん"がお店から出て来てしまった。
店主「おやおや、何事かと思って出て来て見れば、さっき"おかわり"をしに来てくれた子供たちじゃないか?」
ディノ「あっ、おじいさん!?」
シャル「むっ?おぉ〜、"さーびす"とやらをしてくれたおじいさんではないか♪」
ギール「っ、えっ、あ、貴方が……、す、すす、すみません!うちの妹と弟がご迷惑をおかけしました。あ、あの、お代はしっかり払いますので……。」
店主「あはは、お代は気にしなくても大丈夫だよ。そもそも、こっちが勝手にサービスで出したカレーだからな。」
ギール「っ、で、ですが、無理やり押しかけて来た挙句、サービスを強要されたんじゃ……。」
店主「う〜ん、そうだな。異世界との交流文化が始まる前までは、食券なしで直接"おかわり"をして来る人は稀だったけど、今じゃあ、そんなに珍しくはないかな?」
ギール「えっ、そ、そうなのですか?」
店主「まあ、これも文化の違いって奴かもしれないが、この"世界の文化"……いや、"日本文化"に慣れてない異世界のお客さんによく見られるな。」
ギール「お、思っていたより、日常茶飯事なのですね。」
店主「まあな、だから気にする事はないんだ。それに、あの純粋な笑顔で"おかわり"って言われたら…、何て言うかこう〜、孫を見ている様な感じがして、ついサービスしてやりたくなってな。」
ギール「っ!?十分強要されてるじゃないですか!?や、やっぱり、お代は支払います!」
話を聞く限り、半ば強引な強要じゃないとは言え、何とも人の心に漬け込んでしまったかの様な話に、ギールは申し訳なさそうに財布を取り出した。
店主「あはは、お兄さんは律儀だね〜。でも、お代は本当にいいんだよ?」
ギール「ど、どうしてですか?」
店主「うーん、そうだな。これも歳のせいかもしれないが、この子たちの純粋な笑顔を見た瞬間、不思議とやる気が漲って来てな。お陰でここ最近の疲れが癒されたんだよ。」
ギール「はっ、はぁ。」
意外にもシャルとディノに対して、感謝の意を表している"おじいさん"に、思わずギールは茫然とした。
一方、シャルとディノは、優しいおじいさんの方を見るなり、目をキラキラと輝かせていた。
店主「ん、あはは。この子たちは本当に素直で良い子だな。よーし、まだ食べられるのなら三杯目もサービスするよ?」
素直なシャルとディノに心を奪われた"おじいさん"は、とにかく食べ盛りな二人に、満足するまで食べて行ってもらいたいと思っていた。
シャル「おぉ〜、いいのか〜!ギールよ!ギールよ!これなら良いであろう?」
ギール「うぐっ……。あ、ありがとうございます。ほ、ほら、シャルもお礼を言うんだ。」
シャル「うむ、こほん、ありがとうなのだ♪」
ディノ「はわわ!?あ、ありがとうございます!」
店主「あはは、あいよ。あぁ、そうだ。三杯目も大盛りにするかい?」
シャル「うむ♪大盛りなのだ!」
ディノ「ふぇ、あっ、えっと……。」
店主「あはは、もう一人の子は遠慮してる様だが、気にしなくてもいいんだよ?」
ディノ「ふえ、あ、えっと、わ、私も大盛りで。」
店主「はいよ♪ちょっと待っててな。」
何とも微笑ましい光景に、思わず心を打たれた周囲のお客さんたちは、ついついシャルとディノに注目するなり微笑んだ。
本来、恐怖の象徴である魔王であるが、この"魔王シャル"に至っては、不思議にも周囲の人々を和ませていた。
この光景を見ていた桜華は、かつて多くの亜種族を束ね、魔界全土を支配していた"魔王シャル"のイメージを払拭した。
例え、当時のシャルが冷酷無惨であったとしても、今のシャルは、新しい人生を歩もうとしている純粋な女の子であると…、桜華はそう信じようとした。
一方その頃、また少し離れた所でカレーを食している直人たちは、少々騒がしいギールたちの様子を伺っていた。
直人「ふぅ、ヒヤヒヤさせてくれるな……。」
晴斗「あはは、シャルの行動力は実に面白いよ。俺の予測を余裕で越えて来るし、仮に予測しようにも破天荒過ぎて読めないしな。」
直人「うんうん、食券を買わずに、直接"おかわり"しに行くんだもんな〜。まあ、そう言うお店は中にはあるけど、それでも恐れず堂々とやれるとは……、ある意味逸材だな。」
晴斗「まあ、確かにそうだね。本来なら揉め事が起きてもおかしくない展開なのに、何故かその場を和ませてしまう……、何とも不思議なものだよ。」
直人「うーん、予測がつかないシャルの行動をギールが制御して、その際に生まれる反発、摩擦などをディノが吸収……か。ふぅ、何かギリギリのバランスだな。」
晴斗「あはは、義理の面で共通点がある直人と比べて、常に一緒に居ないとダメな所が欠点だね。」
直人「分かりやすい例えだな。」
直人と晴斗が、ギールたちのやり取り分析する中、一方のリールとエルンは、大盛り三杯目に入ったシャルに驚いていた。
その後、下手なトラブルが起きる事もなく、バラけて昼食を取っている桃馬たちは、個々のペースで昼食を済ませるのであった。
そして昼食後。
バスターミナルを後にした桃馬たちは、そのまま信潟駅へと向かうなり、早々に帰りの電車へと乗り込んだ。
桃馬たちが住む青海市まで、片道四十分弱。
少々長い道のりに、一行の殆が眠りについてしまう中、可愛い彼女の寝顔に目を奪われ、眠ろうにも眠れなかった桃馬と直人のお陰で、最悪の乗り過ごしは回避された。
目的地の青海駅に着いた桃馬たちは、この場をもって各自解散となった。
残りのゴールデンウィークは、一日と数時間ほど……。
これらの活用方法は、各自様々であった。
帰宅後、旅の疲れもあってか、つい彼女と一緒に寝てしまった者。(健全)
家に誰も居ない事を良い事に、二人の嫁を連れ込み惚気る者。(若干不健全)
公衆の面前で彼女に"もふ"られ、醜態を晒している者。(不健全)
などなど、各自で充実したゴールデンウィークを過ごそうとしていた。
しかし、その中でギールだけは、少々波乱な展開が続いていた……。
青海駅に到着しても、全く起きる気配がないシャルを背負っているギールは、重い荷物をディノと分担しながら、自宅へと向かっていた。
シャル「すぴーすぴー♪」
ギール「はぁ、全くシャルは呑気なものだな…。もうすぐ家に着くって言うのに、結局駅からずっと熟睡かよ。」
ギールの背中で悠長に熟睡しているシャルに対して、ギールは少し呆れた表情を浮かべながら小言を呟いた。
ディノ「あ、あはは、それほど兄さんの背中が心地良いって事ですよ♪」
ギール「うーん、"俺の背中が心地良い"か…。っ、ま、まあ、今のシャルは、お子ちゃまな上に育ち盛りだからな。そもそも、あれだけのカレーを食べれば、満腹のあまり眠くもなるよな〜。うんうん。」
ディノの一言に、つい嬉しいと感じてしまったギールは、すぐに切り替えて誤魔化そうとした。
しかし、正直過ぎる尻尾は小さく揺れていた。
ディノ「ふふっ、な、何だか兄さん。シャル様に対して凄く優しくなりましたね♪」
ギール「っ、そ、そんな事はないぞ!?」
再び動揺を誘う様なディノの一言に、ギールは更に分かりやすい反応を見せた。小さく揺れていた尻尾は、ちぎれんばかりに振り回し、表情にも焦りが見えていた。
ディノ「っ、そ、そうでしょうか?今の兄さんは、以前よりシャル様の事を受け入れてる様に見えますけど……?」
ギール「あ、あはは〜。そ、それはきっと、ディノの気のせいだよ〜。そもそも今の俺は、珍しく静かにしているシャルに清々(せいせい)しているんだよ〜?」
ディノ「で、でも……。」
ギール「…………。」
中々食い下がらないディノの姿勢を見たギールは、以前学校で、ディノに告ようとしていた話を思い出した。※十六話より。
ギールはその場で足を止めるなり、胸の内を語り始めた。
ギール「もし仮に、ディノの言う通りそう見えるのなら……、たぶん俺は、シャルに情が移ったのかもな。」
ディノ「えっ?」
覇気のない声と共にギールが振り向くと、ギールは悲しそうな表情を浮かべていた。
その表情から伝わる感情は、やるせない後悔か、それとも苦痛による悲しみか、あるいは自分に対してへの怒りか……。
何とも複雑な念を漂わせていた。
そのためディノは、絶対に触れてはならない何かに触れてしまったと感じた。
ディノ「ご、ごめんなさい兄さん!わ、私は、兄さんの気持ちも考えないで余計な詮索を……。」
ギール「そう気にするなディノ。本来ならあの時…、ディノとシャルが初登校をした日の昼休みに、全部打ち明けようかと思っていた話だからな。」
ディノ「で、でも、兄さんに取って、嫌な話なのですよね?」
ギール「……。」
ディノの言う事は、ギールに取って確かな事であった。
しかしギールは、ずっと一人で抱え込んでいた辛い思いを、何故かディノだけには聞いて欲しかった。
ギール「……まあ、立ち話はあれだから、歩きながら聞いてくれ。」
再び歩き出したギールは、今まで"誰"にも打ち明けた事が無い、暗い過去について語り出した。
ギール「今から話す事は、今から八年前。俺がまだ、この世界に来る前の話だ。」
ディノ「は、八年前……、ですか?」
ギール「あぁ…、実は俺には、一つ下の妹が居たんだよ。」
ディノ「っ、い、妹様が…、ですか。」
ギールの口から妹と言う意味深なワードが出た瞬間、早速ディノは何かを察した。
ギール「あぁ、しかも妹は、今のシャルと凄く似ていてな……。少しでも目を離したら、すぐに何処かへ走り去ってしまう様なお転婆娘だったんだよ。」
ディノ「た、確かに…、シャル様とそっくりな性格ですね。」
ギール「あぁ、見た目はともかく、雰囲気と性格が瓜二つだったんだよ。でも…、そんな元気に満ち溢れていた妹は、もうこの世には居ないんだ……。」
ディノ「っ、そ、それは、病で亡くなられたのですか?」
ギールの妹が亡くなっている事は、話の冒頭で何となく察しはついていた。
しかしディノは、ギールの弟として、もしかすれば、"姉"になっていたかもしれないギールの妹について、タブーとされる最期を尋ねてしまった。
これに対してギールは、再び歩き出した足を止めると、肩と声を震わせながら答えた。
ギール「……いや……、妹は…、病で死んだんじゃない……。俺が殺してしまったんだよ。」
ディノ「えっ……。」
衝撃的なギールの一言に、ディノは愕然としながら困惑した。
ディノ「そ、そんな……、兄さんが妹様を……、な、何かの間違いですよね!?」
ギール「…何も違わない。あの時……、俺が友達と遊びに行こうとした時…、一緒について来ようとした妹を連れ出さなければ……、妹は死なずに済んだんだよ!」
ディノ「っ!」
ギールの悲痛な叫びを聞いたディノは、思わず声を詰まらせた。
ギール「はぁはぁ……、当時の妹は…、一緒に連れ出してもらえて…、本当に嬉しかったんだろうな…。俺の注意もろくに聞こうともせずに、ただただ無邪気に走り回っていた……。そして妹は……、そのまま勢い余って道に飛び出し……、馬車に轢かれて命を落とした……。」
ディノ「……。」
ギールの暗い過去に、ディノは言葉を失った。
ギール「本当……、俺ってバカだよな。危ないって分かったいたのに……、俺は、妹の手を握っていなかった。妹の性格を一番理解してた俺が……、取り返しのつかない過ちを犯したんだよ……。」
ギール「それなのに、父さんと母さんは、俺を責めようとはしなかった。……でも俺は、妹を死に追いやった俺が憎くて仕方がなかった。」
ギール「だから、当時の俺は、何度も死のうと考えた……。でも、何度も崖に赴いても、狩猟用の剣を持って手首を切ろうとしても、結局死ぬ事が怖くて出来なかった……。」
ギール「それから俺は、次第に何がしたいのか分からなくなり……、気づけば平然と喧嘩をする様になっていた……。」
ディノ「兄さん……。」
八年間も自責の念に囚われ、ギールの凄惨な過去を知ったディノは、言葉にならない程の苦しい感情が込み上げて来た。
ギール「まぁ、負ける回数の方が多かったけど、それでも父さんと母さんは、そんな俺を見捨てようとしなかった……。」
ディノ「…っ、お父様とお母様は、本当にお優しい方ですね。」
何とも辛い話から、"しんみり"とした話に変わると、ここでようやくディノが、ギールの重い心境を汲んで上げようと合いの手入れた。
だがしかし……。
ディノの優しい思いやりは、この後すぐに崩壊する事になる。
ギール「う、うん、…とは言っても、喧嘩に負けて来る時は、母さんにボコボコにされたけどな……。」
ディノ「ふぇ、な、何でですか!?」
ギール「その……何だ。黒狼族と白狼族は、喧嘩が日常って言うか……その〜。」
ディノ「えぇ!?そ、そんな!?て、てっきり私は、自暴自棄になった兄さんが、里中を暴れ回って、いつもお父様とお母様を困らせていたのかと……。」
ギール「そ、それをしてたのは、母さんの方だよ…。現に全盛期の母さんは、準備運動と称して黒狼族の若者たちを軽く蹴散らした後、そのまま白狼族の里に行って大暴れしてた見たいだし…。しかもその際に、止めに入った父さんを毎晩の様に夜這いを仕掛けて分からせていたとか……。」
ディノ「はわわ!?れ、レベルが違い過ぎますよ!?な、何だか、兄さんが優しく見えてしまいます。」
まさかの所で、黒狼族と白狼族の本質を知ったディノは、血の気の多い種族の中で、如何にギールが大人しい部類にいるのかを感じさせられた。
ギール「……こほん、とまあ、そんな感じで、心のモヤモヤが晴れないまま……、えっと、確か今から四年前だったかな……。黒狼族の里に"界人さん"がやって来て、父さんと母さんを警界官にスカウトしたんだよ。」
ディノ「か、界人さん?……っ、も、もしかしてその人は、直人さんのお父様ですか!?」
ギール「あぁ、そうだよ。確かあの時、父さんはすぐに受け入れたけど、母さんは"弱い奴に従う気はない"って言うなり、界人さんに殴り掛かったな。」
ディノ「っ、そ、それで勝敗は……。」
ギール「当然、界人さんに尻尾を掴まれて惨敗。みんなが見ている前でモフり倒されたな。」
ディノ「ごくり、す、凄い……。」
ギール「当時は気づかなかったけど、界人さんの獣人愛は凄まじいからね。そのせいか、今住んでいる家は、界人さんが直々に手配してくれた家だし、一緒について来た俺には、特別支援学校にも通わせてくれたな。」
ディノ「そ、そそ、そんな事までしてくれたのですか!?」
ギール「うん、界人さんは他の種族に対しても優しいけど、特に獣人族に関しては凄く甘いんだよ…。だから、二日前の"追悼式"が終わった時に、俺が急いで界人さんに会いに行ったのも、そう言う恩があるからなんだよ。」
ディノ「な、なるほど……、で、では、あの公開プレイは……。」
ギール「っ、ま、まあ、あれは界人さんの趣味みたいなものだからな……。うぅ……。」
ここで小話。
二日前に開かれた"追悼式"が終わった後、ギールは久々に会う"界人"に挨拶を交わしていました。
ギールとしても、軽い挨拶で済ませようと思っていたが、男女問わず、獣人族に目が無い"界人"がそれを許すはずもありませんでした。
更に"界人"は、佐渡家一門の中でも獣人族に対して愛が重く、"良い意味"でモフり癖の悪い人物です。
そのため、母親譲りの美貌と高身長を受け継ぎ、父親譲りの毛並みと愛嬌を兼ね揃えたギールは、正しく"界人"に取って、モフりたくて堪らない存在でした。
しかし、今のギールをモフろうにも、イケメン男子のままではモフれないめ、"界人"は頭を下げてまで、"狼の姿になって欲しい"とギールにお願いしました。
対してギールは、界人の"モフテク"を知っているため、断りたくても、やって欲しい願望が強く出てしまい、そのまま悪い大人の頼みに乗ってしまいました。
立派な狼の姿になったギールに、"界人"は生唾を飲みながら撫で回すなり、公衆の面前で一時間以上、ギールを"モフ"りまくりました。
※一方、モフられている時のギールは、まるで天国にでも居るかの様な気分でモフられていました。
そして話は戻し……。
ギール「はぁ、今思えば、界人さんには少し悪い事をしたよ。せっかく手配してくれた学校に編入したってのに、同級生の輩に絡まれて、早速喧嘩三昧……。しかも、他校の中学生や高校生にも目をつけられて、そこでも喧嘩三昧……。はぁ、思い出すだけでも酷いものだよ……。」
ディノ「に、兄さんって、何かと変な苦労に見舞われてませんか?」
ギール「……そうかもな。実際、特別支援学校の頃は、迫り来る輩を倒しては、勝者としての余韻に浸りながら悪友を作ってたりしてたからな……。それから、エスカレーター式で春桜学園に入学してからは、悪友を集めて良い気になっていたな……。」
ディノ「そ、それは、壮大ですね。(う、うーん、何だろうこの違和感は、兄さんの里では普通の事なのに、何故かこの世界の枠に入れると、兄さんが異常に思えてしまう。)」
ギール「でも、それから半年後の事だ。俺がリフィルを口説いている所に桃馬と憲明が現れて…、桃馬が俺の頬に重い拳を入れてくれたお陰で……。今こうしてシャルとディノに出会えたんだよな……。」
何とも紆余曲折したギールの人生に、思わずディノは俯いた。
ディノ「うぅ、兄さんの人生は、何だか紙一重ですね。」
ギール「……そうだな。俺の人生に"何か一つ"でも欠けていたら、きっとシャルとディノには会えなかったと思うよ。」
ディノ「っ、ダメですよ兄さん!その様な事を言ってしまったら、"妹様"の死まで結びつけてしまいます!」
ギール「っ、あぁ、そうだな……。」
ディノ「……兄さんの話を聞いてよく分かりました。編入当初…、どうしてシャル様を避けてたのか。どうして、そこまで優しくしてくれるのか……。」
ギール「……ディノ。」
ディノ「兄さんは、怖いんですよね……。妹様を重ねたシャル様が、再び自分のせいで失う事が……。」
ギール「っ……あぁ、怖いさ。正直、初めてシャルと出会った時は、妹が蘇ったんじゃないかと思ったよ。でも…、シャルはシャルであって、妹ではない……。そんな事は分かっているはずなんだけど……。」
ギール「どうしてかな……。シャルの純粋な笑顔と、無邪気に走り回っている姿を見てしまうと……、最後に見た……、"シール"の面影と重なってしまうんだよ……。」
ディノ「……兄さん。」
再び悲痛な胸の内を語るギールに対して、話を聞いているディノは、胸が張り裂けそうになっていた。
ギール「だから俺は…、もう二度とあんな辛い思いをしたくないんだ。失うのは"シール"だけで十分……。そう自分に言い聞かせながら、今までシャルと接して来たんだよ……。」
ギール「でも、シャルは……、どんなに冷たくされても、叱られたとしても、俺から離れる所か、逆に歩み寄って来てくれた……。一時は、キツイ事を言って強引に引き離そうかと思ったけど…、実際俺には、それ以上にシャルを突き放す事が出来なかった……。」
ディノ「っ、ど、どうしてですか?」
ギール「…シンプルに突き放す勇気がなかった…と言うよりは、もし強引に引き離していたら、また過去の過ちを繰り返すんじゃないかって思ったからだろうな。」
ディノ「……兄さん……んんっ。」
悲しそうな表情をしているディノを見たギールは、少し微笑みながらディノに近寄ると、そっとディノの頭を撫でた
ギール「それともう一つ、二人と出会ってからこの一ヶ月間。少し分かった事があるんだよ。」
ディノ「な、何でしょうか?」
ギール「…俺はな、妹を失ってからずっと孤独だったんだよ。家に帰っても、父さんか、母さんが帰って来るまで一人ぼっちだったし、最悪父さんと母さんが帰って来れない日もあったからな。」
ディノ「っ!?」
ギール「でもな、そんな寂しい孤独な生活でも、シャルとディノに出会えたお陰で、本当に大きく変わったんだよ。まあ、少し騒がしい所もあるけど、それでも毎日が楽しいと思えるくらいだよ。」
ディノ「〜っ!うぅ、に、にいひゃん……ひっく。」
ギールの言葉に心を打たれたディノは、とうとう泣き出してしまった。
ギール「っ、お、おい、ディノ!?ど、どうして泣いてるんだ!?」
ディノ「ひっく、よかったぁ……ひっく、にいひゃんが、私たちを嫌っていなくて、ひっく、よがっだぁ〜!」
ギール「えっ、えっと、ディノ!?そ、そんなに泣く事はないだろ!?」
初めて見るディノの大号泣に、泣かせてしまった理由が分からないギールは、どう対処して上げれば良いのか分からなかった。
周囲に人が居ないとは言え、ここは住宅街。
ここまで泣かれては通報される可能性があるため、とにかくギールは、頭を撫でながら声を掛けまくった。
ギール「よーしよし、落ち着け〜、ディノ〜?」
ディノ「ひっく、ひっく。」
ギール「……お、落ち着いたか?」
ディノ「は、はい……。ひっく。」
ディノ(うぅ、よかった……。やっぱり兄さんは、シャル様の事を嫌っていなかった……。むしろ、妹様と同様に愛してくれていたんだ。)
ギールに慰められ、少し落ち着いたディノは、心の中で歓喜に浸っていた。
ギール「ふぅ、さてと、暗い話はここまでにして早く帰るとしようか。」
ディノ「っ、ま、待って兄さん!」
ギール「ん、どうしたディノ?」
ディノ「え、えっと、その……。シャル様と私だけでは、到底"妹様"の代わりは務まらないかと思います…。ですがそれでも、優しい兄さんのために、これからもお側に居させてはもらえないでしょうか!?」
ギール「〜っ!……そんな事、むしろ俺の方からお願いしたいくらいだ。例え血の繋がりは無くても、二人は俺に取って大切な家族だよ。」
ディノ「〜っ!ひっく、に、にぃざぁ〜ん!」
ギール「っ!おっとと……。」
再び感極まったディノに、今度は勢い良く抱きつかれたギールは、少し体勢を崩しながらも、優しくディノを抱き込んだ。
すると同時に、ギールの背中で熟睡しているシャルもまた、少し強めにギールの肩を掴んだ。
ギール「っ、…ぅ、ぅぅ。」
忘れていた兄弟愛を思い出したギールは、込み上げて来る思いを抑えきれずに、肩を震わせながら涙を浮かべた。
こうして、自責の念を八年間も背負って来た孤独の狼は、一人の魔王と、一人のスライムによって、寂しい孤独の呪縛から解放されるのであった。
ディノ「ひっく、ひっく……。」
ディノもまた、ギールの兄弟として、また家族の一員として、シャルと共に認めてもらえたのが嬉しかったのであろう。
その証拠に、ギールの服を強く握り締めていた。
ギール「ふぅ……、よしよし、これで落ち着いたか?」
ディノ「は、はい……ひっく、ありがとう兄さん。」
ギール「このくらい気にするな。それより歩けそうか?」
ディノ「っ、そ、そのくらい大丈夫ですよ!?」
ギール「あはは、ごめんごめん。それじゃあ、早く家に帰ろうか。」
ディノ「は、はい!」
こうして、ギールから差し出された手を握ったディノは、純粋な笑みを浮かべながら我が家へと帰るのであった。